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終章
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「○%$&□×△ッ!!!」
ずっと待ち望んでいたその声が耳に届いた瞬間、リディアは、振り下ろしかけていた剣を止めた。
同時に、体中から噴き出していた鋭い殺気が霧散していく。
覚悟を決めていたとは言え、死の気配から解放されたレアンは、全身に冷たい汗を滲ませながら地面に片膝をついた。
リディアはその姿を視界の端に収めながら、声のした方向を見た。
そこには、少年がいた。
彼女の愛する人がいた。
両側に立っているドワーフとダークエルフは、おそらく彼を攫った冒険者たちなのだろうが、今のリディアの目に、その姿は映ってすらいなかった。
「うぉおおおおおっ!!」
雄叫びを上げながら、アレックスが真っ先に駆けていく。
そのすぐ後にルナが、マリアベルが続いた。
一瞬で少年の下にたどり着いたアレックスは、もう二度と離さないとでも言うかのように、少年を強く抱きしめながら号泣し。
次に到着したルナは、アレックスの頭を叩いて少年を解放したあと、彼の胸元に頭を埋めた。
二人に遅れてたどり着いたマリアベルは、少年の前で膝をつくと、彼の手を取って額を押し当て、静かに涙を流した。
直後、不意に天を覆っていた結界が割れた。
それと同時に、ミゼルが少年のすぐ後ろに転移魔術で現れる。
仲間の気配が少年と合流したことを察知して、もはや結界を維持する必要はないと考えたのだろう。
ミゼルは後ろから少年を抱きしめると、何度も何度も、彼の頭にキスを落とした。
その光景を見ながら、リディアもまた、少年の下に向かってゆっくりと歩き出した。
「○#△%&!」
リディアに顔を向け、少年が声を上げる。
それが自分の名前を呼んでいるのだと、リディアには分かった。
「○#△%&!」
気がつけば、リディアは駆けだしていた。
視界は涙で滲んでいたが、不思議と少年の笑顔だけははっきりと見ることが出来た。
風のような疾さで少年の下にたどり着くと、仲間たちは名残り惜しそうにしながらも、リディアのために場所を空けてくれる。
「○#△%&……」
「……っ」
もう一度名を呼ばれ、リディアは正面から少年を抱き上げた。
ほんの数日のはずなのに、その匂いが、柔らかさが、どうしようもなく懐かしく感じられて、リディアの胸を強く締め付けた。
「×$△%○……」
声を出すことも出来ず、ただ涙を零すリディアの頬に、少年が触れる。
その小さな手のひらの感触に、ようやくリディアの心は落ち着きを取り戻すことが出来た。
「……おかえり」
「△○#&」
────おかえり、ただいま。
とても短いやりとりだが、それがどれほど幸せなことなのか、どれほどの想いが込められているのか。
それを理解できるのはリディア本人と、その仲間たちだけだろう。
「……行こう、もう、ここに用はない」
少年を抱き上げたまま、リディアがミゼルに言った。
『少年を取り戻す』という目的が全てであり、復讐にも制裁にも興味は無い。
ただ一刻も早くこの場から離れて、少年の安全を確保したかった。
「ええ」
それに応えて、ミゼルが転移魔術を展開しようとするが……
「□%#○$」
それを止めたのは、他ならぬ少年であった。
「……どうした?」
「%○×$□」
疑問に思うリディアに、少年が何かを訴える。
どうやら、地面に下ろして欲しいと言っているようだった。
「…………」
少し迷った末、リディアは少年を下ろし、その体から手を離した。
本心ではこのまま強引に連れて行ってしまいたい所だったが、それでは彼を攫った者たちと変わらない。
少年の意思を尊重し、その自由を守ることを、リディアとその仲間たちは互いに誓いあっているのだ。
地面に下ろされた少年は、はぐれ者たちに見守られながら、とことこと小さな歩幅で歩いて行った。
その先には────つい先ほどまでリディアと死闘を演じていた獣人、レアンの姿があった。
一瞬少年を引き止めそうになったリディアだったが、静かに息を吐き、見守ることを選んだ。
戦った時の感触から、レアンが少年に対して害を成すような人物だとは思えなくなっていたし、なによりリディアは、少年のことを信じていた。
◇
「…………」
少年が近づいてきたことも、自分の前に立っている事も分かっていたが、レアンは顔を上げることが出来なかった。
レアンは敗者であり、罪人だ。
自分でも理解していなかった渇望によって、無意識に少年とはぐれ者たちを引き離そうとしていた負い目があった。
あの天使のような少年が、どんな目で自分を見ているのか、それが恐ろしかった。
軽蔑されたとしても仕方が無いようなことを、レアンは少年に対してしてしまっている。
だが、
「○&#△?」
頭の上から聞こえてきた少年の声には、怒りも軽蔑も感じられなかった。
むしろレアンの事を案じているかのような、そんな優しげな響きが、少年の声には含まれていた。
はっと顔を上げたレアンの目に、少年の可愛らしい顔が映る。
少年は心配そうな目で、レアンの事を見つめていた。
「……なぜ」
いくら言葉が通じないとは言え、もう自分の状況は分かっているだろう。
少年は誘拐された被害者で、レアンは誘拐した犯人の側だ。
そんな相手に、どうして優しくすることが出来るのか。
混乱と罪悪感に眉を顰めるレアンを見て、何を思ったのか。
少年は、レアンの頭に手を伸ばしてきた。
「あ……」
レアンの頭を少年が撫でた。
小さな指が、銀色の髪の間を滑るように、何度も何度も往復する。
そのあまりの心地良さにレアンは目を細め────気がつけば、喉の奥から声を漏らしていた。
「…………キュゥウン……」
それは、犬系の獣人が求愛の際に漏らす声だった。
そして同時に、雄への服従を示す声でもあった。
撫でられる度に、レアンの内側で少年に対する想いがどんどん膨らんでいく。
それはあっという間に自分を孤独から救ってくれたアイーシャに対する忠誠を上回り、心の中が少年に対する愛情で埋め尽くされるまで、さほど時間は掛からなかった。
「…………そこまでだ」
「あっ……」
だがその至福の時間は、やや呆れを含んだリディアの声によって終わりを迎えた。
いつの間にか近づいてきたリディアが、後ろから少年を抱き上げたのだ。
「……貴女と彼の間に何があったのかは知らない。が、彼が貴女のことを恐れていないのだから、嫌がる彼を無理矢理襲った、という訳では無いのだろう。
……だが、それで納得できるほど、私たちは寛容では無い。
貴女の事をよく知らないし、あまりいい出会いでは無かったからな。
……それにそもそも、五人も妻がいる前で、その夫に堂々と求愛するのは遠慮して貰えないか」
「…………すまない」
リディアに真面目な顔で説教され、レアンは耳を伏せて先ほどまでの自分の行為を恥じた。
無意識の事だったとはいえ、確かにあまりにも軽率な行為であった。
はぁ、とリディアはため息を吐き、少年に対して「君もだぞ」と注意をしてから、再度レアンに向き直った。
「先ほども言ったが、私たちはまだ納得していない。……納得していないが、彼が貴女を許すというなら、それに意を唱えるつもりもない。
……そこのダークエルフとドワーフのこともだ」
と、匂いで少年と関係を持ったことがアレックスにバレ、殺気を浴びせられて硬直している蛇龍の二人についても言及した。
「今、貴方たちを一緒に連れて行くことはしない。この件のケジメとしてな。
だが、もし後から来るというのなら、そして彼が受け入れるというのなら、私たちもそれに従おう」
そこまで言って、リディアは視線をアイーシャに向けた。
「クロード・アイーシャ子爵。貴女も、王国の貴族も、今後私たちには、一切関わらないで貰おう。
……と言っても、おそらくは無駄なことだろうから、これだけは言っておく。
私たちは────エルフの里『アールヴァーナ』に亡命することにした」
「……なんだと?」
リディアの言葉にアイーシャは一度驚いたような表情を浮かべた後、さも愉快そうに笑い出した。
「ふ、はははっ! なるほどなるほど……よもやエルフの里に亡命とは、考えたものだ。
確かに、一人の少年を手に入れるためにエルフと戦争をするほど、この国の貴族も愚かではあるまい」
