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4、カンダハルの海戦

ゼクトの治療

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 総督府の海を臨む客室の一つに、恭親王は壮年の男を見舞った。

「久しぶりだな、ゼクト。体調はどうだ」

 恭親王が穏やかに問いかけると、長い病と船旅にやつれた男が、それでも旧知の高貴な青年に笑顔を作ろうと、少しだけ口角を上げた。

「……これは、殿下。わざわざありがとうございます。それから、ご結婚、おめでとうございます。……そちらが、妃殿下でいらっしゃいますか」

 病に伏していても相変わらず目ざとくて、恭親王の背後に立つアデライードにすぐに気づいた。

「ああ、そうだ。……それから、そちらが太陽宮のマニ僧都。西のヴェスタ侯爵家の出で、今は私の顧問をしてもらっている。おぬしの状態を見てもらって、場合によっては太陽宮から応援を呼ぶ」
「そこまでしていただくわけには……」
「ソリスティアくんだりまでやってきて、今更だろう。できる限りのことはしていったらいい。魔力欠乏の治療は、太陽宮にもそれほど蓄積がなくて、貴重な症例として診たいという者は結構いるらしいよ」

 マニ僧都が恭親王の背後から進み出て、梔子色の袈裟が床につくのもかまわずに寝台の脇に膝をつく。

「マニと言います。よろしく。……さっそく脈を取らしてもらっても?」

 挨拶もそこそこに、痩せて骨ばったゼクトの手首に手を伸ばす。知識欲が僧衣を着たみたいなマニ僧都は、魔物に魔力を吸われたという男に、すでに目が釘付けであった。

「アデライードと申します。はじめまして。……わたしは、イスマニヨーラ伯父様の弟子で……助手です」
 
 アデライードが恥ずかしそうにゼクトに挨拶すると、ゼクトが珍しく戸惑うような表情をした。

「助手?」
「治癒魔法の練習中なんです。まだ、制御コントロールが甘くって……」
「魔力だけはばかみたいに強いんだけどね、全然、制御が効いてなくって。……だからまあ、練習台にするのは申し訳ないんだけれど、付き合ってもらえるとありがたい」

 マニ僧都が脈を取りながら言うけれど、ゼクトとしては親王妃であり、さらに西の女王国の王女であるアデライード姫が、自分を練習台にして治癒術を訓練するというのが理解できない。
 
「いや、そんなもったいない、私などに……」

 恐縮して辞退しようとするが、恭親王が苦笑いして言った。

「アデライードの魔力は私より多いし、ある程度消費しないと時に暴走を起こすからね。まあ、人助けだと思って、大人しく治療されてくれ」
「人助けのために治療されるなんて、聞いたこともないのですが……」

 アデライードの魔力は神器の指輪とつがいの魔法陣によって制御され、おそらくは暴走するようなことはないだろうが、繊細な制御コントロールを必要とする治癒術の習得は、アデライードにはよい魔力制御の訓練になるはずである。

 脈を取っていたマニ僧都が、少し眉を顰めてアデライードに問いかける。

「どう思う? アデライードなら、触れなくても魔力の流れを感じ取れるのではないか?」
「そうですね……全体に、魔力の生成と循環力が弱まっているようですが……魔力が身体に溜まりにくいように見えます」
「急激な魔力欠乏を起こすと、穴の開いた袋のようになって、魔力が溜まらないんだ」

 恭親王が横から口を出した。

「私の異母兄も……そうだったから」
「使いすぎて魔力切れを起こしたのではなくて、何か外部からの力で魔力を奪われたのですね。……少し、わたしが触れても……?」

 おずおずと白い手を差し出すアデライードに、恭親王は一瞬、嫌そうに眉をピクリと動かすが、マニ僧都が一蹴した。

「こんな病人にまで嫉妬するとは、あまりにも狭量だよ」
「病人だろうがなんだろうが、不愉快なものは不愉快です」

 アデライードはゼクトの寝台の脇の椅子に腰を下ろし、その痩せて骨ばった腕を取る。大きな掌を左手に載せ、右手でその手の甲を優しく撫でた。ふっと、ゼクトが思わずため息をつく。触れただけで、アデライードの魔力が大量に流れ込んできたからだ。それが体内を循環し、頭痛や倦怠感が楽になる。

「……すごい、魔力ですね。殿下でも、ここまでは……」
「これでも半分近く空気中に溶けてるんだよ。無駄が多すぎる」

 マニ僧都が金色の眉を顰める。と、扉をノックする音がして、薬箱を抱えたメイローズが顔を出した。

「薬の調合に手間取ってしまいました。申し訳ありません」

 恐縮しながら、寝台脇の卓上に色とりどりの魔法水薬ポーションを並べ始める。

「魔力欠乏の研究は、私が陰陽宮に入りまして、いろいろと試行錯誤を重ねたのですけれど、根本的な、魔力流出を止める方法がまだわからなくて……」

 メイローズは、魔力欠乏で薬石効なく夭折した成郡王の治療記録を陰陽宮に持ち込み、太陽宮の薬草園とも協力の上で、いくつかの魔法水薬ポーションを試作していた。これは体内に吸収しやすい調合で、こちらは魔力密度を上げて一気に魔力を増やし、自己治癒能力を回復させるタイプ、こちらは回復系の魔力を特に強めたタイプ……等々と語りながら、小さな硝子瓶を並べていく。

「結局、どれだけ入れても流れ出てしまう。一度破れた紙風船に、いくら空気を吹き込んで膨らまそうとしても無駄だろう、それと同じだ」

 異母兄の成郡王の命を必死に繋ぎ留めようとして果たせなかった恭親王が、痛まし気に言う。ゼクトに魔力を流し込みながら、じっと魔力の流れを見極めていたアデライードが、言った。

「……きずが……あそこから、魔力が逃げてしまう」
「瑕?」
「小さな瑕がたくさん……あそこから、魔力が浸みだしているのです。……イスマニヨーラ伯父様、見えますか?」

 アデライードが指さす場所を、マニ僧都が青い瞳を凝らす。

「……たしかに、瑕自体は見えないが、魔力が流れ出ている場所があるな……あれを塞がなければ、魔力は溜まらないな」
「魔力の膜に瑕がついているのです。魔法水薬ポーションで魔力を注ぎこんでも無駄です」
「魔力の膜についた瑕?」

 恭親王もメイローズも、アデライードの指さす場所に必死に目を凝らすが、彼らには何も見えなかった。
 ゼクトの手にその手を触れながら、アデライードは金色の長い睫毛を伏せ、すうっと記憶の底に潜っていく。しばらくして、翡翠色の瞳を見開いて、言った。

「……幾人か、よく似た症状の記録を見たことがあるので、もう一度探してみました。……瑕の有る無しまでは、確認できませんけれど」
「そんな記録が女王の記憶の中に?」

 恭親王が不審に思って問いかけると、アデライードが悲し気に眉を曇らせて、言った。

「歴代の、女王によく似た症状が出ています。……古い例ははっきりしませんが、たぶん、わたしの母もこれと同じではないかと」
「ユウラに?!」

 驚きでマニ僧都の声が裏返る。

「……それは、どういう……」

 恭親王がはっとして、黒曜石の瞳を大きく見開き、アデライードを凝視した。

「……つまりそれは、イフリート家の夫を持つ、女王……だな?」

 アデライードがこくりと頷き、金色の睫毛を伏せた。
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