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五、前田利家【神業名:梅鉢紋】
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前田家の家紋、梅鉢。
梅は二月に咲く。
ゆえに「冬の花」と呼ばれている。
人の訪れのない寒さの中で、あえて花を咲かせるその姿は、前田利家に似ているかもしれない。
利家は後年、よくこう語った。
「落ちぶれているときは、それまで親しくしていた者も声をかけてくれない。だからこそ、そのような時に声をかけてくれる者こそ、真に信用できる人物だ」
前田利家は一五三九年に尾張で生まれた。
幼名は犬千代。
一五五一年、十二歳の時に、四つ年上の信長に小姓として仕える。
この時、既に信長の小姓には池田恒興と、佐々成政がいた。
利家は恒興、成政の二歳下になる。
信長に仕えるやいなや、利家は信長の懐に深く入り込んだ。
懐に入り込めた理由は三つ。
一つ目は端正な顔立ち。
信長は利家の顔が見たいがため、何かあると、恒興や成政より、利家を呼んだ。
二つ目は身なり。
利家は信長に負けず劣らず派手な身なりを好んだ。
信長とは身なりの派手さ、奇抜さをよく競い合った。
三つ目は性格。
利家の喧嘩っ早い血気盛んな性格は、信長の周りにはいないタイプだった。
いわゆる特攻隊長タイプとしてのポジションを小姓の中で確立した。
顔立ち、身なり、性格を信長に認められながらも、利家は、いつまでこの状態を維持できるかという不安を感じていた。
本来、利家はネガティブ思考が強い人間だった。
そんな自分が嫌いだった利家は、考えるより身体を動かすことで、ネガティブな考えを生み出さないようにしていた。
身体を動かし続けることで、利家は戦場で勲功を重ねていった。
一五五二年、利家十三歳。
織田信長と当時尾張下四群を支配していた織田信友が争った「萱津(かやづ)の戦」いで初陣を飾る。
この時、利家は自ら金色に塗った三メートルもの長さの槍を持ち、首級をひとつ挙げる武功を立てた。
黄金の槍を振り回す利家を見て信長は「肝に毛が生えておるわ」と賞賛した。
一五五六年、利家十七歳。
信長と信長の弟、信行が争った「稲生の戦い」に参加。
この頃の利家は身長百八十センチを超え、鋼のような肉体を備えていた。
ちなみに、戦国時代の平均身長は一五七センチである。
戦いの最中、右目の下に矢を受け、味方が利家を退却させようとするも「まだ一つも首級を挙げてない」と顔に矢が刺さったまま敵陣に飛び込み、自分に弓を射た本人を討ち取る武功を上げた。
この時も信長は「利家はまだかような小姓ながらもこのような功を立てたぞ」と喜びをあらわにした。
利家はその後、顔から矢を抜くことなく、合戦後の首実検に参加した。
その姿に周りの武将達からも一目置かれるようになる。
一五五八年、利家十九歳。
信長と当時尾張上四郡を支配していた織田信安の息子、織田信賢との戦いである「浮野の戦い」に参加。
この戦いでも槍による武功を挙げ「槍の又左」という異名がついた。
参加する戦い全てで武功を挙げ、信長にも寵愛され、順風満帆に見えた利家だが、一五五九年、利家二十歳の時に事件は起こる。
それは利家を天国から地獄に突き落とすような事件だったが、皮肉にも、この事件で利家の【神業】は覚醒した。
信長の茶坊主に拾阿弥という者がいた。
茶坊主とは茶の湯の手配を中心に城中の雑用をこなす者のことで、拾阿弥は女性のような綺麗な顔立ちと白い肌で信長に最も気に入られている茶坊主だった。
拾阿弥は信長に気に入られていることを笠に、信長の家臣達に横柄な態度をとることが多かった。
特に拾阿弥は利家を嫌った。
自分には到底できない槍働きに嫉妬を抱いていた。
拾阿弥はことある毎に利家に嫌がらせをした。
信長の目の届かない所で。
嫌がらせの種類は様々だった。
通路ですれ違いざまに利家の袴を引っ張る。
利家に煎じた茶に自分の唾を入れる。
茶坊主同士で利家を無視する。
それらの嫌がらせは利家が持つネガティブ思考を刺激し、闇へと引きずりこもうとしたが、利家は耐えた。
ここでネガティブに引きずりこまれたら最後、自分は殻に閉じこもってしまう。
そもそも自分は何事もうまくいかない人間なのだ。
殻に閉じこもらないように、身体を動かし、鍛錬を重ねるのだ。
利家は腰に差した刀に笄(こうがい)を付けていた。
竹で作られた地味で質素な笄だった。
笄とは髪をかき上げてマゲを作るときに使用するもので、当時の侍には欠かせないものだった。
利家が付けていた笄は、利家の正室であるまつからもらったもので、まつの実父の形見だった。
まつの実父は、まつが三歳の時に他界した。
ゆえにまつは実父のことは覚えていない。
実父が死んだ後、まつの実母も訳あって再婚し、まつの元から去ることになる。
実母との最後の夜、実母は実父が使っていた笄を、三歳のまつに渡した。
天国から娘を守ってほしい。
笄にはそんな実母の気持ちがこもっていた。
笄を受け取ったまつは、その後ずっと肌身離さず笄を持ち続ける。
まつが利家の元に嫁いだのは十一歳の時。
笄はそもそも男性が使うもの。
まつは八年間持ち続け、命の次に大切だったその笄を利家に渡した。
