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30、ミレイユの後悔

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 フィリップからラファエルの言葉を聞かされて、ミレイユは打ちのめされる。

(そんな馬鹿な――絶対に、諦めないと言ってくださったのに!)

 さらにラファエルの叙爵を潰したのは父アギヨン侯爵であり、その事実を知ったラファエルの父ジロンド伯爵は当然ながらミレイユの父に対して怒っており、それまでは黙認していたミレイユへの求婚を、認めないとラファエルに通告したのだという。

 ラファエルが爵位さえ得てくれれば、父は結婚を認めてくれるとミレイユは信じていた。彼の叙爵の機会を、父が奪っていたなんて。しかもそのことで、ラファエルの家族までも、ミレイユとの結婚を反対する立場に回ってしまった。今までラファエルの父も兄も、敵対陣営の娘で、さらに庶子であるミレイユとの結婚を特に反対もせず、ラファエルへ他の縁談を薦めることもなく、叙爵にこだわらず、王宮の職を辞してジロンド伯領で所領の管理をして暮らしてもいいとまで、言ってくれていたらしいのに。

 あの時、ラファエルにそんな敗残者のような人生を歩ませるのが嫌で、ちゃんと父に許しを得て欲しいと言ったのは、ミレイユだ。――市井の小さな家でひっそりと暮らした、母のような人生は嫌だった。たとえ母の身分は低くとも、アギヨン侯爵の娘として認められて嫁ぎたいというのは、過ぎた望みだったのか。所詮、父にとって自分は都合のいい政略の駒。ただ父の利益のために生かされ、嫁ぐだけの存在に過ぎない。父がミレイユの幸せを祝福して送り出してくれる日など、永久にこないのだと、もっと早くに気づいていれば――。
 
 ミレイユの胸裏には、後悔ばかりが湧きおこってくる。

 ミレイユは気づけばふらふらと、庭の薔薇園の側の、楡(にれ)の木の下に立っていた。
 ――その場所で、ラファエルとミレイユは初めて、言葉を交わしたのだった。





 ミレイユがアギヨン侯爵家に引き取られたのは十の歳。母は侯爵家に仕える女中で、父に犯されるように手が付き、ミレイユを身ごもったという。侯爵の夫人は悋気りんきの強い人で、身ごもった母を追い出したが、父は母に小さな家と毎月の手当を与えて、母娘二人は市井に暮らした。

 母と暮らす下町の家の二軒隣には、やはり同じような境遇の母子が住んでいて、ミレイユよりもいくらか年上の「お兄さん」がいた。ミレイユの父は毎月の手当こそ欠かさなかったが、顔を見せることはなかった。一方、「お兄さん」の父親はそれよりはずっと誠実な男で、月に一、二度は顔を出しているようだった。父親が土産に持ってきた焼き菓子を、ミレイユの家にお裾分けと称しては、境遇のよく似た母親同士はおしゃべりに花を咲かせる。そんな時、ミレイユと「お兄さん」は狭くて日当たりの悪い裏庭の、辛うじて日の当たる場所に二人で縮こまるように座って、お持たせの焼き菓子を齧りながら、とりとめのない話をした。

『騎士になろうと思うんだ』

 もともと彼の父親は子爵家の三男で、王宮の騎士になって、城勤めをしていた彼の母と知り合ったのだという。結婚の約束をしていたが、男の方に男爵家に婿入りの話が来て、女は身を引いた。ところがお腹にはすでに彼がいて――という、お定まりの話であった。

『騎士になれば、爵位はなくても給料ももらえるし、母さんに楽をさせてやれる』
『そうなんだ、男の子はいいな。あたしは女だから、お城で働くお給料じゃあ、母様に楽をさせてあげられないわ』
『騎士の女房になればいい。俺が騎士になったら、迎えに来てやるよ。そうしたら、お前の母さんも一緒に、四人でまた暮らせる』

 それは、夢のような話だった。いつか、ミレイユの「騎士」が現れて、彼女とその母をこの境遇から救いだし、幸せをもたらしてくれる。――騎士の修行をすると言って、「お兄さん」が下町の家からいなくなっても、ミレイユはどこかで、自分を迎えにくる「騎士」を待っていた。

 その後、ミレイユの母は流行り病であっさり死んでしまい、ミレイユは侯爵邸に引き取られる。父の正妻の侯爵夫人には存在を無視され、五歳上の異母姉イブリンにはことあるごとに虐められた。長兄は虫けらでも見るような目でミレイユを見たし、使用人たちも冷たかった。王宮の騎士団にいて、時々帰ってくる次兄のフィリップだけは、庶子だとの理由でミレイユを差別しなかった。

 いらなくなった本をくれたり、王都の菓子を買ってきてくれたりするのも、フィリップだけだった。

『俺は騎士だから。たとえ庶子でも、小さな妹には親切にしてやらなきゃならない』

 フィリップの言葉に、ミレイユはやはり自分を助けてくれるのは、「騎士」なのだと思う。――いつの日か、「騎士」がわたしを助けてくれる。辛いこの家から救い出され、幸せになれるはず。

 そのフィリップが邸に連れてきた友人がラファエルで、その頃は正騎士になったばかりの十六歳、天使のような美少年であった。


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