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八 星邪剣陣
しおりを挟む婦人が、ぎろりと弟弟子を睨んだ。
「今、何か言ったかい?」
楊楓が朗々と言った。
「我が武当派が裏切り者を追う理由に、後ろ暗いところは一切ありません。しかし、あなた方はどうなんです。さっき、そこの娘は峨眉派掌門の郭玄生が過ちをおかしたと言っていた。あなた方は本当に正しい理由があって、天耳老丐とこの娘を殺そうとするのですか? それとも、何か後ろめたい事情を握りつぶすためですか?」
今度は、峨眉五峰の面々が言葉に詰まる番だった。紅鴛も弟弟子の言葉にはっとさせられた。確かに、武当が裏切り者を処罰するのは正当な理由があってのこと。ただ、義妹や婚約者への情誼が邪魔をして、紅鴛の決心が未だ定まらないから、婦人の言いがかりにも惑わされたのだ。
峨眉五峰が天耳老丐を狙う理由には、どうも胡散臭いところがある。彼らが江湖の正義にのっとって動いているようには見えない。
ややあって、婦人が唸るように言った。
「弁がたつねえ、坊や。でも、ちょっと口が過ぎたようだ。あんた達も黙らせておくべきかねえ」
紅鴛は弟弟子の前に立った。
「ご先輩。我らは武林の名門同士。無暗に剣へ訴えても、お互いにいいことはありません」
「いいや。あんた達は知り過ぎたよ。江湖を引退して久しい峨眉五峰の名も耳にしちまった。そのうえ、うちの掌門へもあらぬ疑いを抱いてる。このまま去られたんじゃ、色々都合が悪いだろうさ……!」
十の瞳に殺気が宿るのを見て、紅鴛は叫んだ。
「師弟、さがって!」
五つの鞘が光を噴き、一斉に突き出される。
左手で弟弟子の体を後ろに押し出しながら、右袖を思いきり打ち払う。内力が満ち、縦横から迫る五つの刃を、ことごとくはじき返した。が、相手方の剣も勢い凄まじく、袖はびりびりと引き裂かれる。
もはや引き返せない。戦うしかなかった。
数歩退いた紅鴛は腰へ手を伸ばし、長短の双剣を抜いた。
峨眉五峰の年配の男が、にやりと笑みを浮かべる。
「よろしい。武当次期掌門の本領を、とくと拝ませてもらおう」
剣を掲げ、口笛を鳴らす。五人がひらりと左右へ散り、紅鴛を囲んだ。
「かかれっ!」
左手から三人が同時に攻めかかる。紅鴛が双剣でさばくと、今度は右から二人が来た。応じているうちに、また三人がかかってくる。攻め手が連綿としていつまでも尽きない。
紅鴛は驚愕した。これは峨眉派奥義の一つ、星邪剣陣だ。流星のように剣の連撃が注ぎ、相手を打ち倒すまで止まらぬ連携技。以前、峨眉派を訪れた際に少しだけ稽古の様子を見たことがある。この剣陣は技が複雑で、各人の呼吸を完全に一致させなければ、相手を倒すどころかお互いを傷つける危険を孕んでいる。そのため、今の峨眉派でこれを実践に用いる機会は殆ど無いとのことだった。しかし、眼前の五人はよほどの年月をかけて修練を積んだのか、この剣陣を自在に使いこなしている。
紅鴛は守りを固めつつ、跳躍し、あるいは間隙をついて囲いを突破しようとした。が、いずれも阻まれてうまくいかない。一対一でも持て余す相手が、五人がかりで剣陣まで敷いてきたのだ。しかも紅鴛を若輩扱いせず、完全に殺す勢いでかかってきている。
勝てる見込みは殆ど無かった。けれども、容赦の無い攻め手を目にして、紅鴛の意気はむしろ高まった。こんな弱い者虐めのような真似をする相手に、どうして負けられるものか。まだ二十歳とはいえ、剣客として江湖を渡り、色んな危険をくぐり抜けてきた。
今回も同じ。くぐり抜けるだけだ。
心がはっきり決まると、頭も冴えわたった。双剣で守りをかためながら、周囲へ目を向ける。
この廟は狭く、あちこちに柱がある。陣法というのは、周辺に障害の無い場所でこそ最も効果を発揮する。森では木々、屋内では卓や椅子などが邪魔になって、陣形を展開しにくくなるからだ。
紅鴛は子母双剣を舞わせながら、相手に気づかれないよう、じりじり左へと移動していった。彼女が動けば、囲みも少しずつ動く。やがて、婦人の背後に廟の柱が近づいた。
――今よ!
出し抜けに、婦人の胸元へ双剣を突っ込む。相手は驚きと共に飛びのいたが、背中が柱へぶつかり、それ以上退けなくなった。その危機に、四人がすかさず反応して、紅鴛の背に剣を送る。このまま婦人を刺せば、自分も背を貫かれて一巻の終わりだ。紅鴛はくるりと身を返して四人の剣を受けながら、足を後ろに飛ばして婦人の顎をけった。骨の折れる鈍い音と共に、相手は昏倒した。
これで、まず一人目!
勢いをかって、紅鴛は猛然と攻めた。しかし相手もさるもの、即座に態勢を整え、陣の突破だけは許そうとしない。そのうえ、紅鴛が捨て身で踏み込んでも、もうその場に踏み止まって動こうとしなかった。彼女の攻めにつられて陣を不用意に動かせば、婦人の二の舞になるとわかっているからだ。紅鴛は内心舌打ちした。もう同じ手は使えない。
状況は膠着した。紅鴛も陣の守りを崩せないが、相手もまた守勢に傾いて攻めが弱まり、紅鴛を倒せなかった。
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