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第37話 白き砂糖の結晶と、空気を食べる魔法
しおりを挟むエルガレア領に戻った私は、直ちに屋敷の厨房を封鎖した。
普段は料理人たちが忙しく立ち働く場所だが、今日からは私の実験室(ラボ)だ。
「よいか、セバス。我々が目指すのは『菓子』ではない。これは『化学実験』だ」
私は白衣代わりの割烹着を身につけ、腕まくりをした。
目の前には、領内で集められた食材たちが並んでいる。
茶色く濁った砂糖の壺。
硬い殻の鶏卵。
搾りたての牛乳が入ったタンク。
そして、パン焼き用の全粒粉。
これらは全て、この世界の標準的な食材だ。
だが、このままでは私が求める「ショートケーキ」は作れない。ショートケーキとは、繊細さの芸術だからだ。雑味、重さ、硬さ……それら全てを排除し、純粋な「甘み」と「食感」だけを抽出せねばならない。
「若様。先ほどから『ふわふわ』と仰っておりますが、食べ物が空気のように軽いというのは、いささか理解に苦しみますな。パンですら、しっかりと噛みごたえがあるのが良しとされていますのに」
セバスも割烹着姿で、疑わしそうな目を向けてくる。
無理もない。この世界には「スポンジ生地」も「ホイップクリーム」も存在しない。彼らにとっての贅沢な菓子とは、蜂蜜とドライフルーツを練り込んでガチガチに焼き固めたものか、果物を砂糖煮にしたものだ。
「百聞は一食に如かずだ。まずは素材の精製(リファイン)から始めるぞ。……セバス、風魔法の準備を」
私は最初のターゲットである「砂糖壺」を指差した。
***
【工程1:白砂糖(グラニュー糖)の精製】
この世界の砂糖は、サトウキビや甜菜の絞り汁を煮詰めただけの「黒砂糖」に近いものだ。ミネラル分が多く、独特の風味がある。それはそれで美味しいが、繊細な生クリームやスポンジには、その雑味が邪魔になる。
私が欲しいのは、純白の結晶(スクロース)だ。
「遠心分離機を作る。セバス、この樽の中に風の渦を作れ。回転数は毎分3000回転。中心に『遠心力』を生み出し、不純物を含んだ蜜と、結晶を分離させるんだ」
「毎分3000……。また無茶な数値を仰る」
セバスが杖を一振りすると、樽の中に緑色の風の刃が生まれた。
私はそこに、少し水で溶いた黒砂糖のドロドロとした液体を流し込む。
ヒュゴオオオオオッ!!
凄まじい風切り音が厨房に響く。
樽の中では、風魔法による超高速回転が起きていた。重い蜜(モラセス)は外側へ弾き飛ばされ、中心部には純粋な結晶だけが残る仕組みだ。
「よし、今だ! 水を霧状にして噴射! 結晶を洗え!」
「『ウォーター・ミスト』!」
洗浄と分離を繰り返すこと数回。
風が止み、セバスが樽の中を覗き込んだ瞬間、彼の目が驚愕に見開かれた。
「……なんと」
そこにあったのは、茶色い塊ではない。
窓から差し込む陽光を反射してキラキラと輝く、雪のような粉末だった。
「これが……砂糖、ですか? まるでダイヤモンドの粉末のようです」
「舐めてみろ」
セバスが恐る恐る指先につけて口に含む。
「……! 雑味がない。強烈な、それでいて透き通るような甘み……!」
「成功だ。これが『グラニュー糖』。全てのお菓子の基本となる『純粋な甘み』だ」
第一段階クリア。
これで、クリームの色を濁らせることなく、甘みだけを加えることができる。
***
【工程2:小麦粉の選別と調整】
次なる課題は小麦粉だ。
この世界の小麦は、品種改良前の原種に近く、グルテン含有量が非常に高い。いわゆる「強力粉」だ。これでケーキを焼くと、ゴムのように粘り気のある硬い生地になってしまう。
日本でケーキに使われるのは、グルテンの少ない「薄力粉」だ。
「薄力粉がないなら、作るしかない。……セバス、粉砕(グラインド)だ。いつもの製粉よりもさらに細かく、粒子のレベルまで挽いてくれ」
粒度を細かくすることで、水分を含んだ時のグルテン形成をある程度抑えることができる。
さらに、私は秘密兵器を取り出した。
「これは……芋の粉?」
「ああ。ある種の芋から抽出した澱粉(スターチ)だ。これを小麦粉に2割ほど混ぜる」
コーンスターチの代用だ。澱粉を混ぜることで、相対的にグルテンの比率を下げ、サクサクとした軽い食感を生み出すことができる。
これを、目の細かい絹の布(シルクスクリーン)で3回ふるいにかける。
「空気を含ませるんだ。粉の一粒一粒が呼吸できるように」
舞い上がる白い粉塵の中で、私たちは黙々と粉をふるい続けた。
出来上がったのは、指で押すと指紋が残るほどキメの細かい、特製の「エルガレア・パウダー」だ。
***
【工程3:別立て法(ビスキュイ)の生地作り】
いよいよ、最大の難関である「スポンジ生地(ジェノワーズ)」の作成に入る。
ここでの鍵は「卵」だ。
この世界では、卵は「焼く」か「煮る」ものだ。「泡立てる」という概念がない。
「セバス、卵黄と卵白を分けろ。一滴も混ぜるなよ」
「料理でそこまでする必要が? 一緒に混ぜて焼けばオムレツでしょうに」
「オムレツじゃない。我々が作るのは『泡』だ」
私はボウルに入った卵白を指差した。
「卵白には、空気を取り込んで気泡を作る性質がある。この気泡をオーブンの熱で膨張させることで、生地を膨らませるんだ。……ベーキングパウダー(膨張剤)がない以上、この『メレンゲ』の力だけが頼りだ」
私は巨大な泡立て器(ホイッパー)を握った。
前世では電動ミキサーがあったが、ここにはない。
頼れるのは、腕力と根性、そして魔法による補助だ。
「セバス、ボウルを氷水で冷やせ! 私が撹拌する!」
カチャカチャカチャカチャッ!!
