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第2話 帳簿の赤字とゴミ山の宝
執務室の空気は、寝室以上に冷え切っていた。
物理的な温度の話ではない。机の上に積み上げられた羊皮紙の束――このアインハルト領の財務報告書が放つ、絶望的な気配のせいだ。
アレクはマホガニー製の重厚な机(ただし脚が腐って傾いている)に向かい、ページをめくっていた。
「……ひどいな」
思わず本音が漏れる。
前世で担当したどの倒産企業よりも、状況は劣悪だった。
「はい。ひどいものです」
傍らに控えたシルヴィアが、表情一つ変えずに肯定する。彼女の手には温かい紅茶が乗ったトレイがあるが、今の財務状況を知れば、その茶葉さえ貴重品に見えてくる。
「主な借入先は帝都のドワーフ銀行、および近隣の商業ギルド。総額は金貨八千枚。対して、当領の昨年度の税収は金貨三百枚……」
アレクはこめかみを押さえた。
単純計算で、返済に二十六年はかかる。しかもこれは利息を含まない数字だ。複利計算を加えれば、孫の代まで借金奴隷が確定している。
「さらに悪い知らせがございます」
シルヴィアが一番上の羊皮紙を指し示した。
「二日後に、『鉄の牙商会』への支払い期限が迫っています。彼らは以前、屋敷の修繕資材を納入した業者ですが、その代金、金貨五十枚が未払いです」
「金貨五十枚か。現在の金庫の中身は?」
「銀貨三十枚と、銅貨が少々。金貨換算で0.3枚ほどです」
話にならない。
不渡りを出せば、商会は担保に取っているこの屋敷や土地を差し押さえにかかるだろう。領主としての信用は地に落ち、再建どころではなくなる。
「それで、シルヴィア。部屋の隅にあるあれはなんだ?」
アレクは部屋のコーナーに無造作に積み上げられた、薄汚れた金属の山を指した。
錆びついた剣、凹んだ鎧、形の歪んだ燭台。どれも土埃と錆にまみれ、ガラクタにしか見えない。
「ああ、お目汚しを失礼いたしました。それは先代様が収集していた骨董品の成れの果てです。金目の物はすでに売り払いましたが、値がつかなかったクズ鉄をまとめてあります。今日の午後、屑鉄屋に引き取ってもらう予定です」
「いくらになる?」
「銀貨五枚になれば御の字かと」
シルヴィアは冷めた目でゴミ山を見つめた。彼女にとって、それは忌々しい過去の遺物でしかないのだろう。
だが、アレクの目には違って見えていた。
先ほど覚醒した魔法【構造解析】が、自動的に情報を視界に映し出していたからだ。
ゴミ山の中に、異様な輝きを放つ「青い線」が見える。
「……屑鉄屋はキャンセルだ」
アレクは立ち上がり、ゴミ山へと歩み寄る。
「旦那様? 今は銀貨一枚でも惜しい状況です。そのようなゴミを抱え込んでも」
「ゴミじゃない。原石だ」
アレクは山の中から、一本の短剣を拾い上げた。
鞘はなく、刀身は赤錆に覆われ、まるでボロボロの鉄板のようだ。柄の部分も黒ずんでおり、装飾の意匠すら判別できない。
だが、アレクの解析眼は、その深層構造を見抜いていた。
(表面の酸化被膜が厚いだけだ。内部の金属組成は……ミスリル銀が15パーセント、残りは高純度の精鉄。しかも、魔力伝導率を高めるための微細な溝が芯に刻まれている)
これはただの錆びた剣ではない。かつての名匠が打った、魔剣の一種だ。手入れを怠り、長年放置されたことで見る影もなくなっているが、核となる機能は死んでいない。
「シルヴィア、布を一枚くれ。あと、少し離れていてくれ」
「はあ……」
訝しげな顔をしつつも、シルヴィアは手近な雑巾を渡して数歩下がった。
アレクは短剣を机の上に置くと、右手をかざした。
イメージするのは「還元」と「分離」。
表面にこびりついた酸化鉄(サビ)と、内部の健常な金属を分子レベルで選別する。
「――再構築(クラフト)」
短剣が淡い光に包まれた。
直後、サラサラという乾いた音が室内に響く。
刀身を覆っていた分厚い赤錆が、まるで砂のように崩れ落ちていく。
シルヴィアが息を呑む音が聞こえた。
錆の砂の中から現れたのは、鏡のように磨き上げられた白銀の刃だった。
黒ずんでいた柄は、汚れが弾け飛び、黄金とラピスラズリで象嵌された獅子の紋章が露わになる。
光が収まった時、そこには美術館に飾られていてもおかしくない、至高の短剣が鎮座していた。
「こ、これは……」
シルヴィアが駆け寄り、信じられないものを見る目で短剣を凝視する。
「アインハルト家に伝わる、『獅子の牙』……? 百年前の戦乱で行方不明になったとされていた、家宝級の魔剣ではありませんか!」
「中身は生きていたからな。外側の余計な部分を排除して、少し構造を整えただけだ」
アレクは何でもないことのように言いながら、額の汗を拭った。魔力を消費した疲労感が少しあるが、心地よい疲れだ。
「こ、これを直したとおっしゃるのですか? 一瞬で? 専門の鍛冶師が数ヶ月かけて研ぎ直しても、ここまで美しくはなりません」
「俺のスキルなら可能だ。さて、シルヴィア。この短剣、屑鉄屋ではなく適切な相手に売ればいくらになる?」
シルヴィアは震える手で短剣を手に取り、まじまじと観察した。そして、顔を上げた時には、その瞳に宿る光が変わっていた。
諦めと義務感に塗り固められた冷たい瞳ではない。一人の有能な為政者を見る、熱を帯びた瞳だ。
「……美術的価値に加え、魔剣としての実用性も新品同様です。帝都のオークションにかければ、最低でも金貨三百枚。買い手が競合すれば五百枚は下りません」
「よし。まずは当面の運転資金ができたな」
アレクは椅子に深く腰掛け、ニヤリと笑った。
「鉄の牙商会への支払いも余裕だ。残った金で、領内の食料事情を改善する。シルヴィア、すぐにこの短剣を現金化する手配を頼む。ただし、足元を見られないよう、信頼できるルートを使え」
「承知いたしました。私の実家……クロイツ家がお世話になっていた古物商がおります。彼なら適正価格で、即金で取引が可能です」
シルヴィアは短剣を丁寧に布で包むと、深々と頭を下げた。その角度は、今朝、寝室で見せた儀礼的なものよりも、明らかに深かった。
「旦那様。私は……貴方様を見誤っていたかもしれません」
「評価を変えるのはまだ早い。これはただの不用品処分だ。本当の仕事はこれからだぞ」
「はい。……期待しております、当主様」
シルヴィアが部屋を出て行く背中を見送りながら、アレクは再び書類の山に向き直った。
金はできた。だが、それは一時的な止血に過ぎない。
この領地を持続的に黒字化させるには、根本的な産業革命が必要だ。
アレクの視線は、窓の外に広がる荒涼とした大地へと向けられた。
その目は、すでに地下深くに眠る資源と、未来の都市図を見据えていた。
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