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*十 人魚の血と、おやつより大事なもの
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海璃が渡津海と四六時中行動を共にするようになって、気付いたことがあった。それは、海璃の情緒が安定していると、むやみに時化が起こらないということだ。
時化がない穏やかな海を見ていると、海璃もまた心が休まるのか、竜宮を含むその周辺は平穏な日々を送ることができるようなのだ。
情緒の安定加減で海の状況が左右される――そのようなことが可能な生き物がいることを、渡津海はある日、海璃に言って聞かせた。
「オレがないたら、海があれるのと、かんけいあるの?」
『うむ、一概にそうとは言い切れぬが……実際、海璃が泣いていると、たいていの場合、表は時化ておるからな』
「……やっぱり、オレのせい?」
村で折檻されていた理由が、やはり皆を困らせていたものに結びつくのかと知り、海璃は読みかけていた書物に目を落としうな垂れる。
ごめんなさい、と言いかける海璃に、渡津海は慌てて取り繕うような言葉を続ける。
『いや、お前が悪い、というわけではないぞ。厳密に言えば、お前のせいというより、お前の中に流れる人魚の血のせいかもしれぬ、ということだ』
「にんぎょ? 人魚って……これ?」
手にしていた絵草紙に描かれた、耳にひれが生え、上半身は人間、下半身が魚の生き物の絵を指しながら問うと、渡津海は、そうだと言うようにうなずく。
耳まで裂けた牙の生えた口に、ぎょろりとした目玉、そして何より、脚ではない下半身の姿が海璃を怖気させる。このような恐ろしい姿に、自分がなってしまうのかと思ったからだ。
「……人魚、いや。こわい」
『ああ、海璃がこのようになるわけではない。海璃の中に流れている血には、人魚に関係するものが含まれている可能性がある、ということだ』
「……んう? オレ、人魚じゃない?」
『少なくとも、この絵草紙にあるような姿にはならぬ。安心せよ』
渡津海の言葉に、海璃は安堵して息を吐き、改めてその絵を眺め、そして自分の手のひらを見つめる。水かきもなく、鋭い爪もない。脚に至っては鱗すらついていないし、二つに分かれている。
「どうしてオレ、人魚の血、あるの?」
『おそらく、お前の親のどちらかが、人魚にまつわるものだったのだろうな。母親か父親のことは憶えておらぬか?』
親のことを聞かれると、海璃は頭の中がもやがかかったように何もわからなくなる。物心ついた時には村の祠の下で眠っていて、ごみを漁る日々だったのだから、親の記憶など皆無に等しい。
ふるふると頭を振る海璃に、渡津海は困り果てたように溜め息をつく。そうしてまた手許の分厚い書籍に目を落とし何かを読み解いていく。
『“人魚が泣けばその血が騒ぎ、波が共鳴して海が時化、嵐を呼ぶ”――……それ故なのか、海の者は人魚を好まぬものが多い』
好まぬ、という言葉に、海璃は先日海の者の子どもたちに石を投げられ罵られたことを思い起こす。化け物、と呼ばれ、出て行けと言われたあの時のことは、村にいた頃のよりもマシではあるが、辛くないわけではない。
決して愉快ではない記憶が甦ってうつむく海璃の頭を、渡津海がそっと撫で、呟く。
『ならば、海璃を極力泣かさぬようにすれば良い、ということだな……』
渡津海が独り言ちながら、書物に書かれた言い伝えを読み解き、解釈していく。それを膝上に座って眺めながら、海璃も真剣な面持ちで聞いている。呟かれている言葉の意味は全く分からないが、それでも自分に関する大事なことを渡津海が調べて考えてくれていることはわかる。だからこそ、少しでも理解してみたいと言う気持ちが海璃には強かった。
(なかないようにしたらいいのかな。なかなかったら、いい子なのかな)
そんなことを考えながら、海璃は村でのことを振り返る。
いつ何時でも、海璃は村では邪険に扱われていたし、竜宮に来てからも、泣けば時化を呼ぶせいで、ムツや渡津海以外からは白い眼で見られている気がする。
どこにいても、自分はいい子でいられていない――そんな気付きに、海璃は愕然とし、うつむく。