自分のかけがえのない物を利家に渡すことで、利家と強い絆を作りたかった。
利家もまつの想いに答え、その笄を自分の命の次に大切なものとすることに決めた。
一年後、その笄に拾阿弥が目をつけた。
ある日、池田恒興、佐々成政、前田利家ら小姓衆が集まって那古野城内の中庭で刀稽古をしている時、利家は自分の刀に笄が付いていないことに気づいた。
どこかで落としたのかもしれない。
利家があたりを探していると聞き覚えのある引き笑いが聞こえてきた。
笑い声の方を向くと、拾阿弥が利家を見てにやついていた。
拾阿弥の周りにいる茶坊主達もニヤニヤしている。
またいつもの嫌がらせか。
そう思い、視線をそらそうとした時、ふと違和感を感じ、拾阿弥の髪を見た。
そこには利家の笄が差さっていた。
拾阿弥は利家が気づいたことを察すると、笄を髪から抜いて弄びながら言った。
「こんな地味な笄つけてたら顔も地味になっちまうわ」
利家は我を忘れ、拾阿弥の元に駆け寄り「返せ!」と迫ったが、拾阿弥は返すそぶりを見せず、お手玉のように笄を扱った。
「あれ、これ利家のだったの?」
「返せ!」
「利家のにしては地味じゃね?」
「返せ!」
「利家にはもっと派手なのが似合うんじゃね? なぁ」
拾阿弥の呼びかけに周りの茶坊主達がうなずく。
「返せ!」
「俺が信長様に言ってもっと派手な笄をおまえにプレゼントしてやるよ」
「いいから返せ!」
「だから、こんな地味なのはさ、利家には似合わないからさ」
拾阿弥はそう言って笄を両手で持つと、
「こうしちゃおうよ」
笄を二つに折った。
利家は最初何が起こったか理解できなかった。
が、無意識のうち、刀を振り上げ、拾阿弥を切ろうとしていた。
しかし、その振り上げた刀は利家の手を離れ宙に舞った。
何者かが利家の刀をはじいたのだ。
次の瞬間、首元を刀の刃がかすめた。
利家はすんでのところでその刃をかわしたが、一瞬でもかわす動きが遅れていたらその刃は確実に利家の喉を切り裂いていただろう。
死ぬところだった、と思うと同時に身体中に電撃が走った。
体内に走る電撃を感じながら自分の刀をはじき、自分に刃を向けた者の方を見た。
自分に刃を向けたのは信長だった。
俺より拾阿弥を選ぶのか。
絶望の中で利家の視線に入ったのは、信長の後ろでほくそ笑む拾阿弥の顔だった。
信長様になんと思われようとこいつだけは許せない。
「拾阿弥!」
利家は怒りのあまり、背中に背負っていた槍を手に持ち、拾阿弥に向けて放った。
放ってからしまった! と思った。
拾阿弥は信長様の真後ろにいる。
つまり、信長様を槍が貫いてしまう。
しかし、槍は自分の意思を持ったように信長を避け、信長の後ろにいる拾阿弥を貫いた。
拾阿弥は口から血を吹き出し、信長の背中に拾阿弥の血がかかった。
拾阿弥を貫いた槍は利家の手元にブーメランのように帰ってきた。
その場にいた誰もがその場面が現実のものとは思えなかった。
利家は槍を手にすると、その場から走り去った。
謝ることもできず、走り去ることしかできなかった。
信長様に槍を向けたことで自分は終わった。
もう自分は死ぬしかない。
利家自身、その時はまだ気づいていなかったが、この時こそ、利家の【神業】が覚醒した瞬間だった。
利家の【神業】は、槍が意思を持つ。
その後、前田利家は一人さまよったあげく死に場所を求めて熱田神宮に入ったが、熱田神宮の宮司、千秋季忠に自刃しようとしている所を止められた。
信長は利家を見つけ出し次第斬る。と各地にお触れを出したが、池田恒興、佐々成政、森可成らが処分を和らげるよう信長に何度も懇願した。
もちろんそれが織田家のためになると三人が三人とも信じて疑わなかったからだ。
結果、利家は出仕停止処分で許された。
利家は熱田神宮で数えきれないほど死のうとしたが、その度に千秋季忠に止められ、まつが那古野で待っているぞと諭された。
まつに会いたい。
そして、まつに謝りたい。
しかし、出仕停止処分が解けるまでは、那古野には戻れない。
いや、戻っても咎められないだろうが、もし城下町で信長様に出会ったら、信長様に合わせる顔がない。
自分は信長様を殺そうとしたのだ。
だけど、まつには会いたい。
まつの存在が利家に生きる希望を与えると同時に、利家を苦しめた。
苦しみから逃れるために、利家は黙々と鍛錬を続けた。
鍛錬を続けること一年。
その結果、【神業】が鍛えられ、何本もの槍を同時に扱えるようになった。
その頃、信長が熱田神宮にやってきた。
今川義元を倒すために。
善照寺砦に駆け付けた千秋季忠と熱田勢二百の兵。
その熱田勢二百の中に前田利家がいた。
信長に顔がばれないように後ろの方で顔をうつむけていたが、背中に背負っていた黄金の槍が誰よりも目立っていた。
信長は利家の存在を知りつつ、熱田勢に鳴海城攻めを命じた。
熱田勢の忠誠心はもちろん、利家の忠誠心も図ることができる。
そして、佐々政次を熱田勢の隊長とすることで、千秋季忠にも利家にも生きて帰ってきて欲しいという願いを込めた。
鳴海城を守っていたのは今川家でも随一の猛将として名の知れた岡部元信。
今川家では、「政」の今川義元、「知」の太原雪斎、「武」の岡部元信と言われていたほどだ。
岡部元信の城を攻めて無事で帰ってこられるはずがない。
岡部元信が今川家にその人ありと世に知らしめた武功は大きく二つある。
一つ目は佐々政次が小豆坂七本槍として活躍した小豆坂での戦い。
「第一次小豆坂の戦い」では、佐々政次が活躍した織田家が勝利したが、その数年後に行われた「第二次小豆坂の戦い」では今川家が勝利した。
その時に今川軍を率いていたのが太原雪斎と岡部元信だった。
岡部元信は今川軍劣勢の中で、織田軍の動きを読み、織田軍に横槍を入れて大敗させた。
二つ目は安祥城の戦い。
この戦いでも岡部元信は太原雪斎と共に出陣し、安祥城を陥落させ、その勢いで、周辺の上野城、刈谷城をも落とし、三河の西一帯を今川家のものとした。
信長の父、織田信秀と共に佐々政次は岡部元信に散々煮え湯を飲まされていて、そういう意味でも佐々政次の働きには期待していた。
また、佐々政次は熱心な宗教家で、十代の頃時住んでいた比良城から熱田神宮まで片道約十キロの道のりをほぼ毎日、苦にせず通っていた。
当時の熱田神宮の神主、千秋季光に大層気に入られ、千秋季光の息子、千秋季忠のおしめを替えたこともあるほど、千秋季忠とは旧知の仲だった。
そして佐々政次は自分の弟、成政と同じ信長の小姓衆である前田利家の存在も気にかけていた。
利家の才能をいち早く見抜いていた政次は、利家が出仕停止処分を受け、熱田神宮にかくまわれていると知ると、笠寺城から熱田神宮に通い、利家に槍捌きを伝授した。
利家にとって、佐々政次は師匠のようなものだった。
佐々政次、千秋季忠、前田利家。
この三人が連携すれば、想定以上の効果が見込めるはずだ。
信長は佐々成政が考えたような「捨て駒」として佐々政次を鳴海城攻めに投入したわけではなかった。
「政次殿、殿はなんと?」
道なき道を草木に隠れながら、鳴海城に向かう途中、千秋季忠が佐々政次に聞いた。
出陣直前、信長が政次に話している内容を知りたかった。
「奇襲しろとのことだ」
「奇襲?」
「鳴海城には岡部元信率いる三千の兵がおる」
「三千……」
季忠も知ってはいたが改めてその数を聞くと目の前が暗くなる気分だった。
善照寺にいる信長本隊とほぼ同数だ。
「それに比べ、我が隊は熱田衆二百」
「まともに戦ったところで勝ち目はない、と……」
「ああ」
「そこで奇襲ですか」
「ああ」
「して、政次殿はどのような奇襲を?」
「鳴海城は庭のようなものだ」
鳴海城は元々織田家の領地で、織田信秀が存命の頃、政次はよく鳴海城に使いで来ていた。
鳴海城の裏には城内へ続く抜け道があり、政次はそこを目指していた。
城内にさえ入り込んでしまえば二百の兵で十分に戦える。
岡部元信の首さえ獲ってしまえばいいのだから。
「それでこの道ということですか」
そのような抜け道があるのであれば、今、この獣道を進んでいることも季忠には納得できた。
「季忠様」
季忠の後ろから前田利家が話しかける。
利家は季忠を守るように季忠の真後ろを歩いていた。
利家にとって季忠は命の恩人、自分の命に代えても守らなければならない。
そして自分が武功をあげることで季忠を出世させなければならない。
「なんだ?」
「岡部元信なる人物をご存じですか?」
利家は岡部元信の詳細を知りたくて聞いた。
「ああ、小豆坂の戦いで見たことがある」
「どんな人物ですか?」
どんな人物、一言で言うと熊みたいにでかい男だった。
ただ、見た目からは想像できないような頭脳を持っている。
太原雪斎と共に今川軍を指揮するほどだ。
「頭のいい熊といったところかな」
「熊……熊退治か」
利家の独り言を聞き、季忠には利家が童話に出てくる金太郎と重なった。
利家が身に着けている黄金の槍が金太郎を想起させたのだろう。
金太郎なら童話のようにいとも簡単に熊に勝てるかもしれない。
季忠は利家の【神業】を鍛えるための努力をずっと見ていた。
一年前、利家が死に場所を求めて熱田神宮に来た時、最初は見て見ぬふりをしようと思った。
生きる気力が微塵も感じられない、図体のでかいだけの木偶の坊だったからだ。
ただ、ここで死なれては後味が悪い。
最初はそれだけの理由で自刃を止めた。
しかし、利家は諦めが悪く、熱田神宮での自刃を繰り返した。
ここで死ねば極楽浄土にでも行けるとでも思っていたのだろうか。
自刃の度に季忠は利家を止めていたが、自刃を止めていくうちに、利家は自分の事を少しずつ話し始め、その話を聞いていくうちに、利家という人間に興味が湧き始めた。
織田家への仕官。
戦での武功。
信長に認められていく中でのプレッシャー。
そのプレッシャーを打ち消すための槍働き。
まつへの愛情。
そんな中で迎えた笄事件。
その最中に覚醒した【神業】。
その【神業】で信長の茶坊主を斬ったこと。
それらの話を聞いていくうちに、季忠はすっかり利家に魅せられてしまった。
この男はこんな所で終わる人間ではない。
だからこそ、この戦いがチャンスだと思った。
利家が武功を上げ、織田家に戻るチャンスだと。
利家なら岡部元信を倒せる。
いや、倒してもらわなければ困る。
岡部元信の首こそが最大の武功だ。
しかし、金太郎に出てくる熊と違い、岡部元信は頭が回る。
小豆坂の戦いでも織田軍は動きを読まれ、横やりを食らって負けている。
動きを読まれ?
横やり?
ふと嫌な予感が横切り、季忠は前を歩く政次に何か言おうとした。
しかし、次の瞬間、千秋季忠は絶命していた。
季忠の首元に弓矢が刺さっている。
「敵襲!」
佐々政次の声が聞こえる。
前田利家は咄嗟に身をかがめる。
目の前を弓矢が数本かすめる。
季忠が死んだ。
この人のおかげで俺は命をつなげられたのに。
この人のために俺は生きていこうとしていたのに。
どこだ、敵は。
周りの仲間は皆、身をかがめながら敵の姿を探していた。
「横槍!」
後ろから声が聞こえ、振り返ると、目の前で味方の兵士が槍で突かれた。
背後から攻撃を受けている。
利家は反射的に黄金の槍を構え、味方を突いた敵兵の首元を突く。
敵兵は一撃で絶命したが、絶命した敵兵の後ろには数えきれない数の兵士がいた。
旗指物は差していなかったが、白色の具足から今川家の者とわかる。
「くそっ!」
後ろから政次の吐き捨てるような声が聞こえた。
振り返り政次の方を見ると、政次も必死に敵兵に刀を振るっていた。
進行方向からも今川軍が攻めてきているらしい。
挟撃を受けているのだ。
逃げ場はない。
奇襲のつもりが逆に奇襲をくらった。
終わった。
全滅だ。
挟撃されて逃げ切れるはずがない。
いつものネガティブ思考に埋もれそうになったが、命の恩人、季忠の死が、思考を止めた。
季忠様の死を無駄にするわけにはいかない。
季忠様の分も生きなければならない。
信長様にも許してもらっていない。
そして、なにより、那古野ではまつが待っている。
政次様と共にこの危機を脱出しなくては。
「政次様!」
利家は政次の元に駆け寄ると、
「背中はおまかせあれ!」
と政次の背中に自分の背中を向けた。
「必ずやこの危機を脱しましょう!」
「当然だ! 俺を誰だと心得る!」
政次はそう答えると襲いかかってくる敵兵を次から次へとなぎ倒した。
さすがは小豆坂七本槍の一人。
利家の槍さばきは政次から習ったところも多かった。
政次が雑兵共にやられるはずはない。
利家は背中に絶対的な信頼を置きつつ、自分も声を上げながら敵兵を倒していった。
十人ほど倒したあたりで、ふと、敵の攻撃が止まった。
明らかに誰かから命令を受けた止まり方だった。
敵兵を注視していると、敵兵と敵兵の間から大将格の武将が現れた。
熊のような体格。
黄金鍬形の前立てをつけた兜。
今川家の家紋「赤鳥」が大きく描かれた胴当て。
間違いなく鳴海城城主、岡部元信その人だろう。
「若いの、威勢がよいな」
元信は肩に自分の身長ほどもある斧をかついでいた。
こんなでかい斧は利家も見たことなかった。
「名前をなんという」
元信の問いに利家は答えなかった。
いや、答えられなかった。
元信の威圧感に震えを抑えることで精いっぱいだった。
「私に恐怖して名前も名乗れないか」
そう言うと元信は豪快に笑った。
周りの兵士達も笑う。
背後にいた政次が利家の前に出る。
「佐々政次だ」
元信は政次の姿を見ると
「小豆坂七本槍とやらの佐々政次か。千秋季忠以外にも思わぬ拾い物だ」と顔を綻ばせた。
「誰が拾い物だ!」
政次は槍を構え、元信を仕留める一撃を狙う。
「お主のことだよ」
元信は綻ばせていた顔を一変させ、政次を睨みつけて言うと、肩にかついでいる斧を手についた土でも払うように軽々と政次に向かって投げた。
政次に向かって投げられた斧は、その大きさからは想像もできないスピードで回転しながら政次の頭から上半身にかけて切り裂き、政次の腰のあたりで止まった。
「小豆坂七本槍? 笑わせる」
元信は悠々と政次の元に歩み寄ると、政次の身体から斧を抜き取った。
「小豆以下のもろさ」
ありえないほどの血しぶきが政次の身体から噴き出る。
「義元様をわずらわせないでほしいものだ」
斧を抜かれた政次の身体はリンゴを切ったように真っ二つに割れていた。
「さて、次はそちらの若いの」
元信は斧の刃先を利家に向ける。
利家の身体はガクガクと震えていた。
元信の威圧感にではない。
命の恩人である千秋季忠。
槍の師である佐々政次。
この二人を殺されたことによる怒りだった。
「おお、見ろ、こやつ、小鹿のように震えておるぞ」
元信の声に兵士達が一斉に笑う。
利家の周りの織田軍は全滅していて、今川軍約百人に利家一人が囲まれている状態だった。
「その震えも今止めてやるからな」
元信は利家にそう声をかけると斧を振り投げた。
その斧は政次と同じように利家を真っ二つに切り裂く。
はずだった。
しかし、元信の斧は利家の頭上で止まっていた。
利家は黄金の槍で元信の斧をはじいていた。
「ほう」
元信は感心して声をあげる。
「私の一撃を止めるとは」
そうして自分の斧を拾い上げると、利家の元へ歩み寄る。
「殺す」
利家がひとりごちる。
「ほう」
元信は利家を見て今度は驚きの声を上げる。
「その震えは恐怖ではなく怒りだったか」
元信は利家の眼前に立つ。
利家は元信を見上げながらつぶやく。
「殺す」
「お主がいくら怒ろうと、結果は同じ」
元信は斧を振り上げると
「真っ二つにしてやろうぞ!」
再び利家に振り下ろす。
しかし、元信の斧は利家の槍に再び跳ね返された。
元信は体勢を崩し尻餅をつく。
【前田家神業、梅鉢紋】
同時に元信の周りの兵士達から悲鳴があがった。
今川軍の兵士達がそれぞれ持っていた五十本近い槍が宙に浮いたからだ。
「ほう」
元信は宙に浮く槍群を見回して愉快そうに言った。
「【神業】か」
