1 / 43
1、遺言
しおりを挟む
「俺はもう、ダメだ。イライアス。最期に、聞いてほしいことがある」
友人でもあるデニス・カートの弱々しい声は、彼の死期が迫っているのだと、僕に教えた。僕が枕元に控える看護婦に目配せすると、彼女は心得て席を外す。二人きりになって、僕はデニスの包帯だらけの顔を覗きこんだ。
「わかった、聞こう。今、ここには僕だけだ」
「懺悔しなきゃいけないことがある」
「……牧師を呼んだ方がいい?」
「いや、君に聞いてほしい。頼みがあるんだ」
デニスの掠れた声に、実は内心、厄介な頼みごとなら困るなと考えていた。――デニスは数日前の戦闘で重傷を負った。戦況は日増しに悪くなる一方で、軍医の僕は最前線に立つことはないものの、無事に故郷に帰れる保証などない。
「……わかった。メモを取るからちょっと待って」
僕は白衣の胸ポケットから質の悪いわら半紙と鉛筆を取り出す。
「ローズマリー・オルコットを探してほしい」
突然名を言われて、僕は慌てて書き留めた。
「ローズマリー・オルコット? 女性だね? 彼女に遺言が?」
「俺は、邸のメイドだった彼女を妊娠させて、捨てた」
いきなりの告白に、僕の手が止まる。
「……ライラとの、結婚の前?」
デニスは僕の従妹、ライラの夫だ。ライラとの縁で僕たちは知り合い、意気投合した。デニスは快活ないい男で、女性関係の悪い噂は聞いたこともなかったのに。デニスは包帯で塞がれていない、片目を瞬きした。
「そう。……ライラとの婚約がほぼ決まりかけたころに、ローズマリーが妊娠して……俺は、親父に怒られるのが怖くて、知らない、俺の子じゃないって言ったんだ」
「……それは……」
最低だな、と喉元まででかかったのをなんとか飲み込み、先を促す。
「それで、どうしたんだ?」
「……俺の両親は俺を信じて、ローズマリーが嘘をついていると詰って、クビにして邸から追い出した」
「……君は、身に覚えがあったのに、彼女を庇わなかったのか?」
デニスの青い目がかすかに揺らぐ。
「……そうだ。ライラは、憧れの女性で……婚約できることに俺は浮かれていた。メイドを孕ませたなんて知れたら破談になってしまう。それで、つい――」
僕は従妹のライラと、デニスが婚約したころのことを思い出す。デニスがまだ二十歳前くらいのころで、若気の至りと言われればそうなのだろうが――
「そのメイド……ローズマリー? 彼女はそれからどうした?」
だが、デニスは無言で首を振る。
「わからない――」
「まさかと思うが、君は、彼女の行方を捜すことさえ、しなかったのか?」
どうしても口調が非難がましくなる。妊娠を知らなかったのならともかく、身に覚えがあるのに彼女を庇わず、追い出されるままにした。せめて金くらい渡したんだろうな?
「……その頃の俺は親父が怖かったし……彼女は実家に帰ったと思っていた。でも、実家からも姿を消して――」
「その状況であれば、まずは自殺が疑われると思うのだが――」
僕が冷酷に告げれば、デニスが苦し気に息を吐く。
「……そうかも、しれない。でも、万一、彼女が生きているなら、償いたいんだ」
今さら?
口からでかかるのをぐっと飲みこみ、僕は言った。
「どうやって?」
「――僕の、資産の一部を、信託財産にして彼女に渡すようにしてある。彼女の行方が知れなくなって、自分の仕出かしたことが怖くなった。いつか、渡せるようにと思って、ライラには内緒で……」
正直、その頼み事は無茶苦茶過ぎて、「はい、わかった」と言えるものではなかったが、僕は仕方なく、彼の告げる法律事務所の名前を書き留める。
僕はライラの従兄で、彼女のことは実の妹のようにも思っている。
戦場で、軍医としてもライラの夫の命を救うこともできず、さらにデニスの秘密を抱え込むのは気が重い。
「わかった。僕もいつ故郷に帰れるかはわからないが、できる限りのことはする」
「……ありがとう。君が、ここにいてくれてよかった」
デニスは包帯の巻かれた顔を少し動かし、僕を見つめる。
「あと――ライラには愛していると。僕はいろいろ間違いを犯したけれど、ライラとの結婚は間違っていなかった。だから――」
それだけ言うと咳き込んで、痛みに顔を歪める。
「ああ、大丈夫だ。デニス、必ず伝えるよ」
告白して安心したのか、デニスは眠りにつき、その夜遅くに息を引き取った。
友人でもあるデニス・カートの弱々しい声は、彼の死期が迫っているのだと、僕に教えた。僕が枕元に控える看護婦に目配せすると、彼女は心得て席を外す。二人きりになって、僕はデニスの包帯だらけの顔を覗きこんだ。
「わかった、聞こう。今、ここには僕だけだ」
「懺悔しなきゃいけないことがある」
「……牧師を呼んだ方がいい?」
「いや、君に聞いてほしい。頼みがあるんだ」
デニスの掠れた声に、実は内心、厄介な頼みごとなら困るなと考えていた。――デニスは数日前の戦闘で重傷を負った。戦況は日増しに悪くなる一方で、軍医の僕は最前線に立つことはないものの、無事に故郷に帰れる保証などない。
「……わかった。メモを取るからちょっと待って」
僕は白衣の胸ポケットから質の悪いわら半紙と鉛筆を取り出す。
「ローズマリー・オルコットを探してほしい」
突然名を言われて、僕は慌てて書き留めた。
「ローズマリー・オルコット? 女性だね? 彼女に遺言が?」
「俺は、邸のメイドだった彼女を妊娠させて、捨てた」
いきなりの告白に、僕の手が止まる。