泣いてはいけない。泣いたら、きっと渡津海を困らせてしまう。困らせれば、ここを追い出されてしまうかもしれない。なのに、どうして目の前が滲んできてしまうのだろう。
『泣くな、泣くではない、海璃。お前は何も悪くない』
「でも、オレがなくから……海、あれちゃうんでしょ?」
『ならば泣かさぬようにすれば良い話だ。海璃、お前はいまどうして欲しいのだ?』
どうして欲しい? と聞かれて、すぐに言葉にできる程、己の中にある欲求を言語化できる語彙力があったなら、とうにそうしていたであろうことを、渡津海は気付いていない。どれほど海璃が自分というものを押し殺して生きて来たのかということも、言葉を学ぶ機会がなかったことも、わかっていなかった。
それでなくとも、海璃にとって問詰められることは、責められていることと同意で、途端に身体がすくみ、言葉が出てこなくなる。竜宮に来て半年が過ぎようとしているが、未だにそれは慣れる気配がない。海璃が怯え、泣きじゃくるたびに海が時化、渡津海がその対応に追われ、そしてまた海璃が寂しさで涙をにじませる。そんな悪循環を断ち切りたい思いが、海璃にも渡津海にもあった。
海璃は懸命に考え、一つの言葉に辿り着き、それを口にしてみる。恐る恐る、窺うように。
「あのね……ワタツミに、いっぱい、ぎゅってしてもらいたい。はじめてのときみたいに、つよく、ぎゅっとしてほしいの」
『……抱擁をすればよいのか? あと他にはないのか?』
「あとね、あと……さびしいの、なくしてほしい」
『寂しいのを、失くす、か……具体的に言うとなんだ?』
「ぐたいてき?」
『あー……例えば、どんな時に寂しいと思うのだ? 眠りに就く時だとか、儂がいない時だとか、色々あるだろう』
「んー……ねんねするとき、ぎゅってしててほしい。ごはんも、いっしょがいい。おふろも、いっしょがいい」
『それは今でもしておるではないか』
「うん、だからね、それ、いっぱいがいいの。ワタツミいないの、ちょっとでも、やなの」
『寸分でも離れたくない、と言うのだな?』
こくん、と海璃がうなずくと、渡津海は腕を組んで考え込む。何か自分はとんでもないことを言ってしまったかと、海璃はとても焦り、「やっぱりいい! しなくていい!」と、言おうかどうか迷っていた。
しかし、ほどなくして渡津海は腕組みをほどいたかと思うと、膝上に載せていた海璃を強く抱き寄せて頬ずりをし始めたのだ。密着、という言葉がぴったりなほどの距離感のなさに、海璃は驚いて言葉が出ない。だけど、頬と頬がくっついているところが、ただ肌がこすれている以上のあたたかさを感じる。
『こうすれば良いか?』
「んう、さびしくない。すき」
『そうか……ならば、これはどうだ?』
「ん、んぅ……?」
そう言いながら、渡津海が腕の中を覗き込み、海璃の額に唇を落としてくる。触れられたところが、先程の頬よりも暖かく感じられ、海璃は思わず口許を緩めた。
「すき! もっと!」
『そうか、これも良いのか。覚えておこう』
そう呟く渡津海の顔がやわらかくほどけ、海璃は胸の奥がきゅっとつねられたように痛んだ。しかしそれは折檻された時のそれとは違い、甘さのある痛みで、もう一度、とねだりたくなってくる。
だから海璃は、「もっと、ワタツミ」と、首に腕を回して自ら頬を寄せていく。
渡津海は鷹揚にうなずき、『ああ、たんとしてやろう』と、こちらも頬を寄せてくる。
寄せ合った頬はぎゅうぎゅうと押し合うように密着し、じんわりとしたぬくもりを帯びていく。
『海璃、寂しくはないか?』
「うん、さびしくない! ワタツミ、もっと!」
『もっとか。海璃はよほど寂しかったのだな……』
すまなかった、と言いながら、渡津海はより一層強く海璃を抱きしめて頬を寄せてくる。その腕の強さ、密着する肌の心地よさに、海璃はいままで胸の中に積もっていた寂しさが、あのやわらかな“ゆき”に変わっていくのを感じた。それはとてもやさしく甘い気持ちにさせてくれる、極上のおやつのようだと海璃は思った。
「ワタツミがぎゅってすると、おやつみたい」
『おやつ? 抱擁が八つ時の菓子のようだと言うのか?』
「うん。やさしくてね、あまぁいの」
