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仮のふるさとは砂漠のなか
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ユルギが自分の力に気がついたのは、祖父が死んだときだった。このときユルギは十歳。星空の見えない真っ暗な夜、二つ年の離れた兄のツルギと二人で病院から帰る途中で、病院に残っていた母から祖父の訃報を受け取った。
ツルギは携帯電話で母親と一言二言会話を交わすと、妹のユルギの手を引いて、自宅の屋敷に戻った。
「おじいちゃんは?」
「明日の朝、帰ってくるよ」
ツルギの言ったとおり、祖父は息を引き取った翌朝、屋敷に戻ってきた。
祖父は生前、囲碁を趣味にしていた。二十一世紀にはすでに珍しいものとなっていた畳だが、「囲碁をするなら畳の上で」とこだわっていた祖父は、高級マンションの一室を買うのと同額を支払って畳の間を作った。その畳の間に置かれた柩のなかに、祖父は横たわっていた。
柩もまた、今時珍しい桐で作られたものだった。仮非のくにでは、木製の柩は一般的ではない。仮非のくにの権力者のみが手に入れることができる。
祖父は、まだ意識がはっきりしているあいだに、「死んだら木製の棺桶に入れてほしい」と繰り返していた。本当は、木そのものに触れたかった。もう一度森のなかを歩きたかった。緑豊かな祖国に帰りたかった――そんな祖父の思いを、ユルギの父母が汲み取り、わざわざ桐の柩を用意したのだ。
障子の戸を開き日光を入れて明るくなった畳の間に、ユルギの家族は集まった。ユルギ、ツルギ、ユルギの父・ヒロフミ、ユルギの母・ヒナゲシ。それに、使用人のマドロイとウツロイ。一同は祖父が眠っている棺桶を囲んだ。上座となる祖父の枕元に座ったヒロフミの隣にはツルギが座り、向かい側にヒナゲシとユルギが座った。祖父の足元にマドロイとウツロイが座った。
ヒロフミは黙ったまま、祖父の体を覆っていた白い布をめくった。祖父の痩せた肢体があらわになった。
障子の傍に控えていた葬儀の立会人の女性が、しめやかに言った。
「それでは、こちらのお水でご尊父様のお体をお清めください」
女性は木製の桶をツルギとヒロフミの後ろに一杯、ユルギとヒナゲシの後ろに一杯置いた。これまた木製の柄杓を使用人以外の四人に一本ずつ手渡し、桶に入った水で祖父の体を洗うように促した。
ユルギは緊張した面持ちで、父母と兄の様子を伺った。ヒロフミが柄杓で桶の水をすくい、祖父の肩にちょろちょろとかけたのを皮切りに、ヒナゲシは祖父の腕に、ツルギは祖父の手に水をかけた。
水で濡れた祖父の肩をさすっていたヒロフミの手が、固く握り締められた。
「……お父さん……」
声を震わせて、ヒロフミは俯いた。
ヒナゲシは目を真っ赤にして、無言のまま祖父の腕をなでていた。ツルギは祖父に触れなかった。
ユルギは柄杓で桶の水をすくい、祖父のへその部分にかけた。それから柄杓を桶のへりにかけて、へその下のあたりに両手を置いた。
おじいちゃん、お帰りなさい。おじいちゃんは、この畳の間が好きだったよね。
「日本に帰りたい」って、よく話していたね。
おじいちゃん、帰れなくて悲しんでいるのかな。泣いているのかな。おじいちゃんがずっと願っていたことだもの、いつか帰れると思っていた。夢は、願ったら叶うものじゃないんだね。でもね、叶ってほしかった。
おじいちゃんは比婆の山に行きたいって言っていたね。比婆山の写真、私によく見せてくれた。
なかでも覚えているのは天狗の休み木。真っ直ぐに伸びた灰色の幹に、縦に長いシワが何本も入っていた。太い幹の上のほうに、細い枝が重なり合わないように広がっていて、深い緑色の葉を付けていた。巨木の根元には、うぐいす色のコケがこびりついていたの。
ここにはない、大きな木。長い年月を生きた杉の木。私も、おじいちゃんといっしょに見てみたかった。
ねえ、おじいちゃん、私のなかでは天狗の休み木ってこんな木なんだよ。おじいちゃんが見たかった木と似てるかな――?
