8 / 15
第8話 濁った水と、足元の時限爆弾(ライフライン・クライシス)
しおりを挟むツーバイフォー工法による「規格住宅街」が完成してから一週間。
移民たちの住居問題は解決し、港の労働力不足も解消された。
だが、息つく暇もなく、執務室には新たな問題――それも、領地の存亡に関わる二つの報告書が届けられていた。
「……アレン様。やはり、クレイグ男爵は本気です」
筆頭執政官のエレナが、一枚の地図を机に広げた。
彼女の指が、ベルナ領の北東、王都へと続く唯一の街道の関所を指し示す。
「通行税の引き上げは、全品目において十倍。事実上の『経済封鎖』です。銀鱗商会の馬車も足止めを食らっており、鮮魚の陸路輸送は完全にストップしました」
「あちらの言い分は?」
「『ベルナ領の移民が疫病を持ち込む恐れがあるため、検疫費用として徴収する』とのことです。……白々しい嘘ですが」
エレナが不快そうに眉をひそめる。
完全に言いがかりだ。移民を受け入れて発展するベルナ領への嫉妬と、自分の領地から逃げ出した領民への腹いせだろう。
「陸を塞がれれば、我々は干上がると踏んでいるわけか」
「ええ。実際、内陸からの野菜や小麦の輸入も滞り始めています。物価が上がり始めれば、移民たちの不満が爆発しかねません」
家令のガルシアが青い顔で補足する。
クレイグ男爵の狙いは明確だ。兵を使わずにベルナを自壊させる「兵糧攻め」。
すぐにでも反撃の手を打ちたいところだが、私にはそれ以上に優先すべき「時限爆弾」が見えていた。
「クレイグ男爵の件は、少し放置する」
「は? 放置、ですか? しかしこのままでは……」
「向こうが『疫病』を理由にしたのは皮肉な話だ。……実際に今、ベルナ領は疫病(それ)の一歩手前にいる」
私は席を立った。
窓を開け、風を入れる。
……臭う。
港からの潮風に混じって、鼻を突くアンモニア臭と腐敗臭が、風に乗って漂ってきていた。
◇
私はエレナとガルシアを連れ、新しくできた住宅街の視察に向かった。
一見すると、整然と並ぶ木造住宅。子供たちが走り回り、活気があるように見える。
だが、路地裏に入った瞬間、エレナがハンカチで口元を覆った。
「……うッ。な、何ですの、この臭いは」
足元には、黒く濁った水溜まりができている。
家の裏手にある粗末な共同トイレからは汚物が溢れ、生活排水とともに側溝へ垂れ流されていた。ハエがたかり、野良犬が残飯を漁っている。
「人口が急増したせいで、処理能力が追いついていないんだ」
私は屈み込み、地面に手を触れた。
「起動……【構造解析(ブループリント)】」
視界が青いグリッドラインに切り替わる。
地下を透視する。
……予想通りだ。
地表から染み出した汚水が、赤い「汚染エリア」となって地下水脈へと到達しようとしている。
この地下水脈は、街の井戸へと繋がっている。
「あと三日だ」
「え?」
「あと三日で、この汚染水が井戸に混じる。そうなれば、赤痢やコレラが一気に広まる。……死亡率三〇%のパンデミックだ」
私の言葉に、二人が息を呑んだ。
クレイグ男爵の経済封鎖どころの話ではない。領民の三分の一が死ぬ危機だ。
「そんな……! どうすればよろしいのですか!?」
「『血管』を作る。それも、今日中に着工しなければ間に合わない」
私は立ち上がった。
「ガルシア、港の拡張工事は一時中止だ。石材、人手、予算、すべてを『上下水道』の整備に回す。クレイグへの反撃は、自分の足元を固めてからだ」
◇
緊急招集をかけた工廠長のゴーディと、建築棟梁のゴンゾが駆けつけてきた。
私は地面に広げた図面を指し示した。
「やることは二つだ。一つは『出す』こと。もう一つは『入れる』ことだ」
まずは下水道。
ゴンゾには、街中の道路を掘り返し、各家庭の排水を一箇所に集めるための土管を埋設してもらう。
集めた汚水はそのまま海に流さず、街外れに作る巨大な「浄化槽」へ送る。
そこには、私が冒険者ギルドに依頼して捕獲させた「スカベンジャー・スライム(掃除屋スライム)」を住まわせる。彼らは有機物を分解し、綺麗な水に変えてくれる天然のフィルターだ。
「スライムにクソを食わせるってのか? へっ、考えもしなかったぜ」
「だが若様、一番の問題は『飲み水』だろ? 井戸がダメになったら、どこから水を引くんだ? 川の水量はもう限界だぞ」
ゴンゾの指摘は鋭い。
上水道の水源確保こそが最大の難問だ。
だが、私には秘策があった。
「海を使う」
「はあ? 海水なんぞ飲んだら身体を壊すぞ」
「そのまま飲むんじゃない。……先日修理した『冷凍倉庫』を覚えているか?」
私は港の方角を指差した。
現在、魚の冷凍保存のためにフル稼働している魔導冷凍庫。
あれは内部をマイナス三十度にする代償として、外部に猛烈な「排熱」を放出している。今まではただ空気に捨てていた熱エネルギーだ。
「あの排熱を利用して、海水を沸騰させる。そして立ち上った蒸気を冷やせば、真水になる」
海水淡水化プラント。
現代地球でもコストがかかる技術だが、ここでは「廃熱」という無料のエネルギー源と、魔法による効率化がある。
しかも、このプロセスにはもう一つ、とんでもない「副産物」があるのだが……それは後のお楽しみだ。
「よし、やるぞ! ゴーディは配管とポンプの製作! ゴンゾは穴掘りだ! 三日で終わらせろ!」
「「おうよ!!」」
◇
その日の午後から、ベルナの街は戦場のような騒ぎになった。
メインストリートが封鎖され、深い溝が掘られていく。
だが、住民たちの反応は芳しくなかった。
「おいおい、なんで家の前を掘り返すんだ!」
「水洗トイレ? そんなハイカラなもんはいらねえよ! 汚物は畑の肥料にするのが一番だろ!」
「そうだ! ご先祖様からの井戸を埋めるなんて罰当たりだ!」
特に古参の住民からの反発が強かった。
彼らにとって、排泄物はリサイクル資源であり、井戸は生活の象徴だ。目に見えない「菌」の話をしても理解されない。
作業が進まないことに苛立つゴンゾ。
「若様、どうする? 力ずくで黙らせるか?」
「いや、納得させないと維持管理ができない。……見せるしかないな」
私は懐から、錬金術で磨いたガラスレンズを組み合わせた筒――「簡易顕微鏡」を取り出した。
そして、路地の水溜まりから水を採取し、プレパラートに垂らす。
「集まってくれ! 面白い見世物があるぞ!」
私が声を上げると、野次馬たちが集まってきた。
その中で一番反対していた老人を呼び寄せ、レンズを覗かせる。
「じいさん、この水、綺麗に見えるか?」
「当たり前じゃ。ただの水溜まりじゃろ」
「いいから覗いてみろ」
老人は訝しげに筒を覗き込んだ。
数秒後。
「ひぃぃっ!!」と悲鳴を上げて尻餅をついた。
「な、なんじゃあれは! 虫が……気味の悪い虫がうじゃうじゃ動いておる!」
「え? 虫?」
「俺にも見せろ!」
次々と住民たちが覗き込み、そして青ざめていく。
拡大された世界で蠢く、ボウフラや細菌の群れ。
「それが、あなたたちが『綺麗だ』と言っている井戸水に混ざりかけているものです。これを飲めば、腹の中でこの虫が暴れ回ることになる」
私が静かに告げると、母親たちが子供を抱き寄せた。
恐怖は理屈を超える。
「伝統」よりも「生存本能」が勝った瞬間だった。
「……管を通してくれ、若様」
「俺たちの腹ならいいが、子供たちがこんなもん飲んでたなんて……」
反対の声は消えた。
むしろ「早く掘れ!」「俺も手伝う!」と、住民総出の突貫工事へと変わった。
◇
三日後の朝。
ギリギリで工事は間に合った。
広場に設置された真鍮製の蛇口。私がバルブを回すと、シュワッという音と共に、透き通った水が勢いよく噴き出した。
蒸留水に、味を整えるためのミネラルを添加した「安全な水」だ。
「……美味い!」
「泥臭くないぞ!」
歓声を上げる領民たちを見ながら、私は執務室の窓辺でガルシアと並んで立っていた。
「これで疫病の危機は去りましたね。……しかしアレン様、この設備の維持費、タダというわけにはいきませんが」
「ああ。『水道料金』を徴収する。各家庭に『量水器(メーター)』をつけたから、使った分だけ払ってもらう従量制だ」
「水から金を取るのですか……。また住民が文句を言いませんか?」
「安く設定するさ。それに、この水事業には『裏の利益』があるからな」
私は机の上に置かれた、小さな瓶を指差した。
中に入っているのは、雪のように白い粉末。
「これは?」
「海水淡水化プラントの副産物だ。海水を沸騰させて真水を取った後、底に残るものがあるだろう?」
「……塩、ですか?」
そう。
廃熱を利用したこのプラントは、水を作ると同時に、超高純度の「精製塩」を自動的に生産し続けるのだ。
燃料費ゼロ。原価はタダ同然。
しかも、隣のクレイグ男爵が売っている、泥混じりの岩塩とは比べ物にならない高品質だ。
「アレン様。もしかして、これを……」
「クレイグ男爵は『疫病対策』と言って経済を止めた。だからこちらは、疫病対策のついでにできた『これ』で、彼の経済を止めさせてもらう」
