【R18】没落令嬢の秘密の花園――秘書官エルスペス・アシュバートンの特別業務

無憂

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第一章

多岐にわたる業務

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 殿下は秘書官になったわたしを執務室に呼び出して、こんなことを言い出した。

「事務職員と違い、秘書官の業務は多岐にわたる。俸給が上がる以上、今まで以上にいろいろやってもらうことになるが……」
 
 殿下は暑い季節だからと上着は脱いで、白いシャツのボタンを二つほど外し、かなり砕けた服装で、執務机に頬杖をついてわたしをじっと見る。金色の瞳が悪戯っぽく光った。……わたしはその意味をよく考えもせず、胸を張って答えた。

「もちろん、覚悟しております。できる限りのことは務めさせていただきますので、なんなりとお申しつけください」
「まあ、そうりきむな。別に難しいことを言うつもりはない。……ただ、俺の周囲に現在仕えている中で、女はお前一人だ。女にしかこなせない、特殊な業務を言いつけることになると思うが……」

 女特有の業務、と言われてわたしは首を傾げた。
 なんだろう。そんな仕事があるんだろうか?

「それは……例えば、お客様にお茶を出したりとか、そういう類のものですか?」
「お茶ぐらい、ロベルトでも出せる。クッソ不味いけどな」 
「じゃあいったい……」

 殿下はニヤリと形のよい唇を端を上げて、言った。

「例えば、だ。俺が身分を隠して何かのパーティーに潜入する時、パートナーとして伴うのは女しか無理だ。……俺の部下どもに女装させたら一発でバレるからな」
「潜入? 身分を隠してですか? 殿下ご自身が?」

 そんな間諜スパイのようなことを、殿下自らする必要はないのでは……。
 わたしの怪訝な表情から言いたいことを読み取ったらしい殿下が言う。

「もちろん、そういう専門の者も雇ってはいる。だが、上流の集まりとなるとそいつらには潜入させられない場合がある。身分を隠したところで、立ち居振る舞いで庶民とバレるから」 
「はあ」
「俺の配下の者も、貴族出は少ない。侍従のジェラルドとジョナサンくらいだ。あとは皆、平民出でな。パーティーでうまく情報を探り出すなんてことが、できないんだよ」
「だからって殿下ご自身で乗り込まれなくても。……危険はないのですか?」
「そのくらいのスリルがないと人生つまらんだろう」

 殿下は机の上のケースから紙巻煙草シガレットを取り出し、口に咥え、マッチを擦って火を点ける。……こういう時、さっと火を点けて差し上げるべきなのかもしれないが、わたしは煙草が嫌いなので、絶対にしない。父もマクガーニ中将も、煙草はパイプで嗜んでいた。紙巻煙草というのは、戦中に普及したようで、わたしはあまり見慣れない。貴族、それも王族が紙巻煙草なんて、珍しいんじゃないのかしら。

「……スリルですか? で、パートナーは女じゃないとダメだから、わたしを?」
「そう」

 殿下は美味そうに煙草をくゆらせて、ふわふわと煙を吐き出す。煙いし、臭いので、つい、眉を顰めてしまった。

「煙草は嫌いか?」
「ええ」

 そりゃー、悪かったな、と殿下は仰るが、吸うのをやめるつもりはないらしい。普通の紳士は吸う前に了解を取るものだ。……まあ、爵位ももたない部下の小娘に、王子殿下が遠慮する必要なんてないけれど。

「わたしは間諜スパイの真似事なんてできません」
「お前は別に俺のパートナーとしていればそれでいい」
「でも、それはそういう専門の女性を雇った方が効率がよくありませんか? せっかく潜入するのですから、女性もそれなりに仕事ができた方が」

 わたしがそう言うと、殿下は煙草を指で挟んで金色の目を丸くした。

「ホウ! 女のクセに『効率』なんて言うやつは初めてみたぞ」
「普通ですよ。女の方が計算高いですから。無駄な仕事はしなくて済むように、常に効率を考えて動いていますし。……とにかく、ただのパートナーとしてわたしを連れていくくらいなら、専門の訓練を受けた女性を伴う方が効率的だと思います」 
「そんな理由で人を新たに雇う方が非効率だ」
「そうでしょうか……」

