【完結】みなしごは不器用な海の神から愛を知る

伊藤あまね

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*十八 触れられたことの意味

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 市は竜宮から十分ほど歩いた大通りで開かれていて、休日ということもあって人出が多くにぎわっている。
 人混みの中でも、渡津海は上背が高いので頭一つも二つも抜き出ていて、その上人目を惹く容姿、何より海の神として知られているので、たちまちに周りに人が集まってくる。

「渡津海様! 今日は何かお求めですか?」
「お陰様で良いワカメができましてね。おひとついかがです?」
「海璃様もお久しぶりですねぇ。かんざしなどご覧になりませんか?」

 通りを行けばあちこちので店から声をかけられ、海璃もまたご多分に漏れず色々な商品を勧められた。
 渡津海はそれらのひとつひとつに、『そうだな』とか『うむ、それはなにより』とか、手短だがきちんと応対して手慣れた様子だ。
 しかし、以前であれば渡津海に抱えられて歩くだけだった海璃にそのような手管はなく、上手くかわせずにおどおどとしてしまう。たちまちに人に囲まれ、隣り合っていたはずの渡津海と離れてしまいそうになる。
 繋いでいた手がほどかれ、人混みにまみれそうになる背中を追うにも、集う人々に阻まれて前に進めない。
 どうしよう、迷子になっちゃう……そう、やきもきしている海璃の手を、何者かがするりと取り、牽いていく。
 驚いてその方を見ると、銀水色の着流しを着た灰色のざんばら髪の男が海璃の手を牽いてこちらに微笑みかけていた。

「アザ……!」
「大事ないかい、海璃」
「うん、平気……ありがと……」
「久しく見ない間に随分別嬪べっぴんになったもんだねえ。こりゃあ、渡津海もつれて歩きたくなるわけだ」

 別嬪、という言葉に海璃が耳の端まで赤くなっていると、離れていたはずの渡津海が振り返ってこちらに歩み寄ってくるのが見えた。

『おい、何をしておる。勝手に海璃に触るんじゃないといつも言っておろう』
「なんだい、気の利かない渡津海が置いてきぼりにしたのを救ってやったんじゃないか」

 ニヤニヤと嗤いながら言い返すアザに、渡津海はバツが悪そうな顔をして背け、『人がこうも多いから仕方がなかろう』と、ムッとした様子で呟く。

「だから余計に気を利かせないと。海璃みたいな別嬪はすーぐ、かどわかされちまうよ」
『お前のようなやつがいるからな』
「おやおや、まるでオレがそうしそうな言い草だな」
『他に誰がいる』
「折角友人と一緒に廻ろうという心意気がわからんかなぁ、渡津海は」

 取巻く人が多いのに、渡津海とアザが対峙するこの場だけがひんやりと冷たく、ピリピリとした緊張感を伴っている。間に挟まれるように佇む海璃は、どうすれば二人が衝突しないかとはらはらと見守っていた。
 縋るように海璃が渡津海の方を見やると、渡津海はいつになく真剣な面持ちで海璃を見つめ、アザとつないでいた手を振りほどいて自分の方に引き寄せる。渡津海の腕の中に納まるような格好となり、海璃は思いがけない状態に言葉も出ない。

『海璃を迷い子から救ってくれたことは感謝する。しかし、今日は二人で市を巡る。生憎だがお引き取り願おうか』

 きっぱりとした迷いのない渡津海の言葉に、アザは目を細めて面白くなさそうな顔をし、「ふぅん……」と呟いて片頬をあげて微笑んだ。

「そうかい。そんならせいぜいお二人さんで楽しみゃいいじゃないか。邪魔者は消えるよ」

 そう言い、アザがするっと海璃から手を離そうとしたその刹那、ぐっと距離が縮まるほど顔が近づいた――と思った瞬間、海璃の鼻先を、アザがペロリと舐めたのだ。
 あまりの出来事に凍り付く海璃が悲鳴を上げるより先に、傍にいた渡津海が低く唸るような声をあげた。

