ナッツに恋するナツの虫

珈琲きの子

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オメガというもの

「やめ、ろ……」

 俺に圧し掛かって来る男を押しやろうとするけど、意味がわからないくらい力が入らない。同じベータに見えるのに、身を捩って体をずらすこともできなかった。そいつが俺の代わりに俺のを扱き始めて、触られたくないという思いと裏腹にその気持ちよさに喘いでしまう。

「あ……ゃ……」

 近づいてくる男の顔を腕を交差させて妨いだけど、その間にズボンを引きずり降ろされて、どうしていいのかわからなくなる。力の差もあってされるがままにしかならなかった。
 肌を撫でられるだけで快感が全身を駆け抜け、無意識にビクビクと体が跳ねる。力任せに足を折り畳まれ胸に押し付けられて、ダメだと思いながらも、朦朧とし始めた意識の中では快感を求め満たされることを望んでいた。
 なんで、俺こんなことになってるんだろう?

「辻井!?」

 覚えのある声が聞こえた後、カチと小さな音がした。
 その後ドスっと音が聞こえて、俺の上に乗っかっていた男の体が横に転がる。男がいなくなった先に立っていたのは——……

「ふじ、もと……?」
「辻井、おまえ……——いや、先に抑制剤飲んどけ」

 そう言って、藤本は俺の手に白い錠剤を握らせると、素早く注射器のようなものの針を付け替えて自分の腕に突き立てた。これが先ほどの音の出所だったらしい。

「ぼーっとしてないで噛んで飲み込め。じゃないと他の奴らも来るぞ」

 言われるままに震える手で口に運び、ガリガリと噛みしめて飲み込んだ。すると、横で転がっていた男が起き上がり、「痛って」と腰を擦った。それからどう考えても行為の最中にしか見えない俺の姿を見て、顔を蒼くし口を押えた。

「……俺、まさか、」
「大丈夫だって、未遂。俺が即効性の鎮静剤打ったから」

 藤本が男に見せたのは手に持っていた注射器。これがあの音の出所だったらしい。男の心底安心したような表情を見ていると、俺の症状も徐々に治まって来る。局部が濡れて気持ち悪いって思えるぐらいには落ち着きを取り戻していた。

「その、悪かったな。心配して声かけたのに、まさか理性飛ぶとは思わなくて……」
 
 目のやり場に困りつつも謝ってくれるその人は体調の悪そうな俺を追ってきてくれたようだった。俺はいそいそと服を整えながら、「俺の方こそすみません」と頭を下げた。

「ちゃんと抑制剤持ち歩いてくれな? 頼むわ」
「は、はい……」

 俺はオメガじゃない、って言いたかったけど、人に迷惑をかけておいてそんな事言えるわけがない。

「本当に助かった」
「いいってことよ。本気で蹴ったし、アザになるかもだけど」
「いや、蹴ってもらえて良かった。オメガの発情期にこんなに影響うけるとはな」

 二人が連絡先を交換してるのをぼんやりと見上げながら、俺は今起きたことをまだ受け入れられないでいた。
 オメガ。発情期。その言葉が頭の中を上滑りしていく。

「辻井、保健センター行くぞ」
「う、うん」

 立ち上がろうとすれば藤本が腕を取って引き上げてくれる。それからまだ足の震えが治まらない俺を支えて歩き出した。

「あ、ありがとな……」

 ああ、とだけ返して藤本は黙ってしまった。俺も何を言っていいのかわからなかった。

 



「オメガに間違いないわ」

 センターに着いてまず行ったのはバース性の検査だった。最近はものの五分ほどで結果が出るらしく、採血した後、下着を替えてる間に答えは出ていた。
 そして保健医の言葉に絶句するしかなかった。
 俺が、オメガ……?

「で、でも、入学の検診でベータって……それに俺もう二十歳なんですよ……?」
「何とも言えないけど、発現が遅れてたのかもしれないわね。あまり聞かない症例だけど、これからはオメガとして生きていくしかないわ」
「……そんな、」
「バース性の教育を受けてちゃんと向き合わないと。抑制剤を飲まないことでどういう被害を受けるかもう……その、わかっているんでしょう?」

 襲われたことを藤本が報告したんだろう。保健医が言葉を選ぶように言った。
 まだ熱っぽさも残ってる。あの男の人に何をされたか……いや、何をさせてしまったのか、頭では理解できる。でも心がついてこなかった。

「もし、不安があるなら、姉妹校の家政大学への編入も可能よ。突然のことで戸惑うのは分かるけれど、オメガが生きていくにはそれなりの困難があるの。当然あなたには婚約者もいないでしょう?」
「婚約者……?」
「オメガが社会で生きていくためにはアルファの支えが必要なの。大学卒業までに結婚相手を決めなければ、就職も厳しいわ。アルファの後ろ盾があってこそなのよ。家政大学に行けば半年に一回は縁談する機会が設けられるから、まだあなたにもチャンスはあるわ」

 そんな話、今はどうでもいいのに。
 まだオメガであることすら受け入れられてないのに……。

「少し、考えさせてください」
「わかったわ。ご両親への連絡はどうする?」
「……落ち着いたら、自分でします」
「そう。編入は早ければ早い方がいいから、決心がついたらまたいらっしゃい」
「はい……」

 一週間分の発情抑制剤を貰い、センターのエントランスに向かう。混乱しっぱなしで脳が働いてくれない。ぶり替えした震えを抑えるようにトートバッグの取っ手をぐっと握った。
 俺、これからどうなるんだろう。
 ベータとして、社会のただのいち歯車として、平凡に一生を終えるはずだったのに。婚約者って……結婚って……そんなのまだ考えたこともなかった。
 それに一生発情期と付き合っていかないといけない。薬も飲まなきゃ……。
 
「なんで、こんな……」

 親に報告? でもなんて言われるだろう。もしオメガに偏見があったら俺どうやって生きていこう……。両親はベータなのに、俺がオメガなんて……言わない方がいいのかもしれない。
 そもそもオメガってどういう存在だっけ……? アルファと番って子供を産めるんだっけ。俺が子供産む? 信じられない。水谷に言ったら相談乗ってくれるかな……。
 藤本は自動ドア近くにあるベンチで座って待っていて、俺が近づくと立ち上がった。

「具合は?」
「大丈夫。さっきは本当助かった。藤本が来なかったら俺あのまま……」
「ああ……」
「……ありがと。薬も貰って来たから、もうこんなことにはならないと思う」
「…………」

 沈黙が若干怖い。どこかいつもと違う藤本の様子が一層そう感じさせた。

「おまえ栗栖のこと騙してたんだな」
「え、……——ち、違う! 俺本当にベータで、今初めて知って、」
「違う? オメガだったんだろ? 今知ったとかどうでもいいんだよ。重要なのはいつオメガになったかだろ?」

 いつ、オメガになったか……?

「何月何日何時までベータだったか証明できるか?」
「そ、そんなの……」

 そんなのできるわけない。

「今日発情期が来たってことは、おまえは今日より以前にすでにオメガだったってことだ。おまえはオメガであるにも拘らず、ベータとして栗栖に近づいた。知っていようが知っていまいがどうでもいい。ただそれが事実だ」
「でも……だからって栗栖を騙してたわけじゃない……っ!」 
「おまえの主観なんてどうでもいい。栗栖はな、オメガに逆レイプされたことあるんだよ。オメガを毛嫌いしてる理由はその所為だ」

 そうだ、東弥はオメガを嫌いで……。  

「おまえがオメガだったって知ったら栗栖はどう思うだろうな」
「ぁ……」

 俺がオメガだって知ったら——

『オメガは全部あの女に見える。気持ち悪くて仕方ない』

 オメガ……。
 そっか、俺——……。

 口を押えて、目を伏せた。目頭が熱くなって、涙が滲んだ。
 俺はオメガで、東弥に気持ち悪いって思われる対象になったんだ。オメガになったことよりも、なによりも、それが俺を打ちのめした。
 いつからオメガに変わったのかなんてわからない。でも藤本の言う通り、今オメガである事実は変えようがない。
 明日東弥に会えるっていうのに、どうしてこんなタイミングでバース変異なんて……。黙ってれば分からないかもしれない。でも東弥に嘘を吐きたくない。それに発情期のオメガなんて知られたら、東弥のトラウマを抉ることになる。
 会う機会を設けてもらった水谷夫夫にも迷惑をかけることになるし、それにあの二人に東弥を騙していたと思われたら……。

「……藤本……俺がオメガだって、誰にも言わないで欲しい」
「栗栖には報告する。当たり前だろ」
「頼むから……! もう栗栖には会わないし近づかない。絶対連絡もしない!」
「信じられない」
「栗栖を傷つけたくないんだ……栗栖が知ったら辛い思いさせることになる」
「おまえが言うのかよ」
「……お願いだから……っ。大学も辞めるし、スマホも解約する。引っ越しもして、もうここには来ないから」

 俺はもう一度、頼むから、と藤本に縋った。
 

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