奇獲 ―あやとり― 【沙耶の章】

綾部 響

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4.霊と対峙する者

アルカイックスマイルの執事

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「お帰りなさいませ、詩依良様。それで御首尾は?」

 恭しく腰を折り丁寧な挨拶で詩依良を迎えた男性は、秘書か執事だと沙耶には見えた。
 彼女を背負ったまま、それを気にした様子も無く男性に近づいて行った詩依良は、その男性の前で進めていた足を止める。

「ああ……ただいま、和俊さん。怪異との話は付いたよ。一応……ね」

 その言葉を聞いて、和俊と呼ばれた男性が折っていた腰を伸ばし、下げていた頭を上げた。


 背は高く、沙耶は勿論詩依良よりも頭1つは高いだろうか。
 銀に縁どられたレンズの丸い眼鏡をかけており、その奥の表情は笑顔を崩さない。
 物腰の柔らかそうな雰囲気、詩依良に対する慇懃な口調、どれを取っても悪い感情を彼には抱き様がなかった。故に沙耶は当初、彼をとても優しそうな人物だと思ったのだが。
 その直後には、何とも言えない違和感を覚えずにはいられなかったのだった。

 沙耶のイメージに反して、彼は秘書や執事にしては随分と若い。彼女の抱いていたその様な役職を担う人物は、もう少し歳を経た初老の男性が行うと思っていたのだ。
 だが秘書や執事と言った仕事も、考えてみればこれぐらいの年齢が適性なのかも知れない。人物に仕えるのでは無く代々「家」に仕えている執事ならば、白髪の老人と言うシチュエーションも考えられるが、職業としての秘書や執事ならば体力もある若い方が良い場合も多いだろう。
 それよりも、彼から受ける違和感の正体は、その表情から来るものだった。

 彼は、先程からその笑みを崩さずにいる。いや、表情に全くの変化を感じられない。
 ただ1つの表情を、不自然な程に保持し続けていた。

 ―――アルカイックスマイル。

 その微笑が、そう呼ばれている事を沙耶も知っていたが、実際に見るのは初めてだった。微笑んでいるのに笑っていない、彼の笑顔はまさしくそんな表情だったのだ。

「そうですか。それでそちらの女性は?」

 彼は眼鏡のフレームをクイッと上げ直し、沙耶に眼をやり詩依良に尋ねた。その姿を見た詩依良は、小さく一つ溜息をつく。

「この間話しただろ? この件でのだよ」

 ウンザリとした様に話す詩依良。それは、「知ってるくせに聞くな」もしくは「何度目の説明だ」と言った表情だ。
 きっと彼はそう言った性格なのだろう、すでに分かっている事を、あえてその本人を前にして聞こえる様に問いかける。
 そのやり取りを詩依良の背中で聞いていた沙耶は、に引っ掛かりを覚え、少しムッとした表情となった。詩依良の言葉の中に、納得出来ない語句が含まれていたのだ。
 沙耶は今、その想いを話すべき事かどうか迷った。だが、この場で話す事を自重した様だった。

「詩依良ちゃん、もう降ろして。多分もう、大丈夫だから」

 しかし沙耶の言葉にはその気分が少し紛れ込んでしまい、やや強い語気になってしまっていた。

「ん……そうか?」

 突然沙耶がそう言って、詩依良の背中から降りようとジタジタしだした。急に沙耶の機嫌が悪くなった様に感じられ、詩依良は少なからず怪訝に思った。

(何怒ってるんだ?)

 急変した沙耶に疑問を感じながら、詩依良は彼女を地面へ降ろしてやった。両足を地面に付けた沙耶の足取りを見た詩依良は、それが彼女の強がりではなく本当に大丈夫な様だと思い僅かばかり安堵した。
 地面に降り立った沙耶は、詩依良の隣にスッと一歩進み出て、執事の様な彼と向き合った。

「初めまして。詩依良ちゃんのと……協力してます。武藤沙耶です」

 途中で何かを言い淀み、沙耶はそう言ってペコリと頭を下げた。

「これは御丁寧に。初めまして、市宮いちみや和俊かずとしと申します。詩依良様の運転手兼助手をしております。今後ともよろしくお願いいたします、沙耶様」

 だがそれを気にした様子も無く、彼も恭しく腰を浅く折りお辞儀する。その言葉を聞いた沙耶の体は、機械仕掛けの様に折っていた体を跳ね上げた。

「さ、沙耶様!?」

 そんな呼ばれ方をしたのは初めてだったのだ。もっとも、大多数の一般人はそんな呼ばれ方をされる事等まず無いだろう。
 驚きと照れがない交ぜとなり、沙耶の顔は真っ赤になっていた。

「それにしても……」

 和俊はそんな沙耶を変わらない笑顔で見ながら、傍らに立つ詩依良に視線を送る。

「詩依良ちゃん……ですか」

 彼の口からは「ククク」と、堪えられず溢れて来たのだろう、含み笑いが漏れていた。
 その笑顔は間違いなく本物だと沙耶にも分かった。彼は心底愉快そうだったのだ。

「い……良いだろ、そんな事は! それよりも和俊さん、その『様』ってのはいい加減止めてくれよ。柄じゃねぇからさ」

 言われたくなかった事を指摘されて、顔を真っ赤にして照れる彼女は、彼が詩依良を呼ぶ時に付けている敬称に言及した。
 あからさまに話題を変えようとしている詩依良の姿が更に彼の琴線に触れたのか、彼女の姿を見る和俊はやはり楽しそうだ。

「分かりました、詩依良さん。それでこれからどちらへ?」

「様」は付けなくなったが、それでもその物言いは変わらず丁寧で他人行儀だ。

「間宮悠人の自宅へ向かう。和俊さん、悪いけど送ってくれるかい?」

 彼の問いかけに、詩依良はそう答えた。
 市宮和俊の話では、彼は詩依良の運転手である。彼女を車で送り届けるのは彼の仕事であり、いちいち頼まれる様な事では無い筈だ。
 それでも詩依良が「悪いけど」と付け加えている事に、沙耶は僅かに疑問を感じた。

「畏まりました。それで、沙耶さんは如何なさいますか?」

 沙耶の方に軽く視線を送って、和俊は詩依良にそう問うた。
 詩依良への敬称を取りやめた事で、沙耶に対する敬称も無くなっている。もっとも沙耶としても、その方が気が楽で有難かったのだが。


 和俊の問いかけは、沙耶をこの場に置いて行くかどうかと言うものだ。
 向かう先にはユウキと、彼女の本体が居る。
 先程話した通りに上手くいけば、ユウキが本体を説得してくれている筈だが、それが失敗したという最悪の事態も考えられる。その場合、ユウキは本体に取り込まれ、限りなく悪霊に近くなった本体が居るだけだろう。
 そんな場所へ、殆ど素人で何の力も持たない沙耶を連れて行くのは、多少なりとも危険が伴うのだ。

「……沙耶にも来てもらう。間宮悠人の家で何を視たのか、先に聞いておく必要があるからな」

 しかし詩依良は沙耶を連れて行く事にした。楽観するつもりなど毛頭ない詩依良は、あらゆる事態を想定する為に、沙耶の情報も聞いておこうと判断したのだ。
 厳しい顔つきになった詩依良が、ゆっくりと沙耶に視線を向けた。
 先程のが若干残っていた沙耶だったが、話の内容が緊迫している事を察し、彼女も真顔となって小さく頷いた。

「畏まりました」

 そのやり取りを確認した和俊は、一言了承の旨を伝えると後部座席の扉を開いた。
 詩依良と沙耶は車に乗り込み、和俊はそれを確認して静かにドアを閉めたのだった。




「おい……沙耶。何を怒ってるんだよ?」

 車内に入ってから、沙耶は詩依良と口を聞こうとしなかった。それどころか、不機嫌な雰囲気を隠そうともしていない。
 誰の目から見ても、沙耶は機嫌が悪く怒っている様だったのだ。

「……別に!」

 しかし当の沙耶は、そう答えてプゥッと頬を膨らませ、プイッとそっぽを向くだけだ。これには詩依良も、溜息をつく以外なかった。

「何なんだよ……まったく。ま……そんな事より今はこっちが優先だ」

 またまた詩依良は沙耶の地雷を回避するどころか、真っ向から踏み散らした。
 これにはそっぽを向いていた沙耶も何か言わなければ気が済まない、とばかりに詩依良へ向き直ったが、その瞬間、確かにそんな事で時間を潰している場合では無いと気付いた。

「あ―――……」

 結果、何だかとても間抜けな恰好でフリーズする形となった沙耶。しかしその沙耶を見ても、詩依良の表情は変わらなかった。
 すでに詩依良は思考を間宮悠人と、それに憑りつく猫霊へと切り替えていたのだ。

「沙耶……お前、間宮悠人の家でユウキの本体を……視たな?」

 沙耶の奇行に触れる事も無く、詩依良は本題を切り出して来た。詩依良の真剣な問いかけを前に、沙耶も何とか再起動を果たす事が出来たのだった。
 しかし沙耶の脳裏には、ここでも疑問が頭をもたげた。詩依良は沙耶が視て来た事を、まるで知っていたかのような口ぶりで話したからだ。
 彼女はどうやって、自分の思考を知る事が出来ているのだろう……そんな疑問を漠然と抱いた沙耶だったが、今ここでそれについて聞く事は憚られた。だから彼女は、その事に言及するのを一先ず止める事にしたのだった。

「うん……。多分……あれが、そう……だと思う」

 沙耶はユックリと、その時の事を思い出す様に言葉を紡いだ。その体は僅かに震えており、思い出しただけでも恐怖がぶり返して来ている様であった。
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