元信は斧を杖代わりに立ち上がり、
「槍を宙に浮かせて何になる」
と笑った。
「おもしろいものを見せてもらったお礼に、私もおもしろいものを見せてやろう」
利家は獣のような目で元信を睨み続けている。
「私の【神業】だ」
【岡部家神業、左三つ巴紋】
元信のその言葉と共に、元信の上半身が風船のように膨れ始めた。
鎧がはちきれて辺りに飛び散る。
膨張を終えた元信の姿は三メートルを越える巨人になっていた。
もはや人ではない。
その姿はまるでヒグマだった。
「おまえの【神業】が勝つか、私の【神業】が勝つか、勝負といこうか」
利家はそんな元信の姿に顔色ひとつ変えなかった。
黄金の槍を元信に向けて、一言、放つ。
「殺す」
利家のその一言と同時に、宙に浮いていた全ての槍が元信の方に穂先を向けた。
梅は二月に咲く。
ゆえに「冬の花」と呼ばれている。
人の訪れのない寒さの中で、あえて花を咲かせるその姿は、前田利家に似ているかもしれない。
利家は後年、よくこう語った。
「落ちぶれているときは、それまで親しくしていた者も声をかけてくれない。だからこそ、そのような時に声をかけてくれる者こそ、真に信用できる人物だ」
前田利家は一五三九年に尾張で生まれた。
幼名は犬千代。
一五五一年、十二歳の時に、四つ年上の信長に小姓として仕える。
この時、既に信長の小姓には池田恒興と、佐々成政がいた。
利家は恒興、成政の二歳下になる。
信長に仕えるやいなや、利家は信長の懐に深く入り込んだ。
懐に入り込めた理由は三つ。
一つ目は端正な顔立ち。
信長は利家の顔が見たいがため、何かあると、恒興や成政より、利家を呼んだ。
二つ目は身なり。
利家は信長に負けず劣らず派手な身なりを好んだ。
信長とは身なりの派手さ、奇抜さをよく競い合った。
三つ目は性格。
利家の喧嘩っ早い血気盛んな性格は、信長の周りにはいないタイプだった。
いわゆる特攻隊長タイプとしてのポジションを小姓の中で確立した。
顔立ち、身なり、性格を信長に認められながらも、利家は、いつまでこの状態を維持できるかという不安を感じていた。
本来、利家はネガティブ思考が強い人間だった。
そんな自分が嫌いだった利家は、考えるより身体を動かすことで、ネガティブな考えを生み出さないようにしていた。
身体を動かし続けることで、利家は戦場で勲功を重ねていった。
一五五二年、利家十三歳。
織田信長と当時尾張下四群を支配していた織田信友が争った「萱津(かやづ)の戦」いで初陣を飾る。
この時、利家は自ら金色に塗った三メートルもの長さの槍を持ち、首級をひとつ挙げる武功を立てた。
黄金の槍を振り回す利家を見て信長は「肝に毛が生えておるわ」と賞賛した。
一五五六年、利家十七歳。
信長と信長の弟、信行が争った「稲生の戦い」に参加。
この頃の利家は身長百八十センチを超え、鋼のような肉体を備えていた。
ちなみに、戦国時代の平均身長は一五七センチである。
戦いの最中、右目の下に矢を受け、味方が利家を退却させようとするも「まだ一つも首級を挙げてない」と顔に矢が刺さったまま敵陣に飛び込み、自分に弓を射た本人を討ち取る武功を上げた。
この時も信長は「利家はまだかような小姓ながらもこのような功を立てたぞ」と喜びをあらわにした。
利家はその後、顔から矢を抜くことなく、合戦後の首実検に参加した。
その姿に周りの武将達からも一目置かれるようになる。
一五五八年、利家十九歳。
信長と当時尾張上四郡を支配していた織田信安の息子、織田信賢との戦いである「浮野の戦い」に参加。
この戦いでも槍による武功を挙げ「槍の又左」という異名がついた。
参加する戦い全てで武功を挙げ、信長にも寵愛され、順風満帆に見えた利家だが、一五五九年、利家二十歳の時に事件は起こる。
それは利家を天国から地獄に突き落とすような事件だったが、皮肉にも、この事件で利家の【神業】は覚醒した。
信長の茶坊主に拾阿弥という者がいた。
茶坊主とは茶の湯の手配を中心に城中の雑用をこなす者のことで、拾阿弥は女性のような綺麗な顔立ちと白い肌で信長に最も気に入られている茶坊主だった。
拾阿弥は信長に気に入られていることを笠に、信長の家臣達に横柄な態度をとることが多かった。
特に拾阿弥は利家を嫌った。
自分には到底できない槍働きに嫉妬を抱いていた。
拾阿弥はことある毎に利家に嫌がらせをした。
信長の目の届かない所で。
嫌がらせの種類は様々だった。
通路ですれ違いざまに利家の袴を引っ張る。
利家に煎じた茶に自分の唾を入れる。
茶坊主同士で利家を無視する。
それらの嫌がらせは利家が持つネガティブ思考を刺激し、闇へと引きずりこもうとしたが、利家は耐えた。
ここでネガティブに引きずりこまれたら最後、自分は殻に閉じこもってしまう。
そもそも自分は何事もうまくいかない人間なのだ。
殻に閉じこもらないように、身体を動かし、鍛錬を重ねるのだ。
利家は腰に差した刀に笄(こうがい)を付けていた。
竹で作られた地味で質素な笄だった。
笄とは髪をかき上げてマゲを作るときに使用するもので、当時の侍には欠かせないものだった。
利家が付けていた笄は、利家の正室であるまつからもらったもので、まつの実父の形見だった。
まつの実父は、まつが三歳の時に他界した。
ゆえにまつは実父のことは覚えていない。
実父が死んだ後、まつの実母も訳あって再婚し、まつの元から去ることになる。
実母との最後の夜、実母は実父が使っていた笄を、三歳のまつに渡した。
