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10、辺境伯ユリウスの遺恨
ユウラ女王の不幸
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「父の妻の一人でありましたユウラ様が女王に即位されて以来、我が家を襲った不幸を数えるには両手でも足りません。……まず、女王の夫ということで自動的に執政長官に就任させられた父が、王都で急死いたしました」
ユリウスの語るレイノークス伯家の不幸。恭親王は真剣に聞き入った。
「キノコの中毒と聞いているが……」
「表向きは、そのように発表されております」
ユリウスは端正な美貌を憎しみに歪め、吐き捨てるように言った。
「父は……キノコが大嫌いでした。あの、歯ごたえと匂いが嫌いだと、普段一切口にしませんでした」
恭親王が目を見開く。
「では……」
「望んで執政長官になったわけではありませんのに、元老院を中心とする王都ナキアの貴族どもは、父の排除を願ったのです。……さらに、ユウラ様です。あの時、二人目のお子をご懐妊であられたのに……にわかにお苦しみになり、御流産なさった。その悲しみも癒えぬうちに、恥知らずにもギュスターブが……」
ギリっと奥歯を噛みしめる音が聞こえる。
十年前、十四歳だったユリウスは、異母妹アデライードの泣き叫ぶ声を耳にし、ユウラ女王の部屋に急いだ。目にしたのは、部屋の扉から足蹴にされて転がり出て、無情に閉まるドアに必死に取りすがろうとする、幼いアデライードの姿だった。慌てて抱き上げ、泣きじゃくる異母妹を宥め、女王の部屋に入ろうとすると、屈強な近衛騎士に拒まれる。扉の中から物の壊れる音と、ユウラのものらしい悲鳴が漏れる。
『イフリート公子ギュスターブ卿が、女王をお慰めするために参上しているのです。姫君をお連れして暫し場を外していただきたい』
『違う違う! お母様はあんな人大嫌いだって! 追い払って! ねえ、お兄様、あの人を追い払って!』
『このような乱暴な真似、許されるはずがない!中に通せ!』
現在でも細身のユリウスは、十四歳のころはさらに細く頼りなく、その腕はほとんど少女のようで、鍛え上げた近衛騎士に敵うはずもなかった。引きずられるように扉の前から遠ざけられ、アデライードを守るのが精いっぱいだった。
王妹のユウラ姫が父の妻となってレイノークス伯領に嫁いできたのは、ユリウスが六歳の時。
おとぎ話の月の精靈ディアーヌもかくやと言うほどの、輝くような美貌に、幼い少年が憧れを抱いても無理はない。夫の嫡子であるユリウスを、ユウラも隔てなく可愛がったし、アデライードが生まれてからは、可愛い異母妹を腕に抱いた聖母子のような二人をユリウスは心の底から愛していた。
その憧れの人が、扉の向こうで凌辱されているのだ。
何が行われているか理解できる年齢なだけに一層屈辱的で、ユリウスはあの日のことを忘れることができない。命に代えてもアデライードを守る――ユリウスの決意はあの屈辱の中で生まれた。
苦い回想を呑み込み、ユリウスは掻い摘んで、ユウラ女王とギュスターブ結婚の事情を語る。恭親王はそれについてコメントはしなかったが、優美な眉を不快げに歪めた。たとえ執政長官の座を手に入れるためとはいえ、仕えるべき主を力ずくで犯す所業の醜悪さに、虫酸が走る。
本来、辺境伯は国境の守護を司る家柄であり、中央の国政には関与しないと恭親王は聞いていた。即位する予定のない王女を娶ったが故に、慣例により中央政界に引っ張り出され、あまつさえ殺されたユリウスの父も不幸であり、さらに愛する夫を殺された上、貞操まで奪われたユウラ女王には同情を禁じ得ない。