ユルギは頭のなかで巨大な杉の木をイメージした。そして、そのイメージを祖父に贈るように、両手に力を込めた。
ユルギの手のなかに、確かな感触があった。ユルギの手を突く何かが、祖父のへその下から出てきた感触が。ユルギは驚いて、祖父から両手を離した。
「あっ」
祖父のへその下に、小さな木の芽が生えていた。それはみるみるうちに育ち、天井を突き破るほどの高さの木になった。
尻餅をついたまま、ユルギは葉を生い茂らせていく木を見て呟いた。
「杉の木だ……」
何が起こったのかわからないというような表情で、ユルギのイメージが生み出した杉の木を見上げている一同をよそに、ヒナゲシだけが、棺桶のなかを覗いた。棺桶のなかに、祖父の遺体はなかった。ヒナゲシは、全身から血の気が引いていくのを感じた。
ツルギは携帯電話で母親と一言二言会話を交わすと、妹のユルギの手を引いて、自宅の屋敷に戻った。
「おじいちゃんは?」
「明日の朝、帰ってくるよ」
ツルギの言ったとおり、祖父は息を引き取った翌朝、屋敷に戻ってきた。
祖父は生前、囲碁を趣味にしていた。二十一世紀にはすでに珍しいものとなっていた畳だが、「囲碁をするなら畳の上で」とこだわっていた祖父は、高級マンションの一室を買うのと同額を支払って畳の間を作った。その畳の間に置かれた柩のなかに、祖父は横たわっていた。
柩もまた、今時珍しい桐で作られたものだった。仮非のくにでは、木製の柩は一般的ではない。仮非のくにの権力者のみが手に入れることができる。
祖父は、まだ意識がはっきりしているあいだに、「死んだら木製の棺桶に入れてほしい」と繰り返していた。本当は、木そのものに触れたかった。もう一度森のなかを歩きたかった。緑豊かな祖国に帰りたかった――そんな祖父の思いを、ユルギの父母が汲み取り、わざわざ桐の柩を用意したのだ。
障子の戸を開き日光を入れて明るくなった畳の間に、ユルギの家族は集まった。ユルギ、ツルギ、ユルギの父・ヒロフミ、ユルギの母・ヒナゲシ。それに、使用人のマドロイとウツロイ。一同は祖父が眠っている棺桶を囲んだ。上座となる祖父の枕元に座ったヒロフミの隣にはツルギが座り、向かい側にヒナゲシとユルギが座った。祖父の足元にマドロイとウツロイが座った。
ヒロフミは黙ったまま、祖父の体を覆っていた白い布をめくった。祖父の痩せた肢体があらわになった。
障子の傍に控えていた葬儀の立会人の女性が、しめやかに言った。
「それでは、こちらのお水でご尊父様のお体をお清めください」
女性は木製の桶をツルギとヒロフミの後ろに一杯、ユルギとヒナゲシの後ろに一杯置いた。これまた木製の柄杓を使用人以外の四人に一本ずつ手渡し、桶に入った水で祖父の体を洗うように促した。
ユルギは緊張した面持ちで、父母と兄の様子を伺った。ヒロフミが柄杓で桶の水をすくい、祖父の肩にちょろちょろとかけたのを皮切りに、ヒナゲシは祖父の腕に、ツルギは祖父の手に水をかけた。
水で濡れた祖父の肩をさすっていたヒロフミの手が、固く握り締められた。
「……お父さん……」
声を震わせて、ヒロフミは俯いた。
ヒナゲシは目を真っ赤にして、無言のまま祖父の腕をなでていた。ツルギは祖父に触れなかった。
ユルギは柄杓で桶の水をすくい、祖父のへその部分にかけた。それから柄杓を桶のへりにかけて、へその下のあたりに両手を置いた。
おじいちゃん、お帰りなさい。おじいちゃんは、この畳の間が好きだったよね。
「日本に帰りたい」って、よく話していたね。
おじいちゃん、帰れなくて悲しんでいるのかな。泣いているのかな。おじいちゃんがずっと願っていたことだもの、いつか帰れると思っていた。夢は、願ったら叶うものじゃないんだね。でもね、叶ってほしかった。
おじいちゃんは比婆の山に行きたいって言っていたね。比婆山の写真、私によく見せてくれた。
なかでも覚えているのは天狗の休み木。真っ直ぐに伸びた灰色の幹に、縦に長いシワが何本も入っていた。太い幹の上のほうに、細い枝が重なり合わないように広がっていて、深い緑色の葉を付けていた。巨木の根元には、うぐいす色のコケがこびりついていたの。
ここにはない、大きな木。長い年月を生きた杉の木。私も、おじいちゃんといっしょに見てみたかった。
ねえ、おじいちゃん、私のなかでは天狗の休み木ってこんな木なんだよ。おじいちゃんが見たかった木と似てるかな――?
ユルギは頭のなかで巨大な杉の木をイメージした。そして、そのイメージを祖父に贈るように、両手に力を込めた。
ユルギの手のなかに、確かな感触があった。ユルギの手を突く何かが、祖父のへその下から出てきた感触が。ユルギは驚いて、祖父から両手を離した。
「あっ」
祖父のへその下に、小さな木の芽が生えていた。それはみるみるうちに育ち、天井を突き破るほどの高さの木になった。
尻餅をついたまま、ユルギは葉を生い茂らせていく木を見て呟いた。
「杉の木だ……」
何が起こったのかわからないというような表情で、ユルギのイメージが生み出した杉の木を見上げている一同をよそに、ヒナゲシだけが、棺桶のなかを覗いた。棺桶のなかに、祖父の遺体はなかった。ヒナゲシは、全身から血の気が引いていくのを感じた。
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