オレ、おやつだいすき! と言いながら海璃が渡津海に抱き着くと、渡津海は目を丸くしてそれを抱き留め、苦笑して答える。
『そうか……それは良いな』
「ワタツミ。オレはワタツミの、おやつ?」
良い、と言われたからには、自分も相手にとってそうでありたいと思うのは自然な感情だろう。それをそのまま海璃が口にして問うと、渡津海はふと海璃の頭を撫でていた手を止め、何かを考えるような顔をした。
海璃は、何か良くないことを言ってしまっただろうかと不安げな顔で覗き込んでみたが、渡津海はまっすぐに海璃を見つめながら答えをつむぐ。
『そうだな……儂にとって海璃は……おやつよりも大事なもの、と言えような』
「おやつより、だいじ?」
それは、この竜宮の屋敷のように立派だということだろうか? と、海璃は考えたが、生憎自分はそんなに大きくもきれいでも強くもない。おやつより大事……その意味は、まだ幼い海璃にはなかなかに難解な言葉だった。
首をかしげている海璃に、渡津海はまたそっと頬に口付けをし、ひっそりと笑いかけてくる。
『まだお前には難しかったか。いずれ、わかれば良い……』
「いずれ、ってなに?」
『そうだな……お前が、儂の仲間になれるくらいに大きくなったら、きっとわかるだろう』
大きくなったら。その言葉は、海璃に未来を示す言葉として刻まれた。大きくなって、渡津海の仲間になれるほどになるまで、渡津海と一緒にいられるのだろうと思ったからだ。
「オレ、早く、もっと、大きくなる! そんでね、おやつよりだいじになるの」
『いまでも十分におやつより大事だぞ、海璃』
渡津海の言葉に、小さな胸にぽつりと明かりが灯る。言葉は難しいし、理解はできていない。それでも、大事に思われていることが嬉しいのはわかるからだ。
いままでにもらったどんな言葉よりもキラキラしていてあたたかいそれに、海璃は満面の笑みを浮かべてうなずく。
「オレも、ワタツミ、だいじ!」
『おやつよりもか?』
くすくすと笑いながら問われた言葉に、海璃はぐっと言葉を詰まらせて黙り込む。かなり真剣な面持ちで考え始めた姿に、渡津海が声をあげて笑った。初めて見せた渡津海の大きく笑う姿に、海璃もまたつられるように笑う。
穏やかに海面から陽射しが射し込む光に包まれるように、渡津海と海璃は抱き合って微笑んでいた。
時化がない穏やかな海を見ていると、海璃もまた心が休まるのか、竜宮を含むその周辺は平穏な日々を送ることができるようなのだ。
情緒の安定加減で海の状況が左右される――そのようなことが可能な生き物がいることを、渡津海はある日、海璃に言って聞かせた。
「オレがないたら、海があれるのと、かんけいあるの?」
『うむ、一概にそうとは言い切れぬが……実際、海璃が泣いていると、たいていの場合、表は時化ておるからな』
「……やっぱり、オレのせい?」
村で折檻されていた理由が、やはり皆を困らせていたものに結びつくのかと知り、海璃は読みかけていた書物に目を落としうな垂れる。
ごめんなさい、と言いかける海璃に、渡津海は慌てて取り繕うような言葉を続ける。
『いや、お前が悪い、というわけではないぞ。厳密に言えば、お前のせいというより、お前の中に流れる人魚の血のせいかもしれぬ、ということだ』
「にんぎょ? 人魚って……これ?」
手にしていた絵草紙に描かれた、耳にひれが生え、上半身は人間、下半身が魚の生き物の絵を指しながら問うと、渡津海は、そうだと言うようにうなずく。
耳まで裂けた牙の生えた口に、ぎょろりとした目玉、そして何より、脚ではない下半身の姿が海璃を怖気させる。このような恐ろしい姿に、自分がなってしまうのかと思ったからだ。
「……人魚、いや。こわい」
『ああ、海璃がこのようになるわけではない。海璃の中に流れている血には、人魚に関係するものが含まれている可能性がある、ということだ』
「……んう? オレ、人魚じゃない?」
『少なくとも、この絵草紙にあるような姿にはならぬ。安心せよ』
渡津海の言葉に、海璃は安堵して息を吐き、改めてその絵を眺め、そして自分の手のひらを見つめる。水かきもなく、鋭い爪もない。脚に至っては鱗すらついていないし、二つに分かれている。