結局、アルベラ姫の女王即位が拒否された――アルベラ姫に〈王気〉がなかったために――ことにより、幸福だった一つの家族が崩壊させられたのである。
父ユーシスの跡を継いでレイノークス辺境伯となったユリウスの苦難は続く。爵位を嗣ぐために領地へ返され、ユウラともアデライードとも引き離される。その隙にユウラとギュスターブの結婚が公にされ、アデライードは聖地の修道院に送られた。さらにはアデライードの誘拐未遂事件と、次々とユリウスを衝撃が襲う中、彼は生母のマリアンナと子飼いの家臣たちを頼りに、必死に領地を経営した。
若い領主に対する、中央のイフリート派による嫌がらせもあった。家臣を引き抜かれたり、臨時の税をかけられたり、他領を通過する際の通行料を勝手に引き上げられたり。そのたびにあの日の屈辱を思い出して復讐を誓い、忍従して力を蓄えてきたのだ。
いつか、アデライードを守るために。
現在、同母弟テオドールも成人し、二人で葡萄酒の生産や貿易に精を出して、ソリスティア周辺でかなりの経済的地歩を固めつつある。もはや、ユリウスを見かけばかり美しい、無力な領主と侮る者はいない。
アデライードの成人を期に、聖地から自領に迎える算段を始めたところであった。そこに、突如として〈聖婚〉が持ち上がったのだ。
「殿下、私はかねてから、アデライードを聖地の外に出し、人並みの幸せを与えてやりたいと思っておりました」
ユリウスの言葉に、恭親王は心持ち首を傾げる。
「人並み……とは、具体的にはどんな?」
ユリウスは真っ直ぐな長いダークブロンドをふぁさりと肩から払い、数え上げた。
「まず、安全であること。次に、家族と共に暮らせること。贅沢でなくとも、衣食住の不自由をしないこと。そしてできれば、真に信頼できる相手と温かい家庭を持つこと、でしょうか?」
「随分と、小市民的な目標だな。要するに、貴卿はアデライード姫の女王即位は望まないというのだな?」
いささか呆れたような恭親王の言葉に、ユリウスは頷く。
「女王になったがために夫を殺され、娘とも引き離されて、ギュスターブに強姦され続けて死んだ、ユウラ女王の二の舞にしたくありません」
ユリウスの語るレイノークス伯家の不幸。恭親王は真剣に聞き入った。
「キノコの中毒と聞いているが……」
「表向きは、そのように発表されております」
ユリウスは端正な美貌を憎しみに歪め、吐き捨てるように言った。
「父は……キノコが大嫌いでした。あの、歯ごたえと匂いが嫌いだと、普段一切口にしませんでした」
恭親王が目を見開く。
「では……」
「望んで執政長官になったわけではありませんのに、元老院を中心とする王都ナキアの貴族どもは、父の排除を願ったのです。……さらに、ユウラ様です。あの時、二人目のお子をご懐妊であられたのに……にわかにお苦しみになり、御流産なさった。その悲しみも癒えぬうちに、恥知らずにもギュスターブが……」
ギリっと奥歯を噛みしめる音が聞こえる。
十年前、十四歳だったユリウスは、異母妹アデライードの泣き叫ぶ声を耳にし、ユウラ女王の部屋に急いだ。目にしたのは、部屋の扉から足蹴にされて転がり出て、無情に閉まるドアに必死に取りすがろうとする、幼いアデライードの姿だった。慌てて抱き上げ、泣きじゃくる異母妹を宥め、女王の部屋に入ろうとすると、屈強な近衛騎士に拒まれる。扉の中から物の壊れる音と、ユウラのものらしい悲鳴が漏れる。
『イフリート公子ギュスターブ卿が、女王をお慰めするために参上しているのです。姫君をお連れして暫し場を外していただきたい』
『違う違う! お母様はあんな人大嫌いだって! 追い払って! ねえ、お兄様、あの人を追い払って!』
『このような乱暴な真似、許されるはずがない!中に通せ!』
