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三十二 悪行
しおりを挟む腕を縛られ、口も塞がれた紅鴛はなすすべが無かった。掃把星はそんな彼女の横へごろりと身を投げた。
「さぁてと、時間はたっぷりある。俺の腕を奪った借りをどう清算するか、ゆっくり話し合おうじゃねえか。
一番わかりやすいのは、同じようにあんたの利き腕を斬っちまうことだが……へへ、あんまり血を流すのは好きじゃないんでね。やっぱり盗人らしく、何か盗んでやるとしようか?」紅鴛が顔を背けると、掃把星は顎を掴んで、無理矢理自分の方へと向けさせた。「俺は、人が一番盗まれたくないものを盗る主義だ。武芸者だの、武当の次期掌門だのといっても、あんただって女だからな。……となれば、最も大事なものは一つしかねえよなぁ?」
言うなり、紅鴛の身体へ馬乗りになる。
「女を犯すのも、別に好きじゃねえんだが。しかし俺の腕だって一生ものだからな。あんたから一生分の傷になるものを盗んでおかないと、釣り合いがとれねえだろ?」
襟元へ手をかけ、着物を脱がせにかかった。
自分を犯すつもりなのだ。紅鴛はこのうえない屈辱を感じたが……すぐに思い直した。
自分はもう汚れた身だ。このうえまた犯されたって、大した違いではない。もとより、江湖では結婚相手に捨てられた女だと悪評が流れている。
ーー女としての価値なんて、とっくに無くなっているんだもの。今更この悪党に何かされたって、また一つ悪い評判が増えるだけ。
かえって気が楽になると、力を抜いて、もう後はされるがままに任せようとした。
ふと、掃把星の手が止まった。紅鴛が少しも抵抗しないので、さすがに妙だと思ったらしい。
「なんだよ、そのツラは。身体を奪われるくらい、何でもねえってか?」
紅鴛が黙っていると――もとより、口を塞がれて話せないのだが――盗人は合点がいったように舌打ちした。
「なるほど。あんた、あの楊とかいうガキと何かあったな?」
紅鴛は無視したが、相手はかえって確信を強めたらしかった。口を塞いでた布を取り除き、問いただした。
「えぇ? どうなんだ?」
「……あの子は、私を解毒するために武当に伝わる房中功法を使ったの。無論、どんな事情があったとしても許されることではないわ」
「ふん。道理であのガキ、俺みたいな男に頭を下げてまで、あんたを必死に助けようとしたわけだ。名門の弟子らしくねえザマだったから、おかしいとは思ってたが……」それから、感心したようにつけ加えた。「とはいえ、心懸けは大したもんだ。あんたのためなら、一門の掟も平気で破り、卑怯な手段も厭わねえってんだからな。そういうのは嫌いじゃねぇ」
紅鴛からすれば、楊楓の行いは許し難いところだったが、この悪党には違ったらしい。
掃把星は紅鴛から身をどけると、興醒めしたような一瞥を投げた。
「へっ。一度身体を汚したから、俺に犯されようが同じってわけか。やめだやめだ! 悔しがらねえんじゃ盗み甲斐だってありゃしねえ」
捨て鉢で流れに身を任せていた紅鴛だが、陵辱されずに済んだことにはやはり安堵した。
しかし、それも束の間のことだった。掃把星はにやりと笑みを浮かべて言った。
「だがまぁ、盗めるもんなら他にいくらでもあるよなぁ? 例えば……武当派の名声とかな。あんたを武当山へお届けして、掌門の慕容武究先生に頭を下げさせてやろうか。俺みたいな盗人を一門の恩人にしたら、今後江湖で武当派の評判は……さぞ面白いことになると思わねえか?」
紅鴛は青ざめた。自分は殺されても、汚されてもいい。しかし、一門の名を傷つけられるのは耐えられない。
咄嗟に頭をめぐらせて、言い返した。
「わ、私はもう武芸者として廃人同然よ。それに掟も破ってる。武当を脅す道具としての価値は無いわ」
話しながら、紅鴛は胸に冷たい痛みが広がるのを感じた。そうだ。今の私は無価値だ。翠繍を討てず、何士慧には裏切られ、勝手に弟弟子と身体を重ねた。内功も失われた。こんな有様で武当へ帰っても、受け入れてもらえる場所はあるだろうか……。
掃把星は少しも意に介していなかった。
「俺が武当にあんたを届けた事実があれば、それでじゅうぶんさ。あとは江湖の口さがない連中が勝手に噂を流してくれるだろうぜ。へへ、我ながら名案だな」
「そんなことは――」
言葉半ばで、また布を口に押し込まれた。
紅鴛は震えが止まらなかった。もし掃把星の狙い通り、武当派の評判が貶められてしまったら。自分は一門の歴史始まって以来、最悪の罪人になる。考えただけで、気が遠くなりそうだった。
大分時間をかけて、必死に心を落ち着かせた。ここから武当山まで行くには、何日もかかる。この悪党から逃れる術をなんとか探さなくては。たとえ、一目につかぬところで死ぬことになったとしても、一門の名誉だけは守らなければならない。
二人は古廟で一夜を明かした。
翌朝早く、掃把星はどこからか騾馬と荷車を調達してきた。盗人は紅鴛を分厚い麻袋ですっぽり包み、端を紐で縛って、車に載せた。袋の中では何も見えず、ろくに身動きもとれない。逃げるのは不可能だった。
騾馬は年老いていて、車の進みはゆったりしたものだった。特に邪魔者がいるわけでもないので、掃把星ものんびり武当山を目指すつもりのようだ。
紅鴛はそのうち空腹に襲われた。いっそ餓死してしまえばいいと思ったが、さすがに掃把星はその点も抜け目が無かった。日に三度ばかり、強い気付け薬を紅鴛の口を塞ぐ布に注いだ。こうすることで、彼女が拒んでも布を通して薬が口内にしみ込んでくる。腹は満たされなかったが、飢えや渇きで死ぬようなことはまず無かった。
夜は決まって人気の無い宿か、廟や寺に泊まる。紅鴛が麻袋の中で暴れても、気がつく者はいない。下手に外へ出すと、何か硬いものに頭をぶつけて自害するだろうと考えたのか、薬を与える時を除いて、ずっと中に閉じ込められていた。
こうして、四日ばかりが過ぎた。紅鴛は、もう逃げるのは無理だろうと半ば諦めていた。
唯一の希望があるとすれば、あの天耳老丐だ。見聞の広いあの老人なら、危機に陥った紅鴛の消息を掴めるかもしれない。何より、孫の豊児を蛾眉五峰から助けた恩がある。
とはいえ、それも望みの薄い希望に過ぎなかった。
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