「……ライラとの、結婚の前?」
デニスは僕の従妹、ライラの夫だ。ライラとの縁で僕たちは知り合い、意気投合した。デニスは快活ないい男で、女性関係の悪い噂は聞いたこともなかったのに。デニスは包帯で塞がれていない、片目を瞬きした。
「そう。……ライラとの婚約がほぼ決まりかけたころに、ローズマリーが妊娠して……俺は、親父に怒られるのが怖くて、知らない、俺の子じゃないって言ったんだ」
「……それは……」
最低だな、と喉元まででかかったのをなんとか飲み込み、先を促す。
「それで、どうしたんだ?」
「……俺の両親は俺を信じて、ローズマリーが嘘をついていると詰って、クビにして邸から追い出した」
「……君は、身に覚えがあったのに、彼女を庇わなかったのか?」
デニスの青い目がかすかに揺らぐ。
「……そうだ。ライラは、憧れの女性で……婚約できることに俺は浮かれていた。メイドを孕ませたなんて知れたら破談になってしまう。それで、つい――」
僕は従妹のライラと、デニスが婚約したころのことを思い出す。デニスがまだ二十歳前くらいのころで、若気の至りと言われればそうなのだろうが――
「そのメイド……ローズマリー? 彼女はそれからどうした?」
だが、デニスは無言で首を振る。
「わからない――」
「まさかと思うが、君は、彼女の行方を捜すことさえ、しなかったのか?」
どうしても口調が非難がましくなる。妊娠を知らなかったのならともかく、身に覚えがあるのに彼女を庇わず、追い出されるままにした。せめて金くらい渡したんだろうな?
「……その頃の俺は親父が怖かったし……彼女は実家に帰ったと思っていた。でも、実家からも姿を消して――」
「その状況であれば、まずは自殺が疑われると思うのだが――」
僕が冷酷に告げれば、デニスが苦し気に息を吐く。
「……そうかも、しれない。でも、万一、彼女が生きているなら、償いたいんだ」
今さら?
口からでかかるのをぐっと飲みこみ、僕は言った。
「どうやって?」
「――僕の、資産の一部を、信託財産にして彼女に渡すようにしてある。彼女の行方が知れなくなって、自分の仕出かしたことが怖くなった。いつか、渡せるようにと思って、ライラには内緒で……」
正直、その頼み事は無茶苦茶過ぎて、「はい、わかった」と言えるものではなかったが、僕は仕方なく、彼の告げる法律事務所の名前を書き留める。
僕はライラの従兄で、彼女のことは実の妹のようにも思っている。
戦場で、軍医としてもライラの夫の命を救うこともできず、さらにデニスの秘密を抱え込むのは気が重い。
「わかった。僕もいつ故郷に帰れるかはわからないが、できる限りのことはする」
「……ありがとう。君が、ここにいてくれてよかった」
デニスは包帯の巻かれた顔を少し動かし、僕を見つめる。
「あと――ライラには愛していると。僕はいろいろ間違いを犯したけれど、ライラとの結婚は間違っていなかった。だから――」
それだけ言うと咳き込んで、痛みに顔を歪める。
「ああ、大丈夫だ。デニス、必ず伝えるよ」
告白して安心したのか、デニスは眠りにつき、その夜遅くに息を引き取った。
47
あなたにおすすめの小説
【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領
たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
※他サイト様にも掲載中
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
巨乳令嬢は男装して騎士団に入隊するけど、何故か騎士団長に目をつけられた
狭山雪菜
恋愛
ラクマ王国は昔から貴族以上の18歳から20歳までの子息に騎士団に短期入団する事を義務付けている
いつしか時の流れが次第に短期入団を終わらせれば、成人とみなされる事に変わっていった
そんなことで、我がサハラ男爵家も例外ではなく長男のマルキ・サハラも騎士団に入団する日が近づきみんな浮き立っていた
しかし、入団前日になり置き手紙ひとつ残し姿を消した長男に男爵家当主は苦悩の末、苦肉の策を家族に伝え他言無用で使用人にも箝口令を敷いた
当日入団したのは、男装した年子の妹、ハルキ・サハラだった
この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。
黒騎士団の娼婦
イシュタル
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。
異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。
頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。
煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。
誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。
「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」
※本作はAIとの共同制作作品です。
※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる