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8、不完全なるもの

〈王気〉を奪う術

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 何日かおきに、ソリスティアと帝都の太陽神殿は、魔法陣を繋いで立体映像(ホログラム)によるやり取りを行っていた。

「まだ、恭親王殿下の行方はしれませんか」

 ゲルフィンの問いかけに、賢親王も沈痛な表情で首を振る。

「暗部や後宮内に残った宦官などの、さまざまな手段を駆使しておるのだが……」

 ゲルフィンが溜息をつく。ソリスティアに残っている暗部をナキアに潜入させ、情報を収集させたところによれば、イフリート公爵はすでにカンダハル奪還の兵を編成し、今にもカンダハルを陸側から包囲するつもりであるらしい。海沿いの小国家群も、カンダハルを落としながらナキアに攻勢をかけない帝国軍の動きを不審に思い始めている。

「――時に。実は廉郡王より、彼の弟皇子たちの治療を依頼されておるのだ」
「治療?」

 藪から棒に言われて、ゲルフィンが片眼鏡モノクルの奥の黒い目を瞬く。賢親王が廉郡王の弟皇子たちの状況を簡単に説明すると、ゲルフィンがさらに驚愕した。

「それは――つまり〈王気〉を奪われていると……そんな魔術が存在するのですか?」
「それは余も知らぬが、余の目から見ても、特に幼い方の皇子たちの状況は芳しくない。ソリスティアでマニ僧都の診察を受けさせたいが、今の状況では動かすこともできぬ。それで、〈王気〉の減退を治癒できる術者を、幾人か寄こしてもらうことはできまいか。――少し、不安に思うことがある」

 賢親王の言葉に、ゲルフィンは神経質そうな黒い眉をピクリと動かす。

「それはつまり――現在、後宮に囚われている皇族方に関して、ですか?」
「うむ。とりわけ〈王気〉の強い、親王たちがユエリンと同じ場所に囚われている可能性がある。ロウリンが〈王気〉を保つには、常に新しい〈王気〉を補給する必要があるらしいのだ」
「それは……ぞっとしない話ですな」
「余も、杞憂きゆうであることを願っておる」

 とにかく、ゲルフィンは総督府内で相談すると言って、その場は魔法陣を切断した。





「〈王気〉を奪う術だって? そんなのは聞いたこともないけれど――でも、理由の如何に関わらず、〈王気〉が減退して死にかけている子供がいるのであれば、私は僧侶としても、治癒術師としても力になりたいけれど――」

 ゲルフィンの報告を聞いてマニ僧都はすぐにそう答えたが、エンロンや、ゼクトはマニ僧都の帝都行きには否定的であった。

「平和な状態ならともかく、今、この時に導師に総督府を留守にされるのは望ましいことではありません」

 彼らが心配するのは、アデライードの問題であった。
 状況は流動的で、どう動くか分からない。その中でアデライードはいかにも危ういし、またその秘める力も強大である。恭親王もいない今、万一アデライードが暴走したらと思うと、恐ろしくてたまらない。

「私がいてもアデライードを止めることはできないよ。魔力量が違い過ぎるからね」
「それでも、導師は魔力のことにお詳しい。我々だけでは不安なんですよ」

 エンロンが言うと、ゼクトも頷いた。

「姫君は一見落ち着いて見えますが、実は内心に動揺を溜め込むタイプに思われます。姫君の精神の安定のためにも、導師には姫君のお側にいていただきたい」

 そこで、マニ僧都は聖地のジュルチ僧正に連絡を取る。帝都の騒乱を耳にして心を痛めていたジュルチは、一も二も無く帝都行きを了承する。

「だが、俺はおぬしほど放出系魔法が得意ではない。その〈キズ〉を塞ぐ魔法陣とやらは、俺にも使いこなせるのか?」
阿闍梨あじゃりに認定される程度の魔力と、実績のあるおぬしであれば、間違いない。ついでに帝都の状況を見てきてくれ」
「承知した」
  
 ジュルチ僧正は数人の術師を伴い、転移門ゲートを通じて帝都の太陽神殿に入った。




 実際、ヴェスタ侯爵家の者として西の貴族社会に顔の効くマニ僧都は、総督府内になくてはならぬ存在であった。イフリート公爵がカンダハル奪還の兵を挙げたことで、ユリウスは海港都市やナキアのアデライード派から突き上げと喰らう羽目になった。カンダハルを落としているのに、いっこうにナキアを攻撃しない帝国軍は不自然であるし、カンダハルの砦を維持するために、海沿いの小国にはさまざまな負担がかかっていた。ユリウスは海沿いの小国を飛び回り、同盟にテコ入れを行ったが、彼一人の力では限界もあった。

「それで、ヴェスタ家のご出身でもある、導師にお力をお貸しいただきたいのですよ」

 合間を縫って総督府に顔を出し、久しぶりに異母妹を慰めがてら、ユリウスがダークブロンドを長い指で弄びながら言う。聖職にある方を、世俗のことに引っ張り出すのは申し訳ないと言いながらも、その灰青色の瞳は全くそんなことを思っていないと雄弁に語っていた。

「坊主の私なんかが出張っても、何の役にも立つまいに。甥のヴィルジニオの方がいいんじゃないのか?」
「ヴェスタ家であり、かつ〈禁苑〉を背景に持つ、導師の方がいいのですよ」

 言外に、ヴィルジニオでは役に立たないと匂わせる。

「帝国に政争が起きて、帝国の援助が当てにならないとなると、せめて〈禁苑〉の支持は保証しておきたいですから」
「もう、帝都の一件が西の小国家群に漏れているのか? あまりに情報が早すぎないか?」
 
 マニ僧都の言葉に、ユリウスが不満気に金色の眉を動かした。

「イフリート側が意識的に情報を流しているのですよ。帝都の騒乱の背後には奴等がいるのですからね。昔から、情報戦と陰謀だけはけた、嫌な連中です」
「殿下の不在については――」
「今はまだ。ですが、知れるのは時間の問題でしょうね」

 そうなった場合、ナキアに寝返る者が出ることも覚悟しなければならなかった。

「――ますます、拙僧一人では荷が重いな……」

 マニ僧都がしばらく顎に手を当てて考える。そして、青い瞳を少しだけ光らせて、口角を上げる。

「どうだろう。私も行くけれど、ここはひとつ、アデライードの力を利用してみるというのは」
「アデライードの? 危険なことではないのですよね?」

 異母妹を溺愛するユリウスが怪訝そうに尋ねる。マニ僧都がにっこりと微笑んで梔子くちなし色の袈裟けさを捌いた。

「何、危険など何もないよ。――シルルッサなら、アデライードも行ったことがあるのだったよな?」
 
 マニ僧都の策を聞いて、ユリウスがそんなことが可能なのかと驚きに目を見開く。

「大丈夫。百聞は一見に如かず。アデライードの力を見せつけられれば、彼女以外の女王など、考えられなくなる」
 
 マニ僧都はそう、請けあった。
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