愛に変わるのに劇的なキッカケは必要ない

かんだ

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 初めての発情期は思ったよりもマシだった。
 恐怖と不安しかなかったけど、すぐにオメガ専門病院に入院し、対応してもらえたことと、志貴がいてくれたことが大きい。
 志貴は約束通り、俺を抱くことはなくアルファのフェロモンを送ることもなかった。本能に耐えて、俺の意思を優先し、大切に抱き締めてくれた。
 その結果、手には怪我を負い、強い抑制剤の副作用で調子を悪そうにしていた。
 だけどそれを俺に見せることはなく、担当医から教えてもらわなければ気付かずにいただろう。
「おかえり、セナ」
「ん」
 念のため一日多く入院し、今日、志貴の家へと帰って来た。自分の家でなく志貴の家なのは、志貴が強く望み、うるさいくらい言いくるめようとしてきたからだ。
「しばらくゆっくりしよう」
「大丈夫だよ。ヒートが終わればみんな日常生活に戻ってるだろ」
「念のためだ。初めてのヒートだったんだし。一週間はゆっくりしよう」
「過保護過ぎるだろ」
 呆れるしかない。医者からも問題ないと言われている。
「だから、念のためだって。俺が安心したいんだよ。それにバイト先にはもう伝えてあるし」
「勝手なことすんなよ馬鹿!」
 
 発情期を迎えた後も俺の毎日は変わらなかった。
 志貴は過保護だしうるさいし馬鹿だ。それに慣れてきている自分がいるけど、志貴といる時間が多いんだから慣れても仕方ない。
 
