【R18】没落令嬢の秘密の花園――秘書官エルスペス・アシュバートンの特別業務

無憂

文字の大きさ
30 / 190
第一章

ドライブ

 わたしはその日、午前中は不貞寝して過ごした。
 身体だけは気持ち悪かったので入浴はしたが、戻って来るとベッドは綺麗に整えられていたので、もう一度ベッドに潜り込んだのだ。洗いたてのシーツが気持ちよくて、これでは怠惰な愛人そのものじゃないの、などと思いながらも、昨夜の疲労でウトウトしていた。

 ……と、昼過ぎくらいになぜか、殿下がアパートメントに戻ってきた。

 殿下の部屋と繋がるコネクティング・ドアを開ける音がして、わたしはハッと目を覚ます。初めは誰が入ってきたのかわからず、警戒していると、殿下がベッドの紗幕を開けて覗き込んだ。

「……まだ拗ねているのか。それとも体調が悪いのか?」

 ムッとして頭から上掛けデュベを被って無視してやると、殿下が背後で溜息をついたらしい。

「エルシー……機嫌を直してくれよ」

 悪いことをしたという意識は多少あるらしい。でも、反省したからといって、わたしの純潔は戻らない。
 殿下はベッドに膝を乗せて、丸まっているわたしの上にかがみこむ。

「朝食も食べていないじゃないか。――なあ、俺も昼食にするから、一緒に食べよう。……もう、起きられるだろう?」

 そう言って、むりやり上掛けを捲ってしまう。顔を背けて無視し続けるわたしの、目尻に口づけてわたしの髪を撫でる。

「エルシー……お前は俺の秘書官だろう?」
「今日は休暇です」
「なんだ、やっぱり起きているんじゃないか。……意地っ張りの子猫め」

 殿下はわたしを無理矢理仰向けにすると、顔の真上に覆いかぶさって言った。

「……それともなんだ? もしかして、そうやって俺を誘っているのか?」

 金色の瞳が悪戯っぽく光って、わたしは悪い予感に背筋がゾクリとした。

「いつまでも寝ていると、襲ってしまうぞ?」
「なっ……や、やめて! やめてください!」
「じゃあ、早く起きろ。……ノーラとジュリアンも心配している」

 殿下はわたしの唇に啄むようなキスをすると、わたしの腕を取ってベッドの上に起き上らせる。

「……まだ、体調は良くないのか?」

 全身、筋肉痛みたいなものだから、わたしは目を伏せた。

「お仕事はよろしいのですか?」
「今日はもう、午前中であらかた終わらせた。……午後は飯を食ったら、郊外にドライブに行こう」
「ドライブ?」
「車に乗ったことがないと言っていたじゃないか。乗せてやる」

 わたしは目を瞠った。

「いえ、わたしは……」
「その後、夕食はいつものレストランで摂ろう。たまには健全なデートも悪くない」
「……デートって……それも業務ですか?」

わたしがつっけんどんに聞き返せば、殿下は少しだけ眉を寄せた。

「そういうことにしたいなら、そうしてもいい。……ただ、付き合ってくれるなら」
「……なにも、わたしのようなものを誘わなくても……」
「お前がいいんだ」

 殿下はそう言うと、わたしにもう一度キスをした。







 食事を終えて、わたしと殿下は馬車で郊外の殿下の邸に向かう。

「オーランド邸って言う、しょぼい邸だ。……父上からもらって、普段はそこに住んでいる。王宮は嫌いなんだ」

 殿下はグレイの三つ揃いディトーズにステッキを手にして、長い脚を組んで馬車に座り、わたしはスモーキーピンクのデイ・ドレス。……いつの間にか、殿下がミス・リーンに注文していたものだ。
   わたしは殿下に並んで座って、なるべく殿下から離れるようにして、窓の外を眺める。王都の西側は、なだらかな丘陵地に田園が広がる。

「ほら、見えてきた。あの白い建物だ」

   殿下がわたしの背後から指差す。……全然、しょぼくない。わたしの王都の家が百個くらい入りそう。

「どうして王宮が嫌いなんです?」
「いい思い出がない」

   殿下の言葉に、わたしが首を傾げる。

「知ってるかもしれんが、国王夫妻の仲は冷え切ってる。俺は、その間でいつも振り回された」

 わたしが思わず振り返り、ぽかんとした表情で殿下を見つめれば、殿下は肩を竦める。

「知らなかったのか」
「全然。三人もの息子に恵まれて、円満夫婦なのだとばかり……というか、国王ご一家にあまり興味がなくて」

   生活に追われてそれどころじゃなかったのもあるが、祖母が国王ご一家の話題になるとあからさまに表情を変えるせいもあって、我が家ではその手の話はほとんど出なかった。よく考えたら、それは領地を追い出される前の、リンドホルムにいた頃からだったかもしれない。

「……自動車は、殿下が運転なさるの?」
「他に誰がする」
「いえ……ちょっと怖いと思って」

 自動車は時々見かけるけれど、馬もいないのにどうして走るのかとても不思議だった。運転しているのが見られるのはちょっと面白そうだと思う反面、怖い気がする。

「俺は運転が得意なんだ。戦地では戦車や飛行機も操縦したことある。安心して乗っていろ」

 殿下は本当は飛行機乗りになりたかったそうだが、さすがに危険すぎるので止められたらしい。

 馬車はオーランド邸の門をくぐり、車寄せの前で停まる。すでに連絡してあったのか、かっちりと正装した白髪の老人が出迎えて、馬車のドアを開けてくれた。

「お帰りなさいませ、殿下」
「うん。――こちらが話していたミス・アシュバートンだ。自動車の準備はできているか」
「はい。ですが、せめてお茶くらいは召し上がってからになさってください」

 老人はわたしに向かっても丁寧に頭を下げた。

「このやしきの執事のヴァルタ―と申します。以後お見知りおきを」
「エルスペス・アシュバートンです。お世話になります」

 ヴァルタ―さんはわたしをじっと見て、表情を緩める。……愛人としては合格、ってところなのかしら。
 導かれたのは一階のサロン、直接テラスを通って庭に出られる部屋で、日光がさんさんと降りそそぎ、手入れされた庭がよく見えた。

 香りのよい紅茶とスコーン、サンドイッチをご馳走になっていると、レイノルズさんが殿下に言う。

「さきほどお電話があって――その――」

 ヴァルタ―さんがわたしの方をちらりと見て、殿下に言った。

「例の、ご令嬢からでございましたが」
「――その件なら、もう断った。以後、取り次ぐ必要はない。父上にも言ってある」
「さようでございますか」

 何となくではあるが、婚約間近と噂になっている件かもしれない、と思う。……わたしが殿下と結婚する可能性はないから、気にしなくてもいいのに、とは思う。ただ、こんな関係も婚約が調うまでにしてもらいたいけれど。

 お茶を終えたところで、殿下に誘われ、ドライブに出かける。つやつや光るグレイの車体は殿下のご自慢らしい。今まで箱馬車にしか乗ったことのないわたしは、運転席の隣も、何もかも初めてだ。
 殿下の動作を興味津々で見ていると、殿下が面白そうに言った。

「そんなに気になるか」
「だって、馬もいないのにどうして走るのかしらって思って」
「タクシーくらい乗ったことあるだろう?」
「祖母が、馬もいないのに走るなんて信用ならないって言うから」
「またおばあ様か」

 殿下はくすくす笑いながら、慣れた手つきでハンドルを回す。ぐんぐんスピードが上がって、風が思いっきり顔に当たる。周りの風景がどんどんと後ろに飛んで行き、なだらかに続く丘陵地を越えていくと、はるか前を羊の群れが横切る。

「羊が!」
「大丈夫だ、轢いたりしない」

 殿下はブレーキを踏んで、羊の群れをやり過ごす。遠くに教会の尖塔が見え、青空に白い雲が流れる。

 ――王都に来て三年。こんなひろびろとした風景の中にいるのは、久しぶりかもしれない。

 かなり走って、崩れた大昔の城壁跡で殿下は車を止める。

「むかーしの、戦争の跡地だ。王位をめぐって争ったんだ」

 殿下が紙巻煙草シガレットを取り出し、火を点ける。

「お前も吸うか?」

 わたしは首を振り、それより車から降りたいと言えば、殿下は自分が先に降りて、わたしの座る側の扉を開けてくれた。それから手を繋いで城跡をめぐる。小高くなった城跡からは、周囲の村や、森や田畑が見下ろせた。

 わたしは深呼吸をして、空気をいっぱいに吸い込む。

「王都の空気と全然違う!」
「郊外には来ないのか」
「足がないもの。わざわざ馬車を頼んでまで、来る用事がないわ」
「気に入ったか」
「田舎育ちだから。……前住んでいた家は、周りじゅうが荒れ地ムアに囲まれていたし。よく、自分の子馬ポニーで出かけて……でも、こんな綺麗な場所じゃなくて、もっと荒れ地でしたけど」
「また、来よう。車ならいつでも乗せてやる」

 殿下はそう言ってわたしを抱き寄せて、こめかみにキスをする。ふっと、煙草の香りがした。

「でも、護衛も無しでいいんですか」
「護衛はいる。……離れてね」

 そう言って、殿下は煙草を挟んだ左手で、少し下の方の道を指した。――確かに、一台の目立たない馬車が停まっていた。

「……わたしのことも、彼らは知っているのですか?」
「もちろん。俺がわけのわからん女にのぼせた上がったらまずいからな。全部調査済みだ」
「……それで問題ないと? もしかして、国王陛下もご存知なの?」

 不安になって尋ねれば、殿下は煙草を咥えて、ふうっと紫煙を吐き出しながら言う。

「たぶん、知ってるけど、何も言わない」

 ……つまり、国王陛下公認の女遊びってこと? それとも、女遊びですらない愛人だから、問題ないってこと?

「……なんで、わたしなんですか? 都合がいいから?」

 わたしの問いかけに、殿下は煙草を咥えたまま、一瞬眉を寄せた。

「理由なんて決まってる。お前が気に入ったからだ。……お前は、俺が気に入らないのか?」
「気に入るも何も、どんな人だか知りません。……強引で我儘な俺様ってことくらいしか」

 その言葉に、殿下が思わず吹き出して大笑いした。

感想 289

あなたにおすすめの小説

一夜の過ちで懐妊したら、幼なじみの冷酷皇帝に溺愛されました

由香
恋愛
没落貴族の娘・柳月鈴は、宮廷で医官見習いとして働いていた。 ある夜、皇帝即位の宴で酒に酔い、幼なじみだった皇帝・李景珩と再会する。 遠い存在になったはずの彼。 けれど、その夜をきっかけに月鈴の運命は大きく動き出す。 冷酷と恐れられる皇帝が、なぜか彼女だけには甘すぎて――。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

触手エイリアンの交配実験〜研究者、被験体になる〜

桜井ベアトリクス
恋愛
異星で触手エイリアンを研究する科学者アヴァ。 唯一観察できていなかったのは、彼らの交配儀式。 上司の制止を振り切り、禁断の儀式を覗き見たアヴァは―― 交わる触手に、抑えきれない欲望を覚える。 「私も……私も交配したい」 太く長い触手が、体の奥深くまで侵入してくる。 研究者が、快楽の実験体になる夜。

女の子がほとんど産まれない国に転生しました。

さくらもち
恋愛
何番煎じかのお話です。 100人に3~5人しか産まれない女の子は大切にされ一妻多夫制の国に産まれたのは前世の記憶、日本で亭主関白の旦那に嫁いびりと男尊女卑な家に嫁いで挙句栄養失調と過労死と言う令和になってもまだ昭和な家庭!でありえない最後を迎えてしまった清水 理央、享年44歳 そんな彼女を不憫に思った女神が自身の世界の女性至上主義な国に転生させたお話。 当面は2日に1話更新予定!

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。