上 下
94 / 191
13、月蝕 

夜明けの襲撃

しおりを挟む
 恭親王はユリウスを軽く宥め、左手に持った剣を一閃して、飛んできた矢を薙ぎ払う。一旦剣を収め、再び矢をつがえて馬車と並走しながら、次々と森の中に矢を射ていく。

「ぎゃっ」
「ぐえっ!」
「ぎっ!」

 森の木陰に隠れていた射手がばたばたと倒れるのを見て、ユリウスが呆れる。

「このスピードで走ってこの暗がりで、何で見えるんだよ! 前世は蝙蝠こうもりか何かかい!」
「そうかもな」

 しれっと答えると、恭親王はおもむろに上半身を大きくひねり、後ろ上方に矢を射る。きれいな放物線を描いたそれは、後方から騎馬で追ってくる敵数騎の、先頭の男の首を貫き、もんどりを打って落馬する男によって敵の馬脚が大きく乱れ、二人ほど巻き添えで落馬する。混乱するところに追い打ちのようにもう二発、矢を浴びせて今度は馬に当て、さらに混乱を煽る。

「すごい弓の技ですな。どこで習ったのです?」

 追いついてきたジュルチの質問に、何事もないように恭親王が答える。

「ベルンチャ族から習った騎射の技だ」
「ベルンチャ族って、君が昔滅ぼした……」

 ユリウスが言うのに、恭親王が頷いた。

「そう。二か月ほど捕虜になっていたから、その時に習った」
「よく捕虜に弓の技術なんて教えてくれたね?」
「男は寝台で強請ねだられると断れないから」
「はあ?」

 ユリウスが目を白黒させるのに、油断なく周囲を見ていたトルフィンが叫ぶ。

「前からまた新手が来ました!ゾラとアイグン副僧正が交戦しています」

 恭親王が弓に矢を二本つがえ、はるか前方の敵に向けて射、同時に二人を射落とす。

「お見事ですな」
「しかし、矢が足りないな。予想していたより人数が多い」
「まったく、次から次へと出て来るな、イフリートの〈黒影〉って何人いるんだよ」
「あの騎馬の奴等は〈黒影〉ではあるまい。ギュスターブが護衛の名目で連れ込んだ騎士だろう」
「なりふり構わず、ってやつ?」

 ユリウスが呆れたように言うのに、ジュルチが同意する。

「イフリート公は〈禁苑〉に並々ならぬ恨みがあるようですな」

 前方ではゾラとアイグン副僧正が新たな敵と剣を交えているが、やや劣勢だ。ジュルチは僧兵に命令して前方へ加勢に向かわせる。

 恭親王は無言で矢をつがえると、また射る。二本の矢で三人を射落とした。

「どうやって!」
「一人落馬させる途中に味方を巻き込ませるんだ」
「もはや神業だよ……」

 弓を鞍にかけて馬を走らせ、ゾラとアイグンが苦戦するところへ乱入する。目ざとく標的を変えてきた敵を、細剣で薙ぎ払う。
 ガキン!
 三人程馬から落としたところで、乱戦で痛んでいた細剣が敵の剣と打ち合わせて折れてしまった。勢いを得て打ちかかって来るところに、右手で抜いた短剣を投げつけ、金属鎧のネックガードの隙間、顎の下を正確に貫いてそのまますれ違う。背後でどさりと馬から落ちる音がした。しかしこうなると武器がないため、前衛の敵は一旦ゾラとアイグンに任せ、恭親王は折れた剣を振り回して、馬車の周囲に飛んでくる矢と打ち込まれる剣を払いながら、馬車の横まで下がる。

「きりがない。ユリウス、おぬしの剣を貸せ」

 ユリウスの剣と折れた剣を交換し、とりあえず飛んできた矢を立てつづけに斬り落とす。

「おい、おぬしの剣はバランスがおかしいぞ。真面目に振ったことあるのか?」
「見た目だけに決まってるじゃないか」

 舌打ちして、使い勝手の悪い剣で打ち込まれる剣を絡めるようにすくいあげ、弾き飛ばす。

「どうにも分が悪すぎだ。湯水のように暗殺者を使い捨ておって!」

 アデライード一人にこれだけの暗殺者を投入するとか、どう考えても費用対効果がおかしい。そもそも、イフリートの〈黒影〉は潜入による諜報活動と暗殺を請け負う集団のはずだ。見れば敵は集団戦に慣れていない。味方の取りついている馬車に向かって雨あられと矢を浴びせかけているから、かなりの数は黒服に命中しているに違いない。味方同士の相討ちさえ厭わぬ捨て身の戦法なのか、単なるやけっぱちか。

(アデライードを別邸に移したことで、潜入できなくなったせいか……)

