【完結】みなしごは不器用な海の神から愛を知る

伊藤あまね

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*三十一 告げられる真実と、想いと

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 海璃が呼び起こした濁流で見世物小屋が倒壊したことで、海璃の身は晴れて自由となり、渡津海と共に竜宮へ戻った。
 ふたりの帰りを今や遅しと待ち構えていたムツは、粗末な着物に痛々しい姿になった海璃と、いつになく殴られた跡だらけになった渡津海の様子を見るなり悲鳴を上げ、慌ててふたりを湯殿へ連れて行った。

「ああ、もうもう……ようようお戻りで! 痛むところはありませんか? ああ、なんてひどいお姿に……」
『ムツ、積もる話はまたあとにしてくれ。とりあえず儂らだけで湯につかりたい』

 海璃の世話は自分がすると渡津海が言い張ったが、その口ぶりと様子が、これまでの海璃を幼子のように扱うものから変化していることを察したのか、ちらりと渡津海を見やってもの言いたげにしている。

『……何だその眼は』
「いえ……お二人ともご無事で何よりだな、と。それより、あまり世話を焼き過ぎないようにされてくださいよ。あくまで、湯あみだけですからね」

 釘をさすようなムツの言葉に渡津海が顔をしかめ、海璃は後になって二人が交わす言葉の意味に気づき、頬を染めていく。
 頬を染め、渡津海に促されるまま脱衣所でそれぞれの着物を脱いでいく。濁流に浸かったり折檻を受けたりしてほとんど着物と言える代物のていを成していないが、不要のものには違いないので脱ぎ捨てていく。
 そうして露わになった互いの姿を、海璃も渡津海も痛々しい想いで見つめながらも、わずかな照れ臭さもはらんでいる。

『洗ってやろう。来い、海璃』

 それでもぎこちなく渡津海に手招かれ湯殿の中に入り、腰掛に座らされて湯をかけられる。あたたかでやわらかなお湯の感触に、海璃はほっと息を吐いた。
 丁寧に泡立てられたもので、渡津海は海璃の髪を洗っていく。昔のように力任せではなく、そっと丁寧にやさしく洗われていることに海璃は心地よさを覚える。
 目を閉じて味わうようにしていると、『どうしても、儂を信じられなかったのか?』と、不意に問われた。
 海璃は、改めて問われてどう答えようかと考えるも、素直にそのままを口にしていいか迷いっていた。言葉の通り、渡津海が信じられず、喰われると思ったから――そう告げてしまったら、いまようやく再び得られた心地よさや安堵感が失われてしまう気がして、答えられない。
 その迷う胸中を見透かしたのか、渡津海がそっと頭から湯をかけ、滴る湯を拭いつつ耳元で囁く。

『海璃を責めているわけではない。お前が、アザに騙されて連れ去られたことは、あいつに問詰めて儂もわかっておる』
「え……?」
『儂が帰宅する直前に、お前を連れたアザの姿を目撃したという話をいくつか聞いてな。だからアザを探し出し、問詰めてあの見世物小屋を突き止めたのだ』
「アザは、いまどうしてるの?」
『深海の奥深くの牢に閉じ込めておる。鱶の見張りが四六時中いるようなところだからな……早々出てはこれまい』
「……そうなんだ」

 しかし、海璃がいるとわかった場所は、海から遠い陸の奥にある街。海を中心に生きる渡津海にとって、たとえ神と言えどもかかる負担が計り知れない。確実に小屋の場所を突き止めるにも、海璃を救い出しに向かうにも、通常にない膨大な神通力を使用しなくてはならない。

『しかも、あの小屋の海から遠く離れた陸の奥……海璃を迎えに行くまでに多くの時間と手間がかかってしまった……待たせて、本当に済まなかった』

 そう言いながら、渡津海が濡れた海璃の肩を抱く。服地越しでなく、直に触れ合う肌は熱く、湯のせいもあって滑らかだ。そして一層密着していく感触に、海璃は頬が熱くなる。

「垣助……って、渡津海と、昔、何かあったの? なんだか、よく知ってるみたいだったけれど……」

 ただの昔馴染み、と言うにはあまりに憎しみのこもった、しかし互いを知り尽くしているといった風な言葉を交わしつつ拳を交えていた二人の姿を思い返しながら、海璃が訊ねる。神である渡津海を知り、そして拳を交えることができる人間など、ただ者ではないであろうことは海璃にも察しがつく。
 渡津海は、一瞬逡巡するように口をつぐみ、やがて重々しい口調で答えた。

『あいつは……お前の母親を殺した、お前の仇でもある。だから、どうしても許せなかった』
「俺の、母親……? 垣助に、殺された……?」

 だから、あんな妙なことを言い合っていたのか……改めて知る事実に、海璃は身体がすぅっと冷えていく。自分に母親がいた事実なんて今まで考えも及ばなかったことも、それがあの男に殺されたことも、海璃にはあまりに重い衝撃だった。
 呆然として言葉を失った海璃を、渡津海は抱きかかえるように湯船に促し、ともに浸かりつつ手を握りしめてくる。そのやさしくやわらかな感触が、衝撃に震える海璃の心を解していく。

「渡津海は、俺のことも、母さんのことも、最初から知ってたの? だから、助けてくれたの?」
『いや……最初からお前がそうであると知っていたわけではない。お前の母親――宇美月うみづきは、昔、儂のところに加護を求めてきた人魚だった』

 海の者が人魚を嫌うもう一つの理由。それは、人魚が強い術を使って人型を取り陸に上がれることだ。その力の強さは感情の昂ぶりにより時化を呼ぶことにも通じており、忌み嫌うものが多いという。
 宇美月は美しい人魚であったが、陸に上がった際に悪い人間の男に騙されて身重になっており、その時身ごもっていたのが海璃だったのだろう、と渡津海は言う。

