ユルギと剣の柱

eden

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仮のふるさとは砂漠のなか

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 西暦二一八六年、ユルギは十五歳。ミルク色の肌に緑がかった大きな瞳が印象的な、美しい少女に成長した。腰まで伸びた栗色の髪を左右に分け、ゆるやかな三つ編みにして垂らしている。

 祖父が亡くなったとき、人間の身体を媒体ばいたいにして、イメージを具現化する力が目覚めた。そのことをきっかけに、ユルギは五年前からずっと、仮非のくにの中心に位置する研究所で生活している。ユルギは、祖父が亡くなったときのことを忘れないために、祖父が遺した浴衣を、身体の成長に合わせて直しながら着用し続けている。


 今、ユルギは白地に紫の花模様があしらわれた浴衣を身につけて、研究所のトレーニングルームにいる。

「さあ、朝顔のイメージはできたかい」

 研究員のタガネに尋ねられて、ユルギは首を横に振った。若い青年研究員であるタガネは、自分の命令に対して否定的な反応をするユルギに対して苛立ちを覚えた。

 しかし、感情的に怒るだけでは、相手が自分の思うとおりに動いてくれることはないということを、タガネは知っている。タガネは力を抜くように小さくため息をつき、ユルギの左肩に手を置いた。

「どうしたんだ、ユルギ。反抗期かい?」

 ユルギは答えない。

「いいかい、ユルギ。君がねているあいだに、バリアーはどんどん力を失っていくんだ。すると、仮非けひのくにはこの世界にき出しになる。

世界は日本が滅びたと思っているんだ。だから、世界各国にある日本企業はすべて他の国に吸収され、世界中にいる日本人はそれぞれが生活している国の国籍を取ることになった。国籍が取れなかった者は移民になって、世界中を流れている。野垂れ死ぬ人だってたくさんいる。

日本がまだ生きているとわかったら、どんなことが起こると思う」

「日本企業を手に入れた人たちは、仮非けひのくにを攻撃してくるかもしれない」

「そう、そのとおり。今度こそ日本を消滅させようとしてくる可能性がある。以前までは日本が存在することで平和の均衡きんこうが保たれていた。それが、今は日本が存在しないことで争いが収まっている。

いきなり日本が復活することを期待する者はいない。だから、復活には準備が必要なんだ。バリアーが存在しているあいだに、あらゆる準備を整えて、日本の国土を復活させなければならない」

 ユルギは長いまつげを伏せ、目下に横たわっている老いた男性の遺体を見つめた。


「日本の国土を復活させられるのはユルギ、キミだけだ。キミの想像力だけが、日本を救える」


 何度も聞かされたセリフだ。自分だけが、日本を救える。自分にしか、できない。だから、自分がやらなければならない。

 やらなければならないと思えば思うほど、怖くなる。逃げ出したくなる。自分の境遇から。自分の持つ、恐ろしい力から。


「ユルギ」


 ただ名前を呼ばれただけなのに、責められているような気持ちになった。心臓が波打つ。身体が熱くなり、しびれてくる。ユルギは、震える両手を男性の遺体にゆっくりと伸ばした。へそのあたりに触れかけて、何かに弾き飛ばされるようにしてユルギは両手を引っ込めた。そのまま、崩れるように床にしゃがみこんだ。

「ダメ……ダメ!」

 頭を両手で抱えて震えているユルギを、タガネは冷たく見下ろした。

「何がダメなんだ、ユルギ。できないはずはない。キミのイメージをこの遺体に送り込むんだ。そして、朝顔に変化させてみなさい。簡単だろう。キミのイメージでどこまで成長させることができるか試すんだ」

 しゃがみこんだまま立ち上がろうとしないユルギに焦れたタガネは、ユルギの右腕を掴んで引っ張り上げようとした。


「やめろ!」


 トレーニングルームに、黒髪の少年が飛び込んできた。ツルギだ。ツルギはユルギとタガネのあいだに割って入り、タガネを睨んだ。続けて怒鳴りたいところをグッとこらえて、ツルギは努めて冷静に言った。

「もう、今日はやめてください。ここのところユルギは精神的に不安定で、体調も優れない日が続いているんです。これ以上は、もう」

 タガネは肩をすくめて、ユルギとツルギに背中を向けた。ツルギは、短い呼吸を繰り返しているユルギをそっと抱きしめた。

「行こう、ユルギ」

 ユルギはツルギに支えられて立ち上がり、トレーニングルームを出ようとした。

「三十分後には、B棟の二〇二号室で地理の授業が始まる。それまでには戻ること。いいね、ユルギ」

 タガネの呼びかけに、ユルギは応じなかった。




 中央研究所は、トレーニングルームと病院の他に、ユルギとツルギや研究員たちが暮らすA棟、研究室が並ぶB棟、仮非けひのくにの管理が行われる中央棟といった施設で構成されている。これらの施設をぐるりと見渡すことができるのが、研究所の中心にある庭だ。この庭には、今までにユルギが生み出してきた植物が植えられている。

