蝶と共に

珈琲きの子

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第二部 第二章

事の顛末

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コンソメの良い香りが鼻を掠めて、俺は目を覚ました。
目の前にはいつもの見慣れた天井があるのに、なぜか自分の状況が把握できない。若干パニックになりながら体を起こした。
そこは間違いなくアルと暮らす高台の屋敷。窓から見える景色はあおあおと葉を生い茂らせる木々の姿だった。

「一緒だ……」

今まで何をしてたのか。なんでここにいるのか。記憶とかけ離れすぎていて、この風景に全く現実味がない。
でも漂ってくるのはいつも嗅ぎなれたスープの香りで、俺は音をたてないようにベッドから降りて、一階のキッチンへと向かった。
足元もしっかりしているし、体調もおかしいところはないし。そんなことを思いつつ、キッチンを覗いた。

まだ日は沈んでいないけど、早めに食事の準備を始めたのか、もう完成に近い状態だった。
鍋の中身を混ぜているのはアルに間違いなくて。でも背中しか見えていないから、振り向いたら別の人だったり……とホラーのワンシーンを思い浮かべたりする。
だからといって廊下でこのままじっとしているわけにもいかず、俺は心に決めておもむろに口を開いた。

「ア、アル、おはよう」

声を発した途端にアルらしき人は振り向いた。情熱的な赤い瞳は確かにアルのもので、……俺を見た瞬間、眩しそうに細められた。
でも徐々に困ったように眉尻下がってきて、おたま
をおいたアルは両手を伸ばしつつ駆け寄って、ぶつかるかという勢いで俺を抱きしめた。

「ぅわっ、アル!?」
「ティ……! ティーロっ」

どうしたの?、って聞きたかったけど、今のアルには声をかけられそうになかった。俺の首に顔を埋めて、ぎゅーぎゅーともうこれ以上ないくらい引っ付いているのにそれでもまだ足りないみたいで、俺はアルの背中に回した腕に同じように力を籠めた。
感情を表に出すアルが愛しくて愛しくて堪らなかった。

何分そうしてたのか、ハグを堪能できたらしいアルはやっと腕を緩めて、俺の顔を見下ろした。愛しいものを見てるんだって隠しもしないアルの眼差しは、くすぐったくて、恥ずかしくて、でも嬉しくて。口元が緩んでしまう。

「おはよう、ティーロ」
「おはよ」
「体におかしいところはない? 一人でここまで来れたの?」
「うん、特にしんどいとか痛いとかはないよ」
「……そうか、よかった……」
「ね、アル。俺、記憶が曖昧で、なんで家にいるのか……どこまでがちゃんとした記憶かわからなくて、」
「全部説明するよ。お茶を入れるね。お腹は? 何か食べられそう?」

アルの問いと同時に俺のお腹の虫が「ぐうぅ」と返事をした。アルは一度瞬きすると心底嬉しそうに破顔した。恥ずかしさに耐えきれずに俯いた俺の背中をアルが押して椅子に座るように促してくれる。

「その様子ならスープ食べれられそうだね」
「夕食食べるならアルと一緒がいいから。今は水でいいや」
「ティ……なら、クラッカー出そうか。兄上がアプリコットジャムを持ってきてくれたんだ」
「本当に!?」
「ふふ、紅茶も入れよう。ティーロは先にお水飲んで」
「うん」

最近ギルベルトさんが俺の嗜好を把握してきたのか、いつもツボをつくものを届けてくれる。
アルがポットに湯を沸かし、俺がお皿にクラッカーを盛る。
変わらない日常のように思えたけれど、アルが話し始めたことに驚きが隠せなかった。

あの後光が一帯を覆って、竜は忽然と姿を消していたらしい。エミールとウルリヒさんは無事で、村の様子を見に戻っていったという。それ以降連絡は途絶えているから、森の中で何があったのかはわからないけど、って言うことだった。
めでたしめでたしの大団円で終わったわけではなかったみたいで少し残念ではあるけど、それも仕方ない。
そして、何よりびっくりしたのが――

「二週間? 俺、そんなに長い間眠ってたの?」

それで俺の体調の事をなんども聞いて来たのかと納得する。

「そう、連れ帰ってからずっと」
「……そ、そうなんだ……心配かけてごめんね」
「ううん、ティーロが目覚めてくれただけでいいんだ。本当にそれだけで……」

平静を装ってはいるけれど、アルのその言葉がすべてを物語っていた。
竜に浚われてから今までアルがどれだけ俺のことを心配してくれたのか。どれだけ心配させたのか。
それに目の前の人物が本物のアルだとわかると、あそこで起こったことが夢ではなく現実なんだと実感が湧いてくる。

丁度ティーポットに湯を注ぎ終わったアルの背中に俺は飛びついた。

「ティ!?」
「アルっ、俺、俺……っ、いっぱい不安にさせてごめんね!」

アルが振り返って俺を胸に抱き寄せる。アルは俺のこととなると本当に涙腺が弱くて、すぐにその赤い瞳が潤むのがわかる。人のこと言えないけれど。

「俺こそごめん。あの時何もできなかった。ただ俺は」
「違う! 来てくれただけで……本当に、本当に嬉しかった!」
「ティーロ……」
「アル、さっきみたいに思いっきりギュッてして」

さっきよりもっともっと近づけるように。
視線を交わし、自然とお互いの唇を触れ合わせた。潤いを持ち始めた唇を啄まれ、ぞくぞくと腰のあたりに甘い痺れが広がる。
空いた隙間からアルの熱い舌が入り込んできて、どこか性急に俺の口内をまさぐった。頭の芯がじりじりとする感覚が全然治まらなくて、意識がクラクラし始める。

「ティ、」
「ンっ、……ぁ、アル、……ぅん」

少し距離を取ったアルの唇に俺から吸い付けば、後頭部にアルの手が回り、角度を変えてもっと深く口付けされる。舌が絡まって、熱くて溶けてしまいそうで。

「……は、ぁ……ティーロ、ごめん」

下腹部に硬くなったものが当たっているから、アルの状態はよくわかる。俺も同じだけど。
こうしてアルの欲望を感じると嬉しさと恥ずかしさで体温がまた一段階上った。

「アル、俺もいっぱいアルのこと感じたい」

そう言った瞬間、知らないうちに目尻に溜まっていた涙が零れた。
意識のない間のことだったけれど、体をアル以外の人に晒したこと。アルだと思い込み、行為を何の抵抗もなく受け入れてしまったこと。罪悪感と嫌悪感がもたらすこの胸にある空虚さをアルに埋めて欲しかった。

「もう」と銀髪をぐちゃぐちゃと掻きまわすと、アルは手元にあったジャムの瓶を開け、そのまま直にスプーンで掬って俺の唇を突いた。

「エネルギー使うからね」

アルの眼差しには全く余裕がなくて、その熱のこもった赤い瞳に体が疼いた。

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