【R18】没落令嬢の秘密の花園――秘書官エルスペス・アシュバートンの特別業務

無憂

文字の大きさ
29 / 190
第一章

安全な女

しおりを挟む
 翌朝、目が醒めた時には殿下はもう、いなかった。
 ベッドサイドに「今日は仕事は休め」という走り書きが残され、わたしは眉間に皺を寄せる。

 普段使わない筋肉を強制的に動かされたおかげで、体中ミシミシするし、特に脚の付け根はヒリヒリして身体もだるい。仕事なんてできる状態でないのは確かだけれど、特別業務のおかげで本来の秘書官の通常業務ができないないなんて、要するにただの愛人ではないか。

 わたしは唇を噛んで、殿下のメモを握り潰す。屑籠に捨てる寸前で思いなおし、綺麗に伸ばしてサイドテーブルに置いておく。……王子殿下の書いたものを捨てるのは不敬にあたるかもしれないと気づいたから。

 わたしは豪華なベッドの上で、溜息をつく。

 本当に純潔を失ってしまった。……ジョンソンの心配の通りに。

 自身、危惧していたことではあるが、どこかでそんなことにはならないと、殿下を信じたい気持ちがあった。
 殿下はきっと、戦地から戻って、物珍しい子猫を揶揄からかって遊んでいるだけだって。
 自ら国のために戦場に立ってきた人だから、王族の責任だってわかっているはずだ。王太子殿下に男児が生まれていなくて、王統の存続のために自分の結婚が急がれていることも。

 わたしが茫然としていると、ノックの音がして、外から声がかかる。

「ミス・アシュバートン、お目覚めですか? ノーラです、おはようございます。朝のお茶をお持ちしてもよろしいですか?」

 わたしはハッとして、自分の身体を見下ろす。
 殿下に無理矢理、寝間着とガウンを剥ぎ取られたまま、わたしは裸のままだ。ノーラは昨夜、わたしに何が起きたが当然、知っているだろうけど、だからこそ、今は顔を見たくもなかった。

 ノーラは命令に従っただけで、悪くはない。わかっている。でも要するに殿下の味方であって、わたしの味方ではない。

 次の瞬間、わたしはほとんど無意識に叫んでいた。

「いらない! 入ってこないで!」
 
 わたしは羽毛の上掛けデュベを手繰り寄せ、すっぽりと頭からかぶって身を隠す。

「……ミス・アシュバートン? お加減が悪いのですか?」

 いいわけないじゃないの、と反論したかったけれど、彼女が悪いわけじゃないのはわかっているし、彼女を責めるのはお角違いなのもわかってる。でもこの現状を唯々諾々と受け入れるわけにいかない、受け入れたくはないという、意思表示はしたかった。

「誰も来ないで!」

 わたしが上掛けを頭からかぶったまま言えば、カチャッと音がして扉が開き、ノーラが中をのぞいたらしい。

「レディ……体調が悪いのですか。せめてお茶だけでも……」
「いらない! あちらに行って!」

 ノーラは戸惑っているようだが、しばらくしてから扉を開け、何かワゴンを室内に入れるような音がした。

「御朝食、こちらに置いておきますね。お茶だけでも召し上がってください。……もし、ご用がありましたら、いつでも呼び鈴を鳴らしてください」

 ノーラが出て行ったらしい音を確認して、わたしがそっと上掛けから顔を出すと、ベッドの側にワゴンが置いてあって、白いクロスをかけた、お茶のセットと朝食らしきが乗っていた。

 ……わたし上掛けをはねのけ、ベッドの上で天蓋の天井を眺める。

 窓からは朝の光が差し込んで、窓側のカーテンは開かれていたから、天蓋の天井部分に描かれた豪華な絵画もよく見えた。

 薔薇の花が咲き誇る場所で、戯れる妖精ニンフと羊飼いの少年。
 何かの神話をモチーフにした絵なんだろう。……羊飼いの少年は黒髪で、何となく殿下に似ている気がした。

 これから、わたしはどうなるんだろう……。

 祖母の入院は少なくとも二か月はかかる、とロベルトさんは言っていた。心臓の権威であるコーネル医師の下で治療を受けられるなら、きっと祖母にはいいのだろう。ずっと、辛い思いばかりしてきた祖母が、貴族の誇りを満たされて暮らせるなら、入院生活も悪くはない。――目の玉が飛び出るような費用が掛かるに違いないけれど。
 
 殿下の援助がなければ祖母の治療はあり得なくて、その援助を引き出すためには、殿下の言いなりになるしかない。要するに金のために身体を差し出すのと同じことだけれど、「秘書官の業務」だと言ってもらえるだけ、まだマシなのか。

 選択肢なんて、わたしには最初からなかった。
 
 こうして落ちついて思い返せば、最初からいろいろと不自然だった。
 強引に秘書官に登用されて、パーティーやオペラや食事に付き合わされて。もしバレたら醜聞スキャンダルになりかねないのに、殿下の周囲の人々――ロベルトさんもミス・リーンも、このアパートメントの使用人たち――も誰もが妙に好意的だった。すべてお膳立てされているような、妙な雰囲気だった。

 だってアルバート殿下には戦前からレコンフィールド公爵令嬢という、れっきとした恋人がいると、王都の人間は信じていたのに、愛人モドキの秘書官を連れまわしても、殿下の周囲の誰も眉を顰めないなんて、よく考えたらおかしな話だ。

 レコンフィールド公爵は王妃陛下の実家だ。王太子妃殿下のご実家はエルドリッジ公爵家。……よくは知らないけれど、この二つの公爵家は代々、あまり仲がよくないらしい。もしかしたら派閥のバランスの問題で、アルバート殿下の妃はレコンフィールド公爵家から、出さねばならないのかもしれない。

 だとすれば、殿下がどれほど足掻いたところで、遠からずレコンフィールド公爵令嬢との婚約は決まるだろう。貴族社会ではそれが規定路線であれば、殿下が他のご令嬢と付き合うようなことも不可能だ。

 だからせめて結婚前くらいは、殿下の自由にさせてガス抜きさせようという、周囲の思惑だったのだ。戦地で女の子と遊ぶ暇も機会もなかったアルバート殿下の、束の間の青春の疑似体験。政略的な結婚の前の、ちょっとした火遊び。

 その相手に、わたし、エルスペス・アシュバートンという女はうってつけだった。

 後腐れがなくて、爵位も財産も、煩い保護者もおらず、病弱な祖母という、弱みまである。その気になれば力で捻り潰せる無力な女。――一時の遊び相手には、これ以上ないほどピッタリだ。

 しかも処女で、病気の心配もない。
 これについては実は、クルツ主任や他の護衛の人にさりげなく探りを入れて、現地の娼婦に蔓延している、性感染症のことだとわかった。病気の名前は聞いたことがあったけれど、そんな理由で感染する病気だったなんて、初めて知った。わたしが好きだった詩人や音楽家が何人も、その病気で死んでいる。病気が流行っているのを知っているのに、如何わしい場所に出入りするなんて、男ってホント馬鹿だけど、昨夜の殿下の様子を見ていて、何となく納得した。――彼らはきっと、性欲には抗えない生き物なのだ。

 どうやら、戦地での病気の蔓延はシャレにならない事態だったらしい。殿下は責任ある立場だったから、さすがにそんな場所には行けなくて、ずっと我慢を強いられてきたんだろう。意に染まない結婚相手への不満を逸らし、性欲を解消させるための女が、それも病気の心配のない安全な女が必要だったのだ。

 そこまで考えて、わたしは暗澹たる気分になる。

 いったいいつから、わたしは殿下の性欲処理要員として周囲に意識されていたのだろうか。
 ロベルトさんは、かなり早い時期からわたしをその手の女として見ていたのだろう。ミス・リーンも、そしてこのアパートメントのジュリアンやノーラも。わたしが為すすべなく、蜘蛛の巣に絡み取られていく様子を、半ば同情しながら、半ば愚かだと嘲笑しながら、見ていたに違いない。

 これからのことを考えると、食欲もわかないし、何をする気も起きなかった。
 わたしはベッドのわきのワゴンを一瞥すると、寝返りを打ってそれに背を向けた。

しおりを挟む
感想 289

あなたにおすすめの小説

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜

紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。 連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。

【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる

奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。 だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。 「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」  どう尋ねる兄の真意は……

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話

よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。 「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて

アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。 二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる

しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。 いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに…… しかしそこに現れたのは幼馴染で……?

処理中です...