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第一話
11.凡人にも意地がある
しおりを挟む両手にお札を持ち、懐に勘九郎を忍ばせ、摺り足で移動する。
自分が移動していることさえ気付かせないよう、じりじりと。彰は少しずつ少しずつ白玲の死角を目指して動いた。
白玲は菜央の身体のある場所から動く気配はない。菜央と距離が離れると、菜央の身体を動かせなくなるのかもしれない。だとすると、二宮が踏み止まって交戦している間は、白玲の攻撃がこっちにまで及んでくる危険性はないと考えていいだろう。
目立たないようにゆっくりと近付いて、お札を貼り付ける。自分がやるべきことはその一つだけだ。
(焦ったらアウトだ。そ~っと、慎重に、存在感を薄~くして……)
彰は逸る気持ちを抑えるべく何度も胸の中で呟き、白玲から十分に距離をとって背後へ回りこむように動く。
二十メートルは離れているので、必然的に移動距離は長くなり、時間もかかってしまうが、万が一にでも炎に触れたら即死亡なのだ。警戒もするというもの。
うおんと唸りをあげて暴れる炎尾に恐怖心を刺激されつつも、彰はたっぷりと時間をかけて白玲の後方へ辿り着いた。
白玲は背後に回られたことに気付いていない。ひとまずはそのことに安堵し、ふぅ~という細く長い吐息とともに、溜まった緊張を吐き出した。
そしてごくりと生唾を飲み込む。ここからだ。ここから菜央の真後ろまで近付いて、札を貼り付けるのだ。
大丈夫。左手の中にある札の効力は確かだ。右手に握った札を彼女に貼り付けるなんて簡単――
「ん?」
「どうしました?」
思わず漏れた小さな呟きに反応し、今まで無言で懐に収まっていた勘九郎が顔を上げる。
「札を貼った後って、どうすんだ?」
いくら札の効力が確かだとしても、さすがに札を貼り付けたら自分の存在は気付かれてしまうだろう。
「貼ったら直ぐに離れりゃいいと思ってたけど、よくよく考えてみると全速力で走っても逃げ切れないんじゃ……?」
三秒とかからず二十メートル先まで攻撃が届くのだから、凡人の脚力で安全圏まで逃げるなんて土台無理な話である。
激怒した白玲の炎に薙ぎ払われる様を想像してしまい、途端に全身から嫌ぁな汗が出てきた。
「大丈夫ですよ。智久様から自衛用のお札を受け取っているんでしょう?」
「ああ、そうだけど……」
そういえば、右手にあるものと同じものが自分の服の中に存在していることを忘れかけていた。
「あれを持っていれば、二・三発くらいは軽く防いでくれます。少なくとも一撃でどうこうなるなんてことはありません。それに、いざとなったら私が盾になりますから、安心してください」
「勘九郎……」
さも当然とばかりに彰の盾になると、勘九郎は言い切った。彰はそれに大いに力付けられるとともに、弱腰の自分をしっかりしろと叱りつける。
やると決めたのだ。いまさら臆病風に吹かれてどうする。
気合を入れ直した彰は、暗闇の中で踊り狂う炎の真下を目指して前進を始めた。相変わらず亀のごとき移動速度だが、気付かれたら全てが無駄になる。慎重すぎるくらいが丁度いい。
どっどっどっと加速していく心臓の鼓動を、痛いほど彰は感じていた。じれったくなるほどの時間を費やして、進む。
あと、半分。
近付くにつれ、炎の熱が彰に牙をむいた。頬にひりひりとした痛みを感じながらも、彰は歩みを止めない。
額や首回り、背中などは大量の汗に濡れているのに、緊張と熱さで喉がからからだ。吸い込む空気すら熱い。
あと少し。
炎が頭上をうねっている。ちょっとでも熱から逃れるため、彰は出来るだけ身を低くして動いた。瞳も乾いてきて、ときどき視界が霞んだ。気を抜くと頭がぼうっとなる。
もう菜央は目と鼻の先。
ふと、時間稼ぎをしてくれている二宮が視界に映った。白玲の猛攻を凌ぎ、未だ無傷ではあるが、いつまでも防戦一方では彼も辛いだろう。
この距離なら手を伸ばせば菜央の背に届く。彰は右手の札の存在をちらりと確認し、汗の滲む手を華奢な背中へと近づけていった。
あと数センチでその背に届く、といったところで、上から鋭い舌打ちが降ってきた。
同時に首をぐいっと下に引かれる。
「――!?」
前のめりになっていた彰は、バランスを崩してしゃがみ込むかたちになった。
一瞬のことで何が起きたか理解できなかったが、空気の揺れる感覚で、頭上を何かが通り過ぎたことだけは分かった。
「大丈夫ですか?」
囁くような声が聞こえる。声が耳に届いてしばらく経って、ようやく彰は放心状態から抜け出した。
(なんだ? 今、なにがどうなった?)
