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十二、綸言如汗(皇帝視点)

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 章岳にも章礼文にも断られて、俺は詩阿の入宮を諦めざるを得なかった。
 
 皇帝である俺は手当たり次第に女を食い散らかして、とにかく子供を儲けなければならない。
 だが、詩阿以外のどの女にも心は動かない。好きでもない女を抱かねばならないのは、正直、苦痛だった。

 ――彼女たちも望んで後宮に入ったわけではない。それはわかっていても、心が動かないのはどうしようもない。

 いやいや後宮に通っていたが、即位後数か月して、群臣が皇后冊立の請願を出してきた。

 なんとなく皇后がいないといけないと思い込んでいる者も多いが、実際のところ、皇后などいなくても何も困らない。皇后には政治権力もなく、祭祀や儀礼以外に、特にすることもないからだ。 
  
 皇后に何かの政治的権能が発生するとすれば、それは皇帝が突然、崩御した時に、跡継ぎを指名するくらいのこと。ただし、皇帝が死んだ時点で皇后は皇太后になるわけだから、実のところ皇后である段階では、やはり何の権力も権限もない、ということになる。

 ――要らんだろ、皇后なんて。

 即位直後の政務繁多を理由に請願を退けてから、はて、いったいその背景は何かを考えた。
 そして俺は群臣の背後に、趙淑妃とその父親の存在を嗅ぎ取り、ますます嫌悪感を募らせる。
 現在、後宮の妃嬪の中でもっとも位が高いのは趙淑妃である。今、皇后を冊立するとなれば、彼女が最有力の候補者だ。しかも淑妃は妊娠中。

 絶対にあいつだけは皇后にしないぞ!

 妙な決意を胸に、薦められるままに何人かを御寝に召してみるが、やはり特に気に入る女には出会えない。
 
 そうやはり、詩阿でなければダメなのだ。
 
 いまだに俺の心は六歳の詩阿に囚われている。俺は頭がおかしいのかもしれない。
 幼い詩阿は確かに愛らしかった。だが、十年の年月を経て、どんな風に育っているか、わかりはしないというのに。

 俺は詩阿の年齢を数え、無意識に同じ年ごろの女ばかり、御寝に召していた。
 そうなるとだいたい、女を薦める宦官たちもわかってきて、入宮したばかりの、少し幼さの残る女たちを寝所に送り込んでくるようになった。

 童顔で華奢で色の白い女。――皇上のお好みはこんな感じ、と似たような女ばかりが後宮に溢れるが、どのみち、それは詩阿ではないので、手は付けるがやはり興味はわかない。処女を食い散らかして一回こっきりで放っておけるほど俺の神経は太くないので、何人かに一人は二度目に声をかけることもある。すると今度は「すわ、寵姫か!」と後宮が騒いで、趙淑妃などが嫌がらせをするなどという話を聞くにつけても、ますます後宮に嫌気が差すという悪循環。

 幸いに――というか、淑妃の子は女児だった。
 跡継ぎとなる男児が生まれないことで、後宮の争いは激化する一方。
 あまり顔を出したくはないが、放置すれば趙淑妃が威張るだけなので、妊娠すれば九嬪や夫人に昇格させて、淑妃の力を削いで均衡を保たねばならない――そんな風に思い、たまたま妊娠したと言い出した蔡婕妤さいしょうよを一気に徳妃に冊立しようと準備を進めていたが。

 どうも懐妊は間違いだったと言い始めた。

「間違いなんてことがあるのか?」

 思わず尋ねる俺に、父の代から仕える太監が言う。

「想像妊娠、ということもないわけではありませんが、婕妤の場合は少しばかり違う気がいたします」
「どう、違う?」
「妊娠したと言って、皇上の気を引こうとしたけれど、思ったよりも大事になって、慌てて間違いだったと言いだしたような……」
「なんだそれは!」

 絶対に妊娠していなかったという証拠もないので、表立った処罰はできないが、俺の女性不信はさらに激しくなった。
 
 さらに、高氏が妊娠したので昭容に昇進させた。
 これはまた我が侭な女で、ちょっと体調が悪くなると大騒ぎして俺を後宮まで呼び出そうとする。
 好きでもない女ではあっても、俺の子供なんだから無視するわけにもいかない。
 そういうのを数度繰り返した挙句、男児を産んだが死産であった。

「趙淑妃が呪詛をしたという噂です!」

 子供が死んだのは残念だったが、呪詛の誣告は勘弁してくれ。

「証拠のないことで騒げば誣告罪で処罰するぞ」

 冷たく言い放てば、恐れをなして口を閉ざすあたり、愚か過ぎてうんざりする。

 
 ――どいつもこいつも、いい加減にしろ!

 どうせ皇帝になるなら、後宮のない国がよかった――



 

 そんな風に鬱々と過ごしていたある夕べ、俺は内廷で翰林学士を集め、私的な宴を開いた。

 内廷の宴は女ッ気なしで、気楽なものだ。おりしも月が出て、それぞれに詩を詠じたりと洒落こみ始めるのを横目に、俺は玉座で一人酒を啜りながら、なんとなく物想いに沈んでいた。

 ――このまま、皇后を冊立しないまま過ごすのも難しそうだし、何より、趙淑妃がこれ以上威張るのは我慢がならない。どうしたものか。
 
 即位して数年になるが、まだ位を継がせるべき男児がいない。後継者の不在から、傍系が皇統を継ぎ、そこから国の屋台骨が傾いた例は枚挙にいとまがない。

 詩阿でなければ誰でも同じなんだから、誰でもいいから男児さえ産んでくれれば――

 と、そんな時、風に乗って会話が耳に入る。

「章校書はまだ独り身なのかね? 気楽でいいとは言うが、早く身を固めたまえよ」
「はあ、……妹の嫁ぎ先が決まるまではなかなか……」
「妹君の良縁ならワシが――」
 
 ハッとして顔を上げると、正面やや遠くで飲んでいた章礼文と目が合った。

 ――俺が詩阿を後宮に、などと言い出しているので、章家の方でも詩阿の結婚を決めかねているのかもしれない。

 だが同時に俺は気づく。

 後宮に入らなければ、詩阿はいずれ、誰か別の男の元に嫁に行くのだ。

 その当たり前の事実に今さらながら愕然とし、俺は玉座から章礼文を差し招いた。

「詩阿――妹の結婚はまだ、決まらぬのだな」
「……ええ、まあその、なかなか……何分、父が無職の引きこもりでございますので……」
「ならば今ここで命ずる。章家の娘を朕の――皇后としてへいする。儀礼を関係官僚に命じて協議させる。今この場で、内示の詔勅を起草せよ」

 綸言りんげん、汗の如し。
 呆然と俺を見上げる章礼文がどれほどの言辞を尽くして辞退しようとも、一度下した決定は覆らなかった。

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