「どうしてオレ、人魚の血、あるの?」
『おそらく、お前の親のどちらかが、人魚にまつわるものだったのだろうな。母親か父親のことは憶えておらぬか?』
親のことを聞かれると、海璃は頭の中がもやがかかったように何もわからなくなる。物心ついた時には村の祠の下で眠っていて、ごみを漁る日々だったのだから、親の記憶など皆無に等しい。
ふるふると頭を振る海璃に、渡津海は困り果てたように溜め息をつく。そうしてまた手許の分厚い書籍に目を落とし何かを読み解いていく。
『“人魚が泣けばその血が騒ぎ、波が共鳴して海が時化、嵐を呼ぶ”――……それ故なのか、海の者は人魚を好まぬものが多い』
好まぬ、という言葉に、海璃は先日海の者の子どもたちに石を投げられ罵られたことを思い起こす。化け物、と呼ばれ、出て行けと言われたあの時のことは、村にいた頃のよりもマシではあるが、辛くないわけではない。
決して愉快ではない記憶が甦ってうつむく海璃の頭を、渡津海がそっと撫で、呟く。
『ならば、海璃を極力泣かさぬようにすれば良い、ということだな……』
渡津海が独り言ちながら、書物に書かれた言い伝えを読み解き、解釈していく。それを膝上に座って眺めながら、海璃も真剣な面持ちで聞いている。呟かれている言葉の意味は全く分からないが、それでも自分に関する大事なことを渡津海が調べて考えてくれていることはわかる。だからこそ、少しでも理解してみたいと言う気持ちが海璃には強かった。
(なかないようにしたらいいのかな。なかなかったら、いい子なのかな)
そんなことを考えながら、海璃は村でのことを振り返る。
いつ何時でも、海璃は村では邪険に扱われていたし、竜宮に来てからも、泣けば時化を呼ぶせいで、ムツや渡津海以外からは白い眼で見られている気がする。
どこにいても、自分はいい子でいられていない――そんな気付きに、海璃は愕然とし、うつむく。
泣いてはいけない。泣いたら、きっと渡津海を困らせてしまう。困らせれば、ここを追い出されてしまうかもしれない。なのに、どうして目の前が滲んできてしまうのだろう。
『泣くな、泣くではない、海璃。お前は何も悪くない』
「でも、オレがなくから……海、あれちゃうんでしょ?」
『ならば泣かさぬようにすれば良い話だ。海璃、お前はいまどうして欲しいのだ?』
どうして欲しい? と聞かれて、すぐに言葉にできる程、己の中にある欲求を言語化できる語彙力があったなら、とうにそうしていたであろうことを、渡津海は気付いていない。どれほど海璃が自分というものを押し殺して生きて来たのかということも、言葉を学ぶ機会がなかったことも、わかっていなかった。
それでなくとも、海璃にとって問詰められることは、責められていることと同意で、途端に身体がすくみ、言葉が出てこなくなる。竜宮に来て半年が過ぎようとしているが、未だにそれは慣れる気配がない。海璃が怯え、泣きじゃくるたびに海が時化、渡津海がその対応に追われ、そしてまた海璃が寂しさで涙をにじませる。そんな悪循環を断ち切りたい思いが、海璃にも渡津海にもあった。
海璃は懸命に考え、一つの言葉に辿り着き、それを口にしてみる。恐る恐る、窺うように。
「あのね……ワタツミに、いっぱい、ぎゅってしてもらいたい。はじめてのときみたいに、つよく、ぎゅっとしてほしいの」
『……抱擁をすればよいのか? あと他にはないのか?』
「あとね、あと……さびしいの、なくしてほしい」
『寂しいのを、失くす、か……具体的に言うとなんだ?』
「ぐたいてき?」
『あー……例えば、どんな時に寂しいと思うのだ? 眠りに就く時だとか、儂がいない時だとか、色々あるだろう』
「んー……ねんねするとき、ぎゅってしててほしい。ごはんも、いっしょがいい。おふろも、いっしょがいい」
『それは今でもしておるではないか』
「うん、だからね、それ、いっぱいがいいの。ワタツミいないの、ちょっとでも、やなの」
『寸分でも離れたくない、と言うのだな?』
こくん、と海璃がうなずくと、渡津海は腕を組んで考え込む。何か自分はとんでもないことを言ってしまったかと、海璃はとても焦り、「やっぱりいい! しなくていい!」と、言おうかどうか迷っていた。