天国から娘を守ってほしい。
笄にはそんな実母の気持ちがこもっていた。
笄を受け取ったまつは、その後ずっと肌身離さず笄を持ち続ける。
まつが利家の元に嫁いだのは十一歳の時。
笄はそもそも男性が使うもの。
まつは八年間持ち続け、命の次に大切だったその笄を利家に渡した。
自分のかけがえのない物を利家に渡すことで、利家と強い絆を作りたかった。
利家もまつの想いに答え、その笄を自分の命の次に大切なものとすることに決めた。
一年後、その笄に拾阿弥が目をつけた。
ある日、池田恒興、佐々成政、前田利家ら小姓衆が集まって那古野城内の中庭で刀稽古をしている時、利家は自分の刀に笄が付いていないことに気づいた。
どこかで落としたのかもしれない。
利家があたりを探していると聞き覚えのある引き笑いが聞こえてきた。
笑い声の方を向くと、拾阿弥が利家を見てにやついていた。
拾阿弥の周りにいる茶坊主達もニヤニヤしている。
またいつもの嫌がらせか。
そう思い、視線をそらそうとした時、ふと違和感を感じ、拾阿弥の髪を見た。
そこには利家の笄が差さっていた。
拾阿弥は利家が気づいたことを察すると、笄を髪から抜いて弄びながら言った。
「こんな地味な笄つけてたら顔も地味になっちまうわ」
利家は我を忘れ、拾阿弥の元に駆け寄り「返せ!」と迫ったが、拾阿弥は返すそぶりを見せず、お手玉のように笄を扱った。
「あれ、これ利家のだったの?」
「返せ!」
「利家のにしては地味じゃね?」
「返せ!」
「利家にはもっと派手なのが似合うんじゃね? なぁ」
拾阿弥の呼びかけに周りの茶坊主達がうなずく。
「返せ!」
「俺が信長様に言ってもっと派手な笄をおまえにプレゼントしてやるよ」
「いいから返せ!」
「だから、こんな地味なのはさ、利家には似合わないからさ」
拾阿弥はそう言って笄を両手で持つと、
「こうしちゃおうよ」
笄を二つに折った。
利家は最初何が起こったか理解できなかった。
が、無意識のうち、刀を振り上げ、拾阿弥を切ろうとしていた。
しかし、その振り上げた刀は利家の手を離れ宙に舞った。
何者かが利家の刀をはじいたのだ。
次の瞬間、首元を刀の刃がかすめた。
利家はすんでのところでその刃をかわしたが、一瞬でもかわす動きが遅れていたらその刃は確実に利家の喉を切り裂いていただろう。
死ぬところだった、と思うと同時に身体中に電撃が走った。
体内に走る電撃を感じながら自分の刀をはじき、自分に刃を向けた者の方を見た。
自分に刃を向けたのは信長だった。
俺より拾阿弥を選ぶのか。
絶望の中で利家の視線に入ったのは、信長の後ろでほくそ笑む拾阿弥の顔だった。
信長様になんと思われようとこいつだけは許せない。
「拾阿弥!」
利家は怒りのあまり、背中に背負っていた槍を手に持ち、拾阿弥に向けて放った。
放ってからしまった! と思った。
拾阿弥は信長様の真後ろにいる。
つまり、信長様を槍が貫いてしまう。
しかし、槍は自分の意思を持ったように信長を避け、信長の後ろにいる拾阿弥を貫いた。
拾阿弥は口から血を吹き出し、信長の背中に拾阿弥の血がかかった。
拾阿弥を貫いた槍は利家の手元にブーメランのように帰ってきた。
その場にいた誰もがその場面が現実のものとは思えなかった。
利家は槍を手にすると、その場から走り去った。
謝ることもできず、走り去ることしかできなかった。
信長様に槍を向けたことで自分は終わった。
もう自分は死ぬしかない。
利家自身、その時はまだ気づいていなかったが、この時こそ、利家の【神業】が覚醒した瞬間だった。
利家の【神業】は、槍が意思を持つ。
その後、前田利家は一人さまよったあげく死に場所を求めて熱田神宮に入ったが、熱田神宮の宮司、千秋季忠に自刃しようとしている所を止められた。
信長は利家を見つけ出し次第斬る。と各地にお触れを出したが、池田恒興、佐々成政、森可成らが処分を和らげるよう信長に何度も懇願した。
もちろんそれが織田家のためになると三人が三人とも信じて疑わなかったからだ。
結果、利家は出仕停止処分で許された。
利家は熱田神宮で数えきれないほど死のうとしたが、その度に千秋季忠に止められ、まつが那古野で待っているぞと諭された。
まつに会いたい。
そして、まつに謝りたい。
しかし、出仕停止処分が解けるまでは、那古野には戻れない。
いや、戻っても咎められないだろうが、もし城下町で信長様に出会ったら、信長様に合わせる顔がない。
自分は信長様を殺そうとしたのだ。
だけど、まつには会いたい。
まつの存在が利家に生きる希望を与えると同時に、利家を苦しめた。
苦しみから逃れるために、利家は黙々と鍛錬を続けた。
鍛錬を続けること一年。
その結果、【神業】が鍛えられ、何本もの槍を同時に扱えるようになった。
その頃、信長が熱田神宮にやってきた。
今川義元を倒すために。
善照寺砦に駆け付けた千秋季忠と熱田勢二百の兵。
その熱田勢二百の中に前田利家がいた。
信長に顔がばれないように後ろの方で顔をうつむけていたが、背中に背負っていた黄金の槍が誰よりも目立っていた。
信長は利家の存在を知りつつ、熱田勢に鳴海城攻めを命じた。
熱田勢の忠誠心はもちろん、利家の忠誠心も図ることができる。
そして、佐々政次を熱田勢の隊長とすることで、千秋季忠にも利家にも生きて帰ってきて欲しいという願いを込めた。
鳴海城を守っていたのは今川家でも随一の猛将として名の知れた岡部元信。
