武当女侠情剣志

春秋梅菊

文字の大きさ
31 / 34

三十 開鎖

しおりを挟む
 翠繍は出来上がった薬を小瓶に移して、楊楓に渡した。
「姉さんに飲ませてあげて。効き目が強いから、副作用で吐血と震えが出るわ。具合がよくなるまでお世話をしてあげて。三、四回も飲めば毒は完全に抜けるでしょう」
「本当に解毒薬なのか?」
「信用しないなら飲ませなくていいわよ」
「どのみち、完全に回復させるつもりなんて無いんだろう」
「ええ。毒が無くなるだけで、内功までは戻らないわね」
 内功が失われたままでは武芸者としては廃人同然だ。もっとも、今は命が助かればじゅうぶんと考えるしかない。
「私はしばらく練功に入るわ。あなたは好きに過ごしなさい。逃げたければ逃げてもいいけど、牢の鍵は私の手元にあるし、あなたの腕じゃ鉄格子を斬るのは難しいでしょうね」
「俺にも修行を手伝えと言わなかったか?」
「今はまだ必要ないわ。その時になったら頼むわね。さあ、行って」
 翠繍は楊楓を薬房から追い出して、扉を閉めると内から鍵をかけた。この扉は厚みがあり、しかも四方の枠には鉄が使われている。相当な掌力が無ければ外からは打ち破れない。内功修行は集中力と体力を使うため、無防備な状態になる。だから基本的に危険を遠ざけた状態で行うのだ。
 ――しめた。練功を始めたらそっちに気がいって、掃把星が侵入しやすくなる。ただ、鍵は翠繍の手元だ。どうやって盗むかが問題だな。
 ひとまず紅鴛の牢屋へ向かい、鉄格子越しに薬を飲ませた。
「ありがとう、師弟。楽になったみたい……」
「師姐、内功は使えますか?」
「いいえ。身体は何とか動かせるけれど」
 楊楓は声をひそめた。
「助けが来ます。いつでも逃げられる準備をしてください」
「助け?」
「今はとにかく、体力の回復に努めてください」
 楊楓は洞窟を出た。周囲は林に遮られ、月明かりも届かない漆黒だ。
 不意に肩を叩かれた。慌てて振り向くと、掃把星がにやにやしながら立っている。
「脅かすな」楊楓は睨みつけた。「例の物は持ってきてくれたのか?」
「ああ。あるぜ」
 掃把星は肩に担いでいた桶を顎でしゃくった。
 中身は油だ。逃げ出す際にこれを洞窟内に撒き、火をかけてあの裏切り者を焼き殺してしまうつもりだった。掃把星はにやりとした。
「武当は堂々とした門派だと思ってたが、なかなかえげつない真似をするんだな」
「あいつは悪党だ。それを倒すのに手段になんか構っていられるか」
「ま、何でもいいさ。それで、忍び込む隙は出来たのか?」
「あの魔女は練功に入った。だが、鍵が手元にある。奪う方法を考えないと」
「おいおい。あんたは盗人ってもんをまるでわかっちゃいないな。ま、とりあえずその牢に案内してくれや」
 楊楓は掃把星を連れて牢に戻った。二人を見るなり、紅鴛が顔色を変えた。
「掃把星……! どうしてここに?」
「決まってんだろ。盗みに来たのさ。あんたを助けりゃ、俺は武当の大恩人になれる。礼はたんまりいただくぜ」
 紅鴛は歯を食いしばった。
「消えなさい。あなたのような悪党の手は、死んでも借りない」
「悪いが、そういう態度をとられるとますますその気になるのが俺という男でね。それに、あんたの可愛い弟弟子が頼んできたんだ。文句があるならそっちに言いな」
「師弟、本当なの?」
 楊楓は姉弟子の怒りに後ろめたさを感じながら頷いた。
「今はここから逃げ出すのが肝心です。この男の手を借りた責任は、俺がとります」
 掃把星は桶を足下に置くと、懐から針金を取り出した。それを錠の穴に差し込み、上下左右に動かす。ほどなく、錠が外れた。
「ほら、この通りだ。鍵なんか必要ねえだろ?」
 さすが名のある盗人だ。楊楓も感心せざるを得なかった。
 ふと、隣の牢にいた柯士慧が起き上がり、必死の形相で呼びかけてきた。
「た……助けが来たのか? 頼む、私も出してくれ!」
 掃把星がちらっと楊楓を横目に見た。
「こいつは誰だ?」
「柯士慧だ」
「はぁ? ってことは、紅鴛の許嫁か? なんで牢にいるんだ?」
「気にしなくていい。あの魔女とは別の意味で師姐を裏切ったんだ」
「助けてくれ! 助けてくれ!」
 格子を揺らしながら叫ぶ柯士慧を、楊楓はせせら笑った。
「名士の気概まで無くしたのか? ここにいる掃把星は大泥棒だぞ。そんな男に助けられたら、あんたのご自慢の名声も台無しになるぞ」
 懇願が無駄と悟ったのか、相手は即座に手を変え、大声で叫び始めた。
「おい、白翠繍! 紅鴛達が逃げだそうとしているぞ! 聞こえないのか! 早く来い!」
「見下げ果てたやつだな! やめろ!」
 楊楓が蹴りを入れると、柯士慧はすばやく牢の奥へ後ずさった。しかし口元には残酷な笑みが浮かぶ。
「こうなれば一蓮托生だ。お前達だけ行かせるものか。――おい、白翠繍! 姉弟子が逃げてしまうぞ!」
 翠繍は薬房にいて練功中とはいえ、これだけ喚かれたら聞こえないとも限らない。
 楊楓は掃把星を振り向いた。
「助ける必要はない。急いでここを出よう」
「だめよ」紅鴛が横から言った。「私を出すなら、彼も助けてあげて」
「師姐、こんなやつ構うことありません」
「私を師姐と呼ぶなら、従いなさい。私を助けるためと言って、あなたは柯六侠の腕を奪い、掃把星を引き入れた。こんな真似はもう沢山」
「責任は、俺が……」
「あなただけが引き受けて済む問題だと思うの。早く柯六侠を出して。でないと、私も逃げないわよ」
 姉弟子の叱責と固い決意に、楊楓も折れざるを得なかった。掃把星を振り向いて言った。
「牢を開けてくれ」
 頷いた掃把星が錠へ針金を差し込んだ瞬間、冷ややかな声が入口から響いた。
「楊師弟、軽はずみな真似は、後悔することになるわよ」
 翠繍が銀鞭を手に、大股でこちらへ近づいてくるところだった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

処理中です...