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番外編
トルフィンの結婚①
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「それで、どうしてもあの女と結婚すると言うのか」
新年を間際に控え、どことなく慌ただしい総督府の恭親王の書斎。立体映像に浮かび上がる神経質そうな従兄の声に、トルフィンが竦みあがる。昔から、トルフィンはこの従兄に頭が上がらない。
その場にいるのは、部屋の主である恭親王と、当事者であるトルフィン、トルフィンの父内務卿のゼンパ、そしてトルフィンの許嫁であるクラウス家のミハルの長兄、ランセルであった。
トルフィンの父ゼンパは皇帝からの使者として、〈聖婚〉の確認のためにダルバンダルの転移門を利用して冬至の朝に総督府入りしたが、ミハルの長兄であるランセルは十二月の頭に帝都を発って、馬で飛ばしに飛ばして何とか年内に滑り込んだという感じだ。クラウス家としては、家出娘の結婚問題のために転移門の利用申請を出すのは憚られたために、ランセルはそれほど得意でもない馬を飛ばす羽目になったのである。
トルフィンとミハルの結婚は、結局はゲスト家とクラウス家の問題なのだが、そこに恭親王が同席させられているのは、帝都の転移魔法陣と恭親王の書斎を繋いで、立体映像でゲルフィンが参加するからだ。さすがに超個人的な問題では魔法陣を稼働させられない。総督府からの年末の報告にゲルフィンが便乗する形を取る以上、名目的にも、総督である恭親王がそこにいなければならないのだ。
恭親王としては、せっかくの蜜月期間、魔力を制御するという名目を振りかざして、べったりアデライードに貼りついていたいのに、何で他人の結婚話に付き合わねばならないのか、極めて不平満々であった。他人の恋愛には全く興味が湧かないのである。
だが、結婚が暗礁に乗り上げている部下の目の前で、自分だけアデライードとラブラブしているのも多少気が引けるのと、あまり引っ付きすぎてもアデライードを襲ってしまうので、少しは離れていろ、とアデライードの侍女たちに部屋から追い出され、話合いへと追い立てられたのであった。だから恭親王としては、長い脚を組んで優雅に肘掛椅子に座り、右手はずっとアデライードに魔力を込めてもらった翡翠の耳飾りを弄り倒し、彼女の〈王気〉を堪能しながら、欠伸をかみ殺して話を聞いているのである。
ちなみに、現在アデライードはアリナから魔力制御と棒術の稽古を受けているはずだ。
立体映像の中のゲルフィンは、相変わらず髪をぴっちりと分けて撫で付け、片眼鏡をかけて一分の隙も見せない構えである。この神経質な男が、よく廉郡王の下で働けるな、と恭親王は感心するのだが、とにかくゲルフィンとしては筋の通らぬ結婚を認めるつもりはまるきりないらしい。
そもそもが、この結婚はクラウス家から言い出したことであったという。
ゲスト家の当主の甥で、次期皇帝とも目された恭親王の侍従を務め、内務卿を父に持つトルフィンは若手の注目株であった。ダメ元で申し出た婚約をトルフィンがあっさり承諾したことで、ミハルの父はトルフィンとゲスト家を甘く見てしまったのである。恭親王が〈聖婚〉によってソリスティア総督に就任し、皇太子の芽がなくなり、ミハルの父は当てが外れたと感じた。ミハルならば、もっと価値の高い相手に嫁がせられるのではないかと、魔がさしたのだ。
実際に話を進めようとしてもミハルの気は乗らないし、トルフィンとの婚約が公になっていたミハルを敢えて娶りたいという男も期待ほどには出てこなかった。トルフィンとの婚約を解消するというクラウス家の思惑があからさますぎたこともある。ゲスト家の恨みを買ってまでも、ミハルと結婚するメリットがないのだ。
そこへ加えてミハルの家出である。
ソリスティアを目指して二か月も行方不明になるような、地雷女に新たな縁談など来るはずもない。このままトルフィンに嫁がせるしかなくなったのに、ゲルフィンが可愛がっている従弟を虚仮にされたと激怒し、婚約は白紙だと言い出したのだ。