 わたしはジトっとした目で殿下を見る。
 
「わたしは社交にも慣れていませんし、わたしだって庶民ですから、見る人が見ればバレますよ」
「お前の立ち居振る舞いは貴族的だ。問題ない。それに、社交界にも出ていないから、顔も知られていないし、ちょうどいい」
 
 殿下のお言葉に、わたしはさっき気になったことを確認する。

「そう言えば……身分を隠してっておっしゃったけど、無理じゃないですか? 殿下のお顔、新聞にも写真が載っていますし……」   
「あれはかなり若い時のだろう? 第一ボケてるし。髪型を変えたりすれば大丈夫だ。あと、仮面舞踏会なんてものも、最近、流行っていてね。俺も馬鹿じゃないから、そういう催しを中心にするつもりだ。……ま、仕事と言えば聞こえはいいが、要するに趣味だな」
「趣味……」

 たぶん、わたしは露骨に嫌そうな顔をしたと思う。本物の貴族のご令嬢なら、表情を見せないようにするだろうが、わたしは貴族の矜持などとっくの昔に捨てているし、その分、殿下に対してさほど遠慮しようという気がなかった。――かつて、領地や爵位を拝領していた頃ならば、王家は崇め奉るべき主筋だ。でも、王家と国のために死んだ父に対し、結局、王家が何かしてくれたわけでもない(恩給は軍部……つまり国から出ている)と思っていることあって、わたしは王子殿下に対してもどこか辛辣だった。

「殿下の趣味に付き合わされるのですか?」
「不満か?」
「だって仕事ならともかく、趣味でしょう? 遊びに行くなら、わたしじゃなくて、ホラ、例の、婚約者のご令嬢を誘えばいいじゃありませんか」
「俺に婚約者なんていない」
 
 殿下がぷはーと美味そうに煙を吐き出すが、ニコチンの匂いと煙臭さに眉間に皺が寄ってしまう。

「え、でも戦前からのお話があって、戻ってこられたから、早々に婚約してご結婚されるだろうと、もっぱらの噂ですけど」

 わたしがそう言えば、今度は殿下が露骨に嫌そうに眉を顰めた。

「ああ、レコンフィールド公爵家のステファニーだろう。でも、あの話は戦争に行く前にきっぱり断った。ステファニーには俺の帰りを待たずに結婚しろと言っておいたんだがな。とっくに結婚していると思っていたら、なぜか知らんが、まだ結婚してないらしいし。行き遅れたから責任取れと言われたけど、俺の知ったこっちゃないさ」

 ……噂ではお二人は純愛を貫いたはずなのだが、ずいぶん内情は違う?

「……で、でも、殿下とご令嬢は国王ご夫妻も認めた相思相愛の婚約者だと、王都の市民はみんな思っていますよ? そんなところに、違う女を連れ歩いたりしたら……」
「相思相愛って、俺とステファニーがか? どこでそんな話に。戦争前に特に何かあったわけでもないし……。あり得ないだろ」
「あり得ないと仰られても……」

 わたしの返答に、殿下は眉間に深い縦皺を刻んで、シガレットケースの隣の銀の灰皿で、煙草の火を揉み消す。

「勘弁してくれよ。誰がなんと言おうと、俺はステファニーと結婚なんてしないぞ?」
「でも、みんな、殿下とステファニー嬢は婚約者も同然だと思っていますよ? 殿下がご帰国になられたからには、間もなく正式に婚約なさるんだろうと。……そういうご令嬢がいらっしゃるのに、秘書官のわたしと趣味で出かけるのはちょっと……」
「俺とステファニーは何でもない!」

