ナッツに恋するナツの虫

珈琲きの子

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逞しく生きる


「いってらっしゃいませ」

 俺はお辞儀をして、車に乗り込んだ雇い主を見送った。

 人ってのは意外に逞しくて、飛び出してみればなんとかなるものみたいだ。藤本が俺の頼みを聞いてくれたのかは分からないけど、すべてに別れを告げたのはもう一年前のこと。
 それから職を探してシェルターを転々とし、運よくこの雨宮家に住み込みのハウスキーパーとして雇ってもらうことができた。ご夫夫には二人の息子がいるけど、既に番がいるからオメガでも問題がないということだった。
 俺の急なバース転換についても理解があり、偽名を使っていることも承知の上で雇ってくれている。名前をそのままにしておくと一瞬で居場所がバレてしまうから、訳ありのオメガはほとんど偽名を使うらしい。だから向こうで万一オメガだとバレたとしても、俺を探すのに多少は苦労するってことだ。両親には一筆書いたし、次男坊の俺をそこまでして見つける必要もない。きっとそっとしておいてくれるはず。
 
あずま君、週末のことなんだけど」

 ランドリールームでシーツを洗濯機に突っ込んでいると、話しかけてきたのは笹山さん。この家のシェフでベータだ。東というのは俺の偽名。ぱっと思いついたのが東弥の名前だったから仕方ない。

「お孫さんの誕生日パーティーですか?」
「そうそう、前日の買い出し手伝って欲しいんだよね。身内だけだし、量的にも買いに行けそうなんだ」
「あ……俺、今日明日中に発情期入る予定なんです。だから内勤だけにしてもらってて……」
「ああ、そんな時期か」

 あからさまに憐みの目で見られるのは慣れない。笹山さんも悪い人ではないんだけど、オメガに対して偏見があるのは仕方ないのかもしれない。俺も旦那様の厚意に甘えてる所があるから、それを良く思っていないことは何となくわかってる。
 特に外に出ることに問題はないんだ。チョーカーもつけてるし、噛まれる心配もないんだけど、何しろ怖い。オメガに対する無知も相まって、漠然とした怖さがずっと拭えなかった。

「でも、今日買えるものがあるなら買っておきますよ」
「お、いいね。じゃあ、ワインを頼むよ。店に取っておくように電話しとくから」
「はい」
 
 目と鼻の先にある地域密着型の酒屋さんでワインを仕入れて、地下室の一画にあるセラーに入れておく。笹山さん曰くアルファの家庭には大体ワインセラーがあるそうだ。お金持ちの嗜みと言ったところか。毎晩の食事は控えめとはいえ、ボトルを一本開けてるのを見ると、違う世界で生きてるって感じがする。

「東君」
「はい、どうかされましたか?」

 夕食の片づけをしていると、残りのワインを呷った後、旦那様が俺を呼んだ。

「今何歳だったか」
「二十一です」
「二十一か、そろそろお見合いした方がいいな」
「お、お見合いですか?」
「使用人の世話も見れないとなれば、私の面子にも関わるんだ。君は真面目で素直だから、どこにだしても恥ずかしくない。喜ばしいことだよ」
 
 大学卒業と同時に行き遅れることを考えると、二十二歳までに結婚しておかないと後が厳しいのは何となくわかる。オメガの地位はベータとあまり変わらないって思ってたけど、それはアルファが後ろにいてこそ成り立つんだ。独身のオメガがどうなるのかちょっと考えたくない。
 あのアルファ集団がオメガとよくやってた飲み会は婚活だったのか、と今更ながら納得した。オメガにとっては大学在学中に婚約者を確保しておかないといけないんだから死活問題だし。

「俺みたいなのを貰ってくれる人がいるか分からないですけど……、旦那様の迷惑にならないようにしたいです」
「なら善は急げだな。この発情期が終われば、見合いの席を設けよう」
「は、はい。お願いします」

