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6,夏至

皇太子宮の闇

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 廉郡王は東宮に押し込められていた。
 父親の皇太子が謀叛を起こして弑逆を行い、落ち度もない高官たちを虐殺した。その中には、彼の侍従文官であるゲルフィンの父親や、侍従武官リックの叔父、また正傅ゼクトの父であるソアレス公爵も含まれている。
 
 父親の暴挙により、配下の家族がさしたる理由もなく殺された。にもかかわらず、跡継ぎとして父親に忠誠を誓えと言われた。――受け入れられるわけがない。生まれながらの皇子として、いささか傲慢に育ってきたが、廉郡王は配下に愛情深い親分肌である。こんな非道に屈するなんて、彼の矜持が許さなかった。

 さらに彼の友人でもある恭親王は、あの忌々しい、黒衣の魔術師に攫われてしまった。

 よりによって彼の父親が、イフリート家と繋がっていた。

(どう考えても利用されてるだけじゃねぇかよ!ほんっとに親父の野郎!あんな奴の息子だなんて、いっそ俺は死にたいぜ) 

 東宮で禁足を命じられて、それでも部下や暗部を宮外に密かに送り、情報を集める。断片的な情報から、廉郡王には事件の全体像がおぼろげに見えてきた。

 彼の父は廃嫡の予感に怯え、東宮に出入りする怪しげな西の魔術師を通じて、帝都に密かに蔓延している邪教――白蓮教――と繋がったのだ。
 十二貴嬪家と貴種を優遇する身分社会の中で、浮かばれないと思う中位以下の貴族、平民出身の騎士たちが、実力主義の社会を目指して結成した結社が雩泉会。そのどちらにもイフリート家の息がかかっていた。帝国を混乱に陥れ、貴種の力を削ぐために、以前から帝国の裏社会と通じて網を張っていたのである。
 
(よりにもよって皇太子のクセに、その網に引っ掛かりやがって。無能にも程がある)
 
 いったいいつから、イフリート家は帝都で、そして皇太子の周辺で蠢動を始めていたのか。

 酒でも飲まなきゃやってられない気分で、だが、現実には酒を飲んでいる場合でもなく、廉郡王がイライラと向日葵ひまわりの種を食い散らしていると、副傅のエルドがやってきた。

 エルドは十二貴嬪家の一つ、リーフ家の出身で、高官であった彼の兄も害に遭っていて、さすがに顔が青かった。

「殿下、先ほどの集議の決定ですが――明日、正午に捕えられた十二貴嬪家、八侯爵家の武官家の当主を斬首すると」
「何だってぇ?!あれだけ殺して、まだ足りないって言うのかよ!」

 廉郡王や恭親王のような、皇位の継承が期待される皇子たちの傅役、侍従は十二貴嬪家や貴種で固められ、また各騎士団とは毎年の巡検の度に付き合うことになるから、廉郡王はマフ家やゲセル家、フォーラ家といった武門の名家とは縁が深い。意味のわからない理由で、父親が高官たちの命を奪うのを、これ以上黙って見過ごすことはできなかった。

「親父に意見してやめさせる!」
 
 傲然と立ち上がった廉郡王を、エルドが必死にとどめる。

「お待ちください。お気持ちはわかりますが、殿下の意見を聞き入れてくださるとは思えませぬ」
「だからって!」
「――まだ、時間はございます。殿下が矢面に立たれるのはよろしくない。今はまだ、唯一、貴種の母君のご所生である殿下を跡取りとして考えておられますが、この趨勢では遠からず、皇位継承に母親の血筋を考慮する必要はないと言い出す輩が出てくるでしょう。そうなった時、殿下のお命を保つこと自体、困難になるかと」
「命って――」

 エルドの言葉に、廉郡王は絶句する。
 帝国では五百年前の内乱の教訓から、皇子たちの逮捕拘禁、それから処刑などは基本的に行われない。相当な重罪であっても、遠くの離宮や神殿に押し込められる程度だ。だが、あの父親はそういった帝国の慣習を一切に廃するつもりでいるらしい。逆らえば、息子だとて容赦はしないだろう。