エルフの里アールヴァーナは、世界最大の樹海であるモンベールの中に存在する。
そしてエルフが世界中から疎まれている種族であるにも関わらず、ただの一度として侵略を受けたことが無いのは、それが大きな理由の一つであった。
単純に大軍を率いて攻めることが出来ない地形である、と言うのもあるが、それ以上に、モンベールには無数の魔獣や魔虫がひしめき、さらには好戦的な獣人の集落も数多く点在している魔境なのだ。
それら全てを相手取った上で、更に『森』というエルフにとって圧倒的に有利な地で戦おうなど、結果がどうなるかは火を見るよりも明らかだ。
リディアの取った『策』にひとしきり感心したアイーシャは、だが……と言葉を続けた。
「……それで、なにを条件に亡命を受け入れて貰ったのだ? 金か? いやいや、森の中で世界が完結しているような彼女らが、そんなものをほしがるとは思えない。
もっと素晴らしい、誰もがほしがるようなものに違いない。
……なあ、そうだろうリディア?」
「…………」
アイーシャの煽るような言葉に、リディアは返答しなかった。
その事で確信を深めたアイーシャが、酷薄な笑みを深める。
「やはり、そうか。……ふん、男を取り返すために、私に挑むような女だ。
もう少し骨があると思っていたのだが……失望したよ。
────まさか、愛する自分の夫をエルフに差し出すとはな」
「な……っ!!」
アイーシャの言葉に驚愕の声を上げたのはレアンだ。
信じられない、信じたくない、そんな気持ちでリディアを見上げるも、その表情から内心を読み取ることは出来なかった。
「それ以外に無いだろう。エルフが望むものなど。
女しか存在しないエルフ族にとって、男というのは喉から手が出るほど欲しいものだ。
森で採れる希少な薬草と交換に、近隣の国々に男の奴隷を要求するくらいにな。
それでもなお、エルフの数は減り続けていると聞く。男を手に入れた所で、ろくに起たないのでは当然だろう。
だがそこに、エルフの姿を見ても忌避せず、むしろ喜んで抱くような男がいるとすれば、どうなる?
たとえ世界を敵に回しても欲しいと思うだろう。なにせ種の存続が掛かっているのだからな」
対した策士だ、とアイーシャは言葉を締めくくった。
それが事実であるとするなら、少年の未来はどうなるのか。
何人ものエルフに少年が輪姦される姿を想像して青ざめるレアンの耳に、リディアの静かな声が響いた。
「……なにか勘違いしているようだが、私たちは彼を差し出したりなどしていない」
「……なに?」
怪訝な表情を浮かべるアイーシャに、リディアは言葉を続けた。
「私たちがエルフの里に亡命する条件として提示したのは、『少年やその子供たちとの自由な交友を認め、それを妨げない』ただそれだけだ」
「バカな、そんなもの条件でも何でも……」
「貴女には理解できないだけだ」
アイーシャの言葉を遮って、リディアはその視線をレアンに、シャーラとマァルに、そして黒騎士たちに向けた。
「愛されないということが、どれほどの苦痛か貴女には分からないだろう。
そして愛されたいという想いがどれほど強いのかも、貴女には分からないだろう。
私たちはただ肉体を満たして欲しいのでは無い。
それはエルフだって同じだ。
子供さえ孕ませてくれればいいなどと、誰一人として思ってはいない。
私たちは、心を満たして欲しいのだ。
私たちを必要とし、求めてほしいのだ。
その為ならば命だって掛けるし、どんな強敵にだって立ち向かう。
貴女を慕う黒騎士たちだって、そうなんじゃないのか?」
リディアの真剣な言葉に、誰も声を出すことが出来なかった。
アイーシャですら、何かを思案するように口をつぐんだまま、もう一度開くことは無かった。
誰も何も言わないことを確認すると、リディアはまた、レアンに視線を向けた。
「……さっきも言ったが、いま貴女を連れて行くつもりは無い。来たいのであれば、自力で来るといい。
そこで受け入れるかどうかは彼次第だが……まあ、追い返されるような事は無いだろう。
……お前たち二人もだ、来るなら拒みはしない。ただし、孤児院を放置してくるようなら即座に追い返すがな」
続けてシャーラとマァルにもそう言った後、リディアはミゼルに目配せをした。
そして今度こそ、はぐれ者たちと少年は、転移魔術によってキャスク平原から…………いや、ティナーク王国から、その姿を消したのだった。
ずっと待ち望んでいたその声が耳に届いた瞬間、リディアは、振り下ろしかけていた剣を止めた。
同時に、体中から噴き出していた鋭い殺気が霧散していく。
覚悟を決めていたとは言え、死の気配から解放されたレアンは、全身に冷たい汗を滲ませながら地面に片膝をついた。
リディアはその姿を視界の端に収めながら、声のした方向を見た。
そこには、少年がいた。
彼女の愛する人がいた。
両側に立っているドワーフとダークエルフは、おそらく彼を攫った冒険者たちなのだろうが、今のリディアの目に、その姿は映ってすらいなかった。
「うぉおおおおおっ!!」
雄叫びを上げながら、アレックスが真っ先に駆けていく。
そのすぐ後にルナが、マリアベルが続いた。
一瞬で少年の下にたどり着いたアレックスは、もう二度と離さないとでも言うかのように、少年を強く抱きしめながら号泣し。
次に到着したルナは、アレックスの頭を叩いて少年を解放したあと、彼の胸元に頭を埋めた。
二人に遅れてたどり着いたマリアベルは、少年の前で膝をつくと、彼の手を取って額を押し当て、静かに涙を流した。
直後、不意に天を覆っていた結界が割れた。
それと同時に、ミゼルが少年のすぐ後ろに転移魔術で現れる。
仲間の気配が少年と合流したことを察知して、もはや結界を維持する必要はないと考えたのだろう。
ミゼルは後ろから少年を抱きしめると、何度も何度も、彼の頭にキスを落とした。
その光景を見ながら、リディアもまた、少年の下に向かってゆっくりと歩き出した。
「○#△%&!」
リディアに顔を向け、少年が声を上げる。
それが自分の名前を呼んでいるのだと、リディアには分かった。
「○#△%&!」
気がつけば、リディアは駆けだしていた。
視界は涙で滲んでいたが、不思議と少年の笑顔だけははっきりと見ることが出来た。
風のような疾さで少年の下にたどり着くと、仲間たちは名残り惜しそうにしながらも、リディアのために場所を空けてくれる。
「○#△%&……」
「……っ」
もう一度名を呼ばれ、リディアは正面から少年を抱き上げた。
ほんの数日のはずなのに、その匂いが、柔らかさが、どうしようもなく懐かしく感じられて、リディアの胸を強く締め付けた。
「×$△%○……」
声を出すことも出来ず、ただ涙を零すリディアの頬に、少年が触れる。
その小さな手のひらの感触に、ようやくリディアの心は落ち着きを取り戻すことが出来た。
「……おかえり」
「△○#&」
────おかえり、ただいま。
とても短いやりとりだが、それがどれほど幸せなことなのか、どれほどの想いが込められているのか。
それを理解できるのはリディア本人と、その仲間たちだけだろう。
「……行こう、もう、ここに用はない」
少年を抱き上げたまま、リディアがミゼルに言った。
『少年を取り戻す』という目的が全てであり、復讐にも制裁にも興味は無い。
ただ一刻も早くこの場から離れて、少年の安全を確保したかった。
「ええ」
それに応えて、ミゼルが転移魔術を展開しようとするが……
「□%#○$」
それを止めたのは、他ならぬ少年であった。
「……どうした?」
「%○×$□」
疑問に思うリディアに、少年が何かを訴える。
どうやら、地面に下ろして欲しいと言っているようだった。
「…………」
少し迷った末、リディアは少年を下ろし、その体から手を離した。
本心ではこのまま強引に連れて行ってしまいたい所だったが、それでは彼を攫った者たちと変わらない。
少年の意思を尊重し、その自由を守ることを、リディアとその仲間たちは互いに誓いあっているのだ。
地面に下ろされた少年は、はぐれ者たちに見守られながら、とことこと小さな歩幅で歩いて行った。
その先には────つい先ほどまでリディアと死闘を演じていた獣人、レアンの姿があった。
一瞬少年を引き止めそうになったリディアだったが、静かに息を吐き、見守ることを選んだ。
戦った時の感触から、レアンが少年に対して害を成すような人物だとは思えなくなっていたし、なによりリディアは、少年のことを信じていた。