「志貴、今度ここ行きたい」
「どこだ? 遊園地?」
「うん」
 テレビで見た特集だ。季節のイベントをやっていて、すごく楽しそうだった。
「ここ、中学の時の修学旅行の行き先だった」
「そうなのか? じゃあ懐かしいかもな」
「金がなくて、俺は行けなかったんだよ」
 志貴は一瞬驚いたが、すぐに笑顔を見せる。
「ならもっと楽しめるな。お前の初めてを一緒に体験出来るのが嬉しいよ」
「馬鹿じゃねえの」
 志貴は俺の言うことなら何でも受け入れた。
 行きたいところに連れて行き、望むものを与えて、優しさを感じる言動しか見せなかった。
 周りからは志貴の優しさにつけ込んでいるように見えるだろう。
 志貴が不在のところ、高嶋圭人に提案をされた。
「お前はどうしたいんだ?」
「急に何だよ」
「急じゃない。どこまで志貴様に面倒かければ気が済むんだ?」
 高嶋は俺をソファーに座らせると、対面へ腰を下ろし幾つかの書類を出した。
「毎月生活費を振り込む。抑制剤は無料。ヒート時、必要であればオメガ専門病院への入院も可能で、安心安全なアルファを派遣する。その代わり、志貴様には二度と近つかないこと。それさえ守るなら、ここに書いてあることを保障する。ちゃんとした契約書だからお前がサインさえすれば効力は発生する」
 高嶋は真剣だった。
「お前が思う以上に志貴様はすごいんだよ。ただ金持ちの家というわけじゃない。この国の経済界を担っている。金が必要なだけなら、いつまでもそばにいる必要はないだろ?」
 確かにそうだ。ここに書かれている保障は破格だ。ただ志貴に会わないだけで死ぬまで保障してくれるのだから、オメガだとしても苦い人生を送らずに済むだろう。
「お前にとってのアルファは多くいるが、連城志貴様はお一人だけだ。志貴様にワガママばかり言って、困らせるな」
「……ワガママ?」
「ワガママだろ。思うまま感情をぶつけて、好き勝手ワガママ言って甘えまくって。志貴様はお前の親じゃないんだよ。とにかく、考えが決まったら連絡してくれ」
「志貴が、志貴がもし俺を離さなかったらどうするんだ?」
 立ち上がり帰ろうとするその背に聞いてみる。自分でも何を聞いているのかと思った。高嶋も呆れた顔をした。
「優性アルファに強く望まれるほどの存在だったのか?」
「……」
「それなら、小細工なんかしても無意味だな」
 高嶋はそれだけ残し帰って行く。
 優性アルファに強く望まれるほどの存在か?
「……そんなわけねえだろ」
 そんなわけがない。
 そう思うのに、志貴が手放したら、俺がいなくなっても探しもしなかったら、どうしようと不安になる。俺が離れたらそのまま二度と志貴に会えなくなると思うと、何故か目頭が熱くなる。
「ただいま、セナ。ホテルのカフェで新作のケーキを出したんだ。お前の好みを参考に俺が考案したんだぞ」
 本当は、分かっていた。
 今まで一人で生きてきた。秀治と秀治の家族が唯一心を砕いて寄り添ってくれたけど、なるべく迷惑を掛けず一人で頑張ってきた。
 なのに、志貴の前だと感情を制御出来ず、当たって、泣いて、甘えて、何でも見せた。いくら志貴が原因だとしても、ここまで曝け出す必要はなかった。本当なら金を搾り取るだけで充分だった。
「セナ? 今からケーキ食べるか? それとも夕飯の後?」
 志貴といる空間が心地良かった。名前を呼べば応えてくれることが嬉しかった。
「セナ? どうした? 何で泣いている?」
 返事をしない俺に、志貴が目の前に回り込む。顔を見た瞬間怖い顔をした。床に膝をついて、覗き込んでくる。
「お前、なんで、俺のワガママ全部聞くの」
「嬉しいから。俺になら言っても受け入れてもらえるって分かっているからだろ?」
 その通りだ。
「なんで、俺を撫でる時、いつも後ろからなんだよ」
「え?」
「なんで?」
「それは、前から撫でようとした時、すごく驚いていたから」
 そうだ。よく父親が殴ってきたから、大きい人間に手を挙げられると体が驚くからだ。衝撃に耐えようと身構えてしまう。
「ビックリさせないように」
 志貴はいつも、背中を優しく撫でてから、徐々に上へと移動させて、最後に後頭部を撫でる。見えないところからだけど、触れる手のひらは優しいから、体が強張ることはなかった。
「フェロモンを抑える薬を、飲み続けるのは良くないって、分かってんの?」
「知ってるよ。でも何の問題もない」
 優性アルファとして問題大アリだ。担当医にそれとなく聞いてみたら、副作用があると言っていた。最悪の場合、フェロモンが崩れると。そうなったら優性アルファではなくなってしまう。
「なんで、問題ねえの?」
「俺は俺自身でセナといたいだけだからだな。アルファとして問題が起きたとしても俺が変わらなければ良い。それに、そうなった方がセナにとっては良いだろ?」
 何でもないように笑う志貴。
「セナ、どうして泣いているんだ? 何かあったのか?」
 嫌だなぁと思った。
 馬鹿なことばかりする志貴がそばにいる、そんな毎日が当たり前になって欲しいと思っている。そして、志貴が離れたら、きっと俺は泣くんだ。
 親に捨てられた時よりも、殴られた時よりも、厄介払いされた時よりも、苦しくて堪らなくて、やっぱり愛されなかったんだなぁと、たくさん泣くんだ。
「セナ、泣くなら俺のところにおいで」
「おまえの、ところにいって、どうすんだよ」
 志貴は俺を抱き上げて膝に座らせた。優しい力で肩へと誘導される。
「俺のところにいれば、お前は何も心配しなくてよくなる」
「自信満々だな」
「あぁ。お前に関することなら自信しかないよ。だから、安心しろ」
 リズム良く撫でる手のひらに、涙が止まらなくなる。
「……ゔわぁ、ん。ぇーん、ひっ、ゔぅ」
「たくさん泣いたら、美味しいものを食べて、楽しいところに遊びに行こう」
 オメガなんかになりたくなかった。なのに、もしも、本当の本当に、志貴がずっとそばにいてくれるなら、大切にしてくれるなら、愛してくれるなら、オメガになって良かったって、思うかもしれない。
 俺は志貴にしがみ付いた。縋っているようで嫌になる、と思ったのに、俺以上に強い力で抱き締められて、考えるのをやめた。
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