君を拒まなかった言い訳が欲しい

小湊ゆうも

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間違われた荷物

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『周りからすべての音が消え、私はそこに一人きりのように感じた。電柱にとまっている烏がこちらを向いて大きく口を開けたまま──』

 薄暗い部屋の中でパソコンに向かい、カタカタとキーボードを叩きつける。先程出来上がったプロットを基に物語を起こしながら、カップへと手を伸ばし珈琲を啜った。
 てっきり熱いと思い込んでいたそれはなまるぬくなっていて、淹れてからそれほどに時間が経ったのかと驚きながら残りを一気に飲み干した。

『世界はまるで、私を──』

「あぁ、違う。これじゃあ伝わらない」

 プロットが完成したところでその後の執筆が滞りなく進むかと言えばそんなことはなく、何行か書いては手を止めて頭を抱える、ということも少なくない。
 食事を摂ることも忘れて終日書き続ける日もあれば、たったの一文ですら思い付かない日もある。
 毎日異なるそういった状況の中で今日はあまり良い日ではなかった。

「珈琲、淹れ直すか」

 一人でぶつぶつと呟き無精髭を弄りながら、軋む椅子から立ちあがり台所のほうへと体を向けたとき、久しぶりにインターホンが鳴った。
 しばらくその音を聞いていなかったからか、今日この時間までテレビやラジオでさえも音に触れていなかったからか、その呼び出し音に笑えるくらい心臓が騒いだ。
 誰かにワッと驚かされたような、運転中に子犬が飛び出してきたような、そんな感じに。心臓の音が全身を巡り、耳の内側から響いているようだ。
 早くおさまれと、胸元を何度かさする。
 
「……はい」

 今は誰の顔も見たくなかったから居留守を使う選択肢だってあったはずなのに、今回はそれを選ばなかった。
 いくら誰にも見られていないとはいえ、呼び出し音ごときにあのような反応を示したことがたまらなく恥ずかしかった。
 このまま何事もなかったかのように、珈琲を淹れるためにキッチンへ行く気にはならなかったのだ。
 こういうところは、いつも変に拘ってしまう。


「お荷物届いてまーす!」

 ドアを開けると、爽やかな青年が立っていた。段ボールを抱え、愛想よくこちらを見ている。
 薄暗い部屋にいた俺には、彼はあまりにも眩しすぎた。ギラギラと照りつける太陽を見上げたときのように目を細めて見つめれば、配達員のその彼は、私にボールペンを差し出しサインを求めた。
 念の為に伝票に書かれていた名前を確認すると、私のではない宛名だったことに気づく。

「あれ? 松倉まつくら……?」

「え?」

「あの、君さ、間違っているよ。私は原沢はらさわで、松倉まつくらは確か、隣の部屋の人だったはずだ」

 受け取ろうとしたボールペンを押し返し、伝票を確認するように伝えれば、彼は慌てて住所の欄を見ると、ハッとした顔をした。一瞬だけ、彼の眉が上がる。
 それから大袈裟なくらいに深々と頭を下げる。

「失礼いたしました。申し訳ございません」

 驚かされて恥ずかしい思いをし、面倒だと思う人との関わりまでやらなければいけなくなってあげく、隣と間違われるだなんて溜め息が出そうになるけれど、この配達員さんに嫌な印象は持たなかった。

「階を間違えたとか、隣の部屋と間違えたとか、こういうマンションなら仕方ないし、あまり気にしないで。それじゃあ、失礼するよ」

 今なら素直に珈琲を淹れられる気がすると思いながらドアを閉めようとしたとき、隙間に手を入れて阻止した彼が「待ってください!」と大声で叫んだ。
 思いっきり指を挟んでしまったことに戸惑う私を気にすることなく、ドアをこじあけ足を一本滑り込ませてきた。
 指の心配をしていたけれど、こんな強引なことをされるのであれば、さすがににこやかな対応が難しくなる。

「……何なんだ?」

 用があるのは隣の部屋なのだから、私に構う理由は何もないはずだ。それなのにどうして、彼は私を引き留めるのだろうか。
 何なんだ? と返した声には不機嫌さが滲んだ。嫌な印象は持たなかったとはいえ、不必要な関わりは避けたい。

 そもそも最近は髭だって生やしっぱなしで、見る人によっては不潔だと思うだろうし、着ている服だって床に投げていたものを適当に選んで着ただけだ。洗濯したての、清潔な衣類ではない。
 こんな爽やかな好青年を前にすれば、私だって恥ずかしく思ってしまう。

原沢はらさわさん、下の名前は何ですか?」

「え?」 

「あの、俺も原沢はらさわなんです。下は弘明ひろあきって言います。弓と片仮名のム、の組み合わせの弘に、明るいと書いて、弘明ひろあきです。原沢はらさわだと同じ名字なので紛らわしいと思うんです。下の名前教えていただけないでしょうか?」

隆義たかよしだけど……」

「たかよしさん! どんな漢字を書きますか?」

「隆起するの隆に、義理の義だが……」

「それで隆義たかよしさんと読むんですね。ありがとうございます。ではまた」

 帽子のつばを軽く上げ、さっきよりもはっきりと私に顔を見せた彼は、思ったよりももう少し若い印象に見えた。つばの下から覗いた前髪は、癖っ毛なのか柔らかそうだ。
 彼は照れたように微笑み、隣の部屋の前に立った。インターホンを鳴らし、「お荷物届いてます」と同じように叫ぶと、再びこちらを見てまた私に微笑んだ。
 視線がぶつかると同時に、なぜか私の心臓が騒ぎ始めた。

「……っ」

 約五十年という人生を重ねてきた私にはなくなってしまった純粋な心を彼に見た。だからあんなにも笑顔が眩しいのだ。

 今度こそ玄関のドアを閉め、たまに忘れる鍵をすぐにかけた。ついでにドアノブの上下に付いている二つの鍵まできちんと。踏み込まれたくないところに踏み込んできそうな笑顔だったから。

「……って、名前……」

 反射的に答えてしまったけれど、私の名前を知る必要がどこにあったのだろう。
 原沢はらさわという名字が同じでそれに反応した彼が自分の名字を私に教えるまでは理解できる。それで終わりで良いはずなのに、私の名前を教えてほしいだなんて。
 紛らわしいとは、一体何が? 彼と私で会話をするわけでもないだろう?


 珈琲を淹れ直す気分ではなくなり、薄暗い作業部屋へと戻った。
 眩しい彼を見ていたからか、心地良いはずのこの部屋で落ち着かなくなり、珍しく電気をつけた。
 今日はもう小説を書く気にもならない。握りしめていた電気のリモコンを机に置き、気分転換にシャワーでも浴びようと風呂場へ向かった。




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