 ご機嫌で席を立たれた旦那様の椅子を引きながら俺は溜息を吐いた。
 見合い、か。
 アルファと番って、やることやって、子供産んで。オメガにはその道しか残されてない。せめて見合い相手が優しい人だったらいいな……。

「縁談がまとまったら、寂しくなるなぁ」

 日課のマッサージを施していると、奥様が「あーあ」とため息を吐いた。

「どうしてですか?」
「他の家の使用人なんてできないよね、東君だって奥様になるんだから」
「あ……」

 そっか。
 腐ってもアルファ。どれだけ落ちぶれたアルファでも財を成す能力はベータよりはあるわけで、その人と結婚するんだからそれなりの立場になるってことだ。

「いい子に勤めてもらえてホッとしてたのに、よそに出しちゃうなんてもったいない。まあ、あの人も東君をいい所に嫁に出したいって思ってるからなんだけどね」
「……嫁、ですか」
「ふふ、娘だと思ってるんだよ。東君、全く嫌味がないから、安心するというか、可愛がりたくなるというかね。なにか不安なことあるなら相談にのるからね。オメガになってからまだ一年でしょ」
「はい……、でも不安なことすら分からないっていうか、全部が不安っていうか、」
「いままでバース性に関する教育受けたことは?」
「ないんです。逃げるみたいに学校も辞めて家を出て来たので、知ってることと言えば、オメガの友人から聞きかじった話くらいで……」
「オメガの友達がいたの?」
「はい。凄いしっかり者でしたよ」
「へぇ。東君は偏見もってないんだね、オメガに。だから、急にオメガになっても平気そうだったのか」

 確かにオメガになったことに関して悲観はしてない。オメガになったことで東弥を傷つけるだろうし、なにより軽蔑されることを恐れて逃げ出してきたんだ。

「少し手が熱くないか? 発情期始まったかもしれないね。今日はこれでおしまいで良いよ」
「はい」
「明日も無理はしないように。じゃあ、おやすみ」
「ありがとうございます。おやすみなさい」

 会釈をしてパタンとドアを閉めた。
 二人はいわずもがな美男美男で、旦那様は大手貿易会社の役員、奥様はファッションデザイナー。その上優しくて思いやりがあって、非の打ち所がない。本当に良くこんな人たちに雇ってもらえたと思う。
 そんなことを思いつつ部屋に戻って抑制剤を口に放り込んでかみ砕いた。発情期は三ヶ月に一回。手帳にしっかり周期を記録して、薬の服用も慣れてきた。
 薬も色々種類があって、今使ってるのは奥様お勧めのものだ。発情期の一週間ほど前から服用し始め、ゆっくり効果を出す薬で副作用も比較的少ない。しかも安価で手に入る。貧乏人の俺にはこれ以外を選ぶという選択肢はなかった。
 藤本が持っていたあの薬がかなり高価だったってことは最近になって知ったんだ。速攻性があるから発情期が不規則な人が持ち歩いてるらしい。襲われてるオメガに服用させることもあるみたいで、それに助けられたのが俺ってことだ。
 
 自室に備え付けられたシャワー室で汗を流す。少し体を擦るだけで俺のジュニアが立ち上がり始めたのを見ると、発情期に入ったのは間違いなかった。
 発情期以外の時には性欲はほとんどなくて、自慰をする回数もめっきり減ってしまった。ただ、前だけじゃ全く熱が収まらないってのが目下の悩みだ。すなわち後ろに指を突っ込む必要があるってこと。
 発情期になると後ろが濡れる、なんてことはオメガになってはじめて知ったわけだけど、こんなことでアナニーが捗るなんて泣ける。

「ふ……ぅ、ぁ……」

 オカズは脳内にある東弥との行為。決して満たされることがない欲。何度放ってもそれは変わらなかった。

「あー……虚し……」

 床に座り込んでただシャワーを浴び続けた。

 
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