「じゃあ、どうしろって言うんだよ。このまま、手をこまねいて、親父の非道を眺めてろって言うのか?」
  
 苦渋に満ちた表情で言う廉郡王に、エルドが顔を近づけて小声で言った。

「今回蜂起に関わったのは、皇宮騎士団の中位貴族以下の一団と、帝都騎士団の下級貴族から平民出身の一群です。――残りの、高位貴族層を中心にした騎士たちは、相変わらず、マフ家とフォーラ家に忠誠を誓っています。その当主が命の危機にあるのです。それから州騎士団を管轄する、ゲセル家。州騎士団は今回の蜂起には無関係です。にも拘わらず、団長を処刑されようとしている。彼らが黙っているとは思えません」

 廉郡王が黒い瞳を見開く。

「暗部の者を帝都騎士団に遣りましょう。――表向き殿下は動かずに」
「……卑怯じゃねえか?」
「今は耐える時です。それとは別に、暗部に命じて恭親王殿下の行方を探させましょう」

 廉郡王はエルドの献策に頷いた。歯がゆくてイライラするけれど、明らかに常軌を逸している父親とその周辺を思い出し、今は我慢の時と、自分に言い聞かせる。

 しょうがない、そう納得して自棄酒でも飲むかと思った時、バタバタと侍従武官のユキエル――彼の正傅ゼクトの息子である――が駆け込んできた。

「殿下! 大変です! 大変! すぐに何とかしないと!」
「ああ、うるせぇ! もう夜も更けてんだぞ、時間を考えろ、馬鹿野郎が! 騒いだって事態は好転しねぇ! まずは深呼吸してから、落ち着いて話せ。ゆっくりだ」
 
 まだ十七歳のユキエルがすーはーと息を整えるのを待って、廉郡王が改めて尋ねる。

「何があった」
「ユイン皇子と、ノイン皇子が……大変なんです!すぐに医者を! 死んでしまう!」
「ユインとノインって……ああ、弟たちがどうした。死ぬとは穏やかじゃねーな」
「そんな悠長な! どうしよう、本当に死んじゃいそうなんですってば!」 
 
 ユキエルは取り乱して、半泣きである。

「落ち着いて説明しろ、そんなんじゃ何もわからねぇ。死にそうってのは、病気か何かか? 腐ったものでも食ったのか? それとも強盗でも出たか。ちゃんと順を追って話すんだ。おめぇの親父は、慌てるところなんて見せたこともなかったぞ。状況がひどい時こそ、岩のように静かであれって、無茶なことを言って俺に説教垂れたもんだ。息子のおめぇに俺が説教する日が来るとはな」

 俺も歳をとったもんだぜ、と一人ごちる廉郡王を、ユキエルがきっと睨みつける。

「もう、そんな暢気な! 殿下のご命令で、東宮の奥に不審なものがないか、チェックしていたんですよ! そしたら、東宮の奥の復壁の中に、ガリガリに痩せた子供が二人、隠されていたんです!」

 漆喰の壁の間に、ちょっとした物を隠したりするスペースを作ることがあって、几帳面なユキエルはそこも覗いたのである。それで、骨と皮ばかりに痩せた子供を二人発見し、腰を抜かさんばかりに驚いたのだ。年上の少年はまだ意識があって、それでこの宮の末の皇子二人だと名乗ったという。
 
「光も差さない暗い場所で弱って身動きも取れない状態です。あんな、あんなひどいの、僕は見たことありません!どうしてあんな……」

 ユキエルがとうとう堪えきれずに泣き出した。自身もまだ少年の域を出ていないユキエルには、衝撃が大きすぎたらしい。

「ガリガリに痩せてって……仮にも皇子だろう。何だってそんなことに。本当にユインとノインだったのか?」
「僕はお二人の顔を存じ上げませんので、嘘かどうか判断できませんが、たとえ嘘だったとしても、あんなガリガリに痩せた子供を見過ごしにはできませんよ!小さい方の子はもう、意識がないんです!」

 一緒に話を聞いていたエルドがユキエルを宥め、その場に案内するように命じる。人を集め、担架を用意し、医者を手配する。
 
「俺も一緒に行こう。どうも、数か月来ない間に、この宮の雰囲気がおかしなことになってやがる。ほったらかしにしておいて今さらだが、弟たちが心配だ」


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