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2、辺境伯の砦
西へ行こうよ!
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その言葉に、今度はフエルが黒い瞳を見開いた。
『殿下が、真実をお話になったのですか?』
アデライードは少し困ったように微笑んで、言った。
『わたしがとんだミスをして、殿下の記憶を封印してしまったの。それで、殿下は今、十二歳までの記憶しかないの。ご自分で名乗ったわ。自分は、太陽宮の沙弥のシウリンだと。――どうして還俗したのかも、なぜ、わたしに真実を言えなかったのかも、当然、憶えていらっしゃらないのだけど』
その言葉は、フエルを電撃のように襲った。
『何ですって――つまり、殿下は、聖地を出てからのことを全部、忘れておられるのですか?!』
気まずそうにうなずくアデライードとは裏腹に、フエルの気持ちが一気に高揚する。
フエルは死の床のジーノから、彼の父と殿下との間に起きた事を聞いていた。今では、殿下がなぜ自分を憎み寄せ付けなかったのか、フエルは理解していた。
だからフエルは、学院を卒業した暁には殿下のお側を辞すつもりでいた。
だが、殿下は聖地を出た後の記憶がなく、当然、彼の父とのことも全て忘れているという。
要するに今の殿下は、デュクトの歪んだ愛に傷つく前の、無垢なシウリンのままなのだ。
『姫君、僕は、殿下にお会いしたい。――今の、殿下に。聖地にいたころの、殿下に』
『フエル――?』
『僕に、西南辺境まで、殿下を迎えに行くお許しをください。お願いです!』
必死の形相で頼み込むフエルに、アデライードは面くらう。それは、アデライードが口を挟めることでないと思っていたから。
窓際に並んで座り、念話のために手を繋いでいる二人を見て、メイローズは眉を顰める。あまりに距離が近すぎる。これでは、恭親王でなくとも誤解しそうである。
「フエル殿、姫君に座が近すぎましょう」
「あ、……その、すみません」
慌てて下がるフエルに、アデライードが言う。
「その……フエルも殿下を探しに行きたいと言うの。でもまだ子供だから――」
「僕はもう、子供じゃありません!」
憤然として反論するフエルを、メイローズは値踏みするように眺める。例のサロンの一件で、フエルの方がランパよりも腕が立つことが証明されていた。しかし、ゾラやトルフィンに比べれば、剣や馬術の技量は大きく劣るであろう。
「この上、フエルまで同行するとなったら、ゾラ殿がぶち切れると思いますが――」
「僕、学院で仲良くなった友達から、西の貴族の紹介状をいくつか貰って来たんです! 向こうを旅するときに、役に立つんじゃないでしょうか!」
腐ってもソアレス家の上に、貴族的な容貌の美少年であるフエルは、そういう立ち回りがとても上手かった。無駄な美形にドモリ癖のランパより、よっぽど役に立ちそうである。
メイローズとしては勝手に断ることもできず、フエルの希望をゾラに伝えれば、案の定、ゾラはけんもほろろであった。
「フエルぅ?――金に困った時に、フエルのケツを金持ちの変態親父に売り渡してもいいっつんなら、連れて行ってやるよ」
ゾラの不遜な言いざまにフエルはぐぐっと眉を顰め、父親そっくりの気難しい表情を作る。さすがにそこまで言われて、プライドの高いフエルは同行を諦めるに違いないと皆は思う。ところが、大方の予想に反し、フエルは頷いたのであった。
「いいですよ、僕のケツで皆さんが窮地を逃れられるのであれば、いくらでも身売りしますよ。だから、連れて行ってください! 女王国の地理風俗は、学院で学びました。そこの背が高いだけの木偶の坊よりはよっぽど、お役に立ってみせますよ!」
レイノークス伯領への旅行に置いてきぼりを喰らったことを、フエルはまだ根に持っていた。だがそのやり取りを聞いて、トルフィンは前途多難を予想し、溜息をもらす。
「混ぜたらいけない物質を、箱詰めにしちゃったみたいな一行ですな」
横で同じことを考えていたらしいエンロンもポツリと呟き、トルフィンはますます、暗澹たる気分になった。
しかし、トルフィンはこの時はまだ知らなかった。
