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第64話 ガラスの島の秘密と、真実を映す鏡
しおりを挟むシルヴィオ邸での会談を終えた俺たちは、再びゴンドラに乗っていた。
今度の行き先は、ヴェネル本島の北に浮かぶ小さな島――通称『ガラス島(ムラーノ)』だ。
「……君は抜け目がないな、リック代表」
隣に座るシルヴィオが、苦笑交じりに言った。
「あの島は、我が国の最重要機密だ。ガラス職人たちは島に隔離され、技術の流出を厳しく禁じられている。本来なら、外国の貴族など絶対に立ち入らせんよ」
「光栄です。ですが、私の『お土産』を見れば、その価値があるとお分かりいただけるはずです」
俺は膝の上に置いた小さな木箱を撫でた。
ヴェネルのガラス技術は世界一だ。
エルガレアでも保存食用の瓶は作れるようになったが、不純物が多く、厚ぼったくて緑がかっている。
対して、この国のガラスは水晶のように透明で、薄く、美しい。
この「透明な板ガラス」の技術さえ手に入れば、アリアの温室も、王都の建築も、劇的に進化する。
***
ガラス島に上陸すると、熱気と煤(すす)の匂いが漂ってきた。
無数の工房が軒を連ね、職人たちが真っ赤に溶けた飴のようなガラスを竿に巻き取り、息を吹き込んでいる。
シルヴィオが案内したのは、島一番のマエストロ(巨匠)の工房だ。
「……なんだ、ガキか。見学なら他所へ行け」
頑固そうな老職人が、作業の手を止めずに言った。
彼が作っているのは、複雑な装飾が施されたゴブレットだ。芸術品としては素晴らしい。
「親方。素晴らしい腕前ですね」
俺は工房の隅に置かれた「鏡」に目を留めた。
それは磨き上げられた銀板をガラスで覆ったものだが、像はぼんやりとしていて、色もくすんでいる。
この世界の鏡は、金属を磨いたものが主流だ。すぐに錆びるし、映りも悪い。
「ですが……その鏡は、あなたの作るガラスの美しさを殺していませんか?」
「あぁ? 何だと?」
親方が睨む。
「ガラスは透明だ。だが、後ろの金属板が歪んでいれば、映る景色も歪む。……もったいない」
俺は持参した木箱を開けた。
「私が、あなたのガラスを『世界一の鏡』に変えてみせましょう」
***
俺は親方から、何も加工していない透明なガラス板を一枚譲り受けた。
そして、持参した錬金術(化学実験)セットを取り出す。
用意したのは、硝酸銀水溶液と、アンモニア水、そしてブドウ糖(アルデヒド基を持つ還元剤)。
前世の理科実験でおなじみ、『銀鏡反応(ぎんきょうはんのう)』だ。
「……何をする気だ? 薬を塗るのか?」
「ええ。ガラスの『裏側』に、純銀の膜を析出(せきしゅつ)させるんです」
俺はガラス板の上に調合した液体を流し込み、湯煎で温めながらゆっくりと揺らした。
透明だった液体が、次第に濁り始め――。
数分後。
俺はガラス板を純水で洗い流し、黒い塗料で裏面を保護してから、それをひっくり返した。
「さあ、ご覧ください」
親方とシルヴィオが覗き込む。
その瞬間、彼らは息を呑んだ。
「なっ……!?」
「こ、これは……私か!?」
そこに映っていたのは、毛穴の一つ、髭の一本まで鮮明に見える、完全な彼ら自身の姿だった。
歪みも、曇りも一切ない。
まるで空間を切り取ったかのような、恐ろしいほどの解像度。
「金属を磨くのではなく、ガラスの裏に銀を密着させる。……ガラスの平滑さと透明度が、そのまま鏡の性能になるんです」
俺はシルヴィオを見た。
「これが『エルガレア式・魔導鏡(ミラー)』です。……あなたの国の透明なガラスと、私の化学知識が合わされば、世界中の貴族が金貨を積んででも欲しがる鏡が作れます」
シルヴィオの手が震えている。
彼は即座に計算したはずだ。化粧鏡、姿見、内装材……その市場規模は計り知れない。
「……リック代表。君は、またしても私を驚かせる」
シルヴィオは、もはや子供扱いなどしていなかった。対等な、いや、それ以上の怪物を見る目だ。
「条件は?」
「この『銀鏡加工』の技術を提供します。その代わり……」
俺は工房の窓枠を指差した。
「『板ガラス』の量産技術と、職人の派遣をお願いしたい。エルガレアの建築ラッシュには、あなたの国のガラスが必要なんです」
鏡という付加価値(エサ)を与え、その土台となる板ガラス技術を引き出す。
Win-Winの取引だ。
「……交渉成立だ。君と組めば、世界中の金をこの手にできそうだ」
シルヴィオが俺の手を握る。
その横で、親方は自分の皺だらけの顔を鏡に映し、「わしはこんなに老けていたのか……」とショックを受けていた。
こうして、ヴェネル共和国との間に、二つ目の巨大な契約が結ばれた。
冷蔵庫と鏡。
この二つの武器を手土産に、俺はいよいよヴェネルでのメインイベント――「建国記念式典」へと乗り込むことになる。
だが、そこで待っていたのは、ビジネスの話だけではなかった。
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