高速で手首を返す。
最初はドロリとしていた卵白が、空気を含んで白く濁り始める。
そこに、先ほど作ったグラニュー糖を3回に分けて投入する。
「もっとだ! もっと空気を含ませろ! ツノが立つまで!」
腕が悲鳴を上げる。だが止めない。
やがて、ボウルの中身は液体から、純白の艶やかなクリーム状の物体へと変化した。逆さにしても落ちない、完璧なメレンゲだ。
「……卵が、クリームになった?」
セバスが信じられないものを見る目をしている。
「ここに卵黄と、特製小麦粉を混ぜる。ここからはスピード勝負だ! 練るなよ! 泡を潰さないように『切るように』混ぜるんだ!」
ゴムベラ代わりの木べらで、底からすくい上げるようにさっくりと混ぜ合わせる。
黄色い卵黄と白いメレンゲが混ざり合い、淡いクリーム色の生地が完成した。
これを型に流し込み、トントンと空気を抜く。
***
【工程4:魔導オーブンでの焼成】
「オーブンの温度は170度。絶対にぶらすな。火加減の微調整は、お前の火魔法にかかっている」
「170度……。鉄を打つ温度よりは低いですが、維持するのは骨が折れますな」
レンガ造りの窯に、セバスが火魔法で熱を送る。
通常の薪オーブンでは温度ムラができるが、魔法なら庫内を均一な温度に保てる。これは現代のコンベクションオーブン以上の性能だ。
生地を入れる。
数分後。
厨房に、今まで誰も嗅いだことのない甘く香ばしい香りが漂い始めた。
卵と砂糖が熱で化学反応を起こす、幸せの香り。
「若様……膨らんでおります! 何も入れていないのに、生地が生き物のように!」
「成功だ。気泡が熱で膨張しているんだ」
焼き上がったスポンジを窯から出す。
黄金色(きつねいろ)に輝く表面。
型から外すと、それはふわりと湯気を立て、指で押せば「しゅわっ」と音を立てて押し返してくる弾力を持っていた。
「……これが、パン? いや、もっと柔らかい……羽毛布団のようです」
***
【工程5:生クリーム(シャンティ)と仕上げ】
最後はデコレーションだ。
牛乳を遠心分離にかけて抽出した脂肪分――純度45%の濃厚な生クリーム。
これを氷水で冷やしながら、グラニュー糖を加えて泡立てる。
「七分立てだ。塗りやすさと口溶けのバランスを考えろ」
乳白色の液体が、とろりとしたクリームへと変わる。
舐めてみる。
濃厚な乳のコクがありながら、スッと消える口溶け。完璧だ。
冷ましたスポンジを半分にスライスし、シロップ(砂糖水にリキュールを少し加えたもの)を打つ。
そこにクリームを塗り、スライスしたイチゴ(領内の森で自生していた野苺を品種改良したもの)を並べる。
上からもう一枚のスポンジを重ね、全体をクリームで覆う(ナッペ)。
真っ白なキャンバスのようなケーキの上に、クリームを絞り出し、真っ赤なイチゴを飾る。
「完成だ……。これが、この世界初の『イチゴのショートケーキ』だ」
作業台の上には、宝石のように輝くホールケーキが鎮座していた。
白と赤のコントラスト。
甘い香り。
それは、硬い焼き菓子しか知らないこの世界において、オーパーツ(場違いな工芸品)と呼ぶにふさわしい威容を誇っていた。
***
「さあ、試食といこうか、セバス」
私はナイフを入れた。
抵抗がない。
まるで雲を切るように、ナイフがスッと沈んでいく。その感触だけで、勝利を確信した。
皿に取り分け、フォークを添えてセバスに渡す。
彼は神妙な面持ちで、その白い三角柱を見つめ、フォークを刺した。
やはり、抵抗なく切れることに驚いている。
そして、一口。
「…………」
セバスの動きが止まった。
咀嚼していない。
いや、咀嚼する必要がないのだ。
「……消えた」
最強の執事が、呆然と呟いた。
「口に入れた瞬間、ふわりと香りを残して溶けました。……これが、食べ物なのですか? 噛む必要がない。甘みが、クリームのコクが、波のように押し寄せては引いていく……」
彼は震える手で、二口目を運んだ。
今度は目を閉じ、その余韻を味わっている。
「若様。これは……『革命』です。こんなものを王都の貴族たち、特にご婦人方に食べさせたら……」
「ああ。二度と、あの硬いビスケットには戻れないだろうね」
私も一口食べる。
懐かしい、前世の味。
コンビニスイーツですら感動的だったが、最高級素材と魔法技術で作ったこれは、専門店(パティスリー)のレベルに達している。
スポンジのキメ細かさ、クリームのフレッシュさ。
酸味のある野苺が良いアクセントになっている。
「勝てるぞ、セバス。この『白と赤の悪魔』があれば、王都の社交界は我々の手の中だ」
私は皿に残ったクリームを舐め取り、ニヤリと笑った。
アパレルで外見を飾り、スイーツで内面(胃袋)を満たす。
エルガレアの侵略計画は、甘く、そして恐ろしいほど順調に進んでいた。
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