【R18】陰陽の聖婚Ⅱ:銀龍のめざめ

無憂

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10、女狐来襲

木っ端役人の意地

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「サウラ様、殿下はただ今、その……ご正室であらせられるアデライード姫様のご実家、レイノークス辺境伯領へのご旅行に同行されていて、ソリスティアにはおいでになりません」
「なんと!ご正室のお里帰りに畏れ多くも殿下が直々に付き合わされるなんて、なんてお気の毒な。いかな〈聖婚〉の王女とはいえ、あまりにもお考えが足りないのではないの?」
「殿下がぜひにとのことで、また、レイノークス辺境伯閣下は殿下のご友人でもあらせられますので……」
「郷に入っては郷に従えとは申しても、あまりに殿下がおいたわしい。本来ならば、かような辺境でお暮しになられる方ではないのに……」

 わざとらしく絹の手巾で目頭を拭うサウラの仕草にも、エンロンはむかむかした。帝都から見ればソリスティアは西の辺境だが、聖地の対岸、大陸の臍と言われる大陸でも最大クラスの交易都市だ。世間知らずの貴族女に馬鹿にされるような街じゃない。

 エンロンの目から見ても、恭親王はエンロンと同様、ソリスティアの暮らしを満喫している。帝都よりもソリスティアの水が肌に合うのだ。そしてこの典型的な貴族女を、絶対に追い返せと言い置いていた主の命令を、エンロンは心から納得した。彼自身、一刻も早くこの貴族女を総督府から追い出したくて堪らなかった。

「しかし、お留守ということなら致し方ありませぬ。殿下がご帰還になるまで、部屋に控えさせていただきますわ」
「ですが……」

 もともと気の弱い性格で、貴族社会のしがらみにどっぷりつかっているゲルは、皇后のお気に入りでしかも主の子を孕んでいるサウラを追い出す勇気がない。もともと妻が子を産んだばかりのゲルは、妊婦に同情的である。これは、このままなし崩しに入り込まれるな、と判断したエンロンは、話に割り込むように口を出した。

「なりませぬ。総督閣下である恭親王殿下より直々に、サウラ殿を中に入れるなとのご命令を承っております。ここは、事前に準備しております邸宅にお移りいただきますように」

 断固として言い張るエンロンに対し、サウラは少しばかり品を作ってゲルに言う。

「でも、仮にも側室であったわたくしを、市井の屋敷などに押し込むなんて、皇后陛下のお耳に入ったらなんて思し召しになられるか……ねえ、傅役どの」

 皇后、と言われてゲルが青くなる。

「恭親王府の総責任者は傅役どのでしょう?その責任を後で問われてもよろしいの?」
「それは……」

 エンロンは皇后の威を借るサウラに対し、ついに伝家の宝刀を抜いた。

「総督不在の折りの、総督府の全権は拙官、副総督に委任されております。副総督は皇帝陛下よりの勅任官、後宮の勢を理由に、皇帝陛下の官を凌ぐことは国法によって固く戒められております。以後、拙官に対して皇后陛下の御名おんなを出すことは、皇帝陛下に対する不敬とみなします。拙官には皇帝陛下に直接、吏民を告発する権限が与えられておりますが、サウラ様も当然、その対象となり得ます。それをお心に御留め置きくださいますように」
「エンロン殿……それは……」

 ゲルはエンロンの強硬な態度に驚いた。たかが皇后の威を振りかざす親王の側室のわがままを、皇帝勅任官への侮辱とみなし告発も辞さない構えに、ゲルはエンロンが一歩も引くつもりがないのだと悟る。普段、長いものには巻かれるタイプのエンロンが、なぜ、ここまでサウラを拒絶するのだろうか。

 サウラはサウラで、これまで皇后の名をチラつかせれば世の中のことは大概何とでもなったのに、この目の前の木っ端役人は皇帝を持ち出して彼女を拒否しようとする。サウラは今までと勝手の違う相手に戸惑う。

「しかし、わたくしは皇后陛下の御意ぎょいを受けて……」
「あなたが皇后陛下の御意を受けておられるならば、私は皇帝陛下の命を奉じてソリスティアを預かっている。皇后陛下に告げ口したいなら、すればよろしい。たとえそれが皇帝陛下のお耳に届いたとしても、鼻で笑われておしまいでしょうな。私は何より皇帝陛下の官吏であり、その皇子にしてソリスティア総督である恭親王殿下の侍従文官だ。それ以外の方の命令に従う義務はござらん」
 
 エンロンの黒い瞳にありありと浮かぶ、蔑むような視線に、サウラはカッとなった。

「……わ、わたくしを追い払って、もし万一、御子に何かあったら何とされるとおつもりなのです。その責任をすべて負われる覚悟はございますの?」
「覚悟? 皇帝陛下の官吏としてソリスティアの内政を預かってきた拙官に覚悟を問われるか? たとえトカゲの尻尾よろしく切られる身であっても、官吏としての筋を通すのが木っ端役人の意地と申すもの。だいたい、ご命令に従って何かあったときの責任と、ご命令に背いて何かあった時の責任、どちらの罪が重いと思われますか? 子供でもわかることです。伊達に二十年も木っ端役人をやっておりませんのでね。お役所主義を舐めないでいただきたい。……仕事も押して迷惑なのですよ。つべこべ言わずに屋敷にお移りいただきたいのですが」

 その気になれば恭親王の命令など、屁理屈を捏ねてあっさりと反故にするようなエンロンが、皇帝の名まで出してサウラの排除にかかっているのである。こうなるともう、いかにゲルに縋ってもどうにもならない。

「殿下がお戻りになられましたら、すぐにご面会を設定いたしますので、どうかここは今しばらく、城下の邸宅にてご静養いただくのが得策かと存じます」

 温厚なゲルは強硬なエンロンに逆らうことができず、深く頭を下げてサウラを城下に準備した屋敷に送り届けたのであった。
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