私はニヤリと笑った。
足元は固まった。
水も確保した。
そして手元には、最強の経済兵器(ウェポン)がある。
「ガルシア、銀鱗商会のメリッサを呼んでくれ。……反撃の時間だ」
濁った水を浄化した私たちは、次なる戦い――隣領との「塩戦争」へと舵を切る。
内政で守りを固め、そこから生まれた余剰力で外敵を討つ。
これぞ、領地経営の醍醐味だ。
76
あなたにおすすめの小説
英雄将軍の隠し子は、軍学校で『普通』に暮らしたい。~でも前世の戦術知識がチートすぎて、気付けば帝国の影の支配者になっていました~
ヒミヤデリュージョン
ファンタジー
帝国の辺境で、ただ静かに生き延びたいと願う少年、ヴァン。
彼に正義感はない。あるのは、前世の記憶と、母が遺した『物理法則を応用した高圧魔力』という危険な理論だけだ。
敵の大軍が迫る中、ヴァンは剣も振るわず、補給線と心理を切り裂く。
結果、敵軍は撤退。代償も、喝采も、彼には無意味だった。
だが、その「効率的すぎる勝利」は帝国の目に留まり、彼は最高峰の『帝国軍事学院』へと引きずり出される。
「英雄になりたいわけじゃない。生き残りたいだけだ」
謎の仮面メイド『シンカク』、命を取引に差し出した狼耳の少女『アイリ』。
少年は選択する。正義ではなく、最も費用対効果の高い道を。
これは、合理が英雄譚を侵食していく、学園ミリタリーファンタジー。
【※作者は日本語を勉強中の外国人です。翻訳ソフトと辞書を駆使して執筆しています。至らない点もあるかと思いますが、物語を楽しんでいただければ幸いです。】
婚約破棄?いいですけど私巨乳ですよ?
無色
恋愛
子爵令嬢のディーカは、衆目の中で婚約破棄を告げられる。
身分差を理由に見下されながらも、彼女は淡々と受け入れようとするが、その時ドレスが破れ、隠していた自慢のそれが解き放たれてしまう。
追放された地味村人、実は神々が恐れる最強存在だった件 〜本人はただの村起こし中〜
えりぽん
ファンタジー
辺境の村で“平凡な村人”として暮らしていた青年リアムは、村を豊かにするための独自魔術を開発していた。だが、目立たぬ努力は「禁忌の力」と誤解され、彼は追放される。落ち込む間もなく、流れ着いた地で助けた少女たちは、次々と国や神族の重要人物だと判明し──。本人はただの村再建を目指しているだけなのに、世界は彼を伝説の救世主だと崇めはじめる。
無自覚最強が巻き起こす異世界大逆転ストーリー。
ざまぁとハーレムと勘違い救国譚、ここに開幕!
魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。
カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。
だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、
ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。
国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。
そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。
転生幼子は生きのびたい
えぞぎんぎつね
ファンタジー
大貴族の次男として生まれたノエルは、生後八か月で誘拐されて、凶悪な魔物が跋扈する死の山に捨てられてしまった。
だが、ノエルには前世の記憶がある。それに優れた魔法の才能も。
神獣の猫シルヴァに拾われたノエルは、親を亡くした赤ちゃんの聖獣犬と一緒に、神獣のお乳を飲んで大きくなる。
たくましく育ったノエルはでかい赤ちゃん犬と一緒に、元気に楽しく暮らしていくのだった。
一方、ノエルの生存を信じている両親はノエルを救出するために様々な手段を講じていくのだった。
※ネオページ、カクヨムにも掲載しています
魔王を倒した手柄を横取りされたけど、俺を処刑するのは無理じゃないかな
七辻ゆゆ
ファンタジー
「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」
「そうそう」
茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。
無理だと思うけど。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる