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10、正真のつがい

銀龍対火蜥蜴

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 アデライードは、長い睫毛を伏せて眠るように横たわる男を抱きしめる。長い監禁生活で頬はこけ、うっすらと無精ひげも生えている。

「ソリスティアに帰るったって、どうやって――」
 
 と言いかけて、そもそもこの女はどうやってここまで来たのかと、廉郡王が疑問に思ったとき。

 恭親王の周囲で赤い魔法陣が再び動き出し、ほのおの檻が出現する。アデライードの攻撃で吹き飛ばされていたはずのアタナシオスが、いつの間にか至近距離に移動していた。

「うわっ! まだ居たのかよ! しつけぇ男は嫌われるぞ!」
「うるさい、私にも最後の意地がある!」

 恭親王、アデライード、そして廉郡王を絡めとろうとする焔の檻を、しかしアデライードは即座に白い魔法陣を呼び出して圧殺する。バチン! 青い火花があがってそれは消えた。

「くそっ! その魔法陣は内部の他者の魔力を無力化するものなのに――!」
「力と力がぶつかれば、強い方が勝つに決まっているわ」
 
 常にない辛辣な物言いで、アデライードがアタナシオスの赤い髪と紫紺の瞳を睨みつける。
 
「いつまでもしつこいのよ! その髪といい瞳の色といい、あのいやらしいギュスターブそっくりでうんざりするわ! 消えて!」

 アデライードが青い攻撃魔法陣を展開し、それを発動しようと目を閉じた瞬間、アタナシオスは信じられない身のこなしでひらりと宙を飛んで、黒いローブをぶわっとなびかせてアデライードの呼び出した魔法陣の上に降り立つと、あっと言う暇もなく、長い両腕を伸ばして両手でアデライードの細い首を掴んだ。

「!!」
「くっ……!!」
「なるほどね、力と力がぶつかれば、強い方が勝つ――力は魔力だけとは限りません。あなたのようなか弱き女性は、物理的な力こそ弱い――」
「てめぇ! 女に暴力を振るうとか、最低だな!」

 アデライードの描いた防御魔法陣は跡形もなく消え、アデライードは長身のアタナシオスに持ち上げられるようにして、爪先が苦し気に地を掠める。

 廉郡王が剣を抜き放ってアタナシオスに撃ちかかるが、アタナシオスの防御魔法に弾かれて剣が折れる。
 
「てめぇ! どこまでも卑怯な!」

 廉郡王は体内に魔力を巡らせ、その肉体をもってアタナシオスに体当たりするが、凄まじい火花とともに弾き飛ばされた。

「くそっ!」
 
 猫のような身軽さで受け身を取って起き上がり、廉郡王が悪態をつく。それを無視して、アタナシオスは憎しみの籠った表情で、アデライードの細く白いくびを締め上げていく。アデライードの美しい顔が苦しさに歪み、両手がアタナシオスの大きな手を虚しく引っ掻く。

「ううう……!」
「消え去るがいい! 最後の銀の龍種よ! 今こそ我らイフリート家の、二千年の怨念を晴らすのだ……!」

 アタナシオスが最後の力を込め、その細い頸をへし折ろうとした時。もう一度体当たりをかまそうとした廉郡王よりも早く、力なく横たわっていた恭親王がぐらりと起き上がり、その左手をアタナシオスの背中にかざす。

「ユエリン――?!」

 彼の掌から飛び出した聖剣が、アタナシオスの背中から、ちょうど心臓のある位置に吸い込まれていく。

「うわあああああああああ!」

 聖剣に貫かれたアタナシオスの両手は力を喪ってアデライードの頸を離れ、アデライードはどさりと地面に叩きつけられる。茫然と見上げるアデライードの目の前で、アタナシオスは断末魔のうめき声をあげ、全身を硬直させる。唇からごぷっと血泡を吹いて、膝から地面に崩れ落ち、アデライードの方に倒れかかってくるのを、咄嗟に廉郡王がアデライードを庇うようにして、アタナシオスの大きな身体を突き飛ばす。

 その背後では、上半身を起こしていた恭親王が、再び目を閉じて背後に倒れ込もうとする。

「殿下! 気が付いたの?」

 アデライードは自分を庇うようにしていた廉郡王を無意識に突き飛ばし、恭親王に走り寄るものの、恭親王の重みをアデライード一人では受け止めることができず、抱き着いたまま二人で地面に倒れ込んだ。

「ユエリン! しっかりしろ!」
「殿下! 殿下! 目を覚ましたの?!」

 廉郡王も素早く動いて二人を起き上がらせようとするが、恭親王の方は、今起き上がったのは夢だったのかと思えるほど、瞼は固く閉じられていた。廉郡王は恭親王を寝かせ、必死に呼びかけているアデライードに任せて、自分はアタナシオスに近づく。
 
 廉郡王はアタナシオスが絶命しているのを確認し、ようやく、安堵の溜息をついた。そして、アタナシオスの死体を足で蹴って俯せにすると、背後から刺し貫いている聖剣の柄を握り、引き抜こうとした。

(何だこれ、くっそ重い!)

 片手では抜くことができず、片足をアタナシオスの死体にかけて両手でやっとこさ引き抜く。血糊を振り払おうにも、重くて持ち上げることもできない。

(ユエリンのやつ、めちゃくちゃ普通に振り回してたよな、これ……)

 見れば見る程ただモノではない剣で、廉郡王はそれを、必死に呼びかけているアデライードのところへ引きずるようにして運ぶ。

「おい、ユエリンの女房! これ、くそ重てぇんだけど、あんたとてもじゃないが持って帰れないよな?」
 
 アデライードは振り向いて言う。

「殿下の左手に触れさせれば、勝手に中に入ります」
「はあ?」

 アデライードが恭親王の左手を掴んで、聖剣の柄に軽く触れさせると、シュルンと聖剣は彼の掌に吸い込まれて消えた。

「な、……何だ今の!」
「仕組みをわたしに聞かれても困ります……」

 アデライードが金色の眉毛を八の字にして言う。
 
「でも、聖剣を呼び出したりする程度の魔力は残っているのがわかって、ほっとしました。急いでソリスティアに帰って治療します」

 アデライードは恭親王の頭を膝に乗せ、愛し気に黒い髪を梳きながら言う。

「帰るったってよう……」
 
 廉郡王が困ったように言うと、そこえバサリと羽音がして、エールライヒが飛んできてアデライードの肩に止まる。

「よかった、お前は無事だったのね。一緒に帰りましょう。ここはさっきから雷がいっぱい落ちて怖いし」

 優し気に鷹に話かけるアデライードの姿に、廉郡王は反射的に突っ込んでいた。

「おめぇが呼び出した雷だろうがよ!」

 気づけば、あの黒雲は嘘のように消え去り、もと通りの夏の青空が広がっていた。
 アデライードは太極殿の方にちらりを視線をやって、廉郡王に言った。

「あの……すいません、宮殿壊してしまって……。まさかあんなに簡単に壊れるとは思わなくて」
「いや、あれだけ滅茶苦茶すりゃあ、普通壊れるだろ。……まあ、何だ。以後、気を付けてくれ」
「はい、気をつけます」

 気まずそうに細い肩を竦めるアデライードを見て、廉郡王がふと思いついて聞いた。

「ゲルフィンの野郎は、うまくやってんのか? あいつ、女が苦手だから、少し心配だったんだ」
「ゲルフィン……ああ! あの変な眼鏡の人ね! ええ、何も問題はないわ!」

 にっこり微笑むアデライードを見て、鋭敏な廉郡王はゲルフィンの方は問題ありまくりだろうなと思う。

「では、わたしはもう、行きますね。……このマント、あなたのですよね? しばらく、お借りしても?」

 アデライードは、廉郡王がマントを羽織っていないのに気づいていて、恭親王がくるまれているのが彼の持ち物なのだろうと予想した。

「あ? ああ、そんなのは気にすんな。どうやって帰んのか知らねぇけど、気をつけてな」

 廉郡王が黒い瞳を瞬くうちに、アデライードを中心に白い巨大な魔法陣が浮かび上がる。

「では、いろいろありがとうございます。……失礼します」

 まるで数軒先の近所へ散歩に出たかのような気軽さで、アデライードは挨拶すると、ぶわっと光の粒子が彼女と恭親王と、そして黒い鷹を覆い、かき消すように姿を消した。
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