『人魚は身ごもると術を使う力が弱まってしまうから、宇美月はなかなか海に戻れなかったのだろう。陸にも海にも身寄りも居場所もなかった宇美月は、人魚であることを隠して花街で働いていたのだがな、その際に客として着いたのが垣助だった』
「なんで、そんなことに?」
『当時垣助は、アザのように、海の生き物を騙して捕まえては陸の見世物小屋に売りさばく悪事をはたらいていてな……その最中に花街で出会ったのだろう。垣助は宇美月に惚れ込み、執拗に追い回した。彼女が身重だと知ると、足許を見て一層付け入って来たのだ』

 そうしている内に花街にもいづらくなった宇美月は、せめてお腹の子どもである海璃だけでも守ろうと渡津海を頼りたいと、あの祠に祈りをささげてきたのだった。

『当時強固な術で人型を取っていた宇美月の姿を元に戻すには、力が最も強くなる満月まで待たねばならなかった。だから、その晩に迎えに行き、儂が竜宮に彼女を連れ帰ろうと考えていたのだが――宇美月は、人魚に戻ろうとしたところを、恐らく垣助とアザに捕まって――あいつらに喰われたのだ』

 元より怪しいと睨んでいた垣助の許を訪ね問い詰めたところ、垣助は小さな耳飾り――宇美月が常に身に付けていた小さな真珠のそれ――を放り投げ、舌で口元を舐めながら薄く笑っていたという。

『“美味かったぞ、あの女は”……そう言っていたあいつの顔は、どうしても許せぬし、忘れられぬ』

 低く感情を押し殺す声で呟く渡津海の顔を、海璃は胸が潰れそうな思いで見つめる。そんなあまりに救いのない事実が、自分の生い立ちにあったなんて信じられなかったからだ。

『幸いにと言うべきか、垣助らに捕まる寸でのところで宇美月は海璃を産み落としていたらしく、それで海璃は命を奪われずに済んだのだ。しかし……お前がどこに産み落とされたのかまではすぐにはわからなくてな……捜しまわった末、あの村の祠の傍で眠るお前を見つけたのが……宇美月が死んで数年が経った頃だった』

 はじめは、祠を寝床とする身寄りのない家なしの子どもなのだろうと思っていた。幼子がひとりで生きていく過酷さに驚きつつも、陸の命に海の神が関わることはできないためただ見守るしかないと思っていたからだ。

『何より、陸で産み落とされた命は、たとえ人魚の血が混じっていても、陸のものとされる決まりで、陸で加護が受けられるはずだ。きっと、宇美月もそれを願っていたのだろう。だがお前はいつもあんな目に遭っていて、海に入ろうとするまで儂は手出しができなかった……宇美月の子かもしれぬと思いつつも、そうであると言う確たる証しも見つけられないままで何もできず、ただお前の頭を撫でてやることしかできない日々が、何と歯がゆかったことか……』
「渡津海……」
『済まなかった。お前の母親を守り切れなかっただけでなく、お前までも危険な目に遭わせてしまった……本当に、済まない』

 渡津海の金色の眼が潤んで揺れ、瞬くたびにはらはらと涙がこぼれていく。美しくも悲しいその涙に海璃は手を伸ばし、そっと大きな身体を抱きしめる。

「泣かないで、渡津海……渡津海が来てくれたから、俺、何度も助けられたんだよ。そんなに、自分を責めないで」
『海璃……』

 渡津海の大きな腕に抱き返され、海璃は熱い胸板に埋もれそうになりながら涙をこぼす。この世にたった一人きりしかいないと思っていた自分を、こんなにも守ろうとしてくれている存在がいたこと、それがまだ続いていることが、何よりも嬉しかったからだ。
 広く大きな背に腕を回し、密着するように抱きしめながら、海璃はこれまで降り積もっていた胸の中の言葉を口にする。

「ありがとう、渡津海……俺、渡津海が、好き。大好き……誰よりも、愛してる」

 溢れる想いに声が震え、涙が頬を伝い渡津海の肌の上にこぼれ落ちる。日によく焼けた渡津海の肌が小さく震えて見えたのは、彼もまた、泣いているからだろうか。

『海璃……儂も、お前が好きだ。お前を失うことなど、もう二度と御免だ。どうか、永久とわに儂と共にあってくれないか』
「永久に……? ずっと、ってこと?」

 抱擁を解きながら首をかしげて海璃が訊ねると、渡津海はひっそりと、しかしやわらかく微笑みながら頷いて答えた。

『ああ、ずっと、儂の傍にいてくれ。儂は海璃を、永久とわの伴侶としたい』
「渡津海……」
『愛している、海璃』
 頷いて快諾するよりも早く、海璃は再び渡津海に抱き着き、そうして自ら唇を重ねる。その口付けは、見世物小屋で交わしたものよりも一層甘く、熱い。

「ん……ンぅ……渡津海……」
『海璃……我が愛しき伴侶……』

 口伝いに交わされる互いの名前すら貪るように口付け合っていると、互いの体の中央が熱をもっていくのがわかる。それに触れたい、と思いつつも、そうしていいのかがわからず躊躇ってしまう。
 それを察したのか、渡津海がそっと口付けを解き、苦笑しながら耳元で囁いた。

『続きは、しかるべき手順を踏んで行うとしよう――海璃を、神とするために』

 ああ、いよいよその時を迎えるのだ――海璃の胸が跳ねるよう動悸し始め、手足が震えそうになる。恐怖と期待が入り混じり、吐く息さえ甘く熱い。
 海璃は渡津海の言葉に小さく、しかしはっきりとうなずいた。

「――うん、したい……渡津海」


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