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第1話 凍える目覚めと青い線
しおりを挟む意識が浮上するよりも先に、肌を刺すような寒さが身体を包み込んでいた。
重たい瞼を押し上げる。視界に映ったのは、見慣れた安アパートの黄ばんだ天井ではなく、煤けた石造りの天蓋だった。
カビと埃、そしてどこか湿った土の匂いが鼻腔をくすぐる。
「……ここは?」
喉から漏れた声は、ひどく掠れていた。自身の声ではないような、まだ少年のあどけなさを残した響きに違和感を覚える。
身体を起こそうとして、激しい目眩に襲われた。頭の中で、二つの記憶が濁流のように混ざり合う感覚。
――日本の企業再生コンサルタントとして、過労で倒れた三十五歳の記憶。
――そして、流行り病で両親を亡くし、自身も高熱にうなされていた十八歳の伯爵当主、アレク・フォン・アインハルトの記憶。
「まさか……転生、したのか?」
呟きは白い吐息となって空中に溶けた。
状況を整理しようと周囲を見渡す。そこは広い寝室だったが、家具は最低限で、どれも年季が入っていた。壁には亀裂が走り、窓枠の隙間からは容赦なく北風が吹き込んでいる。
寒さの原因はこれか。
アレクは毛布を引き寄せようとしたが、それは薄く、所々が擦り切れていた。伯爵家の当主が使う寝具とは到底思えない。
その時、重厚なオーク材の扉が控えめにノックされ、静かに開かれた。
「旦那様、お目覚めになられましたか」
入ってきたのは、一人の女性だった。
年齢は二十歳前後だろうか。艶やかな黒髪を後ろで一つに束ね、切れ長の瞳は冷ややかな理知を湛えている。身につけているのはメイド服だが、その所作は洗練されており、使い古された衣装の貧相さを全く感じさせない。
シルヴィア・フォン・クロイツ。
アレクの脳裏に名前が浮かぶ。かつての名門伯爵家の令嬢であり、今は没落してこの家に身を寄せている、俺の専属メイド兼秘書だ。
「……ああ、シルヴィアか。水をもらえるか」
「はい。ただいま」
シルヴィアは水差しの水をグラスに注ぎ、ベッドサイドへ運んできた。その動きには一切の無駄がなく、流れる水の音さえ心地よいリズムを刻む。
受け取ったグラスの水は氷のように冷たかったが、乾いた喉には甘露のように染み渡った。
「熱は下がったようですね。三日間、生死の境を彷徨われていましたので」
「三日もか。心配をかけたな」
「いえ。旦那様が倒れれば、このアインハルト領は終わりですから。私の再就職先を探す手間が省けて何よりです」
淡々とした口調には、皮肉よりも事実としての重みがあった。
彼女はアレクからグラスを受け取ると、無表情のまま続ける。
「ですが、安堵している暇はありません。旦那様が寝込んでいる間に、商会の取り立てが二件、来ております。それと、備蓄の薪が底をつきました。このままでは今夜の暖房もままなりません」
アレクは小さく息を吐いた。記憶にある通りの「詰み」かけた状況だ。
アインハルト伯爵領。北の辺境に位置し、痩せた土地と厳しい寒さに閉ざされた貧乏領地。両親の急死により、莫大な借金と共にこれを受け継いだのが、今の俺だ。
「分かった。すぐに着替えて執務室へ行く」
「病み上がりです。無理はなさらないでください」
「そうも言っていられないだろう。薪がないなら、何か燃やせるものを探さなくては」
アレクはベッドから足を下ろした。石の床が素足を冷たく焼く。
その瞬間だった。
ふと、風が吹き込んでくる窓枠を見たとき、アレクの視界に奇妙な「線」が走った。
「……なんだ、これは?」
目を凝らす。
ボロボロの木製窓枠の上に、青白く発光する幾何学模様のような線が浮かび上がっている。
幻覚ではない。その線は、窓枠の歪み、蝶番の錆びついた箇所、そして隙間風が入り込む「構造的な欠陥」を正確になぞっていた。
それだけではない。壁を見れば石材の積載バランスの悪さが赤い点で表示され、天井を見れば梁の腐食具合が数値のような記号で見える。
まるで、CAD(設計支援ソフト)の画面を現実世界に重ね合わせたような光景。
――構造解析(アナライズ)。
脳裏にその言葉が浮かぶと同時に、アレクはこの力が自身の「魔法」であることを本能的に理解した。
「旦那様? どうなさいました」
空を見つめて固まるアレクを、シルヴィアが怪訝そうに見ている。彼女にはこの線が見えていないようだ。
「いや……少し、気になることがあってな」
アレクは窓に歩み寄った。
隙間風の原因は、木枠の経年劣化による歪みと、留め具の緩みだ。青い線が「ここを直せ」と訴えるように点滅している。
アレクは無意識に手を伸ばし、窓枠に触れた。
掌から熱い何かが流れ出す感覚。
――修正(フィックス)。
念じた瞬間、掌の下で木材が軋む音がした。
歪んでいた木枠が生き物のように蠕動(ぜんどう)し、パキパキという音と共に真っ直ぐに矯正されていく。錆びついていた留め具からは錆が剥がれ落ち、新品同様の輝きを取り戻してガッチリと枠を固定した。
ヒュウヒュウと鳴っていた風切り音が、ピタリと止む。
「え……?」
背後で、常に冷静なシルヴィアが驚愕の声を漏らした。
アレクは手を離し、修復された窓枠を確認する。隙間は完全に塞がり、建付けの悪さも解消されていた。それどころか、木材の密度が増し、断熱性が向上していることすら「線」の情報として伝わってくる。
「旦那様、今、魔法を……? アインハルト家には、生活魔法程度の適性しかないはずでは」
シルヴィアの声には隠しきれない動揺があった。
アレクは自身の手を見つめた。
前世の知識である「構造理解」と、この世界の「魔力」が融合した、独自のユニークスキル。
これがあれば、できる。
ボロボロの屋敷も、痩せた土地も、借金まみれの財政も。全てを「解析」し、「再構築」することができるかもしれない。
アレクは振り返り、呆然とするシルヴィアに向けて、不敵な笑みを浮かべた。それはかつて、倒産寸前の企業をいくつも蘇らせてきた、プロフェッショナルの顔だった。
「シルヴィア。取り立て屋には待ってもらえ。まずはこの屋敷を、人が住める場所に作り変える」
寒さに震える貧乏伯爵の、逆転劇が幕を開けた。
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