蒼竜は泡沫夢幻の縛魔師を寵愛する

結城星乃

文字の大きさ
62 / 409
第一部 嫉妬と情愛の狭間

第62話 休憩処にて 其の四

しおりを挟む

「──……ああ。そうだ」


 少しの間を開けて、低めの声でそういらえを返した竜紅人は、器用にも櫛一本で髪を纏め始めた。
 自身が使う為に持っていた、何の装飾もない紐を仮止め代わりにして括り付ける。


紫雨むらさめが……どうして……?」


 香彩かさいには分からなかった。
 何をどうしたらりょうが用意した荷物を、紫雨がこの蒼竜屋敷に持ってくることになったのか。
 そもそも紫雨がどこまで知っているのか、どこまで関わっているのか、香彩はよく知らなかった。
 

「……最近おっさんの仕事、忙しくなってただろう?」


 こくりと香彩が頷く。
 ある時から紫雨が、香彩と同じ私室に戻らず、もうひとつの政務私室に泊まり込むことが多くなった。
 戻れなくなった紫雨の代わりに、竜紅人が同室になったのは記憶に新しい。


「地上で生まれ落ちて、すぐに気配を消してしまった真竜がいる。しかも唐突な消え方に堕ちたのではと、ずっと探していたらしい」
「……それってもしかして」 
「──ああ、桜香おうかだ」


 そこで繋がるのかと香彩は思った。
 又聞きだが、と竜紅人は話を続ける。


 紫雨は桜香の居場所を突き止め、麾下を張らせていたという。竜紅人が頻繁にその場所に訪れていたことも、そしてりょうと香彩までもがその場所に現れたことも、紫雨は知っていたのだ。


「きっと報告の兼ね合いもあったんだろう。桜香を『中』に還しに行く際、療が紫雨を誘ったと聞いている」
 

 紫雨は国の祀り事を行う『大司徒だいしと』であるのと同時に、国の六つの機関である六司《りくし》の統括でもある『大宰だいさい』を兼任していた。
 六司りくしの大司官達は、一日の政務の終わりに大宰だいさい政務室に集まり、報告をする義務がある。
 本来なら療は、真竜を『中』へ還した件のみを、直属の上司に報告するだけでよかったのだ。
 だが紫雨もまた、桜香のことで麾下を張らせ、経過報告を受けている。それに今回のことは香彩も絡んでいる為、報告だけよりも実際に紫雨に見て貰った方が良いと、療は判断したのだろう。
 
 療と共に紅麗の奥座敷を訪れ、桜香に会ったということは、どのような理由で桜香が療の『中』に還るのか、紫雨に知られたということだ。
 それがどういうことなのか心の中にすとんと落ちた時、何とも言えない居た堪れない気持ちが胸を占めて、香彩は顔を赤らめた。
 しかも丁寧に衣着ころもぎを脱がせているはずがないと、あの明け透けな物言いで療が言ったことを、紫雨が聞いていたということだ。
 本当に居た堪れない。
 決して悪いことをしているわけではないのに、後ろめたい気持ちになってしまうのは、何故だろう。


(……それに)


 いま着ている衣着を、持って来て貰っているのだ。
 情事の痕の濃い、この蒼竜屋敷に。


(……っ!)



 恥ずかしさと居た堪れなさのあまり、ふわりと身体を包む森の香りを押し退けるように、『竜紅人の御手付きものであるという名の鎖あかし』である甘い香りが辺りに漂い始める。
 それに気付かない竜紅人ではなかった。


「ん……」 


 すぐ耳元に竜紅人の唇を感じて、香彩はくすぐったそうに、くぐもった声を上げた。この香りも全て自分のものだと言わんばかりに、嗅いでは吸い込む竜紅人に、一種の独占欲のようなものを感じてしまう。
 この距離でこの香りを感じていいのは貴方だけなのだと、そんな気持ちが心を占めていく。


「……っ」


 名残惜しそうに、そして嫉妬する気持ちを込めるかのように、耳輪に甘噛みし、接吻くちづけを落として竜紅人が離れる。
 紫雨のことを考えて出してしまった香りだというのに、昨日ほどの激情を感じないのは、昨夜から先程まで心と身体で、お互いの想いを確かめ合ったからだろうか。


(……心内にある焔を隠しているんだろうか)


 それとも別の何かを。
 瞳を見れば何か分かるかもしれない。
 だが仮結された髪の軽い縺れを解すように、丁寧に櫛を使われている為、彼の方を振り向くことが出来ない。姿見越しの竜紅人は、今は自分の身体に隠れてしまっている。


「……紫雨、何か……言ってた?」


 彼の表情が分からぬまま、香彩が小さな声で竜紅人にそう聞いた。
 譬えりょうに頼まれたからといって、紫雨がわざわざ着替えだけを持って、蒼竜屋敷ここを訪れるだろうか。
 どういう状況の後なのかを知りながら。
 普段からみだりがわしい発言が多い人だ。華こそ買わないが非番の前夜には、なじみの紅麗の遊楼で、遊姫を侍らせて酒を呑むこともある。
 濃厚な情事の気配の残る屋敷など、対して気にも止めていないのかもしれない。
 

(……確かに嫌がらせ半分、ひやかしに来るって、あの人ならやりかねそうだけど)


 
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる

水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。 「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」 過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。 ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。 孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

処理中です...