 殿下がバンと机を叩いて言う。
 
「……お前、秘書官だろう? さっきできる限りのことはするって言ったじゃないか。間諜スパイごっこくらい、手伝えなくてどうする」
「それは言いましたけど……」

 そんな個人的な趣味に付き合わされる義務はないと思うのだが、殿下は金色の瞳でギロリとわたしを睨みつけて言う。

「言っておくが、お前は、今まではの臨時雇いの事務職員だったが、今は俺の、秘書官だから」

 その返答に、わたしが目を見開く。つまり――。殿下はいかにも意地悪そうに唇を歪めて、わたしに言った。

「つまり、俺の言うことを聞かなかったら即刻クビってこと。――ばあさんの身体の具合はあまり芳しくないらしいな?」
「なっ……! なぜそれを……」
「秘書官に登用する以上は、十分に身辺調査もするさ。……ニコラス・ハートネル中尉の件はプライベートに過ぎて調査に信頼があまりなかったが、家族の件はバッチリだ。……お前も苦労しているな」

 確かに祖母には手を焼いているけれど、殿下に同情される筋合いではない、と思う。わたしが唇を噛んで上目遣いに睨んでいると、殿下が困ったように肩を竦めた。

「別に脅すつもりもないし、無茶な要求もする気はない。ただ、俺のちょっとした、間諜スパイごっこに付き合ってくれるくらい、いいだろう? パーティーで美味いものも食えるし……ああ、そうそう、ちょうどいい、今からドレスの二、三着も仕立てに行こう!」
「はああ?!」

 わたしが戸惑ううちに、殿下は卓上の電話の受話器を取り上げると、ダイヤルを回す。

「……ああ、ロベルトか! 俺だ。……そうそう、了承させたぞ。それでだ、例のパーティーはいつだったか?……ええ? 来週? そら大変だ、じゃあ今すぐにもドレスを仕立てさせないと……お前の姉貴はすぐに捕まるか? んん? ああもちろんだ、靴からバッグから、一式揃えてもらわないと……ああ、今すぐ行くから馬車を回してくれ」

 チンと受話器を置くと、殿下は立ち上がって言う。

「すぐに出かけるぞ、着換えてくるから、ちょっと待ってろ。……ああ、今日はこのまま家まで送ってやるから、帰り支度してこい」
「待ってください、わたしをどこに連れていくつもりですか!」
 
 さっさと奥の部屋に入ってしまいそうな殿下を、わたしが慌てて呼び止めると、殿下は早くもシャツのボタンをはずしながら振り返る。シャツの隙間から覗く肌が色っぽくて、わたしはクラクラした。

「来週には仮面着用のパーティーがあるんだ。だから今すぐ行って大至急で仕立てさせないと」
「来週? 間に合うわけないでしょ!」 
「間に合わせるさ! その程度の我儘が言えなかったら、バカバカしくて王子なんてやってられるか!」

 とにかくお前は帰り仕度をしてそこで待っていろ、と強引に命じられ、わたしは諦めて自分の机に戻る。
 くたびれた布の鞄にあれこれと詰めて、クルツ主任に事情を説明すると、主任は苦虫を噛み潰したような表情で頷く。
 
「……まあ、仕方がない。君は形式的には私の配下を離れ、殿下の直属になるから。君は……まあその、他には漏らさないように」
「わかっています! 主任も、他の方には内緒にしてくださいよ。……ただでさえアルバート殿下の下についていることで、同輩の事務職員たちからあれこれ言われるのに……」

 ブツブツ呟いていると、バタン、とノックも無しにドアが開いて、普通のラウンジ・スーツにタイを締めた殿下が入口から顔をのぞかせた。

「用意できたか、ぼやぼやしないで行くぞ?」
「は、はい!」
「殿下、その……くれぐれも……」

 クルツ主任が殿下とわたしを呼び止め、何か言いづらそうに言葉を濁す。

「その……アシュバートン嬢のことを、マクガーニ閣下はご自分の娘のように思っておられました。ですから――」
「わかっている」

 何がわかっているのか、殿下は右手を挙げて主任の言葉を封じると、わたしの腰に手を回すようにして引き寄せ、それからバタン!と扉を閉める。殿下の煙草の匂いのする胸が目の前にあって、わたしは息を飲んだ。こんな至近距離に寄ったのは初めてで、殿下はわたしよりも頭一つ分は背が高い。

 引きずられるように司令部の玄関まで降りると、車寄せにはもう、馬車が待っていた。

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