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第1章 約束と再会編

第36話 よかった

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 「安心して、エレシュキガル――――もう大丈夫だよ」

 幻かと思った。
 夢を見ているようだった。
 
 「アーサー様……?」

 力は底についていた。
 だが、私は何とか声を絞り出し、彼の名を呼ぶ。
 血まみれの手を彼へと伸ばした。

 「大丈夫だよ、エレちゃん。今助けるから」

 彼もこちらに向き直り、レイピアを振った。
 すると、薔薇の蔓に火が付く。私に絡まる蔓が燃えるが、熱くはなかった。
 優しい温かな炎だった。
 
 全て燃え尽きると、私の体は解放され、前へと倒れていく。
 上手く力が入らない。このままじゃ顔から倒れちゃう――――。

 「おおっと……危ない、危ない」

 だが、地面に倒れ込む前に、アーサー様の胸に飛び込んだ。
 彼はいつの間にか私の目の前まで来ていた。

 彼の胸は温かった。
 そこに私は顔をうずめる。花の香りがした。

 「…………アーサー様、なぜここにいるのですか」

 ここにいるなんて言ってなかったはずだ。
 ブリジット様とお茶するのも今日の朝決まったことだもの。
 知るにしても、タイミングがなかったはずだ。

 顔を上げると、安心したような、でも、心配そうな不安定な表情を浮かべるアーサー様がいた。

 「それはエレちゃんのピンチだったからさ」
 「…………」
 「でも、こんなに傷だらけにさせてしまったのだけれど、遅くなってごめんね」
 「いえ……」

 助けていただけただけでも、よかった。
 彼が来ていなかったら、私は今頃この世にはいなくなっていたのかもしれないから。

 「こんなに棘が刺さって、ごめんね。痛い思いさせたね。ごめんね」
 
 アーサー様はそう何度も謝りながら、私に回復魔法をかける。
 全身にあった傷が消えていき、元どおりに戻った。

 「ありがとうございます」
 「いいえ」

 だが、精力を吸われたせいか、体に思うように力は入らない。
 立ち上がることもできなかった。

 「無理しなくてもいいよ。僕まだすることがあるから、一時そこに座って待っててくれる?」
 「はい」
 
 自分が着て居たコートを私の肩にかける。
 もう一度ニコリと笑うと、私に背を向け、レイピアを片手に彼女に向き合った。 

 「で、殿下……なぜここに!?」

 ブリジット様もアーサー様の登場を意外に思ったのか、声を上げる。

 「なぜって? それは君が僕の婚約者を傷つけたからだよ」
 「でも、ここはラストナイト家の所有地で――」
 「それが何?」
 「…………」

 レイピアを持つアーサー様の手には力が入り、全身から凄まじいオーラを感じた。
 背中だけで分かる。
 彼は怒っている。
 私を傷つけたことに、激怒していた。

 ブリジット様は息を呑み、圧倒されたのか、瞳が揺れている。

 「私はただ……ただ! 殿下のために、あの女を離そうと――」
 「それで、僕の大切な人を殺す? それは僕のためじゃない。君だけのためだ。そんなお節介、僕たちには必要なかった」
 「ス、スカーレットが話していたのです! あの女は厄災を招くと! どうか信じてください! ご理解くださいませ!」
 「エレシュキガルは厄災なんかじゃない。適当なことをほざくな」
 「いえ! 適当なことは何一つ――」
 「それ以上しゃべるな! もうでたらめを言うのはやめろ。エレシュキガルを悪くいうのもやめろ。二度とするな」

 アーサー様が強く言うと、ブリジット様は膝から崩れ落ち、ガクリと頭を下げ、俯むく。

 「なぜですか……なぜ私のことを信じてくださらないのですか……」

 その後はもう何もしゃべらなくなっていた。
 一方、アーサー様はブリジット様に話しかけることはなく、ポケットから何か取り出した。

 あれは手鏡?

 アーサー様が取り出したのは手のひらに収まる小さな手鏡だった。
 彼はその手鏡に向かって「リリィ」と話し始めた。

 「リリィ、僕の所に来れるかい?」
 『いいえ、無理ですね。殿下のところへ行きたいのはやまやまですが、殿下のおられる場所はいささか遠い場所でして、少々時間がかかるかと』
 「遠い? 学園にいるから、寮からはそんなに遠くはないと思うけれど」
 『いえ、殿下のおられる場所は学園ではないようですよ。殿下の指示通り、ブリジット様が管理されていたというサロンの庭に来ましたが、殿下のお姿が見つかりません。もぬけの殻です。殿下、一体どこに転移したのですか?』

 その瞬間、空気が揺らぐ。
 圧が波のように全身に襲ってきた。

 「もういいわ。2人とも、こロシてヤル――」

 先ほどまで俯いていたブリジット様。
 顔を上げた彼女の白目は黒く、黒かった瞳は赤く奇妙な輝きを放っていた。

 彼女の顔には目を覆うような奇妙な紋章が浮かび上がっていた。
 嫌な予感がした。

 「アーサー様!」

 結界魔法を展開。
 自分とアーサー様の体を守るようにバリアを張った。

 「アーサー様、ブリジット様を……殺しはしませんよね」
 「うん。殺したい気持ちはなくはないけれど、でも、あの紋章が出たってことは――」
 「はい。確実に魔王軍に操られています」

