武当女侠情剣志

春秋梅菊

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三十 開鎖

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 翠繍は出来上がった薬を小瓶に移して、楊楓に渡した。
「姉さんに飲ませてあげて。効き目が強いから、副作用で吐血と震えが出るわ。具合がよくなるまでお世話をしてあげて。三、四回も飲めば毒は完全に抜けるでしょう」
「本当に解毒薬なのか?」
「信用しないなら飲ませなくていいわよ」
「どのみち、完全に回復させるつもりなんて無いんだろう」
「ええ。毒が無くなるだけで、内功までは戻らないわね」
 内功が失われたままでは武芸者としては廃人同然だ。もっとも、今は命が助かればじゅうぶんと考えるしかない。
「私はしばらく練功に入るわ。あなたは好きに過ごしなさい。逃げたければ逃げてもいいけど、牢の鍵は私の手元にあるし、あなたの腕じゃ鉄格子を斬るのは難しいでしょうね」
「俺にも修行を手伝えと言わなかったか?」
「今はまだ必要ないわ。その時になったら頼むわね。さあ、行って」
 翠繍は楊楓を薬房から追い出して、扉を閉めると内から鍵をかけた。この扉は厚みがあり、しかも四方の枠には鉄が使われている。相当な掌力が無ければ外からは打ち破れない。内功修行は集中力と体力を使うため、無防備な状態になる。だから基本的に危険を遠ざけた状態で行うのだ。
 ――しめた。練功を始めたらそっちに気がいって、掃把星が侵入しやすくなる。ただ、鍵は翠繍の手元だ。どうやって盗むかが問題だな。
 ひとまず紅鴛の牢屋へ向かい、鉄格子越しに薬を飲ませた。
「ありがとう、師弟。楽になったみたい……」
「師姐、内功は使えますか?」
「いいえ。身体は何とか動かせるけれど」
 楊楓は声をひそめた。
「助けが来ます。いつでも逃げられる準備をしてください」
「助け?」
「今はとにかく、体力の回復に努めてください」
 楊楓は洞窟を出た。周囲は林に遮られ、月明かりも届かない漆黒だ。
 不意に肩を叩かれた。慌てて振り向くと、掃把星がにやにやしながら立っている。
「脅かすな」楊楓は睨みつけた。「例の物は持ってきてくれたのか?」
「ああ。あるぜ」
 掃把星は肩に担いでいた桶を顎でしゃくった。
 中身は油だ。逃げ出す際にこれを洞窟内に撒き、火をかけてあの裏切り者を焼き殺してしまうつもりだった。掃把星はにやりとした。
「武当は堂々とした門派だと思ってたが、なかなかえげつない真似をするんだな」
「あいつは悪党だ。それを倒すのに手段になんか構っていられるか」
「ま、何でもいいさ。それで、忍び込む隙は出来たのか?」
「あの魔女は練功に入った。だが、鍵が手元にある。奪う方法を考えないと」
「おいおい。あんたは盗人ってもんをまるでわかっちゃいないな。ま、とりあえずその牢に案内してくれや」
 楊楓は掃把星を連れて牢に戻った。二人を見るなり、紅鴛が顔色を変えた。
「掃把星……! どうしてここに?」
「決まってんだろ。盗みに来たのさ。あんたを助けりゃ、俺は武当の大恩人になれる。礼はたんまりいただくぜ」
 紅鴛は歯を食いしばった。
「消えなさい。あなたのような悪党の手は、死んでも借りない」
「悪いが、そういう態度をとられるとますますその気になるのが俺という男でね。それに、あんたの可愛い弟弟子が頼んできたんだ。文句があるならそっちに言いな」
「師弟、本当なの?」
 楊楓は姉弟子の怒りに後ろめたさを感じながら頷いた。
「今はここから逃げ出すのが肝心です。この男の手を借りた責任は、俺がとります」
 掃把星は桶を足下に置くと、懐から針金を取り出した。それを錠の穴に差し込み、上下左右に動かす。ほどなく、錠が外れた。
「ほら、この通りだ。鍵なんか必要ねえだろ?」
 さすが名のある盗人だ。楊楓も感心せざるを得なかった。
 ふと、隣の牢にいた柯士慧が起き上がり、必死の形相で呼びかけてきた。
「た……助けが来たのか? 頼む、私も出してくれ!」
 掃把星がちらっと楊楓を横目に見た。
「こいつは誰だ?」
「柯士慧だ」
「はぁ? ってことは、紅鴛の許嫁か? なんで牢にいるんだ?」
「気にしなくていい。あの魔女とは別の意味で師姐を裏切ったんだ」
「助けてくれ! 助けてくれ!」
 格子を揺らしながら叫ぶ柯士慧を、楊楓はせせら笑った。
「名士の気概まで無くしたのか? ここにいる掃把星は大泥棒だぞ。そんな男に助けられたら、あんたのご自慢の名声も台無しになるぞ」
 懇願が無駄と悟ったのか、相手は即座に手を変え、大声で叫び始めた。
「おい、白翠繍! 紅鴛達が逃げだそうとしているぞ! 聞こえないのか! 早く来い!」
「見下げ果てたやつだな! やめろ!」
 楊楓が蹴りを入れると、柯士慧はすばやく牢の奥へ後ずさった。しかし口元には残酷な笑みが浮かぶ。
「こうなれば一蓮托生だ。お前達だけ行かせるものか。――おい、白翠繍! 姉弟子が逃げてしまうぞ!」
 翠繍は薬房にいて練功中とはいえ、これだけ喚かれたら聞こえないとも限らない。
 楊楓は掃把星を振り向いた。
「助ける必要はない。急いでここを出よう」
「だめよ」紅鴛が横から言った。「私を出すなら、彼も助けてあげて」
「師姐、こんなやつ構うことありません」
「私を師姐と呼ぶなら、従いなさい。私を助けるためと言って、あなたは柯六侠の腕を奪い、掃把星を引き入れた。こんな真似はもう沢山」
「責任は、俺が……」
「あなただけが引き受けて済む問題だと思うの。早く柯六侠を出して。でないと、私も逃げないわよ」
 姉弟子の叱責と固い決意に、楊楓も折れざるを得なかった。掃把星を振り向いて言った。
「牢を開けてくれ」
 頷いた掃把星が錠へ針金を差し込んだ瞬間、冷ややかな声が入口から響いた。
「楊師弟、軽はずみな真似は、後悔することになるわよ」
 翠繍が銀鞭を手に、大股でこちらへ近づいてくるところだった。

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