72 / 409
第一部 嫉妬と情愛の狭間
第72話 不安に揺らめく焔
しおりを挟むそんな状態で蒼竜に横抱きにされて、空から中庭へ降りて来たとあれば、一体どんな話になるか分かったものではない。
蒼竜は香彩が心内で心配していることなど、全く気にする様子も見せず、尾で均衡を保ちながら、器用にも二足歩行で歩き出した。
中庭から渡床に入り、向かう先は。
(……ああ、やっぱり)
入り口の引き戸が見えてきて、香彩は顔を赤らめる。
こんな時に限って渡床を歩く人の姿はない。もし誰か通ってくれれば、竜紅人は思い返してくれるかもしれない。そう香彩は思ったが、蒼竜と蒼竜に横抱きにされた自分に、声を掛けられる者など限られている。大概の者は、ばったりと会ってしまったが最後、挨拶もそこそこに踵を返し、内緒話と称して身近な者に話してしまうだろう。尾鰭に羽鰭が付いて一体どんな噂に上るのか、本当に分かったものではない。
それに人に見られた程度で、竜紅人が思い直して自分を降ろし、六層の私室へ向かうだろうか。
そこまで考えて香彩は、心の中で頭を振った。
絶対にない。
そう断言出来る。
ぐるぐると蒼竜の唸り声が聞こえてくる。
その声色に潜むものを、香彩もよく分かっていた。
「──りゅ……、ねぇ待って……!」
香彩を抱えたまま蒼竜は、尾の先端を器用に曲げて、部屋の引き戸を開ける。
そこは第一層目にある、竜紅人の私室だった。
戸を開けた瞬間に見えるのは、彼らしい飾り気のない部屋だ。
姿見に椅子に卓子。
そして衣装櫃に、寝台。
それらを目にした途端、香彩の背中をぞくりと粟立つものが、駆け上がった気がした。
もう見ることもないだろうと思っていた、竜紅人の私室の中だ。
(……この場所で、僕は……)
眠り薬を飲ませた竜紅人を、文字通り襲った。そしてその様子は、半覚醒だった竜紅人に全て知られていたのだ。
また彼が紅麗に行ってしまった日の夜、いないと分かっていながらも彼の部屋を訪れ、彼を想いながら入口で立ち尽くして泣いた場所も、ここだった。
「りゅう……!」
居た堪れない気持ちと諌める気持ちが、複雑に絡み合いながら、香彩が竜紅人の名前を呼ぶ。
蒼竜は香彩を抱えたまま、部屋の中に入ったと同時に尾を使って、引き戸をぴしゃりと閉めた。
その音に、もう何度感じたのか分からない程の粟立つものが、ぞくりと香彩の背筋を駆け上がり、尾骶を鈍く疼かせる。
気付けば卓子に手を付くように降ろされたと思いきや、背後から蒼竜が香彩に覆い被さった。
竜紅人と。
諌める口調で香彩が名前を呼びながら、身体を少し捻らせて蒼竜の顔を見る。
「……りゅう……だめだよ。まずは……報告に、行か……なきゃ、んっ……」
蒼竜の長い舌が、透明な蜜を滴らせながら、香彩の唇を這った。
その味を。
その甘さを散々教え込まされた香彩の身体は、蜜を求めて色付いた唇を、薄っすらと開こうとする。
香彩自身も、竜紅人の私室に連れ込まれた時点で分かっていた。
蒼竜が自分を求めているのだと。
竜紅人の私室は、彼が真竜ということもあるのか、遠慮して訪れる人はほとんどいない。気安く彼の私室を訪れ、遠慮なく入るのは、療と香彩ぐらいだろう。
対して香彩の私室は、色んな人が訪れる。それに今は別の私室に泊まり込んでいるが、実は紫雨の私室でもある部屋だ。
そんな部屋では求めても応じてくれないと、蒼竜は判断したのだろう。
「……りゅう……!」
少し強めに声を出せば、ぐぅと少し高めの蒼竜の声が返ってくる。
『──もう終業時刻から、随分と過ぎた。報告なら明日の早朝でも問題ないだろう?』
「それは……あれから特に何も起こってないけど……でも……っ、ん!」
香彩にとって神桜の花片の喪失は、気掛かりなことに相違なかった。何より一番失いたくなかったものを失ってしまった衝撃は大きく、今すぐにでも報告をして、何があったのか調べたかった。
神桜は、この中枢楼閣にもある。
それが無事なのかどうかも調べて置きたかった。
それに。
(……竜紅人は気にならないんだろうか?)
分身ともいえる神桜を喪った、同朋のことを。
『それに……雨は止んだ。あいつらも同朋のこととなれば、多少の猶予はくれる様だな。勝手なことだ』
雨。
猶予。
(……それは一体、何のこと?)
問いたかったそれは、しゅるりと帯を解く音によって遮られる。
竜の尾の先端をくねらせて、器用にも帯を掴んで結び目を解けば、帯と袴は私室の木床に落ちた。
「……りゅ……! っ、んんっ…」
これ以上は何も言わせないとばかりに、唇を這っていた竜の舌が香彩の口腔に入る。舌の先端で上顎の襞の弱い所を責められて、香彩はくぐもった艶声を上げた。
香彩の背後から覆い被さっていた蒼竜は、卓子に香彩の身体を押し付けるようにして、その竜身を密着させる。
より蒼竜の顔が近くなったことを確認して香彩は、お手上げだとばかりに、身体を捻らせて蒼竜の首を抱き締めた。
再び、ぐるぐると蒼竜の唸る声が聞こえてくる。
口の中を責めていた竜の舌が離れるのと同時に、その口吻に軽く口付けて、香彩は透き通った綺麗な蒼竜の瞳を覗き込んだ。
目は思念以上に、心内を語る。
欲を孕んだ熱の向こうに見える不安に揺らめく焔は、四神の門を潜る前の人形であった時から見えていたものだ。
0
あなたにおすすめの小説
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
8/16番外編出しました!!!!!
読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭
1/27 1000❤️ありがとうございます😭
3/6 2000❤️ありがとうございます😭
4/29 3000❤️ありがとうございます😭
8/13 4000❤️ありがとうございます😭
12/10 5000❤️ありがとうございます😭
わたし5は好きな数字です💕
お気に入り登録が500を超えているだと???!嬉しすぎますありがとうございます😭
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
淫愛家族
箕田 はる
BL
婿養子として篠山家で生活している睦紀は、結婚一年目にして妻との不仲を悩んでいた。
事あるごとに身の丈に合わない結婚かもしれないと考える睦紀だったが、以前から親交があった義父の俊政と義兄の春馬とは良好な関係を築いていた。
二人から向けられる優しさは心地よく、迷惑をかけたくないという思いから、睦紀は妻と向き合うことを決意する。
だが、同僚から渡された風俗店のカードを返し忘れてしまったことで、正しい三人の関係性が次第に壊れていく――
黒の執愛~黒い弁護士に気を付けろ~
ひなた翠
BL
小野寺真弥31歳。
転職して三か月。恋人と同じ職場で中途採用の新人枠で働くことに……。
朝から晩まで必死に働く自分と、真逆に事務所のトップ2として悠々自適に仕事をこなす恋人の小林豊28歳。
生活のリズムも合わず……年下ワンコ攻め小林に毎晩のように求められてーー。
どうしたらいいのかと迷走する真弥をよそに、熱すぎる想いをぶつけてくる小林を拒めなくて……。
忙しい大人の甘いオフィスラブ。
フジョッシーさんの、オフィスラブのコンテスト参加作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる