蒼竜は泡沫夢幻の縛魔師を寵愛する

結城星乃

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第一部 嫉妬と情愛の狭間

第39話 失うもの

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「……罰せられるのだと分かっていたのなら、話は早いな。まるでついでのように俺に託すものだから、正直それで大丈夫なのかと心配になった」
「上位の竜はそれでいいんだ。ひとつひとつに感情を寄せていたら、それこそ身体と精神が参っちまう」
「……確かに。お前を言葉で縛ってしまった残韻がまだあるかもしれないから、しばらくお前に会いたくない、友人でいたいから、と微笑みながら言われてしまえば、別の意味で心配になるな」 
「……っ!」


 竜紅人りゅこうとは言葉を詰まらせた。
 りょうは余程のことがない限り、竜紅人に対して上位の竜としての『力』を顕すことを、良しとしなかった。
 友人でいたいのだと言っていた療に、『力』を使わせてしまったのは、己の所業の所為だ。


 桜香おうかを生み出したこと。
 竜形のまま香彩かさいを鷲掴みにし、感情のままに咆哮したこと。


 桜香を還す為に使った『力』と、蒼竜を止める為に使った言の葉にのせた『力』は、自分とは比べ物にならない程の、甚大かつ貴重な神気だ。

 かつて竜紅人は言ったのだ。
 真竜の隷属本能に素直に従って、お前になら膝を折り、お前の言葉によって傀儡になるのなら、それで構わないのだと。
 それ対して療が取った行動を、竜紅人は一生忘れはしないだろう。
 療は竜ちゃんの馬鹿と叫びながら、持てる力の限りを振り絞って、竜紅人を殴ったのだ。


 ──オイラは竜ちゃんとそんな関係なんて嫌だ! オイラは……。


 竜ちゃんと友人で在りたいのだ、と言った療のあの時の表情を思い出す。今にも泣き出しそうな顔だった。やがて表情を切なく歪めながら、紫闇しあんの目から大粒の涙を流したのだ。


 そんな療が、竜紅人に罰を下す。
 竜紅人は紫雨むらさめの視線を真摯に受け止め、言葉を待った。
 言葉には『力』が宿っている。
 これから話されるそれは、たとえ紫雨の声色であっても、療の『上位の竜』としての言葉に違いない。罰の内容を耳に入れた途端に発動するのか、それとも何か条件があるのか。

 竜紅人は拳をぐっと握り締めた。
 ふたりの間に沈黙が降りる。しとしとと降り続く雨の音だけが、部屋の中を占めていた。
 まるで急かすように、雨の匂いを含んだ風が吹き込んで、紅麗燈の灯が揺れる。
 それに合わせてぐらりと動く竜紅人の黒い影は、心情の揺らめきのようだった。


「──竜紅人。人形ひとがたを一定期間封じる。罰は、中枢楼閣、四神の門をくぐった時点で発動される──とのことだ」


 内容に竜紅人が再び息を詰める。
 あいわかった、と応えを返せば、紫雨むらさめの低い声色が、心の奥にゆっくりと浸透していくかのようだった。
 ではなるべく早く戻れと紫雨は念を押してそう言い、部屋を後にする。
 竜紅人はその言葉に何も返事をすることもなく、ただじっとひらいた己の手を見つめていた。

 




 紫雨の気配が遠くなったことを確認してから、竜紅人はじっと見つめていた己の手を、再び力一杯握り締めた。

 この人の手が、もうすぐ竜の前肢に変わる。
 自分の意思と全く関係なく、竜形になる。

 そしてしばらくの間、人形ひとがたになることが出来ない。
 それは竜紅人の心の中で、自身で思っている以上の衝撃を与えていた。
 下位の竜が自身の分身を、生み出す禁忌を犯したのだ。本来なら人形ひとがたを完全に封じられても、おかしくはなかった。
 人を助け、人に安寧をもたらし、そして媒体とした者が息絶えたあと、尽くした褒美に人を喰らうのが真竜だ。
 たとえその本性は竜だったとしても人形ひとがたは、より人に寄り添えるように、人に近い欲を持っている。


 欲しいと、思った。
 あの愛しい存在を。
 あの時は、こんな浅ましい想いを、知られるわけにはいかないと思った。
 だがそれでも焦がれてかつえて。
 かつえて。
 その先に生み出したのは、愛しい存在と同じ姿形をした、忌み者。
 

 人の欲が原因で真竜が禁忌を犯したのなら、人の姿を封じてしまえばいい。取り上げてしまえばいい。人に寄り添うための姿で罪を犯したのならば、人になる必要がない。
 過去にも人形ひとがたを封じられた真竜がいたが、彼らが赦され人形ひとがたを取り戻したという話を、竜紅人は今まで聞いたことがなかった。

 それを療は一定期間という期間にした。香彩かさいの精神面に配慮したのだろうと、竜紅人は思った。決して香彩の所為ではないが、もしも竜紅人が人形ひとがたを完全に封じられてしまっていたら、香彩の性格上、やはり自分の所為だと思うだろう。譬え心が通じ合ったとしても、竜紅人に負い目を感じて、決して離れずに尽くそうとするだろう。
 
 嫌だと、思った。
 そんな関係は。
 ただでさえ竜の聲で縛るような関係になったというのに、これ以上、縛り付けたくない。


(……それに)


 竜紅人の心の中は、大きく揺れていた。
 人形ひとがたを封じられることに対して、これから何もなければ、ここまで不安定な気持ちにならなかっただろう。


(──中枢楼閣に帰れば、俺は竜形になる)
(そして成人の儀式が始まって、あいつは……!)


 他の男に抱かれる。


 必要なことだと分かっていた。
 香彩の『力』を胎内なかの『核』に、くれてやるわけにはいかないのだ、と。
 だが全てが終わった後、温かい腕で抱き締めて痕跡を消すことが出来ない。苦しいほど抱き締めてやることもできない。
 あるのは冷たい蒼色をした鱗と、白い肌を傷付ける鋭爪だけだ。


(……身体を冷やし、傷を付けてしまうだけ)


 蒼竜の前肢を掴んで、傷だらけになっていた香彩の手を思い出す。傷はすぐに舐めて治したが、痛い思いをさせてしまったことに、変わりはない。

 竜紅人は、おぼつかない足取りで、香彩の眠る寝室へと歩き出す。
 無性に香彩の顔が見たかった。
 たとえしばらく目覚めてくれなかったとしても、その寝顔を見たいと思った。


(……あいつの温もりを)


 温もりを感じて、眠ってしまいたい。


 やがて辿り着いた寝室に入ると、頭まですっぽりと上掛けを被った、白くて大きな膨らみを見つける。
 いつも通りなら香彩は、左向きに眠っているはずだ。
 上掛けを少し捲って中に入ると、竜紅人の予想通りだった。
 小さくため息をついて、竜紅人は眠っている香彩の背中を、包み込むように抱き締める。
 うなじに顔をうずめて、自分のものとなって間もない御手付みてつきの、甘い匂いを吸い込みながら、竜紅人の意識はだんだんと遠のいていった。
 
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