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act26 蛍子の懸念
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蛍子は30歳になる前には、子どもがふたり欲しいと思っていた。
そろそろバイオロジカル・クロックのリミットが近づいてきている。
女の生き方はそれぞれだが、生物としては、やはり若ければ若いほど
いいことがあると蛍子は思う。
出産も育児も体力が勝負だと、母をはじめ、
女の先輩から耳にタコができるほど聴かされている。
一族の姫だから、期待も大きく、いろいろとうるさく言われるのである。
もし子どもに恵まれないことがあっても、不妊治療などはせず、
匠とふたりで今以上に仲良くやっていけばいい。
なんなら、養子を迎えてもいい。
子どもらしく甘えることを許されなかった匠のために自分が母であればいいし、
我が子を持つことで、匠が自分の子ども時代をやり直すのもいい。
幸せの選択肢はいくつでもある。
つきあいはじめてから、匠との結婚を意識するとき、
蛍子も匠の来し方を考えなかったわけではない。
DV家庭で育った子どもが暴力の連鎖に陥るとは限らない。
ただ。
と、蛍子は思う。
心に受けた傷が、どんなことでまた再び血を吹くかは、予想ができない。
何がきっかけになるかとピリピリして過ごすのでは、落ち着かない。
匠のトラウマが遠因となって、関係が崩壊するようなことになれば、
匠はさらにひどく傷つくことになる。
これは、避けたい。
結婚生活は長丁場だと、母が口を酸っぱくして言っていた。
蛍子のような苦労知らずのお嬢さんが、
匠の抱える苦悩を支えていけるだろうか。
そんなことを、いつものようにぷつぷつと考えていたとき、
相談したわけでもないのに、何を察したか、
「姫育ちつーのは、苦労を知らない分、タフなもんよ?」
4回生になった凶悪おっぱいこと、ヨーコ先輩が
エールのジョッキを片手にけらけら笑った。
あれは、2年目の夏祭りの打ち上げの席だったろうか。
いつものアイリッシュ・パブである。
厳しいゲンジツというものを肌で知らない分、理念や理想に忠実に
生きることができるのだという。
そして、ニンゲンの根本が強いから、折れない、と。
「ショーちゃんも、ね、
ケーちゃんのそーいう気高いとこがよかったのよ、きっと」
ヨーコ先輩が熱い息を吹きかけながら耳打ちした。
「おい、ショー、ケーちゃん奪られちゃうぞ!」
他の先輩が匠をからかう。
この頃にはもう、ふたりの関係はサークル内に認められていた。
匠はまんざらでもない顔をして、余裕の構えである。
黙って黒いセルの眼鏡を指で押し上げ、
ノンアルコールのアップルサイダーを傾けるものだから、
「なんだよ、丸くなりやがって!」
先輩たちの怒りを買って、もみくちゃにされた。
蛍子2回生、匠は3回生。こんな他愛のない時間も、
匠が卒業するまで残り1年と半分くらい。
匠もそろそろ将来のことを考えなくてはならない。
ヨーコ先輩は、出入りの楽器屋で働くことが決まっており、
他の先輩もそれぞれそれなりに就職しながら、引き続き、バンド活動を
続けていくという。
匠にはギタリストとして活動を続けるよう説得していたが、
「僕は、フツーに就職します」
匠は、先輩たちの要請を断った。
蛍子との生活のためである。
蛍子は、自分のために音楽の道をあきらめられては
たまったものではない、と引き留めたが、
匠は、自分のためだ、と言う。
音楽に未練がないわけではないが、匠は自分が憧れてきた、
夫が仕事に出て、帰ったら妻が待っているという
フツーの生活をしたいのだと主張した。
イマドキ、そんな昭和な結婚生活が送れるものか
疑問ではあるが、
匠の家庭の事情を薄っすらと知っていた先輩たちは
それ以上は何も言えない。
「いつでもバンドに戻れるよう、ギターの腕を落とすな!」
と念を押し、それぞれの就活に専念していった。