今川家では、「政」の今川義元、「知」の太原雪斎、「武」の岡部元信と言われていたほどだ。
岡部元信の城を攻めて無事で帰ってこられるはずがない。
岡部元信が今川家にその人ありと世に知らしめた武功は大きく二つある。
一つ目は佐々政次が小豆坂七本槍として活躍した小豆坂での戦い。
「第一次小豆坂の戦い」では、佐々政次が活躍した織田家が勝利したが、その数年後に行われた「第二次小豆坂の戦い」では今川家が勝利した。
その時に今川軍を率いていたのが太原雪斎と岡部元信だった。
岡部元信は今川軍劣勢の中で、織田軍の動きを読み、織田軍に横槍を入れて大敗させた。
二つ目は安祥城の戦い。
この戦いでも岡部元信は太原雪斎と共に出陣し、安祥城を陥落させ、その勢いで、周辺の上野城、刈谷城をも落とし、三河の西一帯を今川家のものとした。
信長の父、織田信秀と共に佐々政次は岡部元信に散々煮え湯を飲まされていて、そういう意味でも佐々政次の働きには期待していた。
また、佐々政次は熱心な宗教家で、十代の頃時住んでいた比良城から熱田神宮まで片道約十キロの道のりをほぼ毎日、苦にせず通っていた。
当時の熱田神宮の神主、千秋季光に大層気に入られ、千秋季光の息子、千秋季忠のおしめを替えたこともあるほど、千秋季忠とは旧知の仲だった。
そして佐々政次は自分の弟、成政と同じ信長の小姓衆である前田利家の存在も気にかけていた。
利家の才能をいち早く見抜いていた政次は、利家が出仕停止処分を受け、熱田神宮にかくまわれていると知ると、笠寺城から熱田神宮に通い、利家に槍捌きを伝授した。
利家にとって、佐々政次は師匠のようなものだった。
佐々政次、千秋季忠、前田利家。
この三人が連携すれば、想定以上の効果が見込めるはずだ。
信長は佐々成政が考えたような「捨て駒」として佐々政次を鳴海城攻めに投入したわけではなかった。
「政次殿、殿はなんと?」
道なき道を草木に隠れながら、鳴海城に向かう途中、千秋季忠が佐々政次に聞いた。
出陣直前、信長が政次に話している内容を知りたかった。
「奇襲しろとのことだ」
「奇襲?」
「鳴海城には岡部元信率いる三千の兵がおる」
「三千……」
季忠も知ってはいたが改めてその数を聞くと目の前が暗くなる気分だった。
善照寺にいる信長本隊とほぼ同数だ。
「それに比べ、我が隊は熱田衆二百」
「まともに戦ったところで勝ち目はない、と……」
「ああ」
「そこで奇襲ですか」
「ああ」
「して、政次殿はどのような奇襲を?」
「鳴海城は庭のようなものだ」
鳴海城は元々織田家の領地で、織田信秀が存命の頃、政次はよく鳴海城に使いで来ていた。
鳴海城の裏には城内へ続く抜け道があり、政次はそこを目指していた。
城内にさえ入り込んでしまえば二百の兵で十分に戦える。
岡部元信の首さえ獲ってしまえばいいのだから。
「それでこの道ということですか」
そのような抜け道があるのであれば、今、この獣道を進んでいることも季忠には納得できた。
「季忠様」
季忠の後ろから前田利家が話しかける。
利家は季忠を守るように季忠の真後ろを歩いていた。
利家にとって季忠は命の恩人、自分の命に代えても守らなければならない。
そして自分が武功をあげることで季忠を出世させなければならない。
「なんだ?」
「岡部元信なる人物をご存じですか?」
利家は岡部元信の詳細を知りたくて聞いた。
「ああ、小豆坂の戦いで見たことがある」
「どんな人物ですか?」
どんな人物、一言で言うと熊みたいにでかい男だった。
ただ、見た目からは想像できないような頭脳を持っている。
太原雪斎と共に今川軍を指揮するほどだ。
「頭のいい熊といったところかな」
「熊……熊退治か」
利家の独り言を聞き、季忠には利家が童話に出てくる金太郎と重なった。
利家が身に着けている黄金の槍が金太郎を想起させたのだろう。
金太郎なら童話のようにいとも簡単に熊に勝てるかもしれない。
季忠は利家の【神業】を鍛えるための努力をずっと見ていた。
一年前、利家が死に場所を求めて熱田神宮に来た時、最初は見て見ぬふりをしようと思った。
生きる気力が微塵も感じられない、図体のでかいだけの木偶の坊だったからだ。
ただ、ここで死なれては後味が悪い。
最初はそれだけの理由で自刃を止めた。
しかし、利家は諦めが悪く、熱田神宮での自刃を繰り返した。
ここで死ねば極楽浄土にでも行けるとでも思っていたのだろうか。
自刃の度に季忠は利家を止めていたが、自刃を止めていくうちに、利家は自分の事を少しずつ話し始め、その話を聞いていくうちに、利家という人間に興味が湧き始めた。
織田家への仕官。
戦での武功。
信長に認められていく中でのプレッシャー。
そのプレッシャーを打ち消すための槍働き。
まつへの愛情。
そんな中で迎えた笄事件。
その最中に覚醒した【神業】。
その【神業】で信長の茶坊主を斬ったこと。
それらの話を聞いていくうちに、季忠はすっかり利家に魅せられてしまった。
この男はこんな所で終わる人間ではない。
だからこそ、この戦いがチャンスだと思った。
利家が武功を上げ、織田家に戻るチャンスだと。
利家なら岡部元信を倒せる。
いや、倒してもらわなければ困る。
岡部元信の首こそが最大の武功だ。
しかし、金太郎に出てくる熊と違い、岡部元信は頭が回る。
小豆坂の戦いでも織田軍は動きを読まれ、横やりを食らって負けている。
動きを読まれ?
横やり?