『貴様……!』

 いまにも殴り掛からんばかりに怒りをあらわにする渡津海に、アザは懲りた様子も悪びれる様子もなく、肩をすくめるばかり。

「なぁに、ほんの異国風の挨拶じゃないか。じゃあね、海璃。また遊ぼう」

 そう言いながら、アザは今度こそ身をひるがえし、するすると人の間を通り抜けて人混みの中へ消えてしまった。残された海璃は自体が把握できず呆然とし、渡津海は怒りをあらわにしていた。
 渡津海が放つ怒気は周囲の者も感じるのか、人混みの中、佇み渡津海の周りだけを人が避けるように通り過ぎていく。そして口々に、先程のことを囁き合う。

「なんだい、いまの……」
「まぁたあの海獣だよ。渡津海様をからかって遊んでるのさ」
「渡津海様の御心が深いからどうにかお目こぼしがあるのだろうに……なんてやつだ」

 渡津海の威厳に関わる無礼であることに違いはないが、一つ一つ日腹を立てていたら、こちらの神経が持たないというものだ。
 だから、多少のことは聞き流し、見ぬふりをしているのだろうが――どうにも、海璃のことが絡むと、渡津海は冷静さを欠いてしまうようだ。
 その自覚は自分でもあるのか、次第に冷静さを取り戻してきたらしい渡津海は、バツが悪そうに顔をしかめ、『……すまない、取り乱してしまった』と、呟いた。

『海璃、先程はどこに触れられたのだ?』
「えっと……ここに……」

 名を呼ばれて慌てて我に返り、先程触れられた鼻先を指すと、渡津海が海璃を抱き上げてぐっと顔を近づけてくる。そうして、随分と久しぶりに海璃に口付けをしたのだ。
 口付け自体は珍しい事ではない。幼い頃から寂しくなればいつでも渡津海は海璃の頬や額にしてくれた。それは海璃も大好きで、もっともっととねだっていたこともある。ここしばらくは随分としてくれていなかったが。
 しかも、今しがたされた口付けは、額や頬、ましてやアザに触れられた鼻先ではなく――唇にされたのだ。しかも、ただチュッと触れるいつものものではなく、わずかに舌先を口中に挿し込むような、いままでにないものだった。
 舌先が入り込んできたのはほんの一瞬で、すぐに引っ込められてそのまま渡津海は離れていく。しかし、海璃は驚きのあまり呆然としていた。

『……行くぞ』

 呆然としている海璃の様子など見えていないかのように、渡津海は海璃を地面に下ろし、そのまま手を牽いて歩きだす。海璃はそれに牽かれるがまま、よろよろとした足取りでついて行く。

(……いまの、なに? いつものと、違う……)

 どこがどう違って、それが何を意味するのか、海璃には全くわからない。わからないが――渡津海が何かを訴えてこようとしている気配はする。それがどういうものなのかは、わからないけれど。

(渡津海、怒っちゃったのかな……俺が、アザに触られたから……)

 不可抗力とは言え、触れられてしまったのは自分に隙や非があったからではないか。海璃はそう考え、渡津海に詫びの言葉を述べようと思った。
 口を開きかけ、「ごめんね、渡津海」と、言いかけ、海璃はその言葉を喉元まで出しかけて、止めた。渡津海が見たこともないほど真剣な――どちらかと言えば、苛立ちに包まれて唇を引き結んだ表情で前を見つめていた。
 常日頃、愛想こそないが、余裕のある振る舞いと静かな表情をしているはずの彼が、まるで一人の人間の男の様な顔をしている――しかも、自分のせいで。その事実は海璃には衝撃的で、一層理解に苦しんだ。

(どうして、渡津海は俺のことになるとこんなに怒った風になるんだろう……この前のウツボの時だって……俺が悪い子じゃないって言うけれど……それは、渡津海が我慢しているから?)

 だけど、それは何のために? 海で拾われてから十数年、一度も渡津海は海璃を邪険に扱ったことはない。寧ろやさしく、丁重に扱ってくれている。大事にされているのは肌で感じている。悪い子だと断じてしまっているのなら、とっくにどこかへ捨てられていてもおかしくはないはずだ。何せ、彼は神なのだから。

「……なんで、渡津海は俺といるんだろう」

 賑やかな市に立ち並ぶ店からの掛け声と人々の喧噪に紛れるように、海璃の呟きは消えていく。それが渡津海の耳に届いていて欲しいのかどうかは、海璃にはわからなかった。わからないまま、二人は一の奥へ奥へと進んで行くのだった。


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