奇獲 ―あやとり― 【沙耶の章】

綾部 響

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2.詩依良の表裏

甚だしい勘違い

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「……え?」

 出鼻を挫かれた形となった沙耶は、その場で絶句し再びフリーズした。
 なまじ自分の能力を役立てる時が来たと思い込んでいた為に、その反動はかなり大きい様だった。
 再び動きを止めてしまった沙耶を見て、詩依良は何となく事態を察し、マジマジと彼女を見つめた。
 詩依良の凝視に平然と耐える事の出来る人類は皆無なのではないだろうか。当然沙耶も、たちまち凝固が解け照れだしていた。

「お前……あれだな? ……視えるんだろ?」

 ジックリ観察し終えた詩依良が、沙耶に声を掛けた。

「え……? 視えるって……?」

 沙耶には、恐らくは彼女に全て見透かされていると分かっていたのだが、長年の癖が働いて質問の答えをはぐらかしていた。
 沙耶はから今まで、一切誰にも霊が視える事を言わないと誓い実践して来たのだ。
 もしまた誰かに視えるなどと言ったら、今度はどんな事になるか分からないと言う恐怖が彼女にそうさせてきたのだ。
 もっとも、今までそんな事を話す相手も、聞かれると言う状況さえ皆無だったのだが。

「怪異だよ。霊とか……幽霊とかがさ……視えるんだろ?」

 しかし沙耶は、詩依良にならば本当の事を話しても良いと思いだしていた。
 そもそも霊だの幽霊だのを当たり前の様に語る彼女に、今更視える事を隠してもあまり意味がなかった。
 それに彼女はもう、沙耶の秘密を知っている様だったのだ。

「うん……視えるよ? ……なんで? なんで分かったの?」

 詩依良はどこかで沙耶の噂を聞き知ったかも知れないが、クラスで真綾が語った様に一体どれだけ正確に伝わっているか等は分かったものでは無い。

「ん? ああ……そう言う風にからな」

 しかし彼女は、誰かから聞き知った訳では無かった様だった。
 たった今、沙耶を見てそう理解したのだ。

(でも、そんな風に鍛えるってどういう事なんだろう?)

 沙耶の脳裏にはそんな疑問が湧いていた。
 彼女は沙耶の様に、ただ生まれつき「怪異」が視えると言ったのではなく、鍛えていると言ったのだ。

 仏門や神道系ならば、そう言った修業があるのかも知れない。沙耶もテレビや雑誌に載っている、退魔師や霊能者の記事を目にする事があった。
 そう考えれば詩依良は、その類の可能性も考えられた。
 しかも彼女は、その視える怪異を自ら退治すると言うのだ。どんな鍛え方なのか、沙耶には想像すら出来なかった。

「でも、視えるだけの奴なんか要らない。足手纏いだからな」

 詩依良にそう改めて言われ、沙耶は再び小さくないショックを受けていた。

 淡い淡い期待……。

 小さな小さな希望……。

 そう言ったものが、完全に打ち砕かれ……希望らしきものも断たれたのだ。

 人と違う能力を持つという事は、それがどんな力であれ僅かばかりの自信となるものだ。
 しかし沙耶のこの力は今後、ただ人ならざるものが視えるだけの能力だと、彼女によって確定させられてしまったのだった。

「だいたい視えるだけの奴なんか、この周辺だけでもと居るぞ。ただ気持ち悪がられるのが誰も、何も言わないだけだ」

 初めて知った事実に、沙耶は驚愕すると同時に、それは賢明な判断だと妙に納得していた。それで失敗した例が、今ここに居るのだから。

「ああ、お前……それが原因で除け者にされてたんだっけ? でも、お前にも原因があるんだから仕方ないよな」

 詩依良の言葉には同情や蔑み、憐れみやその他の感情など一切含まれていなかった。ただ本当に「仕方が無い」事だと、淡々と語られたのだ。

 こちらの一之宮詩依良は、ズバズバと核心を付いていた。しかも、沙耶が言われたくない事をピンポイントで指摘して来る。
 すでに沙耶はグロッキー状態で、ショックから立ち直る暇さえ与えて貰えないでいた。
 漸く一つ回復したと思ったら、即座に次の言葉が投げ掛けられる。しかもそのどれもが、沙耶にとって太く鋭利で、その上重いものであり、本来打たれ強い方では無い彼女には堪える言葉ばかりだった。

 確かに沙耶にも原因がある事は認めていたし、彼女もそれが罪だと思ってきた。そしてその罪に対する罰を受けているのだと、今までは享受して来たのだ。
 しかし改めて詩依良に言われ、沙耶の心にも疑問が湧き起こっていた。

(ここまで孤独を強いられる程の罪を、私は犯したというの?)

 沙耶はこれまで、諦めの境地を悟ったかの様に振る舞い実際は考えない様にして来た事を、詩依良の言葉で改めて考えさせられたのだった。
 本当は周囲の対応が、余りにも理不尽だと思っていたのではないか。
 そして、そう叫びたかったのではないか。
 確かに負い目もあり、だからそうせずに罰を受け入れ、孤独を歩んできた。

 ―――だけど……。

 彼女の頬を、ツツーッと一筋の涙が伝った。

「あ……」

 それを合図に、今まで抑圧されて来た涙達が次から次へと溢れ返り、沙耶の瞳から外へ……外へと飛び出して行く。そうなるともう、彼女の意志では止めようがなかった。

「う……うう……」

 沙耶の口からは、嗚咽も漏れ出していた。
 長い時間、仕方のない事と我慢して来たのだから、その反動も大きかったに違いない。

「おいおい、泣くなよ」

 詩依良は沙耶の嗚咽を聞き、頭をガシガシと掻いて、これ以上の面倒は無いと言った風に突き放す言葉を口にする。
 しかし彼女の台詞を、沙耶の涙達は聞いてくれそうになかった。
 止め処なく溢れて、彼女の頬を伝い、次々と地面へ滴り落ちた。

「まあ……別にお前の事はどうでも良いんだけどな」

 だが彼女の放ったこの一言が、永遠に続くかと思われた涙達の行進を強引に停止させたのだ。

(……どうでも……良い!?)

 確かに詩依良には何の関係も無い上に、彼女にとってはどうでも良い事なのだろう。
 しかしそれを、目の前で傷つき、涙を流している本人を前にして口にされれば、流石の沙耶も聞き流す事は出来なかった。
 それに彼女が〝どうでも良い〟と言い放った事とは、沙耶の人生、その10年近くを指すのだ。
 それは決して短い時間とは言えず、たった一言で片付けられるべき事では無い筈だった。

(……良く……無い。……どうでも良く……無い!)

 バッと顔を上げ、沙耶はキッと詩依良を睨みつけた。
 流石にこの言葉を聞き流せる程、沙耶は枯れてはいなかったのだ。

「なんだ、そんな顔も出来るんじゃないか」

 しかし詩依良は、そんな沙耶を面白そうに見ながら不敵な笑みを浮かべていた。
 明らかに沙耶を挑発している物言いだが、頭に血が上っていた彼女にそれを見抜く力は無い。
 文句の1つも言わなければ収まりの付かない沙耶が口を開けた瞬間、詩依良の方が先に口火を切った。

「さっきの協力の件だけどな。手伝ってくれるって言うなら、今の状況を何とかしてやらないでもない」

 その時、完璧に放たれた詩依良のカウンターパンチは、沙耶の心にクリティカルヒットしていた。
 何年振りか分からない怒りがその全身を支配していた沙耶だったが、この言葉で完全に動きを失い、頭に上っていた血もスッと引いてしまっていたのだった。

「……えっ……? 今の状況を……良くしてくれるの……? 元通りに……なるの……?」

 普通に考えれば、例え詩依良であってもそんな事が可能な訳がない。
 しかし常識を覆す力が備わっていると言われても、それを納得させる何かが彼女には……詩依良にはあると沙耶は感じたのだ。
 だから、この様なをしてしまったのだが。

「違う」

 そんな沙耶の希望的観測を、またしても詩依良は切って捨てた。

「今後、今より酷くならない様に手を打ってやるだけだ。結果的に良くなるかもしれんが、そこまでの保証なんて出来るか」

 詩依良の言葉は沙耶が瞬時に思い描いたものとは大きく異なっていたが、それでも彼女にとっては間違いなく大きな変化が期待出来る話だった。
 しかし改めて考えれば、いくら詩依良が教室で人気を博しているとは言っても、本当にそんな事が可能なのかと疑問を浮かべざるを得ない話でもあった。
 沙耶にそう思わせる程、周囲の者が彼女を忌避する思いは強く根深いのだ。

「でも……それって、どうやって……」

 どうやってそんな事をするのか。
 周囲の人間に理解させるのかを聞こうとした沙耶の言葉を詩依良が遮った。

「とにかく、どうするんだよ? やるのか? やらないなら他を当たるぞ?」

 詩依良の声には、明らかに苛立ちが含まれていた。
 今までのやり取りは彼女にとって、満足のいくテンポでは無かったのだろう。
 人とのやり取りが殆ど無かった沙耶にとっては酷な話だが、それは彼女の理由であって詩依良が関わる事では無い。
 沙耶に合せて話をする理由にはならないのだ。

「え……? でも他の人って……私はあなたの秘密を……」

 詩依良が持つ、数多ある秘密を沙耶は知ってしまった。
 こうなっては、他の人を選ぶと言う選択肢は無いのではないかと沙耶は言いたいのだ。

 それはあながち間違いでは無い。
 どんな些細な秘密であっても、打ち明ける相手がどれだけ信頼の置ける相手であっても、それを他者に漏らした時点で拡散するリスクは付いて来る。
 まして詩依良が沙耶に漏らした秘密は、到底広がって良い類のものでは無い筈だった。
 詩依良に協力を要請された時点で、沙耶の中にある種の優越感が芽生えていたのかもしれない。

『貴女は私に協力してもらうしかない』

 それを口にした訳では無いし、沙耶自身も特に意識していなかっただろう。
 しかし今、沙耶が口にした言葉には、それを思わせるニュアンスが多分に含まれていたのだった。

「はっ! じゃあ聞くけどな。誰に話すんだよ? 誰がお前の話を信じるんだ?」

 そして沙耶の言い方に、詩依良の苛立ちは限界に達した。
 彼女なりに多少気遣って対応してきたつもりだったのだろうが、沙耶にこうも勘違いされては話にならない。
 彼女の言葉には、それらがない交ぜになって込められていた。

 そしてこの言葉は、沙耶の心にまたもや深々と突き刺さった。ザクッと言葉の刃が自分の胸に刺さる音を、沙耶は確かに聞いたのだ。
 詩依良の言う通り、彼女にはこの事を話す相手が全く居ない。同年代の友達は皆無、近隣に知り合いと呼べる者もいない。

 ―――そして家族でさえ、沙耶を避けていたのだ。

 少なくとも沙耶の周りに、彼女の話を真剣に聞いてくれる者は居ない。当然、その話をしたところで信じてくれる者もいないのだ。

「お前が断った所で、俺には何の影響もない。それにこの事について、何かを手回しする必要すらないんだ」

 再び沙耶は打ちひしがれてしまった。
 誰にも話せず、誰も信じてくれないなら、詩依良が話の拡散を防ぐ為に工作する必要すらないのだ。
 その意味を理解すればする程、沙耶は自分が惨めな立場である事を痛感した。

「どっちでもいいんだ、俺にとっては。お前がダメなら、他の方法を考えるだけだしな」

 そして詩依良は、これ以上ないと言った蔑んだ眼を沙耶に向けた。
 いや、詩依良はそんな目をしていた訳では無かったかも知れない。しかし今の沙耶には、確かにそう映ったのだ。

 身分不相応とも思える考えをほんの僅かでも心に抱いたと言う羞恥心が、一気に彼女を支配した。
 それと同時になけなしの自信も、微かな希望も、今の沙耶からは全て吹き飛んでしまったのだ。
 ある意味では一之宮詩依良に人間だったが、その理由は最低最悪のものだったのだった。
 もう、沙耶に何かを言う気力は残っていない様に伺えた。

「いつものに戻るならそれも良い。今日話した事には口を閉ざして、いつものすればいい」

 彼女のこの言葉は、これ以上ない皮肉だった。あるいは本当にそう思っているのかも知れない。
 俯いて動かない沙耶に詩依良が囁く。
 その物言いに抑揚はなかったが、どこか沙耶に対する優しさも聞いて取れる声音ではあった。

「……だけど足掻きたいなら……その場所を提供してやる」

 詩依良から紡がれたその言葉に、今まで微動だにしなかった沙耶の肩がピクリと反応した。

 その時、下校時間を告げるチャイムが鳴り響く。
 気付けば、太陽も水平線に姿を消そうとしている。あとほんの僅かで、すぐでも夕闇が訪れるだろう。
 沙耶たちの周辺も、随分と薄暗くなっていたのだった。

「……時間だな。どうすんだ?」

 一之宮詩依良から、最後通告が発せられる。
 その言葉に漸く顔を上げて、詩依良を見つめる沙耶の眼には力が戻っていた。

「わかった。手伝うわ」
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