上 下
163 / 191
小結

婚礼の宴

しおりを挟む
 その夜、総督府の〈表〉にある大広間に始めて姿を現わした総督と、その妻である王女の麗しさは、その後長く語り継がれることになる。

 ソリスティア総督である恭親王は、いつものように肩にエールライヒを止まらせ、黒貂の毛皮を裏打ちしたマントの下に、黒地に金の飾緒をあしらった帝国軍の皇子の正装に、しかしいつも下げている愛用の剣はなく、ただ皇家の紋章を透かし彫りにした翡翠の佩玉のみを帯び、左手の薬指には大きな指輪を嵌めている。王女は貝紫色の高雅な長衣に金糸で精緻な刺繍を施した帯を結び、胸元には東の皇帝より贈られた三連の大粒の真珠の首飾りを下げ、プラチナブロンドは上半分だけを結い上げて金と翡翠の髪飾りをあしらい、下半分は自然に肩に流していた。肩口からは白貂を裏打ちした純白のマントを垂らし、華奢な身体の線は半分ほど隠されていたが、それでも溢れ出る高貴で清純な色気は、広間に集まった男たちの目を釘付けにするに十二分であった。

 大広間に集まったのは、総督府の全官員五百名と、総督府軍十万の将帥百名、特に選ばれたソリスティアの大商人ら市民十名、聖地からは〈禁苑三宮〉の代表者がそれぞれ三名ずつ、遠く帝都からは内務卿のゼンバ(トルフィンの父である)、そして王女の後見人であるレイノークス辺境伯ユリウスであった。

 これはあくまでソリスティア総督としてのお披露目であり、近隣の領主などは招待されない。近隣の首長に対するお披露目は、新年に改めて行う予定となっている。

 陰陽宮の使者であるパールス、エダム、メイローズの三人の枢機卿は、昨夜、〈聖婚〉が滞りなく成立したことを淡々と述べ、さらに此度の〈聖婚〉を天がよみして、すでに〈聖剣〉が賜与された〈大婚〉であると報告した。それを受けて、恭親王は左手を前方に出してその場で〈聖剣〉を呼び出し、中央の床に突き刺して〈聖剣〉を示した。それを太陽宮と太陰宮の使者が前に出て確認し、確かに〈聖剣〉であると承認する。
 本物の〈聖剣〉を目にしたジュルチ僧正は興奮のあまり舐めんばかりに〈聖剣〉を撫でまわし、恭親王を呆れさせた。

 報告の儀式が済むとあとは宴になる。杯が回ってやや座がくだけてくると、ゾーイがおずおずと恭親王に申し出た。

「〈聖剣〉を見せていただきたいのですが」

 武芸者ともなれば、みな〈聖剣〉には興味津々であった。恭親王が左手から〈聖剣〉を呼び出すと、その場の全員が感嘆の声をあげる。細身であるが、そこそこ長い。どう考えても、これが掌から出て来るはずがない大きさなのだ。

「持たせていただいても?」

 ゾーイの申し出に、恭親王が頷き、ポイっと無造作に投げつける。咄嗟とっさに受け止めたゾーイは、その重さによろめき、声を失った。

「これは……こんな重い剣を、よくぞあれほど軽々と……」

 ゾーイの言葉に、ジュルチが代わって剣を持って、また重みに顔を顰める。

「確かに、これほど重いと、拙僧では振り回すことも敵わぬ」

 恭親王が不思議そうに首を傾げる。

「いや、別にそれほど重いとも思わぬが……」
「この刀身の(溝)の中の彫刻といい、柄の龍の装飾といい、刃紋の美しさといい、これは確かに人の手では成し得ぬほどの名剣でございますな。こんな美しい剣は見た事がございません」
 
 ゾーイの周囲にいた者たちも、横から覗き込んでは感嘆する。ゾーイのオマケのようにして列席していたランパは、興奮で顔が赤くなっていた。とにかく美しいものには目がないのだ。

 ゾーイが〈聖剣〉を恭しく恭親王に奉りながら、言った。

「今後どのような困難に遭いますとも、俺の殿下への忠誠には変わりはありません。どうか、殿下のご大望に、俺の不才なる身をもお役立てください」

 ゾーイに続き、ゲルも言った。

「長く、傅役として殿下のお側にお仕えすることになりましたのも、全て天と陰陽のお導き。殿下が成し遂げられますことを、非力ながらお手伝いさせてくださいますよう」
「俺も、ずっと殿下についていきます。こきつかわれても、これからは少ししか文句を言いません!」
「蛇女についてはいかがかと存じますが、これからも蕎麦を打たせていただきます」
「あざーっす!俺は文句も言うけど殿下のことはアイシテルっす!」

 盃を上げながら、口々に忠誠を誓う配下の者たちに、恭親王は照れたような微笑を浮かべて、ゾーイから剣を受け取る。

「何か、だんだん誓いが中途半端になっている気がするが……まあいい。これからもよろしく頼む」

 恭親王はそう言って、軽々と片手で掴んでぐるんと振り回して再び左手の中に納める。〈聖剣〉が消えたのを目の当たりにして、みな、ただただ驚きの声を上げるのみである。

「どういう仕組みになっているんでしょうね」

 トルフィンが不思議そうに言い、その父ゼンバも感心した。

「これは皇上にも申し上げねばなりませんな」

 内務卿のゼンバは、今回は皇帝の使者も兼ねているが、本来の目的はトルフィンとミハルの婚約についての話し合いである。

 そうした人々をよそに、レイノークス伯ユリウスは美しい異母妹に感激半分、親友に取られて悔しさ半分といった気分で、アデライードに対し、切々と心情を吐露していた。

「本当に、昨夜松明たいまつが点火した瞬間の悔しさといったらないよ。可愛いお前があの変態エロ皇子、いやげふんげふん。とにかくあまりの悔しさに、昨夜は途中から記憶も飛んでしまったよ」

 一応、この場で恭親王をくさすのはよくない、という空気は読んだらしい。ただし、記憶が飛んだのは、ただの自棄酒の飲み過ぎのせいである。
 アデライードの護衛を兼ねて近くに控えていたアリナは、見かけは麗しいのに中身が残念、というトルフィンの評価に内心頷かざるを得ない。

(これは要するに殿下と類友というか、基本的に同じ人種というか……)

 その様子を見ていた恭親王がアデライードの近くに身体を寄せてきて、わざと挑発するようにユリウスをからかう。

「これは義兄殿、おぬしの助言通り、婚礼まで待った甲斐があって、昨夜は無事にあんなこともこんなこともしたい放題、アデライードにも十分ご満足いただけたようで、私の気力も充実しているよ」
「ぐぬぬ、このエロ皇子め、無垢なアデライードにさぞ無茶を強いたに違いない。アデライード、辛いことがあったら、すぐこの僕に言うのだよ。幸いレイノークス領はすぐ隣、いつでも迎えに来てあげるからね」
「今夜もそろそろ失礼して、昨夜し足りなかった分、あれもこれもしたいのだが、義兄殿はその間、私の獣人どもを好きに使って、無聊を慰めてもらって構わないよ」
「むむむー。あの超絶技巧の蛇女、今夜は三人ほど借りても構わないか」
「どうぞどうぞ、ご自由に。なんなら四人くらい連れて行くか?」
「いや、僕は義弟殿ほど絶倫じゃないから、三人で十二分だよ」

 アリナはその会話を聞いて、軽いめまいを覚えた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【完結】婚約破棄の代償は

恋愛 / 完結 24h.ポイント:3,061pt お気に入り:385

神さま…幸せになりたい…

恋愛 / 完結 24h.ポイント:10,089pt お気に入り:135

本当はあなたを愛してました

m
恋愛 / 完結 24h.ポイント:2,279pt お気に入り:218

わたしたち、いまさら恋ができますか?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:2,131pt お気に入り:379

平凡少年とダンジョン旅

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:92pt お気に入り:1

隻眼の騎士王の歪な溺愛に亡国の王女は囚われる

恋愛 / 完結 24h.ポイント:404pt お気に入り:429

身分違いの恋

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:4,955pt お気に入り:332

処理中です...