しかし、ほどなくして渡津海は腕組みをほどいたかと思うと、膝上に載せていた海璃を強く抱き寄せて頬ずりをし始めたのだ。密着、という言葉がぴったりなほどの距離感のなさに、海璃は驚いて言葉が出ない。だけど、頬と頬がくっついているところが、ただ肌がこすれている以上のあたたかさを感じる。
『こうすれば良いか?』
「んう、さびしくない。すき」
『そうか……ならば、これはどうだ?』
「ん、んぅ……?」
そう言いながら、渡津海が腕の中を覗き込み、海璃の額に唇を落としてくる。触れられたところが、先程の頬よりも暖かく感じられ、海璃は思わず口許を緩めた。
「すき! もっと!」
『そうか、これも良いのか。覚えておこう』
そう呟く渡津海の顔がやわらかくほどけ、海璃は胸の奥がきゅっとつねられたように痛んだ。しかしそれは折檻された時のそれとは違い、甘さのある痛みで、もう一度、とねだりたくなってくる。
だから海璃は、「もっと、ワタツミ」と、首に腕を回して自ら頬を寄せていく。
渡津海は鷹揚にうなずき、『ああ、たんとしてやろう』と、こちらも頬を寄せてくる。
寄せ合った頬はぎゅうぎゅうと押し合うように密着し、じんわりとしたぬくもりを帯びていく。
『海璃、寂しくはないか?』
「うん、さびしくない! ワタツミ、もっと!」
『もっとか。海璃はよほど寂しかったのだな……』
すまなかった、と言いながら、渡津海はより一層強く海璃を抱きしめて頬を寄せてくる。その腕の強さ、密着する肌の心地よさに、海璃はいままで胸の中に積もっていた寂しさが、あのやわらかな“ゆき”に変わっていくのを感じた。それはとてもやさしく甘い気持ちにさせてくれる、極上のおやつのようだと海璃は思った。
「ワタツミがぎゅってすると、おやつみたい」
『おやつ? 抱擁が八つ時の菓子のようだと言うのか?』
「うん。やさしくてね、あまぁいの」
オレ、おやつだいすき! と言いながら海璃が渡津海に抱き着くと、渡津海は目を丸くしてそれを抱き留め、苦笑して答える。
『そうか……それは良いな』
「ワタツミ。オレはワタツミの、おやつ?」
良い、と言われたからには、自分も相手にとってそうでありたいと思うのは自然な感情だろう。それをそのまま海璃が口にして問うと、渡津海はふと海璃の頭を撫でていた手を止め、何かを考えるような顔をした。
海璃は、何か良くないことを言ってしまっただろうかと不安げな顔で覗き込んでみたが、渡津海はまっすぐに海璃を見つめながら答えをつむぐ。
『そうだな……儂にとって海璃は……おやつよりも大事なもの、と言えような』
「おやつより、だいじ?」
それは、この竜宮の屋敷のように立派だということだろうか? と、海璃は考えたが、生憎自分はそんなに大きくもきれいでも強くもない。おやつより大事……その意味は、まだ幼い海璃にはなかなかに難解な言葉だった。
首をかしげている海璃に、渡津海はまたそっと頬に口付けをし、ひっそりと笑いかけてくる。
『まだお前には難しかったか。いずれ、わかれば良い……』
「いずれ、ってなに?」
『そうだな……お前が、儂の仲間になれるくらいに大きくなったら、きっとわかるだろう』
大きくなったら。その言葉は、海璃に未来を示す言葉として刻まれた。大きくなって、渡津海の仲間になれるほどになるまで、渡津海と一緒にいられるのだろうと思ったからだ。
「オレ、早く、もっと、大きくなる! そんでね、おやつよりだいじになるの」
『いまでも十分におやつより大事だぞ、海璃』
渡津海の言葉に、小さな胸にぽつりと明かりが灯る。言葉は難しいし、理解はできていない。それでも、大事に思われていることが嬉しいのはわかるからだ。
いままでにもらったどんな言葉よりもキラキラしていてあたたかいそれに、海璃は満面の笑みを浮かべてうなずく。
「オレも、ワタツミ、だいじ!」
『おやつよりもか?』
くすくすと笑いながら問われた言葉に、海璃はぐっと言葉を詰まらせて黙り込む。かなり真剣な面持ちで考え始めた姿に、渡津海が声をあげて笑った。初めて見せた渡津海の大きく笑う姿に、海璃もまたつられるように笑う。
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