さて、バンドの問題はクリアしたが、残されたハードルは、
蛍子の家のほうである。
そろそろバイオロジカル・クロックのリミットが近づいてきている。
女の生き方はそれぞれだが、生物としては、やはり若ければ若いほど
いいことがあると蛍子は思う。
出産も育児も体力が勝負だと、母をはじめ、
女の先輩から耳にタコができるほど聴かされている。
一族の姫だから、期待も大きく、いろいろとうるさく言われるのである。
もし子どもに恵まれないことがあっても、不妊治療などはせず、
匠とふたりで今以上に仲良くやっていけばいい。
なんなら、養子を迎えてもいい。
子どもらしく甘えることを許されなかった匠のために自分が母であればいいし、
我が子を持つことで、匠が自分の子ども時代をやり直すのもいい。
幸せの選択肢はいくつでもある。
つきあいはじめてから、匠との結婚を意識するとき、
蛍子も匠の来し方を考えなかったわけではない。
DV家庭で育った子どもが暴力の連鎖に陥るとは限らない。
ただ。
と、蛍子は思う。
心に受けた傷が、どんなことでまた再び血を吹くかは、予想ができない。
何がきっかけになるかとピリピリして過ごすのでは、落ち着かない。
匠のトラウマが遠因となって、関係が崩壊するようなことになれば、
匠はさらにひどく傷つくことになる。
これは、避けたい。
結婚生活は長丁場だと、母が口を酸っぱくして言っていた。
蛍子のような苦労知らずのお嬢さんが、
匠の抱える苦悩を支えていけるだろうか。
そんなことを、いつものようにぷつぷつと考えていたとき、
相談したわけでもないのに、何を察したか、
「姫育ちつーのは、苦労を知らない分、タフなもんよ?」
4回生になった凶悪おっぱいこと、ヨーコ先輩が
エールのジョッキを片手にけらけら笑った。
あれは、2年目の夏祭りの打ち上げの席だったろうか。
いつものアイリッシュ・パブである。
厳しいゲンジツというものを肌で知らない分、理念や理想に忠実に
生きることができるのだという。
そして、ニンゲンの根本が強いから、折れない、と。
「ショーちゃんも、ね、
ケーちゃんのそーいう気高いとこがよかったのよ、きっと」
ヨーコ先輩が熱い息を吹きかけながら耳打ちした。
「おい、ショー、ケーちゃん奪られちゃうぞ!」
他の先輩が匠をからかう。
この頃にはもう、ふたりの関係はサークル内に認められていた。
匠はまんざらでもない顔をして、余裕の構えである。
黙って黒いセルの眼鏡を指で押し上げ、
ノンアルコールのアップルサイダーを傾けるものだから、
「なんだよ、丸くなりやがって!」
先輩たちの怒りを買って、もみくちゃにされた。
蛍子2回生、匠は3回生。こんな他愛のない時間も、
匠が卒業するまで残り1年と半分くらい。
匠もそろそろ将来のことを考えなくてはならない。
ヨーコ先輩は、出入りの楽器屋で働くことが決まっており、
他の先輩もそれぞれそれなりに就職しながら、引き続き、バンド活動を
続けていくという。
匠にはギタリストとして活動を続けるよう説得していたが、
「僕は、フツーに就職します」
匠は、先輩たちの要請を断った。
蛍子との生活のためである。
蛍子は、自分のために音楽の道をあきらめられては
たまったものではない、と引き留めたが、
匠は、自分のためだ、と言う。
音楽に未練がないわけではないが、匠は自分が憧れてきた、
夫が仕事に出て、帰ったら妻が待っているという
フツーの生活をしたいのだと主張した。
イマドキ、そんな昭和な結婚生活が送れるものか
疑問ではあるが、
匠の家庭の事情を薄っすらと知っていた先輩たちは
それ以上は何も言えない。
「いつでもバンドに戻れるよう、ギターの腕を落とすな!」
と念を押し、それぞれの就活に専念していった。
さて、バンドの問題はクリアしたが、残されたハードルは、
蛍子の家のほうである。
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