 ユルギのイメージの強さによって、植物の寿命は変わる。中庭には現在、白いマリーゴールドの花が咲いている他、さまざまな種類の草が生えている。

 ツルギは、庭の中央に立っている杉の木の下にユルギを座らせた。

 トレーニングルームでは蒼白だったユルギの頬に、少しずつ赤みが戻ってきている。ユルギは大きく息を吸い、ゆっくりと吐くという呼吸を繰り返していた。何度目かの深呼吸で長く息を吐いたあと、ユルギは自分に寄り添って座っているツルギの顔を見て言った。

「もう大丈夫」

 ツルギはホッとした表情で、ユルギの肩をポンポンと叩いた。

 ツルギの手は大きく、ゴツゴツしている。祖父が亡くなったときよりも、随分たくましくなった。凛々しい眉と、鋭い黒い瞳。大人たちからは反抗的な少年のように見られがちだが、ユルギにとってはこの上なく頼りがいのある兄である。


 しかし、ここのところユルギのなかで、ツルギに対する不信感が芽生えていた。


「いつか、必ずここから連れ出すから」


 ユルギは、サッと俯いた。


 まただ。また、このセリフ。


「どうした?」

 ツルギは不思議そうに、ユルギの顔を覗き込もうとした。ユルギは自分の表情を見られないように、抱えたひざのなかに顔をうずめた。


 ツルギの目に、嘘はない。いつか、ユルギをこの研究所から連れ出したい。ユルギを自由にしてあげたい。それが、ツルギの願い。

 ユルギは、ツルギの気持ちをわかっているつもりだ。自分のことを真剣に考えてくれていると信じている。しかし、だからこそ疑念が沸くのだ。本当に自分のことを考えてくれているのなら、どうして今すぐ連れ出してくれないのか。今すぐ助けてくれないのか。「いつか」っていったいいつのことなのか。一年後? 十年後?

 考え始めると止まらない。ツルギの顔を見ることがイヤになる。だが、ツルギから離れることもできない。彼がいなければ、誰を頼ればいいのか。祖父が亡くなり、ユルギの力が目覚めたときから、ユルギは研究所に収容されている。父親のヒロフミは研究所の所長、母親のヒナゲシは副所長だ。両親は、自分を研究所に閉じ込めている張本人なのだ。研究所の外に出ることは許されていない。研究所に友達はいない。信用して話せる大人もいない。いつも研究所内の誰かから監視されている。

 ツルギがいないと、それはそれで不安になる。しかし、ツルギのこともどこまで信じていいのだろう。彼を頼っていて、自分は自由になれるのだろうか。


 お兄ちゃんにはきっとわからない。私の気持ち。


「ユルギ?」

 怪訝けげんそうに名前を呼ばれて、ユルギはようやく顔を上げた。

「大丈夫か。まだ落ち着かないのなら、もう少し休めるように話をしてこようか」

「ううん、大丈夫。今、休んだらまずいんでしょ?」

 ユルギにまっすぐ見つめられて、ツルギは否定することができなかった。

 二人とも仮非けひのくにが置かれている状況をよくわかっていた。仮非けひのくにを世界から守るバリアーの力が弱くなっていること。仮非けひのくににいる研究員のなかに、バリアーを復元する技術を持つ人間はいないこと。

 そもそも、バリアーの仕組みを知っている人間がいないのだ。仮非けひのくにの創造に関わった研究者であり、バリアーを創ったといわれる黎明れいめいツナギは、西暦二一六八年の日本消滅時に亡くなった。黎明ツナギはバリアーの仕組みについて、誰にも情報を残さなかった。

 バリアーが有効に働いているかどうかを確かめる術だけは、研究所のなかにあるバリアー管理室に残されている。バリアーと、バリアーに接近するあらゆるモノ(人間をはじめとする生命体・自動車などの機械・衛星通信による電波など)をサーチするシステムがある。このシステムを読み解くための研究チームは存在するが、システム解明にはまだまだ長い時間が必要だといわれている。

 バリアーシステムの解明にかかる時間と、バリアー消滅までにかかる時間を比べたとき、後者のほうが短いと考えられている。バリアーが消滅しなくても、バリアーを超えて仮非のくにを見つけ出す存在が現れてもおかしくない。仮非のくにの外にある国々は、着々と科学技術を進歩させているはずだ。その技術力で、仮非のくにを見つけ出し、攻めてくる国もあるかもしれない。


 仮非けひのくには、あくまで仮の国。いつまでも存在してはいられない。仮の国が消えれば、ここにいる人々は本当に流浪の民になる。どこにも属さない、不安定な存在。


「私が日本の国土を再生させなければ、仮非のくにの人たちは散り散りになってしまうかもしれない。そうなれば、日本は本当になくなってしまう。だから、私が日本のことごとくを覚えてイメージできるようになって、日本の国土を再生させる――そんなこと、本当にできるかどうかわからないのにね。もしかしたら、このまま仮非のくにごと滅んだほうがいいかもしれないのに」

 ツルギの表情が曇った。しかし、ユルギは勢いに任せて言葉を続けた。


「私は早く消えたい。全部消えちゃえばいい」


 でも、逃げられない。


 ユルギは立ち上がって、一人でB棟に向かって歩きだした。「ユルギ」と呼ぶツルギの声が、ユルギの細い背中に当たって滑り落ちた。
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