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2、銀龍の孤独
前途多難な二人
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午後の政務を放り出す形で、アデライードを書庫へと案内する恭親王のいそいそとした背中を、トルフィンは複雑な思いで見送る。
昨夜、夕食の後に少しだけ、ミハルの部屋で話をする機会があったのだ。
ミハルから聞く限り、アデライードは馬鹿ではないらしいが、取り立てて頭の回転が速いようにも見えない、という話であった。何しろ寡黙で、余計なことはほとんどしゃべらないという。
そしてミハルが危惧するのは、何よりもその社会経験の不足、人とのコミュニケーションの不足、そして人の思惑を推し量ることができない、むしろ量ろうとしない、というあまりにもマイペースな性格であった。
「幼子のように純真、と言えば聞こえはいいですけれど、ずばり、無知で周囲に関心がないように見えますの。……何と言いますか、自分の殻に閉じこもって、周囲の情報から目を逸らしていたみたいな……そんな感じですの」
ミハルがつり気味の、やや赤い瞳を不安げに揺らして言ったことがある。
「貴族階層って、結構意地悪でしょう? ちょっとの落ち度を攻撃されることがありますし……。今、総督府内には姫君の敵になるような者はおりませんから、悪意に晒されることもないですけれど、お披露目に東からやってくる貴族たちは、本心ではどう思っておりますかしら? わたくしが帝都にいた時に、少しだけ耳に挟んだ噂でも、皇后陛下は〈聖婚〉に恭親王殿下が卜定されたことに納得なさっておられないとか。西の王女とはいえ、有力な後立てのない姫君だなんて、と嘆いていらっしゃったと聞きましたわ」
トルフィンはその話に思わず眉を顰めた。
主ははっきりとは言わないが、皇后との母子関係はうまくいっていない。少なくとも主の方は母の干渉を嫌って、ここ二年はろくにご機嫌伺いにも顔を出していないのだ。後宮に足を踏み入れれば、次の正室や新しい側室を薦められるのが分かりきっているからでもあった。
突然の〈聖婚〉の要請に、恭親王が全く文句も言わずにソリスティアに直行したのも、母の干渉の頸木から逃れられると思ったからではないかと、トルフィンは内心疑っている。
「何か、他に噂は聞いている?」
「はい……その、皇后陛下におかれては、女の子しか生まない西の王女が正室では困ると仰せになって、ソリスティアに送る新しい側室をいろいろと見繕っておられるとか。ここだけの話ですけれど、我が家にも皇后陛下からの内密の使者が参りましたのよ」
「ええええっ? まさか、ミハルを?」
トルフィンが腰を抜かさんばかりに驚くのを、ミハルが首を振った。
「わたくしはさすがに、婚約者のトルフィン兄様がおりますから……。そうではなくて、わたくしの一つ上の、腹違いの姉をどうかという話で。さすがに、十二貴嬪家の正嫡の姫君を側室に、とは言いにくいようで、庶腹の姫君や、ちょっと傍系の姫君に声をかけておられたようですわ」
「当然、断ったんだよねぇ?」
「殿下がここ数年、まともにご側室も置かれていないのは皆な知っておりますし。見向きもされない側室でも、帝都ならば親も兄弟も友人もおりますけれど、愛されるかどうかすらわからないのに、遠くソリスティアまで嫁ぐような姫君など、いませんわよ」
そうだろうなあと、トルフィンも思う。結婚秒読みだったミハルとトルフィンですら、彼の急な赴任で婚約解消一歩手前まで行ったのだ。皇子の側室とはいえ、愛される保証もないのに、帝国の西の端まで来たがる姫君なんていやしないだろう。
「それでも、自分の娘を殿下の側室にしたいなんて思う貴族は山ほどおりますわ。とくに、正室であるアデライード姫は女児しか生まないと言われているんですもの。うまく男の子を生めば、恭親王殿下の跡取りですわ!」
トルフィンは無意識に深い溜息をついていた。
「あの、アデライード姫にデレデレラブラブな殿下を見ても、そんな風に思うとしたら業が深いよね。レイナ様は側室としては大切にしてもらっていたけれど、所詮、側室として一線を画したご寵愛だったと、今なら俺にもよくわかる。今、ここに余計な女なんか送られてきてみろよ、殿下大激怒の大噴火間違いなしだよ。側室の上に愛されないとか、不幸にもほどがある。ほんと、そういうのがやって来ないことを祈るしかないなあ……」
トルフィンはそう呟いて、ミハルの淹れたお茶を飲み干したのであった。
昨夜、夕食の後に少しだけ、ミハルの部屋で話をする機会があったのだ。
ミハルから聞く限り、アデライードは馬鹿ではないらしいが、取り立てて頭の回転が速いようにも見えない、という話であった。何しろ寡黙で、余計なことはほとんどしゃべらないという。
そしてミハルが危惧するのは、何よりもその社会経験の不足、人とのコミュニケーションの不足、そして人の思惑を推し量ることができない、むしろ量ろうとしない、というあまりにもマイペースな性格であった。
「幼子のように純真、と言えば聞こえはいいですけれど、ずばり、無知で周囲に関心がないように見えますの。……何と言いますか、自分の殻に閉じこもって、周囲の情報から目を逸らしていたみたいな……そんな感じですの」
ミハルがつり気味の、やや赤い瞳を不安げに揺らして言ったことがある。
「貴族階層って、結構意地悪でしょう? ちょっとの落ち度を攻撃されることがありますし……。今、総督府内には姫君の敵になるような者はおりませんから、悪意に晒されることもないですけれど、お披露目に東からやってくる貴族たちは、本心ではどう思っておりますかしら? わたくしが帝都にいた時に、少しだけ耳に挟んだ噂でも、皇后陛下は〈聖婚〉に恭親王殿下が卜定されたことに納得なさっておられないとか。西の王女とはいえ、有力な後立てのない姫君だなんて、と嘆いていらっしゃったと聞きましたわ」
トルフィンはその話に思わず眉を顰めた。
主ははっきりとは言わないが、皇后との母子関係はうまくいっていない。少なくとも主の方は母の干渉を嫌って、ここ二年はろくにご機嫌伺いにも顔を出していないのだ。後宮に足を踏み入れれば、次の正室や新しい側室を薦められるのが分かりきっているからでもあった。
突然の〈聖婚〉の要請に、恭親王が全く文句も言わずにソリスティアに直行したのも、母の干渉の頸木から逃れられると思ったからではないかと、トルフィンは内心疑っている。
「何か、他に噂は聞いている?」
「はい……その、皇后陛下におかれては、女の子しか生まない西の王女が正室では困ると仰せになって、ソリスティアに送る新しい側室をいろいろと見繕っておられるとか。ここだけの話ですけれど、我が家にも皇后陛下からの内密の使者が参りましたのよ」
「ええええっ? まさか、ミハルを?」
トルフィンが腰を抜かさんばかりに驚くのを、ミハルが首を振った。
「わたくしはさすがに、婚約者のトルフィン兄様がおりますから……。そうではなくて、わたくしの一つ上の、腹違いの姉をどうかという話で。さすがに、十二貴嬪家の正嫡の姫君を側室に、とは言いにくいようで、庶腹の姫君や、ちょっと傍系の姫君に声をかけておられたようですわ」
「当然、断ったんだよねぇ?」
「殿下がここ数年、まともにご側室も置かれていないのは皆な知っておりますし。見向きもされない側室でも、帝都ならば親も兄弟も友人もおりますけれど、愛されるかどうかすらわからないのに、遠くソリスティアまで嫁ぐような姫君など、いませんわよ」
そうだろうなあと、トルフィンも思う。結婚秒読みだったミハルとトルフィンですら、彼の急な赴任で婚約解消一歩手前まで行ったのだ。皇子の側室とはいえ、愛される保証もないのに、帝国の西の端まで来たがる姫君なんていやしないだろう。
「それでも、自分の娘を殿下の側室にしたいなんて思う貴族は山ほどおりますわ。とくに、正室であるアデライード姫は女児しか生まないと言われているんですもの。うまく男の子を生めば、恭親王殿下の跡取りですわ!」
トルフィンは無意識に深い溜息をついていた。
「あの、アデライード姫にデレデレラブラブな殿下を見ても、そんな風に思うとしたら業が深いよね。レイナ様は側室としては大切にしてもらっていたけれど、所詮、側室として一線を画したご寵愛だったと、今なら俺にもよくわかる。今、ここに余計な女なんか送られてきてみろよ、殿下大激怒の大噴火間違いなしだよ。側室の上に愛されないとか、不幸にもほどがある。ほんと、そういうのがやって来ないことを祈るしかないなあ……」
トルフィンはそう呟いて、ミハルの淹れたお茶を飲み干したのであった。
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