普段の十分の一も働かない頭がもどかしい。気付けに頭を軽く振ると、なにやら首に柔らかな感触を感じた。顎を引いて自分の首を見る。懐から勘九郎の尻尾が出ていて、彰の首に巻き付いていた。
先ほどはこれに引っ張られたのか。
そこで彰は、つい数秒前、自分の頭の上を通り過ぎていったものの正体を理解した。膠着状態に苛立った白玲が尾を乱暴に振り回すかなにかして、それが自分の頭のある場所へ……。
(危ねえええ!! もしかしなくても俺死ぬとこだった!?)
背筋も凍る出来事に、口元を押さえて血の気を失くす彰。
「池永さん。大丈夫ですか?」
そんな様子を心配してか、勘九郎が彰の懐から身を乗り出して顔を覗き込んでくる。
「だ、大丈夫。ってかサンキューな。助けてくれて」
「いえいえ、無事でなによりで……」
安心したような勘九郎の言葉が唐突に途切れた。その視線が彰の口元に寄せられている。口元というよりは、口元を覆う右手に。
(あれ……?)
右手に握っていた札が、ない。
彰は瞳をこれでもかと見開いた。なぜ、いつ、どこに、と疑問詞だけが頭をよぎる。
(あっ! さっきの……)
首を引かれてバランスを崩したとき。あのとき手放してしまったに違いない。
どうして気付かなかったのか。焦燥感と腹立たしさがごちゃまぜになって、思考が混乱する。考えてというよりも、反射的に札を探して彰は首を巡らした。
あった。
彰の斜め後ろ、二メートルほど離れたところに、熱風に巻き上げられてひらひらと宙を舞っている。
良かった。自分の目線より高い位置を漂う札を見ながら、ほっと安堵の息を吐く。
まだ大丈夫だ。そう思い、札を取りに戻ろうと身体の向きを変えた瞬間。
炎の柱が落下途中の札を薙ぎ払った。
目の前を、燃え残った細かな灰が落ちていく。彰は信じられない思いでそれを見つめていた。
いつぞやの『絶対に手放さないでね』という二宮の言葉が脳裏に浮かんでくる。その意味するところはつまり、手放してしまったらあの札はただの紙切れと同じ、ということだったのだ。
気付いたところで後の祭り。幸いにして、紙切れ一枚を燃やし飛ばしたことなど気にもならないのか、白玲に彰の存在はばれていない。
しかし、彰にそんなことを考える余裕はなかった。失敗した。その事実が彼に重くのしかかる。勘九郎が何か言っていたが、呆然とする彰に勘九郎の言葉は届かない。
(冗談じゃねえぞ……。菜央は目の前なんだ。ここまで来て、失敗しましたっつって大人しく引き下がれってのか!?)
目の前にいるのに何も出来ない、という状況に。そして何より己の不甲斐なさに。爆発しそうなほどの怒りが、津波のごとく押し寄せてくる。
だが、どれほど憤ったところで、頼みの札がなくなってしまってはもはやどうすることもできな――
(いや、待て。………ある。まだ方法が……!)
彰は気が付いた。頼みの綱が切れたわけではないことに。加熱する思考の末に閃いた唯一つの方法。それは至極簡単なことだった。
彰はジャケットに突っ込んでおいた札、自衛用の札を取り出す。
そう、簡単なことだ。札ならまだもう一枚残っているのだから、それを使えばいい。自分の安全が脅かされる確率が跳ね上がるとしても、このまま引き下がるよりはずっとマシだ。
からからに渇いた彰の喉からは、荒い呼吸だけが漏れていた。
このままでは終われない。無力な自分にも、意地があるのだ。
やってやる。
覚悟を決め、彰は再び菜央の背へと手を伸ばした。
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