旦那様に浮気をされたので応援してみました

珈琲きの子

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本編

いわれのない疑惑

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「ヘルナーさん、ありがとうございました」
「はい、またのお越しをお待ちしております」

画材店でいつものようにインクと紙を買って店の外に出る。次は商業ギルドに、と踵を返すと、反対側の歩道にケヴィンさんが数人引き連れて警備に当たっているのが見えた。
あっちも気付いたのか手を振ってくれる。僕は軽く会釈をしてから通りを北上した。

最近ケヴィンさんを見ることが増えた。赤い髪は目立つから余計にそう思えるのかもしれないけど。
ちゃんと気に掛けてくれてるんだな、と思うと、ケヴィンさんを紹介してくれた勇者様には感謝しかない。

噴水公園横にある商業ギルドに着くと、すぐ応接室に案内された。
もう受付の人にも顔を覚えてもらって、ここにくるのも慣れたものだ。

「ようこそおいでくださいました!」

部屋に入ると担当職員のイリヤさんが待ってましたと言わんばかりに僕をソファへ座るように促した。
イリヤさんは突き抜けて明るいお姉さんといった感じだけど、面倒な手続きから何からぱぱっと済ませてしまう凄腕キャリアウーマンだ。
商業ギルドへの不信感をなくせたのは、この方のおかげだともいえる。本を渡してマージンだけ取られるのかと思っていたら、今あるレシピをばらし、いい感じにセットにして一から五巻をつくるという編集作業までしてくれたし、なんやかんやと企画してくれる。クノッヘン商会では神子様関連のレシピはまとめて調味料とセット売りしてもらっているし、商業ギルドを通して色んな商会に届けられているらしい。毎月予想以上のお金を稼いでくれるのだ。どこにそんな需要があるのか、僕自身わかってないけど……

「先にこれ……納品分をお渡ししておきますね」

収納袋から取り出した本をどさどさっと机に並べる。しめて五巻二百五十冊。
この本が商業ギルドが設置されている大陸全土に流通してると思うと感慨深い。

「拝受いたします!」
「来月にはレシピが二十品分たまりそうなので持ってきますね」
「それは楽しみです! あの、そのときは……」
「はい、試食ですよね? おいしくできてると思うので楽しみにしててください」
「ああああ、ありがとうございます! ミノル様の手料理が食べられるなんて、本当に役得でしかありません…! 前回と同じく、材料はクノッヘン商会で購入するのを忘れないでくださいね!」
「お心遣いありがとうございます」

試食分の材料は全部ギルド持ち。市場だと領収書なんて切ってくれないから、クノッヘン商会に依頼しているのだ。
試食会を開くことになったのは、初めて商業ギルドにレシピを持って訪れたときに味がわからなかったら困るし、と二品ほど作って持ってきたのがきっかけだった。
それからイリヤさんは僕の料理のファンになってくれたというわけだ。

「以前にごちそうになったときの味が忘れられなくて、ふと思い立ったときに無性に食べたくなるんですよね。本当に恐ろしい料理を作られますよ。いい意味で」
「はは、お褒めに預かり光栄です」

お腹減ってきてしまいました、とお腹を擦っていたイリヤさんは、「では」と咳払いして居住まいを正すと、革巾着に入っていた硬貨を銀盆へと載せていく。
金貨と銀貨が積まれていって……――ん?金貨?

「今月分のお支払い分、金貨三枚と大銀貨七枚です。どうぞお受け取りください」
「……ええ、と……金貨って、そんなに売り上げがあったんですか?」

金貨一枚はおおよそ十万円。契約の際に一度見たことがあるだけの存在だ。
僕が尋ねるとイリヤさんが口端を上げて「んっふっふ」と笑った。

「よくぞ聞いてくださいました。半年ほど前、ブライセル公国内の傭兵ギルド併設酒場でレシピを使いたいという話があったじゃないですか」
「そういえばそんな話が……」

ブライセル公国は醤油と味噌の出産国。輸入に関税がかかるこの国よりも断然あっちの方が安く手に入る。そこでイリヤさんがレシピの使用料を取るというライセンス方式で傭兵ギルドに売り込んでくれたと聞いていた。
特許のようなものでもないし、派生の料理も絶対に生まれてくるからその前にぶんどりましょう、と一年分の使用料を払えばすぐレシピと「遠き故郷の」という枕詞を使える権利をお譲りします、というような話だったはず。

「それが爆売れしたんですよ! あの香りと味! 当然です! 他の物食べれなくなってしまいますからね! しかもあの手ごろな価格! 私もブライセル公国に居を移したいと思うほどですから!」
「ふふ、わかります。あれなしじゃ物足りなくなりますよね。本当に魅惑の調味料だと思います」
「仰る通りです! それに、これで打ち止めではなくて、これは一店舗一レシピ分です。今も人参をぶら下げながら他支店でも並行して価格交渉をしているので、これからは座っていてもミノル様にお金が入ることになります。どっしり構えておいてください!」
「そ、それはありがとうございます」

これだけの売り上げになるとなると罪悪感はある。本当は僕が考えたレシピではなくてありきたりな家庭料理だし。けど、生きていくなら利用しない手はない。それに、分量の検証もしっかりしたし、こっちの材料で作ったという点ではオリジナルだ。

「ありがたく受け取らせていただきますね」
「はい! 来月本当に楽しみにしていますから!」

おそるおそる金貨を収納袋にしまったあと、「ではまた~!」とイリヤさんに見送られつつ僕は商業ギルドを後にした。
収納袋に所有権があるらしくて盗まれても中身を引き出せないらしいんだけど、やっぱりお金を持ってると思うとそわそわする。
おどおどしていると余計に目を付けられやすいから、すまし顔で踏ん張っているけど、内心ひやひやだ。

噴水公園を抜けて、大通りを下ろうとすると、またもやケヴィンさんと鉢合わせた。
今度は手を上げてからこっちに駆けてくる。

「よぉ」
「こんにちは。よくお会いしますね」
「そうだな、丁度ここが巡回路なんだ」
「そうなんですね。いつもありがとうございます」
「いいってことよ――で、今商業ギルドから出てきたみたいに見えたが」

見られてたのかぁ……ちょっと気まずい。
今まで友人がいなくて寂しいとは思ってたけど、顔見知りが増えるとこういうこともあるのかと複雑な気分になる。

「……そうですね、ちょっと取引をしてもらってて」
「商売してるのか?」
「ま、まぁ……」
「それなら、家まで送っていこう」
「え、いや……」
「護衛だ、護衛。商業ギルドから出てくるってことは金を持ってるってことだろ。よく今まで無事だったな」
「……それは自分でも思ってましたけど」
「だろ? 甘えておけよ」
「じゃあ……すみませんが、よろしくお願いします」
「おうよ」

ちょっと強引だとは思うけど、勇者様のことを「アレク」と呼ぶほど親しいご友人だし、頼るべきなんだと思う。勇者様もそのために紹介してくれたわけだし。ただ、そりが合わないなっていうのは感じていて、あまり気安くはできなかった。
その原因が、「アレク」が勇者様が平民だったときの名前だと聞いたから、というのもある。わかりやすい嫉妬だ。僕なんて勇者様と関わりがあることがバレないように勇者様呼びしかできないのに、ケヴィンさんが羨ましすぎたのだ。でもそれが恋の歯止めになっているから、正解ではあるんだけどさ。

家に着いて、じゃあなとさっさと去っていこうとするケヴィンさんを玄関口まで招いた。
どういう商売をしているのか説明した方がいいかな、と思ったのだ。勇者様から許可を得ているとはいえ、本人はここにはいないし、なんとなく身の潔白を証明しておきたかったというのが正しいかもしれない。

「本……? 君がこれを作って売ってるのか?」
「はい、そうです」

玄関口に積み上げていた本を見てケヴィンさんが目を丸くする。
かけていた布を少しだけめくって、手に取っても大丈夫な料理本やDIY本をわざと見せると、僕の思惑通りケヴィンさんは見てもいいかと一冊手に取り、ぱらぱらとめくりながら「おぉ」と感嘆を上げた。

「すごいな、こんなことまでできるのか。いやぁ、悪かったな、初対面のときは子どもだと疑って」
「いえ、身長が低いのは事実なので……」
「なるほどな、この才能があるからアイツも君のことを気に掛けていたってことだな」
「才能って……ちょっと珍しいぐらいですけどね」
「言っておくが、文字を読めるのと書けるのでは大違いだからな?」
「え……」
「なるほどなるほど。そういうことな」

ケヴィンさんはこくこくと愉快そうに頷きながら本を戻した。

「平民が文字を読めることはあっても書くことはできない。これほどの丁寧な言葉遣いとなれば尚更だ。……随分と珍しい拾いものをしたみたいだな、アレクは」

やばい。
識字率のことすっかり忘れてた! 苦手なのは知ってるけど、『書けない』ことに繋がってなかった!
アンジェリカ様もそんなこと一言も言ってなかったのに。いや彼女の場合、平民の暮らしを知らないだけのような……
僕は探るような視線から逃れるように顔を逸らした。
僕の正体に気づいているのか、それとも元貴族とでも思われているのか。

「ええっと、これは……その、独学で……」

僕が言い訳すると、ケヴィンさんは鼻をふんと鳴らして笑った。

「独学なら尚更。どうやって取り入ったのか疑問だったが、訳ありなのは本当のようだな」
「え……?」

取り入ったって、どういうこと?
確かに急に現れたことを怪しまれるのは当然だけど……――もしかして頻繁に会うようになったのって、僕の行動を確かめるためだったりして……
ケヴィンさんを恐る恐る見上げると、彼の口端がぐっと上がる。

「君には早々に出て行ってもらうつもりにしていたが、金をせびっている様子もない。自分で金も稼いでいるようだし、今のところは様子を見よう。だが何かおかしな行動を起こすようであれば、すぐに対応させてもらう」

僕が何かしたならわかる。平々凡々に生きているだけなのに、ここまで疑われるなんて。
急に気持ちが萎んでいくのがわかった。
召喚されて謂わば勝手にこの世界に連れてこられたのに、捨てられて疑われて……

「アレクが戻ってきたらすぐに他に移れ。王女との結婚話も出ているような立場で住む世界が違うんだ。君のような素性のわからない者に周りをうろつかれては迷惑だ。アイツはそういうことに鈍感でな、こちらも困っているんだ」

おどけるような口調だったけど、僕を排除したいのだというあからさまな敵意が混ざっていた。勇者様のご友人であり頼れる人だと思っていたから余計に心を抉ってくる。
ご友人だからこそ僕が疑わしく見えるのかもしれないけど、それでも……。
そう思うと、ぐっと込み上げてくるものがあった。それ抑えるのに必死で何も返せないでいると、ノック音が響いた。

『ミノル様、アメリです。受け取りに参りましたよ』

はい、と返事をしたかったけど、口から出たのは掠れた声で届いたのかもわからない。ケヴィンさんが疑心が籠った眼差しを向けながらも僕が通れるように横に避けた。
扉を開けると、そこには侍女のアメリさんと護衛のステファンさんがにこやかに立っていて、その見知った顔に一気に気が緩んだ。

「アメ……さ」
「み、ミノル様⁉」

ぽろっと目元から涙がこぼれ落ちる。一度箍が外れてしまったら次から次へと溢れてきて頬を伝う。アメリさんが駆け寄ってきて、背中を擦ってくれるけどどうにもならなかった。

「いけませんわ、こんなお姿を公衆に見せては」
「すみません……」

僕を抱き寄せると顔を隠すようにして玄関に入ろうとする。でもそこにはケヴィンさんが立っていて……

「ミノル様に無礼を働いたのはあなた?」

今までに聞いたことのない棘のある口調でアメリさんがケヴィンさんに尋ねた。しかも、ステファンさんが腰に下げた剣の柄に手をかける。ケヴィンさんも警戒を露わにして眉を吊りあげた。

「無礼とはどういうことでしょう? あなたはここが勇者の家とご存じですか? そこに住み着くことのほうが無礼にあたるのでは?」
「まぁ、どなたか存じませんが、ミノル様はクライフ侯爵家の庇護下にあり――」
「は? 待て、クライフ侯?」
「そうです。ミノル様に何があったのか、侯爵家で詳しく伺いたいところです。共にお越しくださいますね?」

アメリさんの口調は穏やかながら、有無を言わせない強制力を持っていて、そんな彼女に向けていたケヴィンさんの目には困惑と驚きが浮かんでいた。そして、剣の柄を強く握りしめたステファンさんを見て、ケヴィンさんは呆気なく白旗を上げたのだった。


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