ふと嫌な予感が横切り、季忠は前を歩く政次に何か言おうとした。
しかし、次の瞬間、千秋季忠は絶命していた。
季忠の首元に弓矢が刺さっている。
「敵襲!」
佐々政次の声が聞こえる。
前田利家は咄嗟に身をかがめる。
目の前を弓矢が数本かすめる。
季忠が死んだ。
この人のおかげで俺は命をつなげられたのに。
この人のために俺は生きていこうとしていたのに。
どこだ、敵は。
周りの仲間は皆、身をかがめながら敵の姿を探していた。
「横槍!」
後ろから声が聞こえ、振り返ると、目の前で味方の兵士が槍で突かれた。
背後から攻撃を受けている。
利家は反射的に黄金の槍を構え、味方を突いた敵兵の首元を突く。
敵兵は一撃で絶命したが、絶命した敵兵の後ろには数えきれない数の兵士がいた。
旗指物は差していなかったが、白色の具足から今川家の者とわかる。
「くそっ!」
後ろから政次の吐き捨てるような声が聞こえた。
振り返り政次の方を見ると、政次も必死に敵兵に刀を振るっていた。
進行方向からも今川軍が攻めてきているらしい。
挟撃を受けているのだ。
逃げ場はない。
奇襲のつもりが逆に奇襲をくらった。
終わった。
全滅だ。
挟撃されて逃げ切れるはずがない。
いつものネガティブ思考に埋もれそうになったが、命の恩人、季忠の死が、思考を止めた。
季忠様の死を無駄にするわけにはいかない。
季忠様の分も生きなければならない。
信長様にも許してもらっていない。
そして、なにより、那古野ではまつが待っている。
政次様と共にこの危機を脱出しなくては。
「政次様!」
利家は政次の元に駆け寄ると、
「背中はおまかせあれ!」
と政次の背中に自分の背中を向けた。
「必ずやこの危機を脱しましょう!」
「当然だ! 俺を誰だと心得る!」
政次はそう答えると襲いかかってくる敵兵を次から次へとなぎ倒した。
さすがは小豆坂七本槍の一人。
利家の槍さばきは政次から習ったところも多かった。
政次が雑兵共にやられるはずはない。
利家は背中に絶対的な信頼を置きつつ、自分も声を上げながら敵兵を倒していった。
十人ほど倒したあたりで、ふと、敵の攻撃が止まった。
明らかに誰かから命令を受けた止まり方だった。
敵兵を注視していると、敵兵と敵兵の間から大将格の武将が現れた。
熊のような体格。
黄金鍬形の前立てをつけた兜。
今川家の家紋「赤鳥」が大きく描かれた胴当て。
間違いなく鳴海城城主、岡部元信その人だろう。
「若いの、威勢がよいな」
元信は肩に自分の身長ほどもある斧をかついでいた。
こんなでかい斧は利家も見たことなかった。
「名前をなんという」
元信の問いに利家は答えなかった。
いや、答えられなかった。
元信の威圧感に震えを抑えることで精いっぱいだった。
「私に恐怖して名前も名乗れないか」
そう言うと元信は豪快に笑った。
周りの兵士達も笑う。
背後にいた政次が利家の前に出る。
「佐々政次だ」
元信は政次の姿を見ると
「小豆坂七本槍とやらの佐々政次か。千秋季忠以外にも思わぬ拾い物だ」と顔を綻ばせた。
「誰が拾い物だ!」
政次は槍を構え、元信を仕留める一撃を狙う。
「お主のことだよ」
元信は綻ばせていた顔を一変させ、政次を睨みつけて言うと、肩にかついでいる斧を手についた土でも払うように軽々と政次に向かって投げた。
政次に向かって投げられた斧は、その大きさからは想像もできないスピードで回転しながら政次の頭から上半身にかけて切り裂き、政次の腰のあたりで止まった。
「小豆坂七本槍? 笑わせる」
元信は悠々と政次の元に歩み寄ると、政次の身体から斧を抜き取った。
「小豆以下のもろさ」
ありえないほどの血しぶきが政次の身体から噴き出る。
「義元様をわずらわせないでほしいものだ」
斧を抜かれた政次の身体はリンゴを切ったように真っ二つに割れていた。
「さて、次はそちらの若いの」
元信は斧の刃先を利家に向ける。
利家の身体はガクガクと震えていた。
元信の威圧感にではない。
命の恩人である千秋季忠。
槍の師である佐々政次。
この二人を殺されたことによる怒りだった。
「おお、見ろ、こやつ、小鹿のように震えておるぞ」
元信の声に兵士達が一斉に笑う。
利家の周りの織田軍は全滅していて、今川軍約百人に利家一人が囲まれている状態だった。
「その震えも今止めてやるからな」
元信は利家にそう声をかけると斧を振り投げた。
その斧は政次と同じように利家を真っ二つに切り裂く。
はずだった。
しかし、元信の斧は利家の頭上で止まっていた。
利家は黄金の槍で元信の斧をはじいていた。
「ほう」
元信は感心して声をあげる。
「私の一撃を止めるとは」
そうして自分の斧を拾い上げると、利家の元へ歩み寄る。
「殺す」
利家がひとりごちる。
「ほう」
元信は利家を見て今度は驚きの声を上げる。
「その震えは恐怖ではなく怒りだったか」
元信は利家の眼前に立つ。
利家は元信を見上げながらつぶやく。
「殺す」
「お主がいくら怒ろうと、結果は同じ」
元信は斧を振り上げると
「真っ二つにしてやろうぞ!」
再び利家に振り下ろす。
しかし、元信の斧は利家の槍に再び跳ね返された。
元信は体勢を崩し尻餅をつく。
【前田家神業、梅鉢紋】
同時に元信の周りの兵士達から悲鳴があがった。
今川軍の兵士達がそれぞれ持っていた五十本近い槍が宙に浮いたからだ。
「ほう」
元信は宙に浮く槍群を見回して愉快そうに言った。
「【神業】か」
元信は斧を杖代わりに立ち上がり、
「槍を宙に浮かせて何になる」
と笑った。
「おもしろいものを見せてもらったお礼に、私もおもしろいものを見せてやろう」
利家は獣のような目で元信を睨み続けている。
「私の【神業】だ」
【岡部家神業、左三つ巴紋】
元信のその言葉と共に、元信の上半身が風船のように膨れ始めた。
鎧がはちきれて辺りに飛び散る。
膨張を終えた元信の姿は三メートルを越える巨人になっていた。
もはや人ではない。
その姿はまるでヒグマだった。
「おまえの【神業】が勝つか、私の【神業】が勝つか、勝負といこうか」
利家はそんな元信の姿に顔色ひとつ変えなかった。
黄金の槍を元信に向けて、一言、放つ。
「殺す」
利家のその一言と同時に、宙に浮いていた全ての槍が元信の方に穂先を向けた。
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