現在でも細身のユリウスは、十四歳のころはさらに細く頼りなく、その腕はほとんど少女のようで、鍛え上げた近衛騎士に敵うはずもなかった。引きずられるように扉の前から遠ざけられ、アデライードを守るのが精いっぱいだった。
王妹のユウラ姫が父の妻となってレイノークス伯領に嫁いできたのは、ユリウスが六歳の時。
おとぎ話の月の精靈ディアーヌもかくやと言うほどの、輝くような美貌に、幼い少年が憧れを抱いても無理はない。夫の嫡子であるユリウスを、ユウラも隔てなく可愛がったし、アデライードが生まれてからは、可愛い異母妹を腕に抱いた聖母子のような二人をユリウスは心の底から愛していた。
その憧れの人が、扉の向こうで凌辱されているのだ。
何が行われているか理解できる年齢なだけに一層屈辱的で、ユリウスはあの日のことを忘れることができない。命に代えてもアデライードを守る――ユリウスの決意はあの屈辱の中で生まれた。
苦い回想を呑み込み、ユリウスは掻い摘んで、ユウラ女王とギュスターブ結婚の事情を語る。恭親王はそれについてコメントはしなかったが、優美な眉を不快げに歪めた。たとえ執政長官の座を手に入れるためとはいえ、仕えるべき主を力ずくで犯す所業の醜悪さに、虫酸が走る。
本来、辺境伯は国境の守護を司る家柄であり、中央の国政には関与しないと恭親王は聞いていた。即位する予定のない王女を娶ったが故に、慣例により中央政界に引っ張り出され、あまつさえ殺されたユリウスの父も不幸であり、さらに愛する夫を殺された上、貞操まで奪われたユウラ女王には同情を禁じ得ない。
結局、アルベラ姫の女王即位が拒否された――アルベラ姫に〈王気〉がなかったために――ことにより、幸福だった一つの家族が崩壊させられたのである。
父ユーシスの跡を継いでレイノークス辺境伯となったユリウスの苦難は続く。爵位を嗣ぐために領地へ返され、ユウラともアデライードとも引き離される。その隙にユウラとギュスターブの結婚が公にされ、アデライードは聖地の修道院に送られた。さらにはアデライードの誘拐未遂事件と、次々とユリウスを衝撃が襲う中、彼は生母のマリアンナと子飼いの家臣たちを頼りに、必死に領地を経営した。
若い領主に対する、中央のイフリート派による嫌がらせもあった。家臣を引き抜かれたり、臨時の税をかけられたり、他領を通過する際の通行料を勝手に引き上げられたり。そのたびにあの日の屈辱を思い出して復讐を誓い、忍従して力を蓄えてきたのだ。
いつか、アデライードを守るために。
現在、同母弟テオドールも成人し、二人で葡萄酒の生産や貿易に精を出して、ソリスティア周辺でかなりの経済的地歩を固めつつある。もはや、ユリウスを見かけばかり美しい、無力な領主と侮る者はいない。
アデライードの成人を期に、聖地から自領に迎える算段を始めたところであった。そこに、突如として〈聖婚〉が持ち上がったのだ。
「殿下、私はかねてから、アデライードを聖地の外に出し、人並みの幸せを与えてやりたいと思っておりました」
ユリウスの言葉に、恭親王は心持ち首を傾げる。
「人並み……とは、具体的にはどんな?」
ユリウスは真っ直ぐな長いダークブロンドをふぁさりと肩から払い、数え上げた。
「まず、安全であること。次に、家族と共に暮らせること。贅沢でなくとも、衣食住の不自由をしないこと。そしてできれば、真に信頼できる相手と温かい家庭を持つこと、でしょうか?」
「随分と、小市民的な目標だな。要するに、貴卿はアデライード姫の女王即位は望まないというのだな?」
いささか呆れたような恭親王の言葉に、ユリウスは頷く。
「女王になったがために夫を殺され、娘とも引き離されて、ギュスターブに強姦され続けて死んだ、ユウラ女王の二の舞にしたくありません」
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