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act27 蛍子の杞憂
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匠とつきあいはじめたばかりの正月、蛍子は実家に戻らなかった。
新年早々に年明けライヴがあり、その前には匠と初詣デートを
しないといけなかったからだ。
母には匠のことはすぐに伝えておいた。
娘の最初の、そして恐らく最後になるであろうカレシの誕生を、
母は小躍りして喜んだ。
孫の顔を拝むどころか、子どもの結婚式すら期待できないご時世である。
「ちゃんと避妊しておきなさい!卒業したらデキ婚は許すから!」
という具合で、ふたりが拍子抜けするほど歓迎された。
でも、匠の「事情」について触れるのは、まずは会わせてから、と
蛍子は周到である。
蛍子よりははるかに面喰いである母のことだ。
ちょっと陰のある品行方正なプラチナ・ブロンドのギタリストに
メロメロになるのは、火を見るより明らかであった。
果たして、母はすっかり匠が気に入り、後で彼の不遇な生い立ちを知ると、
「あなたがしっかり支えてあげるのよ!」
大いに同情し、力強く背中を押してくれた。
警察官の父は、母の言いなりである。
大学から電車で2時間くらいのところに、蛍子の実家はある。
通おうと思えば通える距離だが、母の意向で下宿させられたのだ。
「自分の身の回りのことくらいできるようになりなさい」
蛍子の母は、蛍子が生まれるまで看護学校の講師として
働いていた。その後は専業で、かつスーパー主婦であった。
蛍子は家ではピアノと勉強しかしていない。
つきあいはじめて1年を迎える少し前、蛍子は匠を実家に連れて行った。
郊外の閑静な住宅街である。
今日は母しかいない。
外堀を埋めていくために、そういう日を選んでおいたのだ。
結婚を決めたひとを、最初に母に会わせておくのは基本中の基本だろう。
母さえ難色を示さなければ、すべてうまくいく。
「本当に何もできない子でねえ」
と、蛍子の母がお昼を用意しながら嘆くのに、
「僕ができるから大丈夫です」
まずこの言葉にコロリとやられ、
腕によりをかけたハヤシライスを
「おいしい」
匠が破顔して、お代わりを所望した頃には
完全にハートを撃ち抜かれた様子であった。
匠のとつとつと語ることには、母が働いていたため、
(父の暴力を逃れ、たびたび実家に避難していたこともあるが)
祖母の作る和食が中心で、子どもの喜ぶような
洋食が食卓に上ることがなかったという。
「じゃあ、次はエビフライ作っておくわね!
それともオムライス?
両方がいいかしら。そのほうがいいわね!」
本当は、今回も蛍子が人生初のボーイフレンドを
連れてくるというので、母はすっかり舞い上がり、
何日も前から仕込む、竜宮城のようなおもてなしを
したがったのだが、それでは匠が緊張するから、と、
蛍子に止められていたのだ。
「原さんとこ、ほのぼのしてていいね」
下宿に戻る電車のボックスシートで匠がため息をついた。
そうばっかでもないよ?
と言いかけたが、蛍子の家庭の困りごとなど、深刻さの度合いでは、
匠のところとは比べようもない。
蛍子は黙って、匠の肩に頭を寄せた。
「今度ハヤシライス、作ってくれる?」
原家のハヤシライスは、ルーは市販のものを使うことも
多いが、味の決め手になるのは、なんといっても
トマトジュースと大量のキノコだろう。水は入れない。
サラダとスープはつかないかもよ?
「サラダとスープは僕が用意するよ」
匠が笑った。
「お母さんと同じの、作って」
了解した印に、蛍子は匠の肩に顎を載せ、
唇を伸ばした。
それを一瞥し、匠は
「電車の中だよ」
と、にべもない。
匠は人前で親密さを表現したがらない。
せいぜい手をつなぐくらいのことだ。
一緒に居るときは、蛍子が化粧をするのも嫌う。
「原さんはきれいだから化粧は必要ない」
上手を言うけれど、「いつでもお通夜に行ける」と揶揄される、
匠のワードローブだと、ファンデーションやらがつくと、
目立つし、たいへん困るのだ。
それから、
「口に化粧品が入るのがイヤダ」
と、のたまう。
要は、ふたりでいちゃいちゃするのに不都合だから、
ということで、それについては、そもそも化粧が好きでもない
蛍子もやぶさかではない。
それにしても、だ。
はしたないとは思うけれども、
たまにはちょっとくらい、恋人らしく…
と憮然としていたら、電車が最寄り駅に止まった瞬間、
電光石火で蛍子の唇を奪って、匠は何事もなかったように
席を立った。
蛍子は慌てて後を追って、
匠が後ろ手に出した手をしっかりと掴んだ。
またクリスマスがやってくる。
初めてのカレシカノジョのクリスマス。
プレゼントはどうしよう?
しんとした空気の中、匠の手のぬくもりが、
じんわりと伝わってくる。
蛍子は早く部屋に戻ってキスの続きをしたいと
思った。
なるほど、外では触れ合わないほうが賢明なわけである。
新年早々に年明けライヴがあり、その前には匠と初詣デートを
しないといけなかったからだ。
母には匠のことはすぐに伝えておいた。
娘の最初の、そして恐らく最後になるであろうカレシの誕生を、
母は小躍りして喜んだ。
孫の顔を拝むどころか、子どもの結婚式すら期待できないご時世である。
「ちゃんと避妊しておきなさい!卒業したらデキ婚は許すから!」
という具合で、ふたりが拍子抜けするほど歓迎された。
でも、匠の「事情」について触れるのは、まずは会わせてから、と
蛍子は周到である。
蛍子よりははるかに面喰いである母のことだ。
ちょっと陰のある品行方正なプラチナ・ブロンドのギタリストに
メロメロになるのは、火を見るより明らかであった。
果たして、母はすっかり匠が気に入り、後で彼の不遇な生い立ちを知ると、
「あなたがしっかり支えてあげるのよ!」
大いに同情し、力強く背中を押してくれた。
警察官の父は、母の言いなりである。
大学から電車で2時間くらいのところに、蛍子の実家はある。
通おうと思えば通える距離だが、母の意向で下宿させられたのだ。
「自分の身の回りのことくらいできるようになりなさい」
蛍子の母は、蛍子が生まれるまで看護学校の講師として
働いていた。その後は専業で、かつスーパー主婦であった。
蛍子は家ではピアノと勉強しかしていない。
つきあいはじめて1年を迎える少し前、蛍子は匠を実家に連れて行った。
郊外の閑静な住宅街である。
今日は母しかいない。
外堀を埋めていくために、そういう日を選んでおいたのだ。
結婚を決めたひとを、最初に母に会わせておくのは基本中の基本だろう。
母さえ難色を示さなければ、すべてうまくいく。
「本当に何もできない子でねえ」
と、蛍子の母がお昼を用意しながら嘆くのに、
「僕ができるから大丈夫です」
まずこの言葉にコロリとやられ、
腕によりをかけたハヤシライスを
「おいしい」
匠が破顔して、お代わりを所望した頃には
完全にハートを撃ち抜かれた様子であった。
匠のとつとつと語ることには、母が働いていたため、
(父の暴力を逃れ、たびたび実家に避難していたこともあるが)
祖母の作る和食が中心で、子どもの喜ぶような
洋食が食卓に上ることがなかったという。
「じゃあ、次はエビフライ作っておくわね!
それともオムライス?
両方がいいかしら。そのほうがいいわね!」
本当は、今回も蛍子が人生初のボーイフレンドを
連れてくるというので、母はすっかり舞い上がり、
何日も前から仕込む、竜宮城のようなおもてなしを
したがったのだが、それでは匠が緊張するから、と、
蛍子に止められていたのだ。
「原さんとこ、ほのぼのしてていいね」
下宿に戻る電車のボックスシートで匠がため息をついた。
そうばっかでもないよ?
と言いかけたが、蛍子の家庭の困りごとなど、深刻さの度合いでは、
匠のところとは比べようもない。
蛍子は黙って、匠の肩に頭を寄せた。
「今度ハヤシライス、作ってくれる?」
原家のハヤシライスは、ルーは市販のものを使うことも
多いが、味の決め手になるのは、なんといっても
トマトジュースと大量のキノコだろう。水は入れない。
サラダとスープはつかないかもよ?
「サラダとスープは僕が用意するよ」
匠が笑った。
「お母さんと同じの、作って」
了解した印に、蛍子は匠の肩に顎を載せ、
唇を伸ばした。
それを一瞥し、匠は
「電車の中だよ」
と、にべもない。
匠は人前で親密さを表現したがらない。
せいぜい手をつなぐくらいのことだ。
一緒に居るときは、蛍子が化粧をするのも嫌う。
「原さんはきれいだから化粧は必要ない」
上手を言うけれど、「いつでもお通夜に行ける」と揶揄される、
匠のワードローブだと、ファンデーションやらがつくと、
目立つし、たいへん困るのだ。
それから、
「口に化粧品が入るのがイヤダ」
と、のたまう。
要は、ふたりでいちゃいちゃするのに不都合だから、
ということで、それについては、そもそも化粧が好きでもない
蛍子もやぶさかではない。
それにしても、だ。
はしたないとは思うけれども、
たまにはちょっとくらい、恋人らしく…
と憮然としていたら、電車が最寄り駅に止まった瞬間、
電光石火で蛍子の唇を奪って、匠は何事もなかったように
席を立った。
蛍子は慌てて後を追って、
匠が後ろ手に出した手をしっかりと掴んだ。
またクリスマスがやってくる。
初めてのカレシカノジョのクリスマス。
プレゼントはどうしよう?
しんとした空気の中、匠の手のぬくもりが、
じんわりと伝わってくる。
蛍子は早く部屋に戻ってキスの続きをしたいと
思った。
なるほど、外では触れ合わないほうが賢明なわけである。
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