◇
「…………」
少年が近づいてきたことも、自分の前に立っている事も分かっていたが、レアンは顔を上げることが出来なかった。
レアンは敗者であり、罪人だ。
自分でも理解していなかった渇望によって、無意識に少年とはぐれ者たちを引き離そうとしていた負い目があった。
あの天使のような少年が、どんな目で自分を見ているのか、それが恐ろしかった。
軽蔑されたとしても仕方が無いようなことを、レアンは少年に対してしてしまっている。
だが、
「○&#△?」
頭の上から聞こえてきた少年の声には、怒りも軽蔑も感じられなかった。
むしろレアンの事を案じているかのような、そんな優しげな響きが、少年の声には含まれていた。
はっと顔を上げたレアンの目に、少年の可愛らしい顔が映る。
少年は心配そうな目で、レアンの事を見つめていた。
「……なぜ」
いくら言葉が通じないとは言え、もう自分の状況は分かっているだろう。
少年は誘拐された被害者で、レアンは誘拐した犯人の側だ。
そんな相手に、どうして優しくすることが出来るのか。
混乱と罪悪感に眉を顰めるレアンを見て、何を思ったのか。
少年は、レアンの頭に手を伸ばしてきた。
「あ……」
レアンの頭を少年が撫でた。
小さな指が、銀色の髪の間を滑るように、何度も何度も往復する。
そのあまりの心地良さにレアンは目を細め────気がつけば、喉の奥から声を漏らしていた。
「…………キュゥウン……」
それは、犬系の獣人が求愛の際に漏らす声だった。
そして同時に、雄への服従を示す声でもあった。
撫でられる度に、レアンの内側で少年に対する想いがどんどん膨らんでいく。
それはあっという間に自分を孤独から救ってくれたアイーシャに対する忠誠を上回り、心の中が少年に対する愛情で埋め尽くされるまで、さほど時間は掛からなかった。
「…………そこまでだ」
「あっ……」
だがその至福の時間は、やや呆れを含んだリディアの声によって終わりを迎えた。
いつの間にか近づいてきたリディアが、後ろから少年を抱き上げたのだ。
「……貴女と彼の間に何があったのかは知らない。が、彼が貴女のことを恐れていないのだから、嫌がる彼を無理矢理襲った、という訳では無いのだろう。
……だが、それで納得できるほど、私たちは寛容では無い。
貴女の事をよく知らないし、あまりいい出会いでは無かったからな。
……それにそもそも、五人も妻がいる前で、その夫に堂々と求愛するのは遠慮して貰えないか」
「…………すまない」
リディアに真面目な顔で説教され、レアンは耳を伏せて先ほどまでの自分の行為を恥じた。
無意識の事だったとはいえ、確かにあまりにも軽率な行為であった。
はぁ、とリディアはため息を吐き、少年に対して「君もだぞ」と注意をしてから、再度レアンに向き直った。
「先ほども言ったが、私たちはまだ納得していない。……納得していないが、彼が貴女を許すというなら、それに意を唱えるつもりもない。
……そこのダークエルフとドワーフのこともだ」
と、匂いで少年と関係を持ったことがアレックスにバレ、殺気を浴びせられて硬直している蛇龍の二人についても言及した。
「今、貴方たちを一緒に連れて行くことはしない。この件のケジメとしてな。
だが、もし後から来るというのなら、そして彼が受け入れるというのなら、私たちもそれに従おう」
そこまで言って、リディアは視線をアイーシャに向けた。
「クロード・アイーシャ子爵。貴女も、王国の貴族も、今後私たちには、一切関わらないで貰おう。
……と言っても、おそらくは無駄なことだろうから、これだけは言っておく。
私たちは────エルフの里『アールヴァーナ』に亡命することにした」
「……なんだと?」
リディアの言葉にアイーシャは一度驚いたような表情を浮かべた後、さも愉快そうに笑い出した。
「ふ、はははっ! なるほどなるほど……よもやエルフの里に亡命とは、考えたものだ。
確かに、一人の少年を手に入れるためにエルフと戦争をするほど、この国の貴族も愚かではあるまい」
エルフの里アールヴァーナは、世界最大の樹海であるモンベールの中に存在する。
そしてエルフが世界中から疎まれている種族であるにも関わらず、ただの一度として侵略を受けたことが無いのは、それが大きな理由の一つであった。
単純に大軍を率いて攻めることが出来ない地形である、と言うのもあるが、それ以上に、モンベールには無数の魔獣や魔虫がひしめき、さらには好戦的な獣人の集落も数多く点在している魔境なのだ。
それら全てを相手取った上で、更に『森』というエルフにとって圧倒的に有利な地で戦おうなど、結果がどうなるかは火を見るよりも明らかだ。
リディアの取った『策』にひとしきり感心したアイーシャは、だが……と言葉を続けた。
「……それで、なにを条件に亡命を受け入れて貰ったのだ? 金か? いやいや、森の中で世界が完結しているような彼女らが、そんなものをほしがるとは思えない。
もっと素晴らしい、誰もがほしがるようなものに違いない。
……なあ、そうだろうリディア?」
「…………」
アイーシャの煽るような言葉に、リディアは返答しなかった。
その事で確信を深めたアイーシャが、酷薄な笑みを深める。
「やはり、そうか。……ふん、男を取り返すために、私に挑むような女だ。
もう少し骨があると思っていたのだが……失望したよ。
────まさか、愛する自分の夫をエルフに差し出すとはな」
「な……っ!!」
アイーシャの言葉に驚愕の声を上げたのはレアンだ。
信じられない、信じたくない、そんな気持ちでリディアを見上げるも、その表情から内心を読み取ることは出来なかった。
「それ以外に無いだろう。エルフが望むものなど。
女しか存在しないエルフ族にとって、男というのは喉から手が出るほど欲しいものだ。
森で採れる希少な薬草と交換に、近隣の国々に男の奴隷を要求するくらいにな。
それでもなお、エルフの数は減り続けていると聞く。男を手に入れた所で、ろくに起たないのでは当然だろう。
だがそこに、エルフの姿を見ても忌避せず、むしろ喜んで抱くような男がいるとすれば、どうなる?
たとえ世界を敵に回しても欲しいと思うだろう。なにせ種の存続が掛かっているのだからな」
対した策士だ、とアイーシャは言葉を締めくくった。
それが事実であるとするなら、少年の未来はどうなるのか。
何人ものエルフに少年が輪姦される姿を想像して青ざめるレアンの耳に、リディアの静かな声が響いた。
「……なにか勘違いしているようだが、私たちは彼を差し出したりなどしていない」
「……なに?」
怪訝な表情を浮かべるアイーシャに、リディアは言葉を続けた。
「私たちがエルフの里に亡命する条件として提示したのは、『少年やその子供たちとの自由な交友を認め、それを妨げない』ただそれだけだ」
「バカな、そんなもの条件でも何でも……」
「貴女には理解できないだけだ」
アイーシャの言葉を遮って、リディアはその視線をレアンに、シャーラとマァルに、そして黒騎士たちに向けた。
「愛されないということが、どれほどの苦痛か貴女には分からないだろう。
そして愛されたいという想いがどれほど強いのかも、貴女には分からないだろう。
私たちはただ肉体を満たして欲しいのでは無い。
それはエルフだって同じだ。
子供さえ孕ませてくれればいいなどと、誰一人として思ってはいない。
私たちは、心を満たして欲しいのだ。
私たちを必要とし、求めてほしいのだ。
その為ならば命だって掛けるし、どんな強敵にだって立ち向かう。
貴女を慕う黒騎士たちだって、そうなんじゃないのか?」
リディアの真剣な言葉に、誰も声を出すことが出来なかった。
アイーシャですら、何かを思案するように口をつぐんだまま、もう一度開くことは無かった。
誰も何も言わないことを確認すると、リディアはまた、レアンに視線を向けた。
「……さっきも言ったが、いま貴女を連れて行くつもりは無い。来たいのであれば、自力で来るといい。
そこで受け入れるかどうかは彼次第だが……まあ、追い返されるような事は無いだろう。
……お前たち二人もだ、来るなら拒みはしない。ただし、孤児院を放置してくるようなら即座に追い返すがな」
続けてシャーラとマァルにもそう言った後、リディアはミゼルに目配せをした。
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