クラウス家が縋るのは、それでもミハルと結婚すると言い張るトルフィン自身と、当主に手紙まで書いてくれた恭親王しかない。ミハルの長兄であるランセルは、とにかく頭を低くして、トルフィンが従兄を説得するのを期待するほかないのだ。
「だいたい、その我儘女との結婚は、俺はもともと賛成していなかったのだ。ここまでやらかした女の、いったいどこがいいというのだ」
片眼鏡を冷たく光らせて、ゲルフィンがトルフィンに詰め寄る。
「叔父上も叔父上です。この後に及んで本人の希望を優先するなどと……」
返す刀で叔父のゼンバまで切り上げられ、ゼンバもびくっと身を震わせる。内務卿として切れ者の呼び声高いゼンバだが、甥のゲルフィンには強く出られないらしい。
「いやその……まあ、なんだ、トルフィンが彼女がいいというわけだしね。望んだ女性と結婚させるのが、わがゲスト家の家訓でもあるわけで……。今さら、他の女性と言ってもねえ、ソリスティアまで来てくれるかはわからんし……」
「いるに決まっているでしょう! 我がゲスト家のトルフィンの妻となるのですから!」
東の貴族層は大家族制である。とりわけ、十二貴嬪家以下の貴種の家では同族の結束が固い。広大な邸で数家族、数世代同居は当たり前。兄弟たちは結婚後も同じ邸内に暮らし、嫁同士も姉妹のように呼び合う。同姓のイトコは兄弟姉妹も同じであり、輩行といって同じ世代間では共通の名を共有する。トルフィンにとって本家の跡取りであるゲルフィンは兄以上の存在であり、ゼンバもまたゲルフィンの意向を無視することはできないのだ。
クラウス家としても状況は同じであり、さらには一族の爪はじきであるランパまで恭親王の世話になっている負い目もあって、ランセルはひたすら、身を縮めてトルフィンとゼンバの頑張りを祈るのみだ。
右耳の翡翠を弄りながら、恭親王は溜息をつく。
このままでは、議論は平行線だ。魔法陣を維持している術者の魔力だって限りがあるのだ。それに、とっとと終わらせてアデライードのところにも行きたいし。
「……とりあえずトルフィン、どうしてもミハルと結婚したいという理由をきちんと述べてみろ。それでゲルフィンを納得させられればいいわけだ」
新年を間際に控え、どことなく慌ただしい総督府の恭親王の書斎。立体映像に浮かび上がる神経質そうな従兄の声に、トルフィンが竦みあがる。昔から、トルフィンはこの従兄に頭が上がらない。
その場にいるのは、部屋の主である恭親王と、当事者であるトルフィン、トルフィンの父内務卿のゼンパ、そしてトルフィンの許嫁であるクラウス家のミハルの長兄、ランセルであった。
トルフィンの父ゼンパは皇帝からの使者として、〈聖婚〉の確認のためにダルバンダルの転移門を利用して冬至の朝に総督府入りしたが、ミハルの長兄であるランセルは十二月の頭に帝都を発って、馬で飛ばしに飛ばして何とか年内に滑り込んだという感じだ。クラウス家としては、家出娘の結婚問題のために転移門の利用申請を出すのは憚られたために、ランセルはそれほど得意でもない馬を飛ばす羽目になったのである。
トルフィンとミハルの結婚は、結局はゲスト家とクラウス家の問題なのだが、そこに恭親王が同席させられているのは、帝都の転移魔法陣と恭親王の書斎を繋いで、立体映像でゲルフィンが参加するからだ。さすがに超個人的な問題では魔法陣を稼働させられない。総督府からの年末の報告にゲルフィンが便乗する形を取る以上、名目的にも、総督である恭親王がそこにいなければならないのだ。
恭親王としては、せっかくの蜜月期間、魔力を制御するという名目を振りかざして、べったりアデライードに貼りついていたいのに、何で他人の結婚話に付き合わねばならないのか、極めて不平満々であった。他人の恋愛には全く興味が湧かないのである。
だが、結婚が暗礁に乗り上げている部下の目の前で、自分だけアデライードとラブラブしているのも多少気が引けるのと、あまり引っ付きすぎてもアデライードを襲ってしまうので、少しは離れていろ、とアデライードの侍女たちに部屋から追い出され、話合いへと追い立てられたのであった。だから恭親王としては、長い脚を組んで優雅に肘掛椅子に座り、右手はずっとアデライードに魔力を込めてもらった翡翠の耳飾りを弄り倒し、彼女の〈王気〉を堪能しながら、欠伸をかみ殺して話を聞いているのである。
ちなみに、現在アデライードはアリナから魔力制御と棒術の稽古を受けているはずだ。
立体映像の中のゲルフィンは、相変わらず髪をぴっちりと分けて撫で付け、片眼鏡をかけて一分の隙も見せない構えである。この神経質な男が、よく廉郡王の下で働けるな、と恭親王は感心するのだが、とにかくゲルフィンとしては筋の通らぬ結婚を認めるつもりはまるきりないらしい。
そもそもが、この結婚はクラウス家から言い出したことであったという。
ゲスト家の当主の甥で、次期皇帝とも目された恭親王の侍従を務め、内務卿を父に持つトルフィンは若手の注目株であった。ダメ元で申し出た婚約をトルフィンがあっさり承諾したことで、ミハルの父はトルフィンとゲスト家を甘く見てしまったのである。恭親王が〈聖婚〉によってソリスティア総督に就任し、皇太子の芽がなくなり、ミハルの父は当てが外れたと感じた。ミハルならば、もっと価値の高い相手に嫁がせられるのではないかと、魔がさしたのだ。
実際に話を進めようとしてもミハルの気は乗らないし、トルフィンとの婚約が公になっていたミハルを敢えて娶りたいという男も期待ほどには出てこなかった。トルフィンとの婚約を解消するというクラウス家の思惑があからさますぎたこともある。ゲスト家の恨みを買ってまでも、ミハルと結婚するメリットがないのだ。
そこへ加えてミハルの家出である。
ソリスティアを目指して二か月も行方不明になるような、地雷女に新たな縁談など来るはずもない。このままトルフィンに嫁がせるしかなくなったのに、ゲルフィンが可愛がっている従弟を虚仮にされたと激怒し、婚約は白紙だと言い出したのだ。
クラウス家が縋るのは、それでもミハルと結婚すると言い張るトルフィン自身と、当主に手紙まで書いてくれた恭親王しかない。ミハルの長兄であるランセルは、とにかく頭を低くして、トルフィンが従兄を説得するのを期待するほかないのだ。
「だいたい、その我儘女との結婚は、俺はもともと賛成していなかったのだ。ここまでやらかした女の、いったいどこがいいというのだ」
片眼鏡を冷たく光らせて、ゲルフィンがトルフィンに詰め寄る。
「叔父上も叔父上です。この後に及んで本人の希望を優先するなどと……」
返す刀で叔父のゼンバまで切り上げられ、ゼンバもびくっと身を震わせる。内務卿として切れ者の呼び声高いゼンバだが、甥のゲルフィンには強く出られないらしい。
「いやその……まあ、なんだ、トルフィンが彼女がいいというわけだしね。望んだ女性と結婚させるのが、わがゲスト家の家訓でもあるわけで……。今さら、他の女性と言ってもねえ、ソリスティアまで来てくれるかはわからんし……」
「いるに決まっているでしょう! 我がゲスト家のトルフィンの妻となるのですから!」
東の貴族層は大家族制である。とりわけ、十二貴嬪家以下の貴種の家では同族の結束が固い。広大な邸で数家族、数世代同居は当たり前。兄弟たちは結婚後も同じ邸内に暮らし、嫁同士も姉妹のように呼び合う。同姓のイトコは兄弟姉妹も同じであり、輩行といって同じ世代間では共通の名を共有する。トルフィンにとって本家の跡取りであるゲルフィンは兄以上の存在であり、ゼンバもまたゲルフィンの意向を無視することはできないのだ。
クラウス家としても状況は同じであり、さらには一族の爪はじきであるランパまで恭親王の世話になっている負い目もあって、ランセルはひたすら、身を縮めてトルフィンとゼンバの頑張りを祈るのみだ。
右耳の翡翠を弄りながら、恭親王は溜息をつく。
このままでは、議論は平行線だ。魔法陣を維持している術者の魔力だって限りがあるのだ。それに、とっとと終わらせてアデライードのところにも行きたいし。
「……とりあえずトルフィン、どうしてもミハルと結婚したいという理由をきちんと述べてみろ。それでゲルフィンを納得させられればいいわけだ」
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