その後、カンダハルでゾーイまでが強引に一行に加わり、さらに収拾のつかない危険な五人組になることを。
『殿下が、真実をお話になったのですか?』
アデライードは少し困ったように微笑んで、言った。
『わたしがとんだミスをして、殿下の記憶を封印してしまったの。それで、殿下は今、十二歳までの記憶しかないの。ご自分で名乗ったわ。自分は、太陽宮の沙弥のシウリンだと。――どうして還俗したのかも、なぜ、わたしに真実を言えなかったのかも、当然、憶えていらっしゃらないのだけど』
その言葉は、フエルを電撃のように襲った。
『何ですって――つまり、殿下は、聖地を出てからのことを全部、忘れておられるのですか?!』
気まずそうにうなずくアデライードとは裏腹に、フエルの気持ちが一気に高揚する。
フエルは死の床のジーノから、彼の父と殿下との間に起きた事を聞いていた。今では、殿下がなぜ自分を憎み寄せ付けなかったのか、フエルは理解していた。
だからフエルは、学院を卒業した暁には殿下のお側を辞すつもりでいた。
だが、殿下は聖地を出た後の記憶がなく、当然、彼の父とのことも全て忘れているという。
要するに今の殿下は、デュクトの歪んだ愛に傷つく前の、無垢なシウリンのままなのだ。
『姫君、僕は、殿下にお会いしたい。――今の、殿下に。聖地にいたころの、殿下に』
『フエル――?』
『僕に、西南辺境まで、殿下を迎えに行くお許しをください。お願いです!』
必死の形相で頼み込むフエルに、アデライードは面くらう。それは、アデライードが口を挟めることでないと思っていたから。
窓際に並んで座り、念話のために手を繋いでいる二人を見て、メイローズは眉を顰める。あまりに距離が近すぎる。これでは、恭親王でなくとも誤解しそうである。
「フエル殿、姫君に座が近すぎましょう」
「あ、……その、すみません」
慌てて下がるフエルに、アデライードが言う。
「その……フエルも殿下を探しに行きたいと言うの。でもまだ子供だから――」
「僕はもう、子供じゃありません!」
憤然として反論するフエルを、メイローズは値踏みするように眺める。例のサロンの一件で、フエルの方がランパよりも腕が立つことが証明されていた。しかし、ゾラやトルフィンに比べれば、剣や馬術の技量は大きく劣るであろう。
「この上、フエルまで同行するとなったら、ゾラ殿がぶち切れると思いますが――」
「僕、学院で仲良くなった友達から、西の貴族の紹介状をいくつか貰って来たんです! 向こうを旅するときに、役に立つんじゃないでしょうか!」
腐ってもソアレス家の上に、貴族的な容貌の美少年であるフエルは、そういう立ち回りがとても上手かった。無駄な美形にドモリ癖のランパより、よっぽど役に立ちそうである。
メイローズとしては勝手に断ることもできず、フエルの希望をゾラに伝えれば、案の定、ゾラはけんもほろろであった。
「フエルぅ?――金に困った時に、フエルのケツを金持ちの変態親父に売り渡してもいいっつんなら、連れて行ってやるよ」
ゾラの不遜な言いざまにフエルはぐぐっと眉を顰め、父親そっくりの気難しい表情を作る。さすがにそこまで言われて、プライドの高いフエルは同行を諦めるに違いないと皆は思う。ところが、大方の予想に反し、フエルは頷いたのであった。
「いいですよ、僕のケツで皆さんが窮地を逃れられるのであれば、いくらでも身売りしますよ。だから、連れて行ってください! 女王国の地理風俗は、学院で学びました。そこの背が高いだけの木偶の坊よりはよっぽど、お役に立ってみせますよ!」
レイノークス伯領への旅行に置いてきぼりを喰らったことを、フエルはまだ根に持っていた。だがそのやり取りを聞いて、トルフィンは前途多難を予想し、溜息をもらす。
「混ぜたらいけない物質を、箱詰めにしちゃったみたいな一行ですな」
横で同じことを考えていたらしいエンロンもポツリと呟き、トルフィンはますます、暗澹たる気分になった。
しかし、トルフィンはこの時はまだ知らなかった。
その後、カンダハルでゾーイまでが強引に一行に加わり、さらに収拾のつかない危険な五人組になることを。
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