 前線で戦っていた頃、仲間が操られて帰ってきた時があった。
 その時は、解除方法が分からず、味方がやられていく一方なので、殺すしかなかった。

 仲間を殺すのは辛かった。辛くて、一時殺してしまったことを悔やんだ。
 だけど、今は知ってる。あの解除を方法を、私は知っている。

 「アーサー様、ここは私に任せてください」
 「ダメだ。これ以上は無理させたくない」
 「大丈夫です。私なら、彼女を救えます」

 彼女は私に死んでほしいと願った。
 だけど、それは私がブリジット様を見捨てる理由にはならない。

 「分かった。なら、僕は援護する。無理だったら、すぐに下がって」
 「はい」

 私は震える足を奮い立たせ、立ち上がる。

 「ムンディスモルティスッ!!」

 その間にも、ブリジット様は杖がないのにも関わらず、的確に死の呪文を投げてくるが、結界魔法でバリアを構築。
 だが、2発ほど受けた時点でバリアは割れた。

 あの魔法を解除するためには、ブリジット様に近づかないといけない。
 
 「私は結界魔法を展開します! アーサー様はブリジット様の動きを封じてください!」
 「了解!」

 氷魔法でブリジット様の足を固める。
 だが、ブリジット様は操られているせいか、思った以上に力があり、その氷もやすやすと壊していく。

 このようだと、他の魔法で止めようとしてもダメね。

 「アーサー様! 氷魔法で即死魔法を受けてください! 私がブリジット様を押えます!」
 「ああ!」

 アーサー様が死の呪文を受けている間に、私はブリジット様を囲うように、立方体のバリアを張る。
 ひたすらに私たちを追いかけていたブリジット様は、障害があると分かると、バリアをバンバン叩き始めた。

 「あハははァっ! マジョは死ヌの! 死ななイといけナイのよ!」
 「私は死にません! あなたも殺さない!」

 魔王軍に操られているとなると、用なしとなった時に彼女は殺される、もしくは自害させられるようになっているの可能性がある。
 だから、この魔法をかけるの。

 私はブリジット様の方へと手を伸ばす。
 普段はかわいらしいブリジット様。

 今の彼女はかわいらしさは微塵もなく、私たちの死を望む獣ようだった。
 こんなのは本来の彼女ではない。

 ああ、精霊の皆様。
 どうか私にお力をお貸しください。
 ブリジット様をお戻しくださいませ―――。
 
 どこかで見ている彼らに、そう願いながら。
 
 「オムニアド・ニヒリアム!」

 私は力強く唱えた。
 その瞬間、光の波が手から広がっていき、ブリジット様の体を包み込む。

 彼女の体は突然力を失い、崩れ落ちた。
 すばやく動き彼女をさっと支え、ブリジット様をそっと地面に寝かせる。

 私も傍に座り込んで、ブリジット様に異常がないか確認した。
 大けがはしていないし、息もある。
 自害するような魔法もない。

 だけど、ブリジット様は目を閉じていた。目を閉じたまま。
 このまま目覚めない……なんてことはないわよね?

 だが、一時して「レイルロードさん」と私の名を呼んだ。
 
 「ねぇ、なぜなの? ……なぜ、私を……私、あなたを殺そうとしていましたのよ……」
 「…………」
 「あなたを散々いじめましたのよ……」

 ブリジット様の声は震えていた。
 まるで私が助けたことに信じられないようだった。

 「あなたとちゃんと友達になりたかったんです」

 きっと私はバカなのだろう。
 自分を殺そうとしてきた相手と友達になりたいなんて言っているんだから。

 でも、なりたい。彼女とお友達になってみたい。
 ブリジット様と色んな話してみたい、って思ってしまったんだもの。

 「あなた、本当にバカですわね」

 ブリジット様も同じ考えだったのか、呆れて笑っていた。
 
 「あなたのことは大っ嫌い……大っ嫌いですわ……」

 その笑顔は徐々に悔しそうな表情に変わり、泣いていた。
 大粒の涙を流していた。

 「こんなことされたって、私の初恋の人を奪ったことには変わりないのですわ……」

 そうなのかもしれない。
 ブリジット様は私がアーサー様に会うよりも先に、会って、彼のことを思っていたのかもしれない。

 でも、今はそれはどうでもよかった。
 誰も死ななくてよかった、その感情だけが今はあった。

 私も死んでないし、ブリジット様も死んでない。アーサー様も無事。
 ああ………よかったわ…………。

 安心感に襲われた瞬間、力が突然抜ける。
 保てていた姿勢も崩れ、視界もハチャメチャになって……。

 「エレちゃん!」

 遠くで私を呼ぶ声が聞こえたけれど、私が返事することはなく――そのまま横に倒れ込んで、そっと目を閉じた。
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