2 / 43
2、帰還
しおりを挟む
デニスの死から数か月。
戦争がようやく終わって、僕は無事、帰還を果たした。
相変わらずの繁栄を見せる王都の賑わいは、戦場の悲惨さとあまりに違っていて、なんだか現実感がなく、僕はどこかふわふわとしていた。
「イライアス、無事に帰ってきてよかったわ。……ライラの夫は戦死だと聞いて、お前、彼とは同じ部隊だったのでしょう? 心配したのよ」
母に言われて、僕はデニスの死を思い出す。――最後の、遺言とともに。
「部隊は違いますよ。師団が同じでしたが。……デニスは、たまたま僕のいた野戦病院に担ぎ込まれて、僕が最期を看取りました」
「まあ……」
母の姪・ライラはヘンダーソン侯爵の令嬢だったが、十八で王国西部の街アーリングベリのリントン伯爵家に嫁いだ。それが五年前で、伯爵家嫡男で陸軍士官の夫、デニスは一年も経たずに戦地に向かい、そして戦死してしまった。もちろん、子供はない。
「リントン伯爵家は跡継ぎはどうするのかな?」
横で聞いていた兄アシュリーが、綺麗に調えた口ひげを撫でながら言えば、母は首を振った。
「さあ……デニス卿は一人息子と言っていたから、爵位は親族に移るのかしら?」
我が国は限嗣相続と言って、爵位も財産も、長男総取りが原則だ。
「他人事ではないね。我がマクミラン侯爵家もまだ、子供がいない。――うちは、イライアスが戻ってくれたからよかったが……」
兄に言われて、僕はなんとなく肩を竦める。
「僕が戦争に行っている間に、とっくに跡継ぎも生まれていると思っていましたのに」
「こればかりは天の配剤だからね。……時に、お前はこれからどうするんだ? また医局に勤めるのか?」
「いやもう、あの仕事はちょっと……」
僕は言葉を濁す。
侯爵家の次男である僕は、法的には爵位も財産も相続できずに家を追い出される定めにある。政治家になったり、事業を起こしたりする甲斐性もないので、とりあえず食いっぱぐれなさそうな職業として医者を選んだ。開業のための資金を貯めるのと、医師として経験を積むために、王都の王立病院の医局に勤めたのだけど――
僕はどうにもあの仕事が苦手で――厳密に言えば女の患者が苦手だった。だから、ちょうど戦争が起きて軍医を募集していると聞き、女の患者が少なそう、というかなり後ろ向きな理由で志願した。
戦争から戻っても、正直、元の仕事をする気にはならない。
「いろいろ、悲惨な現場も目にして疲れたし、ひとまず恩給もあるのでしばらくはブラブラしようかと――」
僕のやる気のない様子に、兄などは眉を顰めたけれど、母はおっとりと賛成した。
「そうね、まずはゆっくり休んで……お前もそろそろお嫁さんを見つけないと」
「無職では嫁探しもままならないと思いますが……」
兄が言い、僕はふと思いついて言った。
「実はライラのところを訪問しようと思うのです。デニスのこともあるし――」
「それがいいわ。ライラも気落ちしているようだし、慰めてあげてちょうだい」
母に言われて、僕はアーリングベリのリントン伯爵家に訪問を申し入れた。
デニスの遺体や遺品は、先に彼の家に戻り、すでに葬儀も済んでいた。
アーリングベリは王都から汽車で一日の距離にある、西の海に面した港街だ。リントン伯爵家を訪ねるのは、ライラとデニスの結婚式以来となる。
「イライアス兄さま! よく来てくだすったわ!」
リントン伯爵家の玄関ポーチで、黒い喪服に身を包んだライラの出迎えを受け、僕はデニスの死を再び実感する。
戦場において、士官の死は「数」だ。でも、故郷では一人の、夫であり、息子の死なのだ。
「イライアス兄さまが最期を看取ったと聞いて、わたくし――」
「ああ、偶然というか――運び込まれた患者がデニスだった。できる限りの処置はしたけれど、力及ばず申し訳ない」
「そんなこと――とても丁寧に遺品まで送ってくださって、最期に友人に看取られて幸せだったわ」
「……手紙にも書いたけど、ライラに最期の言葉を伝えてくれと言われたから」
僕は自分が帰還できない可能性も見越して、手紙にデニスの言葉を記して告げていた。
「でもやはり、直接、伝えるべきと思ってね。君を愛している、と言っていたよ」
「……デニス……」
ライラの青い瞳に見る見る涙が溜まり、あふれ出す。
僕はデニスの両親――リントン伯爵と夫人にもお悔やみを申し上げ、ライラの案内で真新しいデニスの墓に花を手向ける。
「イライアス兄さま、あのね……」
ライラが俯きがちに言った。黒いボンネットを被っているから、表情はよく見えない。
「デニスが出征してすぐに、わたくし、妊娠に気づいたの。……でも……」
「そうだったの……」
「デニスはすぐに戻るって言っていたのに、結局、四年――戦死の報せが入ったときは信じたくなかった。わたくしがせめてあの子をちゃんと産めていれば――」
僕は震えるライラの肩をそっと抱いて、宥めるように言った。
「医者として言うけれど、早期の流産の原因は、母体のせいではないんだよ。自分を責めちゃいけない」
「ありがとう、兄さま……でも、子供がいないから、跡継ぎはどうしたらいいのかって、お義父様が……」
僕はさきほど挨拶した、すっかり意気消沈したリントン伯爵の姿を思い浮かべる。貴族にとって、跡継ぎを失うことは自身の存在意義を失うに等しい。あるいは、流産したことで、ライラは義理の家族に詰られるようなこともあったかもしれない。
そして今回、わざわざ足を運んだ一番の目的をも思い出す。
ローズマリー・オルコット。
デニスの子を孕んだと主張し、それを否定されて追い出されたメイド。
もし、彼女が本当にデニスの子を孕んでいて、そして無事に出産していれば――それはデニスの忘れ形見となる。
僕はまだ、ローズマリー・オルコットの捜索を開始していなかった。
デニスの告白だけでは、ローズマリーを探す材料が少なすぎるのだ。
正確な年齢も容姿も不明だし、実家から姿を消した状況も曖昧だ。デニスが彼女と関係があったのは確かだろうが、本当に妊娠していたかどうかすら、定かでない。
僕はライラに気づかれないように、リントン伯爵にそっと耳打ちする。
「実は――デニスに最期に頼まれたことがあるのです。ライラには内緒で」
伯爵の、落ちくぼんだ眼窩の奥の、青い目が見開かれる。
「それは……」
「デニスの名誉にもかかわりますので、内密の話になるかと思います。お時間を取っていただけますか?」
「では、夕食後にわしの書斎に……」
そうして、僕は伯爵と二人きりになって、デニスの告白について告げた。
戦争がようやく終わって、僕は無事、帰還を果たした。
相変わらずの繁栄を見せる王都の賑わいは、戦場の悲惨さとあまりに違っていて、なんだか現実感がなく、僕はどこかふわふわとしていた。
「イライアス、無事に帰ってきてよかったわ。……ライラの夫は戦死だと聞いて、お前、彼とは同じ部隊だったのでしょう? 心配したのよ」
母に言われて、僕はデニスの死を思い出す。――最後の、遺言とともに。
「部隊は違いますよ。師団が同じでしたが。……デニスは、たまたま僕のいた野戦病院に担ぎ込まれて、僕が最期を看取りました」
「まあ……」
母の姪・ライラはヘンダーソン侯爵の令嬢だったが、十八で王国西部の街アーリングベリのリントン伯爵家に嫁いだ。それが五年前で、伯爵家嫡男で陸軍士官の夫、デニスは一年も経たずに戦地に向かい、そして戦死してしまった。もちろん、子供はない。
「リントン伯爵家は跡継ぎはどうするのかな?」
横で聞いていた兄アシュリーが、綺麗に調えた口ひげを撫でながら言えば、母は首を振った。
「さあ……デニス卿は一人息子と言っていたから、爵位は親族に移るのかしら?」
我が国は限嗣相続と言って、爵位も財産も、長男総取りが原則だ。
「他人事ではないね。我がマクミラン侯爵家もまだ、子供がいない。――うちは、イライアスが戻ってくれたからよかったが……」
兄に言われて、僕はなんとなく肩を竦める。
「僕が戦争に行っている間に、とっくに跡継ぎも生まれていると思っていましたのに」
「こればかりは天の配剤だからね。……時に、お前はこれからどうするんだ? また医局に勤めるのか?」
「いやもう、あの仕事はちょっと……」
僕は言葉を濁す。
侯爵家の次男である僕は、法的には爵位も財産も相続できずに家を追い出される定めにある。政治家になったり、事業を起こしたりする甲斐性もないので、とりあえず食いっぱぐれなさそうな職業として医者を選んだ。開業のための資金を貯めるのと、医師として経験を積むために、王都の王立病院の医局に勤めたのだけど――
僕はどうにもあの仕事が苦手で――厳密に言えば女の患者が苦手だった。だから、ちょうど戦争が起きて軍医を募集していると聞き、女の患者が少なそう、というかなり後ろ向きな理由で志願した。
戦争から戻っても、正直、元の仕事をする気にはならない。
「いろいろ、悲惨な現場も目にして疲れたし、ひとまず恩給もあるのでしばらくはブラブラしようかと――」
僕のやる気のない様子に、兄などは眉を顰めたけれど、母はおっとりと賛成した。
「そうね、まずはゆっくり休んで……お前もそろそろお嫁さんを見つけないと」
「無職では嫁探しもままならないと思いますが……」
兄が言い、僕はふと思いついて言った。
「実はライラのところを訪問しようと思うのです。デニスのこともあるし――」
「それがいいわ。ライラも気落ちしているようだし、慰めてあげてちょうだい」
母に言われて、僕はアーリングベリのリントン伯爵家に訪問を申し入れた。
デニスの遺体や遺品は、先に彼の家に戻り、すでに葬儀も済んでいた。
アーリングベリは王都から汽車で一日の距離にある、西の海に面した港街だ。リントン伯爵家を訪ねるのは、ライラとデニスの結婚式以来となる。
「イライアス兄さま! よく来てくだすったわ!」
リントン伯爵家の玄関ポーチで、黒い喪服に身を包んだライラの出迎えを受け、僕はデニスの死を再び実感する。
戦場において、士官の死は「数」だ。でも、故郷では一人の、夫であり、息子の死なのだ。
「イライアス兄さまが最期を看取ったと聞いて、わたくし――」
「ああ、偶然というか――運び込まれた患者がデニスだった。できる限りの処置はしたけれど、力及ばず申し訳ない」
