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第9話 白い山と、海を渡る劇薬(スノー・ソルト)
ベルナ領の「水危機」は、海水淡水化プラントの稼働によって劇的に解決した。
蛇口をひねれば透明な水が出る。
この当たり前の日常を取り戻した領民たちの安堵は大きかったが、領主代行である私には、まだ片付けるべき「ゴミ」が残っていた。
「……若様。これ、どうすんですか?」
港の倉庫裏、海水淡水化プラントの横に案内された港湾長のゲンが、呆気にとられた声を出した。
彼の目の前には、白い砂山ができていた。
高さ三メートルほど。太陽の光を浴びてキラキラと輝いているが、砂ではない。
「舐めてみろ」
「え? うぇっ、しょっぱ!!」
ゲンが顔をしかめる。
そう、これは塩だ。
海水を沸騰させて真水を抽出した後、釜の底に残る残留物。
通常なら不純物(苦汁など)が混じって売り物にならないが、私のプラントでは【構造解析】で成分ごとに結晶化温度を管理し、純粋な「塩化ナトリウム」だけを自動的に排出するように設計してある。
「一日でこの量が溜まる。真水を作れば作るほど、この白い山は高くなるんだ」
「こいつはすげえ……。全部、売り物になるんですかい?」
「品質は保証する。だが、問題はどうやって売るかだ」
私は視線を北に向けた。
そこには、ベルナ領と王都を隔てるクレイグ男爵領がある。
現在、クレイグ男爵は「通行税十倍」というふざけた障壁を設け、陸の物流を完全に止めている。
◇
その日の午後。
銀鱗商会のメリッサが、執務室に怒鳴り込んできた。
「どういうつもりだい、若旦那! 陸路が使えないなんて、商売あがったりだよ!」
彼女はバン! と机を叩いた。
冷凍倉庫には魚が山積みになっているが、出荷できない。
鮮度が命の商売で、足止めは死を意味する。
「クレイグの豚野郎、足元を見やがって……! 『税を払えないなら魚を置いていけ』だとさ。悔しいけど、このままじゃ倉庫がパンクする。言い値で払うしかないのか……」
メリッサが唇を噛み締め、悔し涙を浮かべる。
彼女の商会も、ようやく軌道に乗ったばかりだ。ここでのつまづきは致命傷になりかねない。
「泣くな、メリッサ。税なんて払う必要はない」
「はあ? じゃあどうやって運ぶんだい! 空でも飛ぶのかい!」
「海を行く」
私は壁の地図を指差した。
ベルナ港から海路で北上し、クレイグ領を飛び越えて、その先の港町『ポート・ウェスト』へ荷揚げするルートだ。
「無理だよ。ポート・ウェストまでは船で半日かかる。今のウチのボロ船じゃ、積載量も足りないし、波が高くて荷崩れする。コストが合わないんだよ!」
彼女の言う通りだ。
通常の帆船では、陸路の税金を払った方がマシという計算になる。
だからこそ、クレイグ男爵も高を括っているのだ。
「普通の船ならな。……だが、私の『整備(チューニング)』を経た船ならどうだ?」
「え?」
「君の商会の遊休船を貸してくれ。一隻でいい。……明日までに、海の上を滑る『ソリ』に変えてやる」
◇
私はすぐにドックへ向かい、銀鱗商会が保有する古い中型帆船を【構造解析】した。
船体は古いが、竜骨はしっかりしている。
問題は「水の抵抗」だ。波を押し分けて進む従来の船では、速度に限界がある。
「ゴンゾ、木材を持ってこい! ゴーディは鉄板の加工だ!」
私が設計したのは、双胴船(カタマラン)のような安定翼ではない。
船底に取り付ける**「水中翼(ハイドロフォイル)」**だ。
速度が上がると、翼が揚力を生み、船体が海面から浮き上がる。
水に触れる面積が激減するため、抵抗がなくなり、爆発的な加速が可能になる。
「風魔法の応用だ。帆に風を受けるだけでなく、船底から海水を後方へ噴射する『ウォータージェット推進』を補助に付ける」
徹夜の作業だった。
ドワーフのゴーディが泣きながら鉄を打ち、大工のゴンゾが船底に翼を取り付けた。
そして翌朝。
港には、奇妙な姿に改造された船が浮かんでいた。
「……なんだい、この船底についたヒレは」
「乗れば分かる。メリッサ、積荷は魚だけじゃない。あれも積んでくれ」
私はプラント横の「白い山」を指差した。
麻袋に詰められた大量の塩。
「塩? ベルナで塩なんて採れたっけ?」
「『ベルナの雪塩』だ。原価はタダ同然。……これをポート・ウェストで、クレイグ領の岩塩の『半値』で売り捌いてくれ」
「半値だって!? 正気かい!?」
「利益は出るさ。タダなんだからな」
◇
出港の時。
舵を握るのは、元漁師のゲンだ。
風を受け、補助推進の魔石が輝く。
「全速前進!」
船が加速する。
そして一定の速度に達した瞬間――
フワッ。
船体が海面から持ち上がり、まるで空を飛ぶように浮上した。
「うわああああっ! 浮いた! 船が浮いてるぞ!」
「揺れねえ! 波を切り裂いてやがる!」
船員たちが絶叫する。
水中翼船となった輸送船は、通常の三倍の速度で海上を疾走した。
これなら、ポート・ウェストまで二時間もかからない。
クレイグ領の沖合を、白い航跡を残してあっという間に通過していく。
「見てるか、クレイグ男爵。これが技術の差だ」
私は甲板で、遠く霞むクレイグ領の海岸線を眺めながら呟いた。
◇
数日後。
王都の市場はパニックに陥っていた。
「おい、この塩を見てみろ! 真っ白だぞ!」
「ベルナ産の『雪塩』だって? 舐めてみろ、雑味が全くねえ!」
「しかも値段が岩塩の半分だぞ! どうなってるんだ!」
主婦たちや料理人が殺到し、雪塩は飛ぶように売れた。
一方で、クレイグ領の特産品である「岩塩」は、山積みになって売れ残った。
泥臭く、苦味があり、値段も高い岩塩を買う理由など、どこにもないからだ。
さらに、ポート・ウェスト経由で届けられたベルナの鮮魚(冷凍)も、相変わらずの高品質で市場を席巻していた。
陸路を止めても、商品は届く。
しかも、相手の主力産業(岩塩)を破壊するオマケ付きで。
◇
クレイグ男爵領の館。
報告を受けたクレイグ男爵は、ワイングラスを床に叩きつけていた。
「ば、馬鹿な! 関所は封鎖しているのだぞ! なぜ奴らの商品が王都に出回っている!」
「は、海です! 見たこともない速さの船が、我が領の監視船をぶち抜いて……!」
「おのれ、おのれぇぇぇ!」
男爵は頭を抱えた。
岩塩が売れなければ、鉱山の労働者に給料が払えない。
通行税も入らない。
完全に兵糧攻めを食らっているのは、自分の方だった。
「……男爵様、鉱山の労働者たちが暴動を起こしそうです。『給料をよこせ』と……」
「ひぃぃ! わ、分かった! 降伏だ! ベルナ子爵に手紙を書け!」
◇
ベルナ子爵邸、執務室。
私はクレイグ男爵からの詫び状を読み終え、暖炉の火にくべた。
「通行税の撤廃と、不可侵条約の申し出だそうですわ」
エレナが涼しい顔でお茶を淹れる。
「岩塩の価格は暴落。クレイグ男爵は王都の別荘を売って、借金の穴埋めをしたそうです。……少しやり過ぎましたか?」
「向こうが仕掛けてきた喧嘩だ。これくらいの授業料は払ってもらわないとな」
私は燃えゆく手紙を見つめた。
これで陸路も正常化した。
水問題も解決し、外敵も排除した。
ようやく、ベルナ領の足元が固まったと言えるだろう。
だが、この勝利がまた、新たな問題を連れてくる。
急激に豊かになった街。
そこで次に起きるのは、金を持った荒くれ者たちによる「治安の悪化」だ。
「……ヴァルガスを呼んでくれ。次は警備隊の強化だ」
領主代行の仕事は終わらない。
私は伸びをすると、次の書類の山へと手を伸ばした。
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