 別邸は天井裏に至るまで、カイト配下の暗部が目を光らせている。別邸を出る機会と狙えば、総督府直属の精鋭の騎士に阻まれる。王侯クラスは届け出れば護衛の騎士を連れ込むことは可能だが、彼らが聖地内で揉め事を起こせば、お家取り潰しでは済まない。紋章は隠しているようだが、今この時期にこれだけの騎士を連れ込んでいるのは、ギュスターブくらいだろう。とにかく何が何でもアデライードを殺してしまえば、あとはどうとでもなるということなのか。

 見ると、前方で気を吐いていたアイグン副僧正が馬車の横まで下がってきていた。肩口に血が滲んでいる。

「ゾラ、お前らも下がれ!囲まれるぞ!」

 ゾラたちにも命じて下がらせる。大きな怪我こそしていないようだが、相当削られているようだ。

(ゾーイを連れて来なかったのは、失敗だったか……)

 嘗ての筆頭侍従武官を思い出し、舌打ちする。召集はかけたのだが、父親の法事を済ませてから向かうという返答だった。総督府に帰ったら、即刻もう一回召集かけてゾーイを呼びつけ、ソリスティアからも優秀な武官を召し抱えようと心に誓い、近づく敵を右足で思い切り蹴とばした。正直、このユリウスの剣は最悪だ。剣先の重みが軽すぎて扱いにくい。イライラしながら飛来する矢を切り飛ばしているが、手元が狂って落とし損ねた矢が左腕に命中した。

「「殿下!」」

 眉をわずかに顰めて痛みを堪え、右腕で矢を引き抜いて舌で血を舐める。味に異常はなく、毒矢ではないことを確認すると、そのままその矢を箙にしまって、鮮血を滴らせる左腕に持つ剣を、振りかぶってきた敵の首を力任せに叩きつける。
 鮮血とともに、黒い頭巾をかぶった首が飛んでいく。

 振り向きざまにもう一人、左肩から袈裟掛けに斬り捨て、返す刀で打ち込んで来た敵の剣を払ったところで、ユリウスの剣も折れた。

「役立たずが!」

 舌打ちしながら折れた剣を投げ捨てると、後方からジュルチが声をかける。

「ほれ、剣だ!」

 ジュルチが棍棒で弾き飛ばした敵の剣がくるくる回りながら飛んでくるのを難なくキャッチして、そのまま隣の敵に叩きつける。どこから湧いて出るのか、と言いたくなるほどの黒服たちに僧兵はかなりの損害を受け、総督府の騎士も馬に損害を受けて戦闘不能に陥る者も多く、今や走り続ける馬車の周囲は十騎ほどに減っていた。馭者も矢傷を負い、トルフィンが手綱を持っている。体力強化した恭親王ですらいい加減に疲れを感じているのだから、他の者の疲労はそれどころではないはずだ。ジュルチの棍棒も折れて半分の長さになってしまった。
 一方、ギュスターブ配下の騎士は今や味方の倍以上が残っている。

「殿下、これ、ヤバくないっすかね?俺、もう腕動かねぇ」

 ぽつりとゾラが弱音を漏らした時、先ほどからしきりに空を仰いでいた恭親王が、突如、早朝の空に向かって鋭い口笛を吹いた。

 風を切るような羽音とともに、黒い塊が天空から降りてきて、今にも馬車に取りつこうとした黒衣の男にぶつかった。

「ぎゃあ!」

 悲鳴を上げて男が顔を押さえ、馬車から落ちる。一度天空に舞い上がった羽音が再び降りてきて、恭親王に打ちかかろうとした騎士の顔を鋭い爪で切り裂いた。

「えらいぞ! エールライヒ!」

 主に褒められた黒い鷹が得意げに肩に止まる。恭親王は前方からバランシュ率いる警備隊の援軍が来ているのを確認すると、鋭く指笛を吹いて敵味方に知らせた。

「増援が来たぞ! エールライヒが連れてきた!」

 あらかじめバランシュに命じ、エールライヒが飛び立った時は増援を率いてくるように手筈を整えてあったのだ。瞬く間に形成は逆転し、前後で挟撃された刺客たちは討ち取られ、あるいは捕えられた。
 恭親王一行はアデライード姫の馬車を守り抜き、護衛に守られて総督別邸へと帰りついた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【R18】お飾り妻は諦める~旦那様、貴方を想うのはもうやめます

恋愛 / 完結 24h.ポイント:63pt お気に入り:459

グラティールの公爵令嬢

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:16,189pt お気に入り:3,346

鉱夫剣を持つ 〜ツルハシ振ってたら人類最強の肉体を手に入れていた〜

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:1,087pt お気に入り:160

美しすぎてごめんなさい☆

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:4,318pt お気に入り:585

異世界ライフは山あり谷あり

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:1,307pt お気に入り:1,552

婚約破棄された令嬢は、実は隣国のお姫様でした。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:65,676pt お気に入り:3,291

処理中です...