「そんなこと――とても丁寧に遺品まで送ってくださって、最期に友人に看取られて幸せだったわ」
「……手紙にも書いたけど、ライラに最期の言葉を伝えてくれと言われたから」
僕は自分が帰還できない可能性も見越して、手紙にデニスの言葉を記して告げていた。
「でもやはり、直接、伝えるべきと思ってね。君を愛している、と言っていたよ」
「……デニス……」
ライラの青い瞳に見る見る涙が溜まり、あふれ出す。
僕はデニスの両親――リントン伯爵と夫人にもお悔やみを申し上げ、ライラの案内で真新しいデニスの墓に花を手向ける。
「イライアス兄さま、あのね……」
ライラが俯きがちに言った。黒いボンネットを被っているから、表情はよく見えない。
「デニスが出征してすぐに、わたくし、妊娠に気づいたの。……でも……」
「そうだったの……」
「デニスはすぐに戻るって言っていたのに、結局、四年――戦死の報せが入ったときは信じたくなかった。わたくしがせめてあの子をちゃんと産めていれば――」
僕は震えるライラの肩をそっと抱いて、宥めるように言った。
「医者として言うけれど、早期の流産の原因は、母体のせいではないんだよ。自分を責めちゃいけない」
「ありがとう、兄さま……でも、子供がいないから、跡継ぎはどうしたらいいのかって、お義父様が……」
僕はさきほど挨拶した、すっかり意気消沈したリントン伯爵の姿を思い浮かべる。貴族にとって、跡継ぎを失うことは自身の存在意義を失うに等しい。あるいは、流産したことで、ライラは義理の家族に詰られるようなこともあったかもしれない。
そして今回、わざわざ足を運んだ一番の目的をも思い出す。
ローズマリー・オルコット。
デニスの子を孕んだと主張し、それを否定されて追い出されたメイド。
もし、彼女が本当にデニスの子を孕んでいて、そして無事に出産していれば――それはデニスの忘れ形見となる。
僕はまだ、ローズマリー・オルコットの捜索を開始していなかった。
デニスの告白だけでは、ローズマリーを探す材料が少なすぎるのだ。
正確な年齢も容姿も不明だし、実家から姿を消した状況も曖昧だ。デニスが彼女と関係があったのは確かだろうが、本当に妊娠していたかどうかすら、定かでない。
僕はライラに気づかれないように、リントン伯爵にそっと耳打ちする。
「実は――デニスに最期に頼まれたことがあるのです。ライラには内緒で」
伯爵の、落ちくぼんだ眼窩の奥の、青い目が見開かれる。
「それは……」
「デニスの名誉にもかかわりますので、内密の話になるかと思います。お時間を取っていただけますか?」
「では、夕食後にわしの書斎に……」
そうして、僕は伯爵と二人きりになって、デニスの告白について告げた。
37
あなたにおすすめの小説
【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領
たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
※他サイト様にも掲載中
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
巨乳令嬢は男装して騎士団に入隊するけど、何故か騎士団長に目をつけられた
狭山雪菜
恋愛
ラクマ王国は昔から貴族以上の18歳から20歳までの子息に騎士団に短期入団する事を義務付けている
いつしか時の流れが次第に短期入団を終わらせれば、成人とみなされる事に変わっていった
そんなことで、我がサハラ男爵家も例外ではなく長男のマルキ・サハラも騎士団に入団する日が近づきみんな浮き立っていた
しかし、入団前日になり置き手紙ひとつ残し姿を消した長男に男爵家当主は苦悩の末、苦肉の策を家族に伝え他言無用で使用人にも箝口令を敷いた
当日入団したのは、男装した年子の妹、ハルキ・サハラだった
この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。
黒騎士団の娼婦
イシュタル
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。
異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。
頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。
煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。
誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。
「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」
※本作はAIとの共同制作作品です。
※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる