【R18】没落令嬢の秘密の花園――秘書官エルスペス・アシュバートンの特別業務

無憂

文字の大きさ
125 / 190
第三章

音楽会

しおりを挟む
 マールバラ公爵邸の音楽会。夜七時開始に合わせ、わたしたちは六時半には公爵邸の門をくぐった。

 王都の中心部を外れた高級住宅街。先代国王の王弟殿下であった、初代のマールバラ公爵に賜与された邸は、周辺でも随一の豪華さと広さを誇る。十分なスペースがあるはずの車寄せは、しかし、招待客の馬車でごったがえしていた。

 夜の第一正装であるテールコートに、冬の寒さを防ぐための毛皮のついたオーバーコートを纏ったアルバート 殿下が馬車を降りれば、すぐに金釦のついたお仕着せを着た従僕が駆け寄ってくる。

 従僕の先導で玄関に入り、コートと帽子、ステッキを預けたところに、この家の執事らしきが挨拶に来た。

「これはアルバート殿下、お待ちしておりました」
「オズワルド小父様と、奥方にご挨拶を」
「はい、こちらでございます」

 周囲の招待客よりも殿下が優先なのは、本日の客の中で殿下の身分が最も高いから。わたしは殿下のエスコートで、赤い絨毯の上をゆっくりと歩く。今日は黒い東洋の絹に、鴛鴦オシドリの刺繍の入ったイブニング。――以前、ビルツホルンの大使館の晩餐会では黒の長手袋を着用したけれど、今日はオーガンジーの、蝶のようなふわりとした袖のボレロを羽織った。左手の薬指の、サファイアの指輪を強調するためだ。殿下も黒い上着の襟元に、父の形見のサファイアのタイピンを刺し、二人の関係をさりげなく示している。

 シャンデリアの輝く広い大広間ホールにわたしたちが入っていくと、先に来ていた招待客が一斉に注目した。

 アルバート王子と、元のリンドホルム伯爵令嬢。――婚約者のレコンフィールド公爵令嬢を差し置き、爵位すら失った元・伯爵令嬢をエスコートする王子を、皆はどう、思うだろうか。

 ――ステファニー嬢じゃないのか。
 ――ほら、あれが愛人の。
 ――戦争から戻ったら、すっかり心変わりして。
 ――ステファニー嬢もお気の毒。
 
 そんなヒソヒソ声が耳に届くけれど、わたしは聞こえないふりをして前を向く。

 ホールの中央には、立派なグランド・ピアノが置かれ、演奏者用の椅子も数脚、並べられている。音楽をこよなく愛し、芸術の保護者でもあった、故ブラックウェル伯爵エセルバート・クリーヴランド卿を偲んで、毎年彼の誕生日である十二月三十日に、父・マールバラ公爵が音楽を愛でる夜会を開催しているのだ。

 マールバラ公爵と令夫人がわたしたちを出迎える。

「やあ、アルバート。よく来てくれた。それからエルスペス嬢も。ビルツホルン以来だね」
「お久しぶり、アルバート殿下。ようこそ、我が家の夜会に。それから、はじめまして、ミス・エルスペス・アシュバートン」
「お招きありがとうございます、公爵閣下、ヴァイオレット夫人」

 公爵夫人は銀髪を綺麗にまとめ、瞳と同じ色の濃い紫色のイブニングドレスに、アメジストの首飾り。内心はともかく、王子が連れてきた愛人にもにこやかだ。殿下はヴァイオレット夫人の手の甲に軽くキスをして、親愛の情を示す。

「殿下が無事にお戻りになって本当によかったわ。三年前、報せを聞いた時は、エセルバートの二の舞かと思って」

 涙ぐむ夫人に、殿下がわたしを指し示す。

「……マックス・アシュバートン……彼女の父親が、盾になって俺を庇ってくれたのです。その代り、彼は――」
「ええ、アシュバートン卿のことは聞いていましてよ。本当に戦争は辛いわ。もう二度とないことを願うばかり」
「そのための講和条約ですからね。オズワルド小父様の活躍で、無事に締結できました」

 給仕がさりげなく運んできた発泡スパークリングワインのグラスを、それぞれ手に取り、軽く乾杯する。

「今日はピアノと、チェロのプロの方に来ていただいているの。お素人の演奏も数曲。楽しんでいってね?」
「ええ、楽しみですよ、ヴァイオレットおば様」

 わたしたちは案内された席に並んで座り、ワインで喉を潤しながら周囲を観察する。

「盛況な催しですのね。毎年、こんなに?」
「俺はブラックウェル伯爵が戦死した年に来ただけだが、その時はほとんどお通夜のようだった」
 
 戦時中ということもあり、これまではもっと小規模だったらしい。

「今年は次男のゴードンが正式に継嗣として、ブラックウェル伯爵を名乗る、その披露目も兼ねている。後で挨拶に行かないといけないだろうな」

 さっきは別の客に挨拶していたせいですれ違いになってしまった、マールバラ公爵の現在の嫡男を、殿下が視線で教えてくれる。少しぽっちゃりとした、人の良さそうな青年だった。

「バイオリンが得意で、玄人はだしだそうだよ。俺も聞いたことはないんだけど」
「……へえ……」

 そんな話をしていると、「殿下」と聞き慣れた声がした。振り向けば、ジョナサン・カーティス大尉と婚約者のシャーロット嬢だった。

「ああ、やっと見つかった。いないからどうしたかと思った」
「すみません、車寄せが混雑して、なかなか降りられなくて。……こちらが婚約者のミス・シャーロット・パーマーです」

 シャーロット嬢が緊張の面持ちで頭を下げる。シャーロット嬢は茶色い髪を結い、紺のジョーゼットに白いレースと刺繍の花が散らされた、可憐なイブニングドレス。ハイウエストでちょうちん袖パフスリーブに、白いリボンがついている。

「ああ、よろしく。アルバートだ。こちらはミス・エルスペス・アシュバートン」
「以前、お会いしたことがありますの。申し上げましたでしょ?」
「そうだったか? ああ、口の悪い妹がいると言っていたな。今日は妹は留守番か」
「妹はおとなしく音楽を聴いていられる性格ではありませんので」

 カーティス大尉が苦笑する。

「それに今日は、シャーロットの、パーマー家の縁での招待なので、カーティス家の者が大挙して押し寄せるわけにまいりません」

 グレンフィリック子爵であるパーマー家は、ヴァイオレット夫人の実家、ミドルトン侯爵家の分家筋にあたる。その縁で毎年招待状が来るのだが、普段、この時期は領地で過ごすので、王都に住む未亡人の従姉が出向くだけなのだと言う。

「その従姉がデイジー・フランク、旧姓デイジー・ミルドレッド、シャーロットの父の姉の娘になります」

 カーティス大尉がシャーロット嬢の背後に控えていた、妖艶な美女を紹介する。赤い唇の脇のホクロが妙に色っぽい。

「はじめまして、アルバート殿下。デイジー・フランクでございます」

 人によっては赤と表現するであろう、鮮やかな金髪に青い瞳。髪は電気ごてで巻いて夜会巻きにして、耳元にダイヤのイヤリングが揺れる。濃いグレイのイブニングドレスの胸元は大胆に開いていて、殿下に向かって会釈すると胸の谷間が強調される。

「ああ、はじめまして」

 殿下が素っ気なく挨拶すると、ミセス・デイジーは何とも言えない色を孕んだ目で殿下を見ている。

「感激ですわ。戦争の英雄とこんなところでお逢いできるなんて」
「別に英雄じゃない」
「そちらの方が、噂の恋人? ――従妹のシャーロットがお世話になったそうで」

 ミセス・デイジーがわたしに向けて挨拶してきたので、わたしも普通に礼を返す。わたしの左手のサファイアを見て、一瞬、目を見開いた。

「いえ。こちらこそ、いつもカーティス大尉にはお世話になります。百貨店で偶然会っただけですわ」
「シャーロットは引っ込み事案で、いつも緊張のあまり、失敗してしまうのですわ。普段はそんなことないのに。田舎暮らしに慣れてしまって、王都に出てくるのを嫌がるからですわ。ねぇ、シャーロット?」

 猫なで声、というのだろうか。甘いのに毒を含んだような声で、呼びかけられたシャーロット嬢が、とたんに緊張して固くなったのがわかる。

「今日も、シャーロットには不慣れな夜会でしょう? 何か失敗をしたらと思うと、居てもたってもいられなくて……ほんと、昔からシャーロットは物慣れない子なんですのよ」
「殿下がこちらに招待を受けたと聞いて、パーマー家に招待状が来ているか問い合わせて、混ぜてもらうことにしたんです。シャーロットと出掛けるいい機会でしたし。デイジーは、ヴァイオレット夫人の親族として、会の裏方にも関わっているんです。今回はシャーロットが心配だと言い張るので、ここまでついてきてもらったのですが」

 デイジーの言葉に、カーティス大尉も何気なく相槌をうち、シャーロット嬢は青ざめて、今にも震え出しそうだ。

 ……まるで呪いみたい、とわたしは思う。この子は緊張のあまり、失敗をする、心配だわ、と言われ続け、いざ失敗すると、ほら、やっぱりと言われる。失敗をするように刷り込まれているようなものだ。でも周囲は、失敗ばかりするシャーロット嬢には、面倒を見てくれるデイジーが必要だと、ますますシャーロット嬢を追い詰めていく。

 わたしはカーティス大尉を見た。

 ――ミセス・デイジーは、カーティス大尉の亡き兄の婚約者だったという。その後、デイジーは王都のフランク氏と結婚したが夫には死に別れ、カーティス大尉はシャーロット嬢と婚約した。
 見たところ、ミセス・デイジーはカーティス大尉と同じ年頃か、数歳上くらいだろう。結婚できない年齢差ではない。三十前後になっても輝くように美しく、色香に溢れたデイジーに比べ、年下の従妹のシャーロットはほんの子供で、鼻の頭にはそばかすまで浮いて、はっきり言えば、地味だ。自信のなさが身の内から溢れ出ているし、実際、カチコチに緊張している。

 ……カーティス大尉は気配りのできる人だと思っていたのに、デイジーとシャーロットの微妙な関係に、どうして気づかないのかしら。

しおりを挟む
感想 289

あなたにおすすめの小説

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜

紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。 連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。

【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる

奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。 だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。 「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」  どう尋ねる兄の真意は……

義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話

よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。 「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて

アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。 二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました

蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。 そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。 どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。 